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愚弟怨讐編 上
前人未到、``北の魔境`` 1
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―――``天災竜王ゼヴルエーレ``の伝説。
時は遥か昔。未だ竜人国ヴァルヴァリオンがヒューマノリア大陸全土の支配権を有していた最盛期。
竜人国の繁栄は凄まじく、他の少数民族を淘汰し、約五億平方キロメトもある広大な大地を、圧倒的軍事力、技術力、魔法力、科学力で統一していた。
最盛時代の竜人世界人口は八十億を超えていたそうだが、そんな天下無双の時代に突如一匹の黒竜が姿を現す。
黒竜は彼らに言った。
『生きるべきは万軍を淘汰せしめる圧倒的強者のみ。地を這いずるしか能の無い弱者は、大地の一部、空の一部と成るがいい』
黒竜は竜人達を皆殺しにした。
女子供、屈強な兵士、何の力もない一般市民問わず、視界に入った者気配を感じた者全てを羽虫の如く。
竜人も負けじと対抗した。しかし黒竜の力は圧倒的であった。
竜人達が見たことのない力、それは魔法でもなければ魔術でもない、異形のみが扱える、真の妖術。
彼らには理解できなかったのだ。眼前に現れた、禍々しい妖気を放つ魔法陣の正体が。
その身技は竜人に圧倒的暴力、一気呵成な淘汰を知らしめ、最盛期のヴァルヴァリオン国において、破壊の限りを尽くしたのである。
だが、それでも竜人達は諦めない。黒竜を討伐する勇者隊を結成する。
死力を尽くして戦い、多くの尊い犠牲を出しながらも、その黒竜を討つことに成功した。
生き残った勇者隊は言った。
その黒竜は己を``ゼヴルエーレ``と名乗り、まさに``天災``の如く獰猛で、苛烈で、凶暴な竜であった。
まさに、暴力の権化。災害の具象。
人々を、そして国を救わんと立ち上がった勇者達でさえも、戦いの中で膝を折り、心折れて散っていったほどの、想像絶する畏怖の象徴であった、と。
そして時短くして、その勇者隊は戦いに負った心の傷で皆命を落とし、その事実は、生き残った竜人達を震え上がらせた。
復興の折、竜人達は勇者達を祀りながら、その黒竜に最大限の畏怖と、もう二度と現れてほしくないという忌避を込めて、名付けたのである。
―――``天災竜王ゼヴルエーレ``と。
エスパーダは話し終えた。退屈そうに聞く澄男と真剣にはぁ、と溜息を吐く御玲を一瞥しながら。
「待てや」
地面に積もった雪を掘っては蹴り上げ、眉間を歪ませながら顔を上げる。
「その話、一ヶ月前にあくのだいまおうから聞いた話と大差ない上に、ゼヴルエーレ死んでんじゃねぇか。まだ続きあんだろ。話せよ」
「悪いが、これ以上の事は知らぬ。我も、そなたと戦うまでただの言い伝えにすぎんと思っていたからな」
「んだそりゃ……じゃあ俺がなんで竜位魔法が使えんのか説明にならねぇじゃねぇか」
御玲は二人の話を聞きながら、肩を落とす。
一ヶ月前に聞いた、あくのだいまおうの話。
澄男はその話にゼヴルエーレなる存在が関係しているのではないか、と疑念を抱いていた。
そしてその話に出てきた``竜人という一個体の種を滅亡寸前に追い込む天災``というのが、ゼヴルエーレという竜であることがようやく確定できた。それは一種の収穫といえるだろう。
しかし今の話ではゼヴルエーレは討伐され、この世に存在しないという流れになってしまっている。
ならば何故、ゼヴルエーレの力を使えるのだろうか。エスパーダの話では、明らかな矛盾が生まれてしまう。
一つ分かった事が増えたと同時に、わからない事がまた増えたのだ。溜息をつかずにはいられない。
エスパーダは困ったような顔色をしつつ、更に北の方を指差した。
「我は分からぬが、もしかしたら新設大教会なる建物に潜り込めば、何か分かるかもしれぬ」
