【本編完結】セカンド彼女になりがちアラサー、悪役令嬢に転生する

にしのムラサキ

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分岐・鍋島真

花と雀蜂(side真)

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 父親との思い出と言われて一番記憶に灼きついているのは、蹴り壊された天体望遠鏡かなぁって思う。
 まだ僕は7歳で、今より随分とピュアだった。もうそれはピュアッピュアのピュアだった。サンタクロースは信じてなかったけど(来たことがなかったから)。
 もし過去に戻れるならこう伝えたい。

「泣くなよクソガキ、感情をヒトに見せた時点で負けだよ」

 まぁそんなことは実際には起きなかったわけで僕は泣いた。ふつうに。
 初等部の友達が持ってた天体望遠鏡、羨ましくて仕方なくて、僕はその日に買いに行ったんだ。よく覚えてる。使い方とかよく分からなくて、暗い庭で小さい千晶は興味津々にウロウロしてて、僕らはいっしょに月を見た。
 僕はすっかり天体観測にハマった。当時の僕は星の名前なんか分からなかったから、適当に探しては手当たり次第に星を観察していた。
 僕に最初に天体望遠鏡を見せてくれた友達は、父親といつも観察しているんだって言ってた。
 その時既に僕は父親になんの期待もしていなかったから、別にそんなことは羨ましくもなんともなかった。千晶がいたし。
 父親のほうも僕が夜な夜な天体観測してるなんて思っていなかっただろう。
 だけれどその日、父親は酔ってイラついて帰宅した。有力な支援者に何か腹が立つことを言われたらしい。

「邪魔だ、余計なことをせず勉強だけしていろ、妾の子が」

 妾の子。
 そうしたのはお前じゃないか。
 僕はつい、睨んでしまった。へらへらして流したらいいだけの、酔っ払いの戯言に、いちいち反応してしまった。バカだよね。

「なんだその目は!」

 激昂した父親は、目の前にあった望遠鏡を蹴った。倒れたそれを、何度も何度も。千晶がそれを見て泣いた。

「そえおにいしゃまの!」

 今でこそスラスラと僕を罵倒してくれる千晶だけど、3歳の千晶は言葉が少し遅かった。やっと指示代名詞や格助詞が言葉に入ってくるようになったばかりの千晶。
 父親はそんな千晶に手を上げようとした。僕は手元にあった本を投げた。

「ああ本当にイラつく、その目はあの女そっくりだ!」

 父親に生写しのような僕が、唯一違うのは瞳の色。日本人には珍しい、ほんの少し明るい鳶色。

「オレの言う通りにしておけ、オレに刃向かうな、いいかお前の血の半分は卑しい女の血だ」

 何度も殴られながら、僕は思った。賢いから。

(きっとこれは続くんだろうなぁ)

 こいつは、こうやって僕の人生を邪魔してくるだろうな。何度も何度も。

(排除すべきだ)

 頭を庇うように丸まりながら、幼い僕は思った。こいつがいると、僕はきっと自由に生きられない。

(こいつは、僕の人生にいらない)

 ーーだから僕は、賢く生きることにした。

(……なんでこんなこと思い出したのかな)

 隣でぼけっとしている華を見る。プラネタリウム上映の後、シアターをでてすぐのベンチだ。

「プラネタリウムって、何気にちゃんと見たの初めてかもでした」
「君のハジメテもらえて嬉しいよ」

 華はじとりと僕を睨む。あは、ブサイク。可愛い。
 僕は気づいたことがあって、それはとても驚くべきことだと思う。少なくとも、僕の感情のラインナップに、「こんなもの」があったなんて驚きだ。

(とてもびっくり)

 しかも4つも年下の女の子だ。ふふん、学校のやつらに知られたらロリコンの誹りは免れ得ないだろうなぁ。僕は同じ年か、年上としか関係を持ったことがないから驚くだろう。まぁわざわざ言わないけれど。

(まぁ、あんまり年下っぽくはないんだけどね)

 華が僕を見る表情は「あーあ、クソガキが」って感じで面白い。
 僕は笑ってみせる。いつも通り、綺麗に優美な微笑みを意識してーーなにしろ僕の半分は「卑しい血」(本当に馬鹿らしい話だ!)らしいから、常に意識してる。上品に見えるかを、優雅に振舞えているかを。

「地上から見た月の動きの説明あったの、覚えてる?」
「あ、はい」
「あの動き方。わすれないでね。割と頻出」
「はい」

 華は頭に触れる。叩き込むっていうジェスチャー? なにそれ馬鹿みたい。

(馬鹿みたいに可愛い)

 僕は首をひねる。僕ってこんなキャラだったっけ?

「どうしました?」
「んーん、なんでも?」

 僕は微笑む。

「さて、行こうか」
「? どちらへ」
「君にオベンキョを叩き込めるところ」

 華はうへえって顔をした。ふーん、そんな顔もするんだね。

 自分の部屋に千晶以外が入るのは生まれて初めてだ。多分。掃除だって自分でやる。
 というか、あのプラネタリウムにだれか連れて行ったのも初めてだった。喫茶室の店長、びっくりしてたな。
 華は興味深そうにキョロキョロしている。

「本ばっかですねー」
「そうかな」
「へー」

 僕の話を聞いてるんだかいないんだか、華は本棚を眺めている。

「樹くんも」

 華は少し嬉しそうに言う。

「本ばっかですよ」

 部屋に行ってるんだ。あ、そう。

「……そ」
「あと、魚飼ってます」
「魚?」

 少し意外な気がして聞き返した。

「ハイギョとか」
「またマニアックな」
「ふふ、でしょう」

 また、嬉しそうに華は笑った。
 うわぁどうしよう。
 僕は自分でも驚いたんだけどものすごく混乱して、とりあえず本棚の本を抜き取った。適当に。意味もなく。

(これって嫉妬?)

 ふう、と息を吐いた。
 僕らしくない。本当にこの子といると、僕らしくなくなってしまう。

(それでイラついてたんだ)

 だとしたら、僕はきっとずっとこの子に恋していたんだろう。
 窓の外を雀蜂が飛ぶ。庭にはたくさん花が咲いているから、その蜜を求めているんだろう。

「ねぇ」
「はい?」

 警戒心なく僕を見上げる華。
 僕は笑う。

「雀蜂ってね」
「はい」
「幼虫は肉食なんだけど」
「はぁ」
「オトナになると、花の蜜しか食べられなくなるんだって」
「へえ」

 華は窓の外を見て「あ、ほんとだ雀蜂」と呟いた。

「怖いですね」
「なんで?」
「刺されたら死ぬかもだし」
「雀蜂に刺されて死ぬのはアナフィラキシーショックによるものだから、前に刺されたことなければ大丈夫だよ」
「え、でも普通に痛そう」

 窓の外を見たままの華、そのサラサラの黒髪をそっと一房、手に取る。

「……なんですか」
「いや?」

 僕は手を離す。さらさらと戻る髪。

「案外痛くないかもよ? 雀蜂に刺されても」
「そうなんですか?」
「案外クセになるかも」
「絶対なりませんよ、やだな」

 僕を「なんの会話?」って感じでめんどくさそうに見上げる華に、僕はただにこりと微笑んだ。
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