無頼少年記 ~最強の戦闘民族の末裔、父親に植えつけられた神話のドラゴンをなんとかしたいので、冒険者ギルドに就職する~

ANGELUS

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防衛西支部編

灰色の慟哭

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 光の灯らない暗黒の一室。家具と呼べるものはほとんどなく、窓すらない。地下室を思わせる空間にあるのは布団とクローゼット、姿見のみ。もはや空き部屋と言っても過言ではないその部屋に、一人の少女が息を切らしながら転がり込んだ。

 まるで空間からはみ出てくるように現れた少女は、片手に光の失った技能球スキルボールを握りしめ、時間をかけて乱れていた息を少しずつ整える。誰も見ていないことをいいことに、少女は床に横たわり、ぐるりと仰向けに大の字を描いた。

「あれが、花筏はないかだの巫女……」

 双剣使いの少女―――三舟雅禍みふねまさかは自分が戦っていた相手を振り返る。

 今回戦った相手は四人。``閃光``の二つ名で名高いレク・ホーラン、名の知らなない空を飛ぶ幼女、同じく名前が分からない青髪ポニーテールのメイド、そして花筏はないかだの巫女と思われる少女だ。

 正直、正門前で相対した時点で既に予測は立てていた。ひょっとしてと思いはしたが、流石にそれはないと思考を破棄したのだ。

 花筏はないかだの巫女とは本来、巫市かんなぎしを超えた先―――巫市かんなぎし農村過疎地域よりもさらに北方にある北ヘルリオン山脈に住まう者達。滅多なことでは外界に姿を現すこともなく、大戦時代が終結したのを境に人間社会との関わりも疎らな戦闘民族である。

 その強さは大戦時代から衰えていないというのが通説だが、先代が逝去し、その娘が当主の座を引き継いだという噂が、実しやかに囁かれるようになったのを知らないわけではなかった。

 ただの``駒``でしかない自分が、相対することなど生涯一度たりともないだろうと頭の片隅に投げ捨てていたというのに。

「……あれは、化け物だ」

 空間転移で全力逃走してきたというのに、身体は、本能は、まだ臨戦態勢を解こうとしない。身体中からとめどなく汗が噴き出し、筋肉という筋肉がこわばっているのを感じる。全力で逃げ帰っても尚、どこからともなく追ってくるのではないかという不安が、濃霧となって理性的思考をことごとく妨げた。

 自慢ではないが、人類の中では戦える方だという自負はあった。北支部最強と名高い``閃光``でさえ、実際に戦ってみればそうでもなく、問題なく倒せる範囲内だった。青髪のメイドが想定よりも格段に強かったことは多少意表を突かれたが、それでも問題にならない範囲であり、あの場にいた者全て殺せない相手ではなかったのだ。

 しかし実際は殺すどころか撤退するほかなかった。

 かの巫女はただ果てしなく強大だった。一戦交えてなお、彼女の底を見ることは叶わず、予想不可能な攻撃を捌くことしかできない。攻撃が特段激しかったわけでもなく、むしろ単調だったぐらいだが、他三人と違って本人に全く隙がなく、一つ一つの攻撃全てが不気味だった。

 よく分からない、意味不明と表現するべきだろうか。特に相手の度肝を抜くために温存しておいた``反射イアンメディタティオ``が、ただの霊力光線で破壊されたのは流石に意味が分からなすぎた。

 魔法を反射する魔法を使ったのに、魔法で壊される。通常、そんなことは起こり得ない。魔法陣に記述された効果は世界の法則によって保証されていて、それを反故にするなんて、普通ならできない芸当なのだ。

 仮に行おうとするならば、その世界法則を捻じ曲げる力―――超能力でなければ説明できない。

 しかし巫女は、魔法で魔法を破壊した。世界の法則で保証されているはずの効果を、なんらかの手法で無効化したのだ。本人は対策がどうのこうの言っていた気がするが、``反射イアンメディタティオ``は、発動するだけで魔導師相手への威嚇になる魔法であり、それ自体が対策魔法のようなもの。そもそも完成された魔法陣に追記できないはずで、彼女の言っていることがハッタリであれ真実であれ、人智を超えた所業であることは議論するまでもない。