「テメェ寝ぼけてんのか? 教会行って神に祈りでも捧げろってのかよ」
「違う。ヴァルヴァリオン国は竜神を祀る宗教国家。代々、竜神を祀る教会が、国民を治めてきた」
「は? なんで教会が国治めるんだよ。国ってのは政府? だっけ? そういうのが治めるモンだろうに」
「宗教国家ですから、竜人にとって教会の権限は絶大だったってことですよ」
「つまり、教会イコール政府ってこと?」
はい、と御玲は締めくくる。
ややこしい話だ。だったら政府と教会は同じって先に言えよ煩わしいという本音を押し殺し、無理矢理話を切り替える。
「要はその大教会って所に行ってガサ入れしたらめぼしいモンが出てくるかもしんねぇってことか。簡単に言ってくれるよな」
「うむ。悪いが我は立場上、ヴァルヴァリオンに行く事はできぬ。許せ小僧……」
「いいよ別に。これは俺らの問題だしテメェは余所者だ。これで貸し借り無しにしといてやるよ」
かたじけない、と背の高いデカブツは少し頭を下げた。
身体からクソみたいなパワーが溢れ出てるような奴を連れていきたくはない。絶対悪目立ちする。
多分コイツも、自分の力の強さを分かった上での配慮だろう。
戦ったときも化け物レベルに強かったが、多分今はあの時とは比べものにならないぐらいのパワーを秘めているはずだ。それに、あの王女っぽい女を守る役目もあるだろうし。
「案内ありがとよ。こっからは俺らだけで行くわ。お前はとっととあの女の所へ行ってやれや」
「うむ。そうさせてもらうこととする」
エスパーダは淡々と答え、地面の雪をほんの少し掻き立てながら、どこかへと消え去った。転移の魔法はいつみても便利なものだ。
「澄男さま」
エスパーダが去ると同時に、御玲は真剣な面差しを向けてきた。
「ヴァルヴァリオンに行くまでの地理、魔生物の生息状況など、何故聞かなかったのです?」
思わず、大きく溜息をつく。重苦しい荷物が唐突に乗っかったような気だるさを感じながらも、眠たそうな目で御玲をみつめた。
「……あのさ。なんでそういうことを今言うかな。もう行っちゃったじゃんアイツ」
「会話してらしたので」
「フツーに忘れてただけなんだけど。先に言えよ……」
「主人の会話をメイドごときが妨げることはできません」
「そういうの面倒だからやめろって言ったよね……つーか普通に困るからそういうときは口挟めよ。変なところで融通利かないなお前……」
「メイドたるもの、主人の行為には……」
「いい!! いい!! うるさい!! ……そんでどうしようか。正直エスパーダ呼ぶのやだぞさっきのさっきだしお前なんとかしろ命令だ」
「……自信がありませんが、これを使いましょう」
肩から掛けている魔導鞄をまさぐり、御玲はバイザーのようなものを取り出す。
「んだそりゃ」
「拡張視覚野です。視覚情報を拡張するデバイスですね」
「何ができるんだ」
「内蔵された探知系魔術を用いて情報を収集し、それを装備者の視神経を通して視覚野に……」
「長げぇしよく分からん。分かりやすく簡潔に言え」
「敵の位置や大雑把な強さの測定ができる眼鏡です」
「最初からそー言おうな今度からな」
御玲は淡々と拡張視覚野を装備する。
エスパーダが言っていた。おそらく主人は聞き流しているが、ヴァルヴァリオンの国に行くまでの魔生物とまともに戦えないと。
年齢は若輩とはいえ、人間の世界では最高峰の戦闘能力を持っている。なおかつ澄男は流川本家の当主である。
かつて裏鏡水月との戦いで、数メガトンの核爆弾の爆発をもろともしなかった人外だ。
澄男の推定全能度は最低900から最高1000以上。全能度700超え自体ほとんどいないし、800以上ならば対抗できる存在は限られてくる。
彼が易々と押し負けるとは思えないが、ここら一帯の魔生物の強さをマッピングしておくことに越したことはない。
拡張視覚野の電源を入れる。
