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霙
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私は足をもつれさせながら、浩然の居室まで向かう。
「こ、浩然、浩然、いる!?」
常ではない私の声に、背後から声がかかる。
「嫦娥様」
振り返ると、困ったような顔の下女さん。
勝手に私と話すと怒られるので、向こうから話してくることは殆どないのに。
「浩然様は、四木へ行っております」
「四木!?」
馬で3日もかかるところだ。何で急に!?
「奥様に突然、四木のご親戚へ言付けを申し渡されて。嫦娥様にお告げになる暇もなく、先ほど」
「さっき?」
「お帰りも、春祈祭に間に合うか、どうか……」
私はぐっと唇をかみしめた。先手を打たれた。
(私が赤麒を連れて、逃げないように)
なんでそこまで、私を虐げるのだろう? 何が憎いのだろう。分からない。
フラフラと馬小屋へ向かう。馬小屋では何人かの男が番をしていた。私が近づくと、威圧的に睨んでくる。
(……ひとりで連れて逃げるのは無理だ)
どうすればいい? どうすれば……。
ふ、と頭の中にたったひとつ、考えが閃いた。
(いま頼れるのは、もう、前世の知識だけだ)
親類縁者は、お義母様に押さえられている。それで、私と浩然はいままで逃げるのを躊躇っていた。
……少なくとも、逃げても都周辺に留まるのならすぐに捕まるだろうから。
(だからこそ)
遠くへ、遠くへーー逃げるのだ。
(でもその前に、赤麒だ)
私の残された家族、愛おしい家族。
彼を救いたい。
私は無力で、頼れる浩然はいま近くにいない!
とすれば、それより上の立場の人間に頼るしかないーー。
上、というよりも最高位の方しか思い浮かばなかった。それしか手段がなかったから。皇帝陛下。
(皇上)
皇帝の住う禁城、その後宮への侵入の仕方を、私は知っている。
(たしか、あの漫画では)
やるしかない。
夜になるのを待って、私は邸を抜け出した。
もしかして、と馬小屋へ寄ったけれど、相変わらずの厳重な警備に心が折れそうになる。
幸い、今日は満月。雪も降っていない。
月で、道がぼんやりと分かる程度には明るかった。道の脇には土が混じった雪。
街中に人はいない。夜は妖が出るから、滅多なことでは外出しないのだ。
空を名前も知らない妖の群れが飛んでいく。ぎいぎいという異様な鳴き声が蘇京じゅうに響く。
街の外れにある、遊水池。その疎水に、私はそっと触れた。幸い、凍ってはいない。
……少し霙のようになっているところはあるけれど。
「……っ」
冷たい。思わず手を引く。
(けれど、行くしかない)
思い切って、足先から突っ込む。冷たいというよりは、もはや痛かった。
すっかり肩まで浸かって、私は息を吸い込んだ。歯が噛み合わない。
(心臓が止まりそう)
それでも、やるしかない。
頭まで、とぷんと潜る。
仄暗い水中で、私は必死に壁を弄る。
心臓が止まりそうな冷たさの中、なんども水面に顔を上げて呼吸を整えながら「それ」を探した。
肺に空気が突き刺さる。
何度繰り返したか分からない、月も中天に差し掛かった頃、私はやっと「それ」を見つけた。
(あったぁ!)
すっかりかじかんだ手で、ぐいっとその取手を引く。その取手の先は、秘密裏に作られた横穴。
水流が変わって、私は吸い込まれるようにその横穴に流された。
(!?)
気を失いそうになりながら、必死でもがく。どちらが上か下かも分からないまま、ふと指先が空気にふれた。
(こちらが水面だ!)
とにかく息がしたくて、酸素を吸いたくて、私は動かなくなりそうな足を動かした。
ぶは、とやっと水面から顔を出した私は荒い呼吸を繰り返す。
朦朧としたまま、私は辺りを見回した。
真っ暗闇だけれど、あの横穴を抜けてきたのだからほぼ間違いないだろう。
「……良かったぁ」
ここは、皇帝の住う禁城の後宮につながる、地下通路。戦やいざというときのために作られたもので、漫画では主人公たちが禁城に潜入するときに使われた。
(漫画では夏だったもの)
まさか、雪も残る春先にここに潜るなんて、思ってもいなかったけれど。
私は水路から、通路に這い上がる。ガチガチと歯が鳴る。
ほとんど動かない手で弄り、壁をさがした。
壁に手が触れ、私はウロウロと松明を探す。
(脱出用に、常備してあるはず)
漫画でも主人公たちはそれを使っていた。
指先が木にふれ、私はその横に火打ち石と火種箱があるのをほとんど麻痺した指で察する。
火種箱には油を染み込ませた木くずや藁が入っているはずだ。
ガタガタ震える身体で、火種が湿気ないよう気を使いながら火打ち石を打つ。
何度目かでなんとか成功して、辺りが明るくなった。
松明に火をうつし、私は足を引きずるように、歩き出した。
身体は芯まで冷えているし、痺れたようにうまく動かない。けれど、もう頼る先を思いつかない。
「こ、浩然、浩然、いる!?」
常ではない私の声に、背後から声がかかる。
「嫦娥様」
振り返ると、困ったような顔の下女さん。
勝手に私と話すと怒られるので、向こうから話してくることは殆どないのに。
「浩然様は、四木へ行っております」
「四木!?」
馬で3日もかかるところだ。何で急に!?
