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災
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ぽかぽか陽気で心地良くて。
玉藻さんとふたり、ぼうっと、中庭で槐の緑を眺めていた。
木漏れ日が、地面にきらきらと波を作って。
「ねー、玉藻さん」
「……んむ、なんじゃ」
「まだ飛んできてるの? 呪」
「ばっちばち、じゃな~」
あふ、と小さな獅子狗は可愛らしいあくび。小さな桃色の舌が覗く。
「そー、ですか」
「そうだとも」
そち嫌われておるの、とケタケタ笑う玉藻さん。私は肩をすくめた。なんだか慣れてきたよなぁ……。
ざり、って音がして振り向くと、憂炎様が笑っていた。
「眠そうだね」
「……です、ねー」
ふ、と姿勢を正す。
憂炎様はさくさくと私の方へ歩いてくる。いつも通りの、穏やかな笑顔で。
「ねえ嫦娥」
いつも通りの、優しい声で私を呼んで。
「俺はね」
「はぁ」
いつも通りだったから、いつも通りな間の抜けた返事。
「君が好きなんだけれども」
「……っ、は」
はい、と背筋をピンとのばした。え、今!? 今の機会!?
「どうだろうか」
私の前に、片膝立ちで跪く。
前世で見てた色んな「物語」の、王子様がそうするみたいに。
「ゆ、憂炎様!?」
慌てて立ち上がろうとする私を、憂炎様は制す。
そうして、片手をとって、その指先に口付けた。
「……!」
「どうか俺のお嫁さんになってもらえませんか」
私は何度も瞬きして、謎にキョロキョロしてしまう。え、なんで、どうしよう。
(私……)
ぐっと胸が詰まる。
私、このまま居られるんじゃないかってどっかで思ってた。ここに。こんな風に。のんびり、ふわふわした気持ちのままで。
(待っててもらった、だけなのに)
甘えてた。
憂炎様に、……ううん、みんなに。
(私、ほんとにダメだ)
どこで思考が停止してたんだろ?
もしかして、私。
すこし、ヒトゴトみたいになってなかった……?
(前世の私とは)
ううん、前世の私だけじゃなくて、「ここの私」は「漫画とは違う」って思ってたはずなのに。
どこか、物語を俯瞰するように、自分のことではないように、そんなふうに捉え始めていなかった……?
ひゅ、と息を飲む。
(……私、バカだ!)
大バカだよ!
ばちん! と両頬をはたく。
「!? 嫦娥?」
憂炎様が驚いて私を見る。
その顔を見て、思わず笑った。
(あは、)
そうだよね。
求婚されて、自分の頬を張る女なんかそうそう居ないと思う。
自分でも馬鹿かなと思うけれど。……って、バカなんだったよ。
「……憂炎様」
「なあに?」
すこしまだ驚きを残しつつ、憂炎様は首をかしげる。
「あの、申し訳ありません。私、まだ、自分の気持ち、わからなくて」
気持ちどころか。
やりたいことも。
どう生きたいのかも。
「やっと、目が醒めた気分です」
憂炎様はしばらくじっと私を見たあと、ふと笑う。
「うん」
優しく目をほそめて、微笑みを浮かべて。
「目が醒めてくれなくても良かったけれどね」
「そうでしょうか」
夢のように、温かな母の胎内のように、守られて生きていくのは、きっと心地よいのだろうけれど。
「だから、私……」
「皇上!」
バタバタと、女官長さんが走ってきた。
(え、珍しい)
あのひとが、あんな風に慌てるだなんてーーましてや、宮中を走るだなんて。
「胡北で兵が上がったとの由、伝令が入りましてございます!」
その言葉に、ばっと憂炎様を見あげるーー立ち上がっていた憂炎様は、ぎりっと眉を潜めた。
「将を集めろ! 月牙城に伝令を、まだ動くなと」
衣を翻し、歩き出す憂炎様の目は、もう私を見ていない。
ちら、と振り向いて視線が合う。
「……憂炎様」
「嫦娥」
憂炎様は笑った。
いつもの通りにーーでも、その目は皇帝の色をしてて、私にさっきまで向けてたものじゃない。
「続きは、帰ってから」
その言葉に、やっと、私は憂炎様が戦に行ってしまうという事実に気がついた。
「……あ」
震えるように、声が出た。
「大丈夫、大したことはないはずだから」
大したことはない?
(……そんなはず、ない)
皇帝自らが出て行くような、そんな戦が生っちょろいものであるはずが、ない。
(ずっと事態は動いていたの?)