拡張視覚野は導入されている探知系魔術から得た情報を元に、肉体性能を数値化する簡易演算機能を搭載している。
拡張視覚野の演算性能は特筆するほど高くなく、正確な数値は出ないが、大雑把な指標にはなりうる。
基準としては、全能度が700を超える魔生物は要警戒。未満の魔生物は脅威になりえない、といったところ。
「澄男さまは``隠匿``の技能球を。私はマッピングをしていきます」
澄男に技能球を手渡す。
ここで澄男がやることは特にない。強いてあるとするなら、黙って技能球を握っておく。だ。
「ではいきます」
御玲の一言で、二人は積雪の中を進む。吹雪は既になく、遠くに野原のようなものが見える。目指すはそこだ。
とかく、雪原から脱出しなければ話にならない。
吹雪や降雪がないあたり、エスパーダが言っていたように、ここはエヴェラスタの麓のようだ。彼は嘘をついていない証拠である。利害が一致している限り、味方と見ていいだろう。
重い沈黙の中、二人は一切口を利かず、ひたすら前へ前へ、遠くに見える野原を目指して歩いた。
そのうち、地面に張った雪は徐々に薄くなり、混じり気のない白銀の大地だった地面は、泥と雪、氷が混ざったぬかるみと変化していく。
靴底に張りついた泥が二人の足取りを重くするが、それでも二人は休憩など一切取らず、ひたすら黙って野原を目指した。
そして歩き続けること、三時間。
「ようやく凍土を抜けましたか」
「んだここは。草原か」
二人の視界一杯に広がる大草原。
白く染まった雪原と打って変わり、程良く涼しい風と、程良く照らす陽光が心地良さを感じさせる。
「御玲。そのバイザーで遠くの方何かあるか分かんない?」
「しばしお待ちを」
拡張視覚野に念を送る。
拡張視覚野の操作は念じるだけで可能だ。例えば三倍望遠で景色を見たいなら、心の中で三倍望遠と呟くだけで、光学ズームが実行される。
さらに、探知系魔術で得た地理情報を元に、視覚情報を自動的に補完する機能もあるため、デジタルズームの概念は存在しない。
つまり、どれだけ遠くを眺めても探知系魔術が届く範囲であれば、視覚情報が粗雑になることはないのだ。
「ここから約十五キロメト先に集落らしき地帯あり。人がいるかもしれません」
「ようやく人工物がある所まで来たか……でもまだ十五キロメト……」
「ただしここから五キロメト地点に魔生物。数は……たくさんいますね、数え切れません」
「クソが……どこもかしこもうじゃうじゃと……面倒だから技能球で素通りすんぞ」
「はい。とりあえずデータだけでも……」
御玲は捕捉した魔生物から大まかな肉体性能を数値化する。
今、探索している場所は、流川分家派のマッピングが行き届いていない、いわば未探索エリア。
拡張視覚野に少しでも情報を蓄積し、北の魔境に関する地理情報を分家派に持ち帰らなければならない。
マッピングや魔生物の生息状況が分かれば、次に何かの事情で遠征に行く際、無駄な移動時間を``顕現``の技能球で可能な限り省略したり、魔生物の対策も迅速に行えるようになる。
拡張視覚野によって数値が投影される。
自分の視界に直接刻まれた文字列だが、己の視界に描かれた文字列に、御玲は思わず絶句した。
「霊的ポテンシャル180、物理攻能度160、霊的攻能度150、物理抗能度150、霊的抗能度130、敏捷能度120、回避能度115……全能度1005……!?」
それは、想像の上をいく数値だった。
全能度1000。もし存在するとしたら、歩く天災と言われるであろう想像上の存在。暴閥界隈でも、世間でも、そのようなものはいないというのが通説だ。
しかし五キロメト先にいる。本来、想像上の存在であり、澄男以外存在しないだろうと思われていた化け物が。全能度1000に値する存在が。
「なるほど……正直眉唾でしたが、``北の魔境``という地名はあながち間違いではありませんね」