「奥様に突然、四木のご親戚へ言付けを申し渡されて。嫦娥様にお告げになる暇もなく、先ほど」
「さっき?」
「お帰りも、春祈祭に間に合うか、どうか……」
私はぐっと唇をかみしめた。先手を打たれた。
(私が赤麒を連れて、逃げないように)
なんでそこまで、私を虐げるのだろう? 何が憎いのだろう。分からない。
フラフラと馬小屋へ向かう。馬小屋では何人かの男が番をしていた。私が近づくと、威圧的に睨んでくる。
(……ひとりで連れて逃げるのは無理だ)
どうすればいい? どうすれば……。
ふ、と頭の中にたったひとつ、考えが閃いた。
(いま頼れるのは、もう、前世の知識だけだ)
親類縁者は、お義母様に押さえられている。それで、私と浩然はいままで逃げるのを躊躇っていた。
……少なくとも、逃げても都周辺に留まるのならすぐに捕まるだろうから。
(だからこそ)
遠くへ、遠くへーー逃げるのだ。
(でもその前に、赤麒だ)
私の残された家族、愛おしい家族。
彼を救いたい。
私は無力で、頼れる浩然はいま近くにいない!
とすれば、それより上の立場の人間に頼るしかないーー。
上、というよりも最高位の方しか思い浮かばなかった。それしか手段がなかったから。皇帝陛下。
(皇上)
皇帝の住う禁城、その後宮への侵入の仕方を、私は知っている。
(たしか、あの漫画では)
やるしかない。
夜になるのを待って、私は邸を抜け出した。
もしかして、と馬小屋へ寄ったけれど、相変わらずの厳重な警備に心が折れそうになる。
幸い、今日は満月。雪も降っていない。
月で、道がぼんやりと分かる程度には明るかった。道の脇には土が混じった雪。
街中に人はいない。夜は妖が出るから、滅多なことでは外出しないのだ。
空を名前も知らない妖の群れが飛んでいく。ぎいぎいという異様な鳴き声が蘇京じゅうに響く。
街の外れにある、遊水池。その疎水に、私はそっと触れた。幸い、凍ってはいない。
……少し霙のようになっているところはあるけれど。
「……っ」
冷たい。思わず手を引く。
(けれど、行くしかない)
思い切って、足先から突っ込む。冷たいというよりは、もはや痛かった。
すっかり肩まで浸かって、私は息を吸い込んだ。歯が噛み合わない。
(心臓が止まりそう)
それでも、やるしかない。
頭まで、とぷんと潜る。
仄暗い水中で、私は必死に壁を弄る。
心臓が止まりそうな冷たさの中、なんども水面に顔を上げて呼吸を整えながら「それ」を探した。
肺に空気が突き刺さる。
何度繰り返したか分からない、月も中天に差し掛かった頃、私はやっと「それ」を見つけた。
(あったぁ!)
すっかりかじかんだ手で、ぐいっとその取手を引く。その取手の先は、秘密裏に作られた横穴。
水流が変わって、私は吸い込まれるようにその横穴に流された。
(!?)
気を失いそうになりながら、必死でもがく。どちらが上か下かも分からないまま、ふと指先が空気にふれた。
(こちらが水面だ!)
とにかく息がしたくて、酸素を吸いたくて、私は動かなくなりそうな足を動かした。
ぶは、とやっと水面から顔を出した私は荒い呼吸を繰り返す。
朦朧としたまま、私は辺りを見回した。
真っ暗闇だけれど、あの横穴を抜けてきたのだからほぼ間違いないだろう。
「……良かったぁ」
ここは、皇帝の住う禁城の後宮につながる、地下通路。戦やいざというときのために作られたもので、漫画では主人公たちが禁城に潜入するときに使われた。
(漫画では夏だったもの)
まさか、雪も残る春先にここに潜るなんて、思ってもいなかったけれど。
私は水路から、通路に這い上がる。ガチガチと歯が鳴る。
ほとんど動かない手で弄り、壁をさがした。
壁に手が触れ、私はウロウロと松明を探す。
(脱出用に、常備してあるはず)
漫画でも主人公たちはそれを使っていた。
指先が木にふれ、私はその横に火打ち石と火種箱があるのをほとんど麻痺した指で察する。
火種箱には油を染み込ませた木くずや藁が入っているはずだ。
ガタガタ震える身体で、火種が湿気ないよう気を使いながら火打ち石を打つ。
何度目かでなんとか成功して、辺りが明るくなった。
松明に火をうつし、私は足を引きずるように、歩き出した。
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