「考えても……仕方ないか」

 上半身だけ起こし、自分の足をぼうっと見つめる。

 本当のところ、逃げる必要なんてなかった。あのまま降伏して請負機関に拘束してもらえば、牢獄に放り込まれるのは確定だとしても、それで一応の身の安全は保証される。

 どうせ自由などない身だ。このまま``あの方``に使い潰されるより、請負機関の牢獄で拘置されている方がまだ未来は明るかったかもしれないのに。 

「……いや、無理ね。みんな殺される」

 あのまま花筏はないかだの巫女に降伏していた場合の世界線を、黒いペンキで塗り潰す。

 そう、あのとき降伏していれば、自分だけは助かる。請負機関から裁きが下るまでの間、生存が保証されるのだ。

 自分だけ、という言葉が必ず頭につくことを除けば。

「あの人はきっと、みんなみんな殺してしまう。私のためにみんなが死ぬのなら、私が生きるしかない」

 ズキリと胸が痛んだ。若干の吐き気と気道を狭まる感覚が襲い、思わず咳き込む。

 みんなが死ぬから、生きるしかない。毎度思うがお笑いだ。

 自分のことは自分がよく知っている。他のために己を犠牲にするほど利他的で殊勝な人間ではない。ただの偽善だ。

 ただ自分が生きることで何の罪もない者たちが理不尽に死に絶え、その現実を背負って生きていきたくないだけ。そんな真似をするくらいなら、今ここで舌を噛み切って死んだ方がマシ。なら死ねばいい話なのだが、何故だろう。その勇気が全く湧いてこないのだった。

 偽善にして卑怯。罪を背負うのを恐れ、まして死ぬ勇気すらなく、結局は強者の小間使いとして体よく使い潰されている。今回の任務だって、どさくさに紛れて死ぬつもりだった。本来なら赤い眼をした男から盗んだ技能球スキルボールを使ってここに逃げ帰るところを、わざとシェルター内に転移して、シェルターに隠れていた西支部の請負人をわざと逃がし、``閃光``らが駆けつけるように仕向けたのも、みんなみんな死ぬためだった。

 でも結局それだけの勇気はなく、花筏はないかだの巫女の圧倒的な力を前に屈し、脱兎の如く逃げ帰ってしまったわけだ。なんと間抜けな話か。もう一度転移でどこか遠くへ、誰にも悟られないくらい遠くへ逃げてしまいたいが、技能球スキルボールの輝きは失われていた。

 今から二千年以上もの昔に失われた大魔法``顕現トランシートル``。いにしえの時代に著されたと思われる禁書から魔法陣だけは見たことがあったのですぐに使えたが、やはり伝説の魔法の消費霊力は想像の埒外だ。おそらく持っていた本人たちでなければ、再び使えるようにはならないだろう。転移魔法の技能球スキルボールをもう一度使えるようにするだけの設備など、ここにはない。

「ぐ……おおおおおおおおお!!」

 頭の中で黒くて粘っこいへドロのようなものが際限なく溢れ出て、拍動が速くなるに連れて強くなっていた吐き気と胸の痛みが臨界点を突破しようとしていたとき、近くにあった短刀で、自らの太腿を突き刺した。

 吐き気と胸の痛み、頭の中を埋め尽くす黒いヘドロが一つになって、丸くなって、溶けてなくなっていく。

 精神的な``痛み``からの解放。それは解放感となって脳を駆け巡り、最後に快楽中枢へと行き着く。

 床が浸水した。薄れゆく理性と意識の中で、僅かに五感が生暖かさを感じたそれは血なのか、それとも別の何かなのか。もはやそれを理解するだけ余地は、どこにも残っていなかった。

 短刀を部屋の隅へ無造作に投げ捨てる。浸水した床へ俯せに倒れ込み、水浸しになった床を舐めた。塩っ気とともに、まるで鉄の塊を口に含んだかのような刺々しい後味が広がるが、気にもならなかった。本来ならば唾とともに吐き捨てるようなものでさえ、脳を駆け巡る多幸感の荒波の前には些末事としか思えなかったのだから。

「……あ……」

 身体から生命が抜け落ちていく感覚。背後からゆっくりと近づいてくる死の気配。人々が恐怖で咽び、絶望する感覚ですら心地良く思える。生命が流血として漏れ出るたび肉体から魂が剥がれていくのを感じ、死神が鎌の柄を地面に打ちつける。

 それは今の自分にとって、まさしく祝福。自分という存在が、世界という監獄から解き放たれる福音に聞こえた。

「っ……!!」

 目をこれでもかと開いた。ほぼ半身が埋もれた理性を引き摺り出し、急いで懐をまさぐる。

 もはや血で濡れた懐から出したそれは、緑色に輝く血塗れの技能球スキルボール。その緑色は朱色に塗り潰されながらも、本能的にほんの僅かな癒しを感じさせる力強さを負けじと主張していた。その技能球スキルボールを強く握りしめる。

「ぐはぁ!! はぁ……はぁ……」

 短刀で抉った太腿の傷が塞がり、中でぶつぶつに千切れた筋肉の繊維がひとりでに繋がっていく。全ての傷が癒えたのを見届けると、床に映し出された癒しの光は消え失せた。

 床に残った血溜まりに仰向けになると、視界が滲み、全ての物の輪郭がぼやけた。思わず目を閉じ、右腕で両目を覆うが溢れ出た一筋の雫が、頬を伝う。

 虚しく、虚しく。疑問を呈する意味も価値もない。わかりきっていることだ。自分以外の誰も、ここにいないのだから。
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