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山
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司馬様が青龍山に浩然を連れて林杏様を迎えに行くことになった。
「休んでいたほうがいいよ嫦娥」
浩然が、静かに私に言う。
「いつもと少し違う」
「へ? そうかな?」
クマでもできてる? と頬に触れると、浩然は手を伸ばそうとして止めて、それから少しだけ切なそうに目を細めた。
「……助けに行けなくて、ごめん」
「浩然」
そんなつもり、ないのに。
私はもう、あなたを巻き込みたくないのに。
(私のことなんか忘れてって)
もう私のことで心を痛めないで。
その一言が、うまく言葉にできていない。
そのほうが、浩然は幸せになれるのにね。
ふたりが後宮から出ていくのを見送り、私は中庭でぼうっと桃の花を眺めていた。
長椅子を出してもらって、お茶をいれてもらってーー。
少し、ひとりになりたかった……とはいえ、足元には、火鉢に(やっぱり燃えそうなくらいに)近づいてる玉藻さんがいるのだけれど。
いつの間にやら、あたりは夕暮れ。
橙色の夕陽に、桃の花が染まる。元の色が分からないくらいに。
「そちの」
ふ、と玉藻さんが言う。
「なんですか?」
「そちの、魂よ」
「はぁ」
「最近はの、より混沌としておる」
「……はぁ」
「余計に不味そうじゃ。くくっ」
それだけを告げて、玉藻さんは再び目を閉じた。
混沌?
(それって、なんで?)
夕陽にひかる桃の花を見ながらそう思ったとき、私を呼ぶ声。
「嫦娥」
振り向くと、憂炎様が本を持って立っていた。
「少し、面白い本を貰ったものだから。まだ難しいかもしれないけれど」
そう言いながら、私の横に少し間を空けて座る。
「詩歌のね、有名どころだけを集めた詩集」
「へえ」
「読んでみる?」
私は本を受け取る。
「ありがとうございます」
嬉しくて、本を抱きしめるように微笑むと、憂炎様は顔を逸らした。
その顔は、夕陽で赤い。
私はさらりと本をめくる。
「在天願作比翼鳥
在地願爲連理枝」
なんとなく目についた頁を眺める。知ってる漢字ばかりで、なんとなく意味は分かった。
「……比翼連理」
前世でも聞いたことのある四字熟語。
友達の結婚式のときとかに見た記憶が、なんとなぁく。
夫婦仲がいい、とかいう意味だっけ?
「あ、読めた? あの、なんていうか、いい言葉だと俺は思うよ」
なぜだか遠くを見て言う憂炎様に、私は尋ねる。
「具体的な意味って、ご存知ですか?」
「ええと」
憂炎様は照れたように口を開く。……照れてるように見えるのは、夕陽で赤いせいかもしれないけれど。
「比翼っていうのは、鳥のこと」
「鳥?」
「そう。雌雄それぞれ目と翼が一つずつで、常に一体となって飛ぶって言われてる。それから、連理は連理の枝っていって……別々の二本の木が、幹や枝が途中でくっついて成長してる」
「ああ、それならば見たことがあります」
私は頷く。前世でも、神社なんかでは御神木とされてたりしてたなぁ。
「そんな風なひとが、いるのでしょうか」
そう呟いた声が憂炎様に聞こえていたのかいないのか、返事はなかったーーというのも、司馬様たちがちょうど到着したからだ。
「参見なのです皇上」
青龍山から司馬様が連れ帰ってきたのは、長い、長い髪の女の子だった。
前髪も、鼻のあたりまで伸びていて、顔の様子はほぼ見えない。
「この妾の修行を邪魔するくらいです……もん、ね~。なにかよほど火急の用事で世界が破滅しそー、なのです……よね?」
気怠げな、変わった話し方をする女の子だった。呆気にとられてじっと見つめる。
(……知ってたら、忘れなさそうだけれどな?)
こんな個性的な女の子。
「そんな事態だったらてめーの師匠呼んでるわボケ」
「相変わらず妾の愚兄は口が悪い……です」
うろうろと林杏様の視線は定まらない。
「まぁ世界は分からないけれど、それなりに火急ではあるよ、林杏」
憂炎様のその言葉に、林杏様は視線を上げた(ように見えた。髪の毛でよくわからない)。
「概ねは、この愚兄から聞いて、おりま……す」
「何回も愚兄愚兄言うんじゃねぇ、愚妹」
「ふ、」
鼻で笑われていた。
つ、と私と目が合う。思わず見つめ返すと「嫦娥様とおっしゃいま、したか」と声をかけられる。
「あ、は、はい」
「ふーん」
じろじろと見られているのが、なんとなく分かる。
「見損ないました、憂炎」
ふん、と林杏さんは鼻を鳴らす。
「皇后には~、てっきり阿兎をお選びになるとばかり、妾は」
「? 誰かな、それ」
「えっ」
呆然と林杏さんは憂炎様を見つめたあと、ものすごい勢いで近づき、匂いを嗅ぐ。
「わ、な、なんだよ」
「呪の匂いはしない……」
訝しげに、林杏様は憂炎様から離れた。
「じゃあなんで? 憂炎が阿兎を忘れるはずがない」
「あー、もしもし? 林杏?」
「とにかく~」
きっ、と、私は林杏様に睨み付けられる。
「妾は、この人が、娘子なんて、認めませ、んからっ」
ばさりと前髪を払い、私を正面から見つめるその目は、司馬様と同じ虎のような金色、だった。
「休んでいたほうがいいよ嫦娥」
浩然が、静かに私に言う。
「いつもと少し違う」
「へ? そうかな?」
クマでもできてる? と頬に触れると、浩然は手を伸ばそうとして止めて、それから少しだけ切なそうに目を細めた。
「……助けに行けなくて、ごめん」
「浩然」
そんなつもり、ないのに。
私はもう、あなたを巻き込みたくないのに。
(私のことなんか忘れてって)
もう私のことで心を痛めないで。
その一言が、うまく言葉にできていない。
そのほうが、浩然は幸せになれるのにね。
ふたりが後宮から出ていくのを見送り、私は中庭でぼうっと桃の花を眺めていた。
長椅子を出してもらって、お茶をいれてもらってーー。
少し、ひとりになりたかった……とはいえ、足元には、火鉢に(やっぱり燃えそうなくらいに)近づいてる玉藻さんがいるのだけれど。
いつの間にやら、あたりは夕暮れ。
橙色の夕陽に、桃の花が染まる。元の色が分からないくらいに。
「そちの」
ふ、と玉藻さんが言う。
「なんですか?」
「そちの、魂よ」
「はぁ」
「最近はの、より混沌としておる」
「……はぁ」
「余計に不味そうじゃ。くくっ」
それだけを告げて、玉藻さんは再び目を閉じた。
混沌?