御玲は冷静さを保ちながらバイザーにデータを保存する。
``北の魔境``。
今いる場所は、まさに人類未踏の秘境。逆に言えば、自分達が初めて足を踏み入れた人間だ。
自覚が無かったわけではない。しかし、現実味があったかと問われれば、あまり感じていなかった。
あるのか無いのか分からない、宛てのない旅路になる。その覚悟しかしていなかった。
でも今、実感した。ここは魔境だ。
全能度1000の魔生物が数え切れないほどの数うろついている。
大暴閥ですらたった一体で壊滅せしめる怪物が普通に存在している場所を、``魔境``と言わずなんと言おう。
領地周辺に生息しているフロスタンなど、可愛く見えてくる。
遥か昔、最盛期の竜人達は、こんな化け物が跋扈する時代を生きていたというのか。
「おい。何止まってる。どうした」
「い、いいえ。何も」
澄男の問いかけで、現実に引き戻される。
なんにせよ技能球で素通りできるのだから、戦闘は起こらない。むしろ起こしてはならない。
起こしたら、死だ。
「澄男さま。その技能球は、およそ一時間分の霊力しかありません。魔生物が目視範囲に入るまで、使わないで下さいね」
「は? あぁ……そういやそうだったな。無くなったらお前ン家に帰るんだよな」
「はい。``顕現``の技能球で」
「面倒だなぁ……今ここで補充できないかこれ」
「無理でしょう。そんな事したら、体内の霊力を使い切ってしまいます」
御玲は困ったような表情で答えた。
技能球に霊力を封入する作業は、専用の魔導機で行うのが常。
原理的には人間が手を握って力めば補充できなくもないのだが、人間の霊力量では、魔法一回分を補充する事すら大多数が不可能だ。
ものすごく有名な大魔導士だったならできるかもしれないが、そのような存在など、世界に一人、二人いたらいいぐらいの話である。
「でもよ、霊力の残量って、どうやったら分かるんだ? これ、使う前とパッと見変わってねぇけど」
「そんなはずは。もう種火程度の光量だったはずですが……」
御玲は技能球を見せるよう、指示する。
技能球の霊力残高は、技能球の輝きで分かる。
霊力満載の技能球は凛然と光り輝くが、魔法を使う度に輝きは失われていき、無くなれば無色透明な、ただのガラス玉になってしまう。
予想では、フロスタンを切り抜けるのに連続使用したため、既に線香花火程度の光しか発せられないはず。
「あれ……?」
しかし、その技能球は御玲の予想を静かに覆した。
澄男の言った通り、技能球は使う前と同様の状態で、彼の手の中にあったのだ。
``隠匿``の消費霊力は、かなり高い。一回分を補填できる人間など、数えるほどしかいないはず。だが、この技能球は使われる前と同様。
何故。どうやって。この場にそれだけの霊力を持っている人間なんて。
「まあなんでもいいや。これで帰る必要はなくなったワケだ」
「なんでもいいって、そんな」
「いいんだよなんでも。重要なのは帰る必要がなくなった、ただそれだけだ」
澄男は御玲の困惑をばっさりと切り捨て、ほら早く前に出ろよと急かす。
これは明らかに異常だ。原因を調べた方がいいのは火を見るより明らかだが、澄男にその意志は欠片も感じられない。
意見具申しても、取り合ってもらえないだろう。実際問題、原因を調べるといっても、こんな事は初めてだし、調べごとに精通している弥平がこの場にいない以上、中途半端に終わるのが目に見えている。
中途半端に終わるのが分かってて、目の前の主人は決して是としない。
「……そうですね。申し訳ありません」
そう言って、澄男の前に立つ。
当然、拡張視覚野を装備し、索敵能力が強化されている御玲が前。技能球を握っておく以外にやることがない澄男は後ろである。
草と風しかない野原を二人寂しく歩き始めた。辺りを見渡しても風を遮る障害物は一切無く、遠くには荘厳に立つ小さい山脈群が取り囲む。
