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実験

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「とりあえず、鯉のことでも整理しようか」

 憂炎様は中庭の新緑のえんじゅの木の下、置かれた長椅子で甜品おかしを食べながら言う。
 私は横で、こくりと頷いた。
 今日の甜品のお供は、少しすっきりした花のお茶。
 茶壺ポットのなかでお花がゆらゆら揺れていた。

「あやつの考えとることは分からん」

 膝の上でウトウトしていた玉藻ぎょくそうさんがそう呟く。

「昔からあんな感じ?」
「ここ100年くらいは、そうじゃのう……」

 その言葉に、ぎょっとして憂炎様と顔を見合わせた。

「ひゃ、ひゃく!?」
「ちょっと待って九尾、母后ははうえ何!? 妖!?」
「んー? いや、そう言う訳ではないぞ」

 ふん、と玉藻さんは眠た気に目を細める。

「あやつの肉体人間じゃし、年齢も40と少しと言ったところか」
「肉体"は"って言った? ねえ?」
「うるさき小童じゃ。だから少しは自分の頭でモノを考えい」
「いや、だって」

 憂炎様は混乱顔。

「ねぇ」
「はぁ」

 顔を見合わせ、戸惑いまくってる私たち。

(肉体は、ってことは……中身はまた別、ってこと!?)

 玉藻さんはケタケタと楽し気に笑う。

「ま、あやつと普通に付き合っていたのでは、付き合いきれぬよ」
「結局ウチのハハオヤ、なんなの?」
「それはだな……むぐ、」
「玉藻さん?」
「ぐー」

 スヤスヤと寝息を立て始める玉藻さん。

「ちょ、九尾! 起きて」
「んぐ、ぐう」

 爆睡態勢に入った。
 こうなれば、テコでも起きない……ていうか。

「最近、玉藻さん寝過ぎなような」
獅子狗シーズーなんてそんなモノじゃない?」

 だいたい寝てるよ、と憂炎様は眉間を指で押しながら言う。

「これに関しては、起きたら聞き出そう」
「……ですねー」

 憂炎様は眉間から指を外す。

「……で、話は戻るけれど」
「はい」
「鯉かぁ」
「鯉、ですねぇ。……ええと」

 私はこめかみに指を当てた。

「情報を整理すると。人面魚さんは、春先までは確かに池にいました」
「うん」
「けど、今はいない……あそこは鳥とかに食べられちゃったりしないんですか?」
「それはないと思う。鳥除けがしてあるし」
「うーん」

 私はぱくりと甜品を口に運ぶ。

「春先と今の違いってなんでしょうか」
「気温?」
「気温、ですか」
「あとはそうだね、鵲山じゃくさんの雪解け水が池にも染み出してる、かも……って嫦娥?」

 私は憂炎様に詰め寄る。

「そ、それかもですよ憂炎様!」

 雪解け水。ーー春水!

(滋養たっぷりとか言ってた)

 山から滲み出たってことは、いろんな鉱物の無機質ミネラルを含むってこと。恐らくは硬水なんだろうけれど。
 私はざっと説明をした。

「水の成分で鯉の模様が?」
「あり得るとは思うんです……」
「まあ、それは」

 うーん、と首を傾げる憂炎様に、私は言う。

「以前、皇太后宮で罪人が処刑された際に」
「……うん」
「池が血で赤く染まったと仰ってましたよね、皇太后様」
「うん」

 想像すると、かなり怖いんだけれど。あの池たちが赤く染まる……。

「その時に"鯉の模様が変わるほど"とも仰ってました」

 ヒトの血液は、通常塩基アルカリ性。
 無機質ミネラルを沢山含む硬水、あの雪解け水もまた、その影響で僅かながらでも塩基性なのだとすれば。

「水質が、鯉の模様に関係している可能性があります」
「なるほど」

 憂炎様は顎に手を当てて、すこし目を細めた。

「でも、血の池のくだりはそれこそ比喩のような気もするけれど」
「憂炎様」

 私はびしりと指を突きつける。

「まずは可能性をひとつひとつ潰していくところからです」
「ふうん?」
「残った答えが正解です」

 私の言葉に、憂炎様は楽し気に笑った。

「あっは、消極的なようで積極的だ」
「逆とも言えますーーいかがでしょうか」

 憂炎様は頷いた。

「別に急ぐ話じゃないしね。母后が煩いだけで。……でも、それはどうやって証明するの?」
「実験しか、無いのではないでしょうか」
「実験?」

 私は頷いて、手を広げた。

「これくらいの……できるだけ大きな盥が欲しいのですけど」

 憂炎様はうなずく。

「それから渭水いすいの水を」
「渭水? なぜ」
「あれほどの大河ならば、雪解けの影響は少ないと思われるからです」
「なるほどね」
「盥にその水で、しばらく実験的に飼育して。模様が変わるか観察するしてみませんか」

 鯉さんには、狭くてすこし、可愛そうなんだけれどね。
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