翡翠少年は謎を解かない

にしのムラサキ

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エピローグ、緑色の目をした怪物

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「綺麗な翠の目だね」

 僕の家庭教師、相良先生は初めて会ったとき、この話をした。僕の目を見ながら。僕の緑色の目。

「ケルト神話以降、緑の目は悪魔の象徴だった」

 僕は黙ってその話を聞く。

「嫉妬の象徴でもあるーーシェイクスピアいわく」

 相良先生は続けた。

「It is the green-eyed monster which doth mock、The meat it feeds on……こいつは緑色の目をした怪物です、 自分の餌を弄ぶ」

 僕が何か言う前に、先生は次の言葉を続けた。

「緑色の目の悪魔の話を知ってるかい」
「いえ」
「その悪魔は」

 先生は微笑む。

「真実の目を持っていた。全ての嘘を見抜く瞳を」

 先生は少し寂しそうに話す。

「その悪魔は、嘘をついた人を騙して嬲って殺して、そうやって日々を過ごしていた。それが悪魔としての彼の宿命だったから。けれどある日、彼はひとりの少女に恋をする。悪魔は神に誓った。もう二度と人を傷つけないから、自分を人間にしてください、とーー」

 僕は相変わらず黙っている。

「けれど、ある日少女は嘘をついた。他愛もない嘘を、けれど取り返しのつかない嘘を。悪魔は少女を殺して、悪魔に戻ったーー君は」

 先生は僕を見る。

「君のその目は、色んなものを見透かすかもしれないね。それはきっと辛いことだ」

 ひとりで真実を背負って生きていかなきゃいけないーー先生はそう言って僕を見る。

「結論をお願いします」

 僕が言うと、先生は即答した。

「いいな翠の目! めっちゃ邪眼じゃーん」

 中二だった。中二病だった。このひと大学院生じゃなかったっけ……。ものすごく羨ましがられた。なんだこのひと。
 そんな相良先生だけど、勉強はわかりやすかった。弟さんが華と同じ年らしくて、話もしやすい。

「……先生、なにしてるんですか」
「おや、圭くん。両手に花ってかんじでしょ、うらやましい?」

 あの島から帰ってきてしばらくした、夏休み終盤(といっても、学校へ通っていない僕にはあんまり関係ないけれど)僕がリビングに向かうと、相良先生は華とヒカルと話していた。
 華はわかる。なんでヒカルまで。

「びっくりしたー?」

 華は嬉しそうに言う。

「二学期から、東京の女子高に通うんだって。寮があるとこ。野球また始めるんだってさ」

 ヒカルは控えめに笑った。

「そうなんだ。……ミチルは?」
「母さんと来月からアメリカ」

 ヒカルは笑う。そうか、……そりゃそうだ。ヒカルまでついていくことはない。

「あの後、警察きたー?」
「うん、何回もーー。でもまぁ、通り一遍のことってかんじやった」

 華の質問にヒカルは気軽なかんじで答える。本当に疑われてないのか、単に泳がされてるだけなのかは分からないけれど。

「そっかー。良かったね」

 笑う華。

「ありがとね、華、圭」

 笑うヒカル。

(ああ、)

 僕はバカだ。なにが嘘を見抜く瞳だ。僕はすっかり、ーーそうか。

「……すっかり仲良くなったね、華とヒカル」
「えへへ、そうでしょ」

 華はヒカルの腕に抱きつく。ヒカルは笑って、華を見る。見つめ合うふたりの瞳にあるのは、共犯の親しみ。

(いつだろう)

 目の前で絵を雑餉隈さんに壊された時? それとも、実はもっと前から?

(華はヒカルと一緒に雑餉隈さんの死体の第一発見者だ)

 そして、その直前。防犯カメラに映ったヒカルが、地下へ行って戻ってくるまで約10分。
 殺して凶器を外に出して、換気扇を付け直して、鍵をかけてーー10分では、短すぎないか?
 たとえば、換気扇を付ける作業は、華とふたり、地下室へ向かった後でやった、とか……。
 朝はフラフラで、包丁さえ持たせられないはずの華が、朝に自分から動いたことも良く考えれば不自然だ……あの時、華は薬なんか飲んでいなかったのかもしれない。

「ヒカルは」

 僕は聞く。

「夜、良く眠れてる?」
「? うん」

 不思議そうに答えるヒカル。

(じゃあ、使われたのは華の導入剤か)

 鹿王院さんが指摘していた。華とヒカルは、もともと知り合いじゃなかったのか、って。

(最初から?)

 華を見る。華はにこりと微笑んだ。幼い笑い方のその表情は、思わずぞくりとするような艶さえ含まれていた。

「さて圭くんは僕とお勉強かな」
「、……ですね」

 返事をして、相良先生と連れ立って、自室へ向かう。
 しばらく真面目に授業したあと、先生はふと言った。

「そういえば、結構話題の噂があって」
「はい」
「前、俺が言ってた廃墟覚えてる? 危ないから行くなって言ってたとこ」
「あー、ダムの近くの元病院」
「そうそこ! そこにさぁ、けっこー前の話なんだけど、うちの弟が肝試しに行くっていうからさ」
「はぁ」
「友達とさあ、結構デカイいたずらを敢行しちゃったんだよね」

 相良先生はえへへ、と笑う。

「天気も悪かったし、うまいこと騙されてくれてさー」
「……はぁ」
「セロファンで作った金魚の影絵とか、低い音スマホで聞かせたりとか。ちょっと壊れてる懐中電灯持たせてさ」
「あんたか!」
「え、なに?」
「いえ」

 僕はため息をつく。

「続き、どうぞ」
「いいの? でさ、それでそのこと弟がベラベラ喋ったせいで、あそこ"本当に出る"って余計話題になっちゃってさ」

 なるほどなぁ。
 なんでも、フタをあけてみれば「なあんだ」ってことの連続だ。

「ところでさ」
「はい」
「君は悪魔になるのかな」

 相良先生は言う。好きな女の子に嘘をつかれた悪魔は、女の子を殺して悪魔に戻る。

「なりませんよ」
「おやーー残念」
「僕は最初から人間ですから」

 嘘をつこうと、嘘をつかれようと、ヒトはヒトのままだ。ヒトの心が分からない、人でなしの僕だって、悪魔になんかならない。人を殺したヒカルでも、それを手伝った華も。
 ふと窓の外を見る。華が家の外までヒカルを送っていた。手を大きく振って別れるふたり。

(健が知ったらどう思うかな)

 思考の片隅で、そう思う。
 僕は謎を解かない。嘘をつく。
 世界は嘘と欺瞞で満ちていて、僕らはその中でなんとか生きている。華は世界の終わりを願っていて、僕は華の世界が続くことをただ、願っている。
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