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妖
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「いいえ、帰りません」
キッパリと浩然は言い、私の横に座った。
「ダメ。帰って」
「いやだ」
浩然の敬語が崩れる。
こうなると、もうテコでも動かないのは経験上分かっていた。
「大丈夫だ。俺は一度かかっているから、もうかからない」
「そうとは限らないじゃない」
万が一にでもうつさないように、と咳が出そうになって反対側を向く。赤麒がほんの少し動いた。
浩然は許可もなく私と同じ毛布に入る。部屋に戻らないならば、その方が暖かいだろうけれど。
(病気、うつっちゃったら)
どうしよう。
そんな私の感情を無視して、浩然は私を抱きしめた。
「……浩然?」
「少しくらい暖かいだろう……ですか」
その言い方に、私は肩を揺らす。浩然のあたたかさに、心がほどける。あったかい、と素直に思う。
「あは、もう、いいよ浩然、敬語なくして、昔みたいに話して。……私はもうお嬢様じゃないんだよ」
ここ、苒の官僚、代々の皇帝の覚えも目出度い秦家のひとり娘として何一つ不自由なく育った私。
けれど、私はもうそんな身分の娘じゃない。
「急に変な話を」
ぎゅう、と浩然は私を抱きしめる。
ガタガタと冬の風が小屋の隙間から吹き込む。外はきっと大きな雪片が舞い狂っているのだろう。
「本当のはなしだよ」
そう答えると、ふ、と浩然が笑う。
「嫦娥がお嬢様らしかったことなんかあったかな」
「あは、もう、酷いなぁ」
「……嫦娥は、ずっと嫦娥だ」
見上げると、至近距離に浩然の整ったかんばせ。切れ長の目を細めて、少しだけ、狂おしそうな目をしていてーーそれが、不思議だった。
「……浩然?」
そう彼の名前を呼んだ時、私たちはハッと息を飲む。
ぶもも、という荒い息と、ずしりずしりというゆっくりとした、重い足音。
浩然が近くに置いてあった刀を手にする。
「傲焆だ」
「山から降りてきたの?」
傲焆は山の妖。
牛に似たその妖は、時折ヒトを食べるーー。
私を少し庇うようにする浩然に、私は笑って見せた。
「大丈夫だよ浩然、知ってるでしょう」
「……」
「私は妖に襲われないんだって」
お父様は「お前は神に祈って産まれた子だから」と笑っていた。
ヒトを襲う妖に、私はなぜだか、絶対に襲われない。それこそ、産まれた時から。
(そういうところも、お義母様たちからしたら気味が悪いところなのかもなぁ)
少しそう思う。
ただ、妖から自分が襲われなくとも、自分の横にいる人間が襲われないとは限らない。
「浩然は自分を守って」
私は大丈夫だ。多分ここで寝転がっていても、傲焆は何の危害も私に与えない。匂いくらいは、まぁ、嗅がれるかもしれないけれど。
それでも浩然は刀を構えて、私を庇う膝立ちのまま動かない。
傲焆が頭を馬小屋の窓に突っ込んできた。
白い大きな牛の顔、額の四つの角。獰猛そうな金の瞳が、蝋燭の光を反射した。
生臭い息が馬小屋を満たす。浩然は鋭い視線のまま、刀を傲焆に向けていた。
傲焆はしばらくこちらに向かって視線を向けた後、ふと興味を失ったように、ずしり、ずしり、と歩いて去っていく。
「母屋へ行くかな」
「あちらは妖避けの呪があるから大丈夫だろう」
浩然はすっと剣を鞘へ仕舞う。
「あいつらは」
ぐ、と浩然が唇を噛む。
「お前が食べられていいと思っているのか? 門の妖除けの呪はまさか、わざと?」
本来ならば、門に貼られているはずの妖除け。けれど傲焆がここまで入ってきているということは、それが無かったということ。
「……食べられればいい、とは思ってるかもね」
どうせ食べられないだろう、とも思っているだろうけれど。
熱に浮かされた喉で喋り過ぎたのか、私はそう言った後、ひどくむせこんだ。
浩然が慌てたように背中を撫でる。
「けほ、ありがと」
「……まずは治せ」
「ん……」
「嫦娥、大丈夫か、嫦娥」
いつも冷静な浩然の、ひどく焦った声。
もしかして譫言のようになっているのかな。
(はやく、治さなくちゃ)
