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忌
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現在進行形で世界から嫌われ疎まれ呪われているらしい私は、開き直った。
「どうせ悪逆女帝なんですもーん」
「そんなモノにはならぬと申しておったではないか」
じりじりと玉藻さんとの距離を詰める。
「ならないですよー? 憂炎様、殺さないもの」
「じゃあその手をやめぇ」
「それとこれとは話が別」
「この悪逆女帝! 悪逆女帝!」
ていうか、犬(正確には狐? なんだろ? まぁいいや)の身体を洗おうとするだけでそこまで言わなくたって、さぁ……。
素早く逃げようとする玉藻さんを、ガッチリ確保。ふわふわの毛が気持ちいい、けど……少し汚れてますよ玉藻さん。
「う、うう、噛むぞ!」
「噛んだら晩ご飯、お肉抜きますからね」
「ヌヌゥ」
「ほら、我慢して」
私は玉藻さんを抱きかかえて、居室から中庭に出る。
初夏の陽気が、ぽかぽかと気持ち良い。
「良い洗毛日和じゃないですか」
「うう、嫌じゃ嫌じゃ」
「お湯も用意してもらってますから」
中庭に置いてあるのは、陶器製の盥。数日前まで、ここで鯉が飼われていた。
その鯉は、つまるところ、皇太后様の胃に収まって行ったのだけれど……。
(てきとーに選んだのになぁ)
本当にアレ、人面魚だったなんて。
だいたい2週間前、この盥で飼育し始めた鯉。
渭水からお水を汲んできてもらって飼育したその鯉は、ゆっくりと色が抜けて行った。黒いと思っていた部分は、水質で黒ずんでいただけでーーその黒ずみが取れれば、りっぱな人面魚の出来上がり(?)だった。
「ほうらやっぱり人面魚」
皇太后様は花が咲くように、にんまりと笑った。
お裾分けされた糖醋鯉魚は、食べたいような食べたくないような……と、思ってるうちに玉藻さんがばくりと食べた。
「得体の知れぬものを寄越しおって、まったくあの女」
「……ていうか獅子狗なのにそんなモノ食べて大丈夫ですか?」
お腹壊さないかなぁ。
「だから妾は大妖だというに」
そう言ってた大妖の玉藻さんは、ぬるま湯の張られた盥の中、大人しくチンと座り込んでいた。
「分からぬのじゃ、人間には全身毛だらけの生き物の気持ちが分からぬのじゃ」
「はいはい」
あんまり分かりたくないなぁ、と思いながら、お米の研ぎ汁と石鹸(前世みたいには泡立たないけれど)で玉藻さんを洗っていく。
「うう」
「ほら、いい香りじゃないですか」
石鹸には薔薇の香油が足してあって、洗い終わった頃には玉藻さんはすっかりいい香り。
「あとは乾けば完璧」
吹風机あれば早いんだけどね、ないから。
円卓の上にのせてごしごしと布でこする。
「痛い痛いもうすこし優しゅうできぬものか」
「九尾の狐が型無しですね」
ふ、と笑う声に振り向くと、そこには鳳果様が立っていた。
「ほ、鳳果様」
びくりと肩を揺らす。玉藻さんもふっと黙った。玉藻さんには、鳳果様がどうやら「前世持ち」かもって話はしてあったから。
(話がしたい、とは思っていたけれど)
私は少し身構えてしまう。
なんだか、このひと、少し怖い。
(得体が知れない)
ふと、その着物の袂から、白い包帯が見えた。
(……手を怪我してる)
怪我?