天気は快晴。青空に綿状の雲が風に乗って流れている。太陽は一番上に登っているから、今はもう昼過ぎ。
十五キロメト先に人工物と言っていたから、到着は夕方になりそうだ。
ひたすら変化のない景色が続く中、案の定の沈黙が支配する。歩き続けること、約一時間。
御玲は澄男にしゃがむよう指示し、二人は草陰に隠れて様子を伺う。
彼らが来たのは、エヴェラスタ領を抜けた場所から五キロメト地点。魔生物がいると言っていた場所である。
二人はその五キロメト地点から二百メト離れた草陰から、その魔生物を間近で観察する。
「アレが……魔生物?」
視界に写っているのは、白く輝くフルプレートを身に纏った兵士。
雰囲気からして、王道ファンタジーに登場する聖騎士のような風貌をしている。
異様な違和感が胸に落ちた。この野原一帯には、人工物、集落は数キロメト四方に渡って存在しない。
村人がいるわけでもなければ、開拓、工事をする一般市民がいるわけでもない。純粋な無人だ。
彼らが兵士だったとして、守るべき弱者がいないというのに、何故こんな雑草しか生えていないような野原を徘徊しているのか。
装備は見る限り、かなり立派だ。フルプレートの鎧には目立った傷や汚れはなく、片手に携えている剣には、血の跡も刃毀れした様子もない。新品同然の武具ばかりである。
更にもう一つ。違和感の原因を述べるなら、彼らは兵士の姿をしているが、まるで夢遊病患者のようにふらふらと歩き回っているのだ。
それに、兵士同士、他愛ない雑談に花を咲かせている様子もない。
いくら警備しているからといって、雑談の一つもしないのはおかしな話だ。確実に空気が重苦しいものになる。
白銀のフルプレートに身を包む兵士達は一言も交わし合うこともなく、隊列すら気にせず、まるで自動人形のようにとぼとぼと野原を徘徊し続けている。
異様な情景に呆気にとられる澄男をよそに、拡張視覚野で彼らを分析する。
「間違いありません。彼らは魔生物です」
淡々と分析結果を呟く。拡張視覚野に映ったのは、彼らの肉体性能。
それは一時間前にマッピングしたときと同じ数値を叩き出していた。
あのときは五キロメト先に魔生物がいたと言った。つまり目の前にいる彼らは、そのときに捕捉した魔生物と同一個体ということを、意味している。
「いや……でもあれ、人だぜ。どう見ても」
「全能度が四桁の人間など、流川家の親世代を除けば、存在しません。弥平さまも言っていたでしょう。人間の種族的肉体性能の上限は、全能度700だと」
「俺の全能度が最高1000以上って、お前も弥平も言ってたじゃんか」
「お言葉ですが、それは澄男さまが異常なんです。普通、全能度1000の人間なんて、こんな野晒しな場所にはおりません」
「言い切ったなお前……! そりゃあ……確かにそうかもしんねぇけど……」
「仮に全能度1000の人間だったとして、こんな何も無い野原を徘徊しているなんて、どう考えてもおかしな事です。更には、その人間が数え切れないほどいる……流川家以外の者で、一人いるだけでもおかしいくらいなのに」
御玲は、徘徊するフルプレートの集団を訝しげに見つめる。
拡張視覚野が弾き出した肉体性能。
兵士なのに隊列や配置を一切気にしない素ぶり。
いくら警備しているとはいえ、誰もコミュニケーションを取ろうとしない異様な雰囲気。
風貌は明らかに聖騎士か何かだが、フルプレートの鎧の中身は、人ではない何かだと、己の中の本能が口ずさんでいる。
「澄男さま、技能球を」
澄男は何か言いたげであったが、自分が置かれている状況を、身を以って知ったのだろう。``隠匿``を発動した。
御玲は静かに彼の前へ立ち、フロスタンのときように、一列縦隊で魔生物と魔生物の間を縫うように進んでいく。
フロスタンのときと同じく、聖騎士型の魔生物の数は多い。平原に数え切れないほどの数、不規則にぞろぞろと歩き回っている。
