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幽霊

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「幽霊って、これね」

 僕はぼんやりと感じる耳鳴りに違和感を覚えながら、それを見上げた。

「お化け屋敷にあるやつー」

 華は少し嬉しそう。健は何も言わず、横でそれを見ていた。

「円山応挙だよ。幽霊から足がなくなったのは、この人からだって言われてる」

 僕はガラスケース越しにそれを見ながら答える。
 円山応挙の幽霊の掛け軸。
 掛け軸に描かれた、それ。気高さえ感じるしっとりとした美しさと、ゾクリとくるような恐ろしさーー。ぼんやりと消えていく下半身。芸術的効果を狙ったものらしいけど、それ以上のインパクトがある。

「浮世絵以外もあるのね」
「江戸から明治初期の作品がメインみたいです」

 牟田さんの質問に、ヒカルが答える。

「3階には、根付けなんかの展示もありますよ」
「へぇ」
「根付けってなんなん?」

 いつのまにか、山ノ内さんと鹿王院さんが後ろに立っていた。

「ほら、あれよ。ストラップみたいなやつ」

 牟田さんの大雑把な説明で、山ノ内さんは頷いた。

「あー、土産物なんかにあるやつな」
「そうそう、キャラクターものの。もともと江戸時代から使われてたものらしいわ」
「へえー」

 ふつうに会話している他の人たち。

(……僕だけかな)

 低い音が、聴こえているように感じたのは。
 その時だった。
 ぴりぴり、とした肌感覚、それに轟音。バリバリバリ、と鼓膜どころか脳に響くような音ーー。

「なんや!?」

 山ノ内さんがそう叫んだ次の瞬間には、照明がフッと消えていた。

「え、なに」
「停電!?」

 現代ってのは便利で、皆がスマホを取り出した。皆が背面ライトを点ければ十分な明るさだ。

「ここを出ましょう」

 ミチルが言う。

展示室ここには、窓がないから」

 スマホの時刻は14時半過ぎ。天候が悪かろうと、窓から薄明かりくらいは入っているはずだ。
 賛同して、歩き出そうとしてふと気づく。

(あれ)

 耳鳴りが、おさまっていた。
 全員でゾロゾロと展示室を出て、階段で1階に降りた。ゲスト全員と双子は、食堂に落ち着く。大橋さんと吉田さんは配電盤の確認。

(こんな時なのに、大変だよな)

 お給料ちゃんと出るんだろうか、なんて詮無いことを考えてしまう。

「落雷による、停電のようですーー」

 ふたりは、事務室方面から戻ってきて言った。

「まぁ、調理自体はガスなので、予定通りメニューをお出しできるかと。水道も直圧式なので、止まらないはずです」

 大橋さんがそう言った時、窓の外がピカリと光る。数拍遅れて、轟音。

「きゃー」

 華は耳を抑えて、嫌そうに窓の外を見ている。日和と牟田さんは割と平気そう。
 ミチルも案外大丈夫だけど、ヒカルは心配なのか背中をそっとさすっていた。

(心配なんだ)

 へぇ、と思う。

(僕は一人っ子だからなぁ)

 華が姉のようなものといえば、まぁそれはそうなんだけれど、イトコという一線は譲りたくない。完全に弟になっちゃったら眼中に入ることさえできなくなる。
 じきに、雨が強くなってきた。バラバラバラバラと窓ガラスに叩きつけられる雨粒。

「非常用のライトです」

 何本かあるそれを、吉田さんがテーブルに置いてくれた。

「……今から、どうなさいますか」

 吉田さんが、少し控えめに言う。

「個人的には、ここでまとまっていた方が安全かとは思うのですが」
「そうね、台風においやられて、外にいた犯人が室内に逃げ込んでくるかもしれないしーー1人の部屋に変えるのは不安」

 牟田さんがそう言う。山ノ内さんが反応した。

「内部犯人説はもうないんすか」
「だって、防犯カメラの映像があるんだもの。鹿王院さんの証言からも、雑餉隈さんは今朝方殺されてる。唯一犯行ができそうなーーごめんなさいね、ヒカルさんのアリバイは常盤姉弟が証明してくれてるし」
「アリバイ?」
「アリバイ、って言うのが正しいか分からないんだけれど……ご遺体発見時にも、その後にも、雑餉隈さんの部屋に鍵を戻すタイミングはなかった、ということよ」
「まぁそう言ってはったなぁ」

 山ノ内さんは僕らをちらりと見る。僕っかりと頷いた。

「少なくとも、アトリエの鍵は世界にこの二本だけなんですよね? 大橋さん」
「あ、はい。これと」

 大橋さんは自分のマスターキーを指で掴んだ。

「雑餉隈の部屋にあるオリジナル、この二本でしか施錠解錠、ともに不可能です」
「と、いうわけよ」

 牟田さんは苦笑いする。

「悪かったわね、嘘つき扱いして」
「いえ、いいんす。けど、外部犯やとして、どうやって島に?」
「さあ、小型船舶でも港の反対側にでも停めてたんじゃない? 殺して、すぐに島から出る気でーーでも波が荒くて出られなくて島に残ってるか、案外無理やり出航して、今頃海の底かも」
「案外フツーに博多に着いて、のうのうとしてる可能性もあるっちゅーことっすね」
「まぁ、そうね……」
「しかし、寝るときはどうします」

 鹿王院さんは言う。

「俺はここで雑魚寝でも構いませんし、そもそも起きているのが1番安全だとも思っていますが」
「起きていましょう、か」

 牟田さんはちらりと僕らを見た。僕らも頷いた。
 そこからは、それぞれが雑談したり、健と翔はまたスマホでゲームを始めたり、好き勝手に過ごしていた。充電大丈夫なんだろうか。

(多分だけど、)

 僕は思う。みんな、人が死んだのを忘れようとしている。それが無意識からくるストレスに対する防衛反応なのか、意識的なものなのかはともかくーー。
 夕食を作りにいく、という大橋さんと吉田さんに、ヒカルと牟田さんが付いていった。

(ヒカルはホスト側、っていう配慮だとして)

 なにかしてないと、気が紛れなかったのかもしれないけれど。

(牟田さんは、やっぱり疑ってるのかなぁ)

 食事に何か入れられたら嫌だ、とでも思ったのかもしれない。
 そしてしばらくして、「簡素ですが」と出てきたのはフレンチのコース。かなり簡略化はされてるけど、前菜もスープもちゃんとある。一度に全部運んで来ちゃってるし並んじゃってるけど、厨房まで何度も往復するのは、この状況で厳しいだろう。

「冷蔵庫は、停電しても幸い中は冷えておりましたからーー念のため、肉と魚はよく火を通してあります」

 吉田さんがそう言って、皆ナイフとフォークを手に取った。
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