ふと、思い返されるーー人を呪わば、穴二つ。
「? どうなされました」
その声に、はっと顔を上げた。
ゆっくりと、彼は近づいてくる。
手には何かの包み。
小ぶりの壺、のようなーー反射的に、蠱毒を思い浮かべてしまう。
黒々とした蛇と、それに絡み付けられながらも牙を剥く溝鼠。
赤黒い血が、ぬらぬらと……。
私は玉藻さんを抱く手に、きゅうと力を込めてーーそして、その声に安心した。
「嫦娥」
「憂炎様」
ゆっくりと歩いてくる憂炎様。
なんだ、ご一緒だったのか。
ほっ、とした私の表情を見て、鳳果様は「ああ」と申し訳なさそうに眉を寄せた。
「それはそうです、怖がらせてしまいました」
「どうした?」
憂炎様が私のそばまで来て、さらりと髪を撫でた。
ひどく、安心した。
「いえ」
目を伏せた私に代わって、鳳果様が説明をする。
「わたくしが一人でお声がけしたので……ここは後宮。皇上以外の男がいれば、警戒されるのも無理はないかと」
「ああ」
納得したように憂炎様は目を細めた。
「ごめん嫦娥、例の件のことで後宮まで来てもらっていて」
「それもありますが」
鳳果様は手に捧げていた包みを、私たちのそばまで来て円卓に置いた。
「祖父の故郷からの贈り物です」
はらり、と包みが解かれる。
中身はやはり、白い壺だった。木の蓋で栓がしてある。
無遠慮に、鳳果様の白い手はその蓋を外す。
ぞわり、と怖くなって、私は身構えて、憂炎様にきゅうと抱きつく。
蛇。溝鼠。血と、転がる目玉。
「嫦娥?」
憂炎様の、不思議そうな声。
抱きついたまま、その香りに、やっと口を開いた。
「……えと。葡萄酒?」
「はい」
ニコニコと鳳果様は頷く。
「貴妃様もご成人遊ばされたとのこと。ぜひご賞味いただきたく」
「いい香りだな」
憂炎様は私を抱き寄せて、少し嬉しそうに言う。
「憂炎様、お酒はお好きなのですか」
「うんまぁ、少しは」
磊と飲むくらいだよ、と笑う憂炎様。
(磊はザルっぽいけど)
憂炎様って、すぐ真っ赤になりそうだよなぁ、とぼんやりその葡萄色の水面を眺めながら、そう思った。
「どうせ悪逆女帝なんですもーん」
「そんなモノにはならぬと申しておったではないか」
じりじりと玉藻さんとの距離を詰める。
「ならないですよー? 憂炎様、殺さないもの」
「じゃあその手をやめぇ」
「それとこれとは話が別」
「この悪逆女帝! 悪逆女帝!」
ていうか、犬(正確には狐? なんだろ? まぁいいや)の身体を洗おうとするだけでそこまで言わなくたって、さぁ……。
素早く逃げようとする玉藻さんを、ガッチリ確保。ふわふわの毛が気持ちいい、けど……少し汚れてますよ玉藻さん。
「う、うう、噛むぞ!」
「噛んだら晩ご飯、お肉抜きますからね」
「ヌヌゥ」
「ほら、我慢して」
私は玉藻さんを抱きかかえて、居室から中庭に出る。
初夏の陽気が、ぽかぽかと気持ち良い。
「良い洗毛日和じゃないですか」
「うう、嫌じゃ嫌じゃ」
「お湯も用意してもらってますから」
中庭に置いてあるのは、陶器製の盥。数日前まで、ここで鯉が飼われていた。
その鯉は、つまるところ、皇太后様の胃に収まって行ったのだけれど……。
(てきとーに選んだのになぁ)
本当にアレ、人面魚だったなんて。
だいたい2週間前、この盥で飼育し始めた鯉。
渭水からお水を汲んできてもらって飼育したその鯉は、ゆっくりと色が抜けて行った。黒いと思っていた部分は、水質で黒ずんでいただけでーーその黒ずみが取れれば、りっぱな人面魚の出来上がり(?)だった。
「ほうらやっぱり人面魚」
皇太后様は花が咲くように、にんまりと笑った。