(それって、なんで?)
夕陽にひかる桃の花を見ながらそう思ったとき、私を呼ぶ声。
「嫦娥」
振り向くと、憂炎様が本を持って立っていた。
「少し、面白い本を貰ったものだから。まだ難しいかもしれないけれど」
そう言いながら、私の横に少し間を空けて座る。
「詩歌のね、有名どころだけを集めた詩集」
「へえ」
「読んでみる?」
私は本を受け取る。
「ありがとうございます」
嬉しくて、本を抱きしめるように微笑むと、憂炎様は顔を逸らした。
その顔は、夕陽で赤い。
私はさらりと本をめくる。
「在天願作比翼鳥
在地願爲連理枝」
なんとなく目についた頁を眺める。知ってる漢字ばかりで、なんとなく意味は分かった。
「……比翼連理」
前世でも聞いたことのある四字熟語。
友達の結婚式のときとかに見た記憶が、なんとなぁく。
夫婦仲がいい、とかいう意味だっけ?
「あ、読めた? あの、なんていうか、いい言葉だと俺は思うよ」
なぜだか遠くを見て言う憂炎様に、私は尋ねる。
「具体的な意味って、ご存知ですか?」
「ええと」
憂炎様は照れたように口を開く。……照れてるように見えるのは、夕陽で赤いせいかもしれないけれど。
「比翼っていうのは、鳥のこと」
「鳥?」
「そう。雌雄それぞれ目と翼が一つずつで、常に一体となって飛ぶって言われてる。それから、連理は連理の枝っていって……別々の二本の木が、幹や枝が途中でくっついて成長してる」
「ああ、それならば見たことがあります」
私は頷く。前世でも、神社なんかでは御神木とされてたりしてたなぁ。
「そんな風なひとが、いるのでしょうか」
そう呟いた声が憂炎様に聞こえていたのかいないのか、返事はなかったーーというのも、司馬様たちがちょうど到着したからだ。
「参見なのです皇上」
青龍山から司馬様が連れ帰ってきたのは、長い、長い髪の女の子だった。
前髪も、鼻のあたりまで伸びていて、顔の様子はほぼ見えない。
「この妾の修行を邪魔するくらいです……もん、ね~。なにかよほど火急の用事で世界が破滅しそー、なのです……よね?」
気怠げな、変わった話し方をする女の子だった。呆気にとられてじっと見つめる。
(……知ってたら、忘れなさそうだけれどな?)
こんな個性的な女の子。
「そんな事態だったらてめーの師匠呼んでるわボケ」
「相変わらず妾の愚兄は口が悪い……です」
うろうろと林杏様の視線は定まらない。
「まぁ世界は分からないけれど、それなりに火急ではあるよ、林杏」
憂炎様のその言葉に、林杏様は視線を上げた(ように見えた。髪の毛でよくわからない)。
「概ねは、この愚兄から聞いて、おりま……す」
「何回も愚兄愚兄言うんじゃねぇ、愚妹」
「ふ、」
鼻で笑われていた。
つ、と私と目が合う。思わず見つめ返すと「嫦娥様とおっしゃいま、したか」と声をかけられる。
「あ、は、はい」
「ふーん」
じろじろと見られているのが、なんとなく分かる。
「見損ないました、憂炎」
ふん、と林杏さんは鼻を鳴らす。
「皇后には~、てっきり阿兎をお選びになるとばかり、妾は」
「? 誰かな、それ」
「えっ」
呆然と林杏さんは憂炎様を見つめたあと、ものすごい勢いで近づき、匂いを嗅ぐ。
「わ、な、なんだよ」
「呪の匂いはしない……」
訝しげに、林杏様は憂炎様から離れた。
「じゃあなんで? 憂炎が阿兎を忘れるはずがない」
「あー、もしもし? 林杏?」
「とにかく~」
きっ、と、私は林杏様に睨み付けられる。
「妾は、この人が、娘子なんて、認めませ、んからっ」
ばさりと前髪を払い、私を正面から見つめるその目は、司馬様と同じ虎のような金色、だった。
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