そう呟こうとしたあと、私の意識はふんわりと沈んでいったーーそして、思い出す。
私の「前世」を。
キッパリと浩然は言い、私の横に座った。
「ダメ。帰って」
「いやだ」
浩然の敬語が崩れる。
こうなると、もうテコでも動かないのは経験上分かっていた。
「大丈夫だ。俺は一度かかっているから、もうかからない」
「そうとは限らないじゃない」
万が一にでもうつさないように、と咳が出そうになって反対側を向く。赤麒がほんの少し動いた。
浩然は許可もなく私と同じ毛布に入る。部屋に戻らないならば、その方が暖かいだろうけれど。
(病気、うつっちゃったら)
どうしよう。
そんな私の感情を無視して、浩然は私を抱きしめた。
「……浩然?」
「少しくらい暖かいだろう……ですか」
その言い方に、私は肩を揺らす。浩然のあたたかさに、心がほどける。あったかい、と素直に思う。
「あは、もう、いいよ浩然、敬語なくして、昔みたいに話して。……私はもうお嬢様じゃないんだよ」
ここ、苒の官僚、代々の皇帝の覚えも目出度い秦家のひとり娘として何一つ不自由なく育った私。
けれど、私はもうそんな身分の娘じゃない。
「急に変な話を」
ぎゅう、と浩然は私を抱きしめる。
ガタガタと冬の風が小屋の隙間から吹き込む。外はきっと大きな雪片が舞い狂っているのだろう。
「本当のはなしだよ」
そう答えると、ふ、と浩然が笑う。
「嫦娥がお嬢様らしかったことなんかあったかな」
「あは、もう、酷いなぁ」
「……嫦娥は、ずっと嫦娥だ」
見上げると、至近距離に浩然の整ったかんばせ。切れ長の目を細めて、少しだけ、狂おしそうな目をしていてーーそれが、不思議だった。
「……浩然?」
そう彼の名前を呼んだ時、私たちはハッと息を飲む。
ぶもも、という荒い息と、ずしりずしりというゆっくりとした、重い足音。
浩然が近くに置いてあった刀を手にする。
「傲焆だ」
「山から降りてきたの?」
傲焆は山の妖。
牛に似たその妖は、時折ヒトを食べるーー。
私を少し庇うようにする浩然に、私は笑って見せた。
「大丈夫だよ浩然、知ってるでしょう」
「……」
「私は妖に襲われないんだって」
お父様は「お前は神に祈って産まれた子だから」と笑っていた。
ヒトを襲う妖に、私はなぜだか、絶対に襲われない。それこそ、産まれた時から。
(そういうところも、お義母様たちからしたら気味が悪いところなのかもなぁ)
少しそう思う。
ただ、妖から自分が襲われなくとも、自分の横にいる人間が襲われないとは限らない。
「浩然は自分を守って」
私は大丈夫だ。多分ここで寝転がっていても、傲焆は何の危害も私に与えない。匂いくらいは、まぁ、嗅がれるかもしれないけれど。
それでも浩然は刀を構えて、私を庇う膝立ちのまま動かない。
傲焆が頭を馬小屋の窓に突っ込んできた。
白い大きな牛の顔、額の四つの角。獰猛そうな金の瞳が、蝋燭の光を反射した。
生臭い息が馬小屋を満たす。浩然は鋭い視線のまま、刀を傲焆に向けていた。
傲焆はしばらくこちらに向かって視線を向けた後、ふと興味を失ったように、ずしり、ずしり、と歩いて去っていく。
「母屋へ行くかな」
「あちらは妖避けの呪があるから大丈夫だろう」
浩然はすっと剣を鞘へ仕舞う。
「あいつらは」
ぐ、と浩然が唇を噛む。
「お前が食べられていいと思っているのか? 門の妖除けの呪はまさか、わざと?」
本来ならば、門に貼られているはずの妖除け。けれど傲焆がここまで入ってきているということは、それが無かったということ。
「……食べられればいい、とは思ってるかもね」
どうせ食べられないだろう、とも思っているだろうけれど。
熱に浮かされた喉で喋り過ぎたのか、私はそう言った後、ひどくむせこんだ。
浩然が慌てたように背中を撫でる。
「けほ、ありがと」
「……まずは治せ」
「ん……」
「嫦娥、大丈夫か、嫦娥」
いつも冷静な浩然の、ひどく焦った声。
もしかして譫言のようになっているのかな。
(はやく、治さなくちゃ)
そう呟こうとしたあと、私の意識はふんわりと沈んでいったーーそして、思い出す。
私の「前世」を。
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