お裾分けされた糖醋鯉魚は、食べたいような食べたくないような……と、思ってるうちに玉藻さんがばくりと食べた。
「得体の知れぬものを寄越しおって、まったくあの女」
「……ていうか獅子狗なのにそんなモノ食べて大丈夫ですか?」
お腹壊さないかなぁ。
「だから妾は大妖だというに」
そう言ってた大妖の玉藻さんは、ぬるま湯の張られた盥の中、大人しくチンと座り込んでいた。
「分からぬのじゃ、人間には全身毛だらけの生き物の気持ちが分からぬのじゃ」
「はいはい」
あんまり分かりたくないなぁ、と思いながら、お米の研ぎ汁と石鹸(前世みたいには泡立たないけれど)で玉藻さんを洗っていく。
「うう」
「ほら、いい香りじゃないですか」
石鹸には薔薇の香油が足してあって、洗い終わった頃には玉藻さんはすっかりいい香り。
「あとは乾けば完璧」
吹風机あれば早いんだけどね、ないから。
円卓の上にのせてごしごしと布でこする。
「痛い痛いもうすこし優しゅうできぬものか」
「九尾の狐が型無しですね」
ふ、と笑う声に振り向くと、そこには鳳果様が立っていた。
「ほ、鳳果様」
びくりと肩を揺らす。玉藻さんもふっと黙った。玉藻さんには、鳳果様がどうやら「前世持ち」かもって話はしてあったから。
(話がしたい、とは思っていたけれど)
私は少し身構えてしまう。
なんだか、このひと、少し怖い。
(得体が知れない)
ふと、その着物の袂から、白い包帯が見えた。
(……手を怪我してる)
怪我?
ふと、思い返されるーー人を呪わば、穴二つ。
「? どうなされました」
その声に、はっと顔を上げた。
ゆっくりと、彼は近づいてくる。
手には何かの包み。
小ぶりの壺、のようなーー反射的に、蠱毒を思い浮かべてしまう。
黒々とした蛇と、それに絡み付けられながらも牙を剥く溝鼠。
赤黒い血が、ぬらぬらと……。
私は玉藻さんを抱く手に、きゅうと力を込めてーーそして、その声に安心した。
「嫦娥」
「憂炎様」
ゆっくりと歩いてくる憂炎様。
なんだ、ご一緒だったのか。
ほっ、とした私の表情を見て、鳳果様は「ああ」と申し訳なさそうに眉を寄せた。
「それはそうです、怖がらせてしまいました」
「どうした?」
憂炎様が私のそばまで来て、さらりと髪を撫でた。
ひどく、安心した。
「いえ」
目を伏せた私に代わって、鳳果様が説明をする。
「わたくしが一人でお声がけしたので……ここは後宮。皇上以外の男がいれば、警戒されるのも無理はないかと」
「ああ」
納得したように憂炎様は目を細めた。
「ごめん嫦娥、例の件のことで後宮まで来てもらっていて」
「それもありますが」
鳳果様は手に捧げていた包みを、私たちのそばまで来て円卓に置いた。
「祖父の故郷からの贈り物です」
はらり、と包みが解かれる。
中身はやはり、白い壺だった。木の蓋で栓がしてある。
無遠慮に、鳳果様の白い手はその蓋を外す。
ぞわり、と怖くなって、私は身構えて、憂炎様にきゅうと抱きつく。
蛇。溝鼠。血と、転がる目玉。
「嫦娥?」
憂炎様の、不思議そうな声。
抱きついたまま、その香りに、やっと口を開いた。
「……えと。葡萄酒?」
「はい」
ニコニコと鳳果様は頷く。
「貴妃様もご成人遊ばされたとのこと。ぜひご賞味いただきたく」
「いい香りだな」
憂炎様は私を抱き寄せて、少し嬉しそうに言う。
「憂炎様、お酒はお好きなのですか」
「うんまぁ、少しは」
磊と飲むくらいだよ、と笑う憂炎様。
(磊はザルっぽいけど)
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