挙兵、と聞いても、憂炎様はそんなに驚かなかった。
(……私が、バカみたいに)
大事にされて、ぬるま湯につかって、なあんにも考えずぼーっとしてる間に。
世界はぐるぐると動いていた……。
震えながら、私は跪き、礼を取る。
「……どうか、ご武運を」
「ありがとう」
去っていく後ろ姿。
(きっと、大丈夫だ)
憂炎様は、大丈夫。
だってあのひとは、漫画で「私が殺した」んだからーーこんなところで、死ぬはずがない。
私は気がついていなかった。
漫画と現実は別だ、ってやっと自覚しておきながら、でも。
ここは現実で、漫画の世界なんかじゃないってこと、全然気がついていなかったのだった。
玉藻さんとふたり、ぼうっと、中庭で槐の緑を眺めていた。
木漏れ日が、地面にきらきらと波を作って。
「ねー、玉藻さん」
「……んむ、なんじゃ」
「まだ飛んできてるの? 呪」
「ばっちばち、じゃな~」
あふ、と小さな獅子狗は可愛らしいあくび。小さな桃色の舌が覗く。
「そー、ですか」
「そうだとも」
そち嫌われておるの、とケタケタ笑う玉藻さん。私は肩をすくめた。なんだか慣れてきたよなぁ……。
ざり、って音がして振り向くと、憂炎様が笑っていた。
「眠そうだね」
「……です、ねー」
ふ、と姿勢を正す。
憂炎様はさくさくと私の方へ歩いてくる。いつも通りの、穏やかな笑顔で。
「ねえ嫦娥」
いつも通りの、優しい声で私を呼んで。
「俺はね」
「はぁ」
いつも通りだったから、いつも通りな間の抜けた返事。
「君が好きなんだけれども」
「……っ、は」
はい、と背筋をピンとのばした。え、今!? 今の機会!?
「どうだろうか」
私の前に、片膝立ちで跪く。
前世で見てた色んな「物語」の、王子様がそうするみたいに。
「ゆ、憂炎様!?」
慌てて立ち上がろうとする私を、憂炎様は制す。
そうして、片手をとって、その指先に口付けた。
「……!」
「どうか俺のお嫁さんになってもらえませんか」
私は何度も瞬きして、謎にキョロキョロしてしまう。え、なんで、どうしよう。
(私……)
ぐっと胸が詰まる。
私、このまま居られるんじゃないかってどっかで思ってた。ここに。こんな風に。のんびり、ふわふわした気持ちのままで。
(待っててもらった、だけなのに)
甘えてた。
憂炎様に、……ううん、みんなに。
(私、ほんとにダメだ)
どこで思考が停止してたんだろ?
もしかして、私。
すこし、ヒトゴトみたいになってなかった……?
(前世の私とは)
ううん、前世の私だけじゃなくて、「ここの私」は「漫画とは違う」って思ってたはずなのに。
どこか、物語を俯瞰するように、自分のことではないように、そんなふうに捉え始めていなかった……?
ひゅ、と息を飲む。
(……私、バカだ!)
大バカだよ!
ばちん! と両頬をはたく。
「!? 嫦娥?」
憂炎様が驚いて私を見る。
その顔を見て、思わず笑った。
(あは、)
そうだよね。
求婚されて、自分の頬を張る女なんかそうそう居ないと思う。
自分でも馬鹿かなと思うけれど。……って、バカなんだったよ。
「……憂炎様」
「なあに?」
すこしまだ驚きを残しつつ、憂炎様は首をかしげる。
「あの、申し訳ありません。私、まだ、自分の気持ち、わからなくて」
気持ちどころか。
やりたいことも。
どう生きたいのかも。
「やっと、目が醒めた気分です」
憂炎様はしばらくじっと私を見たあと、ふと笑う。
「うん」
優しく目をほそめて、微笑みを浮かべて。
「目が醒めてくれなくても良かったけれどね」
「そうでしょうか」
夢のように、温かな母の胎内のように、守られて生きていくのは、きっと心地よいのだろうけれど。
「だから、私……」
「皇上!」
バタバタと、女官長さんが走ってきた。
(え、珍しい)
あのひとが、あんな風に慌てるだなんてーーましてや、宮中を走るだなんて。
「胡北で兵が上がったとの由、伝令が入りましてございます!」
その言葉に、ばっと憂炎様を見あげるーー立ち上がっていた憂炎様は、ぎりっと眉を潜めた。
「将を集めろ! 月牙城に伝令を、まだ動くなと」
衣を翻し、歩き出す憂炎様の目は、もう私を見ていない。
ちら、と振り向いて視線が合う。
「……憂炎様」
「嫦娥」
憂炎様は笑った。
いつもの通りにーーでも、その目は皇帝の色をしてて、私にさっきまで向けてたものじゃない。
「続きは、帰ってから」
その言葉に、やっと、私は憂炎様が戦に行ってしまうという事実に気がついた。
「……あ」
震えるように、声が出た。
「大丈夫、大したことはないはずだから」
大したことはない?
(……そんなはず、ない)
皇帝自らが出て行くような、そんな戦が生っちょろいものであるはずが、ない。
(ずっと事態は動いていたの?)
挙兵、と聞いても、憂炎様はそんなに驚かなかった。
(……私が、バカみたいに)
大事にされて、ぬるま湯につかって、なあんにも考えずぼーっとしてる間に。
世界はぐるぐると動いていた……。
震えながら、私は跪き、礼を取る。
「……どうか、ご武運を」
「ありがとう」
去っていく後ろ姿。
(きっと、大丈夫だ)
憂炎様は、大丈夫。
だってあのひとは、漫画で「私が殺した」んだからーーこんなところで、死ぬはずがない。
私は気がついていなかった。
漫画と現実は別だ、ってやっと自覚しておきながら、でも。
ここは現実で、漫画の世界なんかじゃないってこと、全然気がついていなかったのだった。
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