フロスタンのように明らかな人外なら特に感想はないのだが、人に酷似しているだけに、尚更不気味だ。
この平原がどれだけ続いているか分からないが、十五キロメト先に人工物となると、かなりの時間、この聖騎士紛いが跋扈する平原を歩かなければならない。
``隠匿``によって完全不可視、完全潜伏状態とはいえ、油断は禁物。
ここは平原であり、身を隠す場所が全く無い。見つかれば最後、この場にいる全ての魔生物が敵対化し、袋叩きにされてしまう。
そうなれば最期だ。生存は絶望的となる。
御玲は自分に備わっている五感全てを先鋭化させ、周囲の警戒を厳とする。
``隠匿``を発動している間は、魔生物に存在を悟られる事は絶対ない。それは確実だろう。
しかしながら、問題が一つある。
フロスタンも``隠匿``を発動して素通りしたが、彼らは敵意があろうと無かろうと、無差別に魔法を発動する局面が存在した。
実際、それで澄男が危うく氷漬けにされるところを、目の当たりにしている。
つまり、問題とはまさしく、魔生物が魔法を無差別に発動する局面の存在である。
無差別に魔法を発動するのはフロスタン特有の習性か、という質問に答えるなら、答えは否だ。
悲しきかな、無差別に魔法を発動する行為は、魔生物共通の習性であり、フロスタンに限られた習性ではない。
魔生物とは元来、生物の生存本能だったものが、霊力によって励起されて生まれる生物。
彼らは常に本能的に動いているだけであり、その動作一つ一つに理性や思想などは存在しない。
息を吸って吐く。心臓の脈拍。食欲。性欲。尿意。便意。
彼らが無差別に魔法を発動する所以は、私達人類にとっての``生理的欲求``と同種のものでしかないのである。
従って、魔生物である聖騎士紛いの生物も、おそらくは無差別に魔法を発動してくる局面が存在するとみて間違いない。
彼らがフロスタン程度であれば、まだ抵抗や対処、回避は容易だっただろう。
しかしながら、彼らの全能度はフロスタンの比ではない。
全能度1005。つまり、澄男とほぼ同等の肉体性能を有する生物が、周囲に軽く百体以上。そんな中を潜伏状態で、たった二人だけで進んでいる今の絵図は、ただただ地獄以外の何ものでもないのだ。
「ッ……!」
などと考えている尻から、一体の聖騎士紛いが、持っていた剣を突然構え始めた。
拍動が高鳴る。何をしようとしているのか分からないが、嫌な予感がする。
聖騎士が剣を構える。その行為が、和やかな行為ではないのは、火を見るより明らかだ。
何をするつもりなのか。相手が思想や理性を持たないだけに厄介だ。初見なのがさらに拍車をかけている。
魔法か、物理か。ただ剣を振り下ろすだけならまだいい。相手とはかなり距離がある。剣を振り下ろすだけならば、こちらに影響はほとんどない。
厄介なのは魔法を使う場合だ。魔法を使われると種類や範囲によって、対抗策が変わってくる。魔法の知識は完全ではない以上、対処できない魔法を使われると、ただそれだけで最悪の状況になりかねない。
頼む。物理。物理攻撃であってほしい。ただ剣を振り下ろす。それだけの行為で―――。
「うおおおおおおお!?」
「ひゃああああああ!?」
あってほしい。そう心の中で叫ぼうとした、瞬間の出来事であった。
ぐおん、という風を切る音にしては異常に野太い音が鳴り響いたと思いきや、今まで体感したことがないような強風が、体を殴打したのだ。
まるで風に吹き飛ばされるゴミ袋のように、彼方へと飛んでいく。着地態勢もままならない状態で、二人は草生い茂る地面に激突した。
「な、何だ!? 何が起こった!?」
澄男があたふたと周りを見渡す。御玲も遅れて、むくりと起き上がる。
それほど遠い距離は吹き飛ばされていないようだが、起こった出来事があまりに壮絶すぎる。
本当に、ただ剣を振り下ろしただけにしか見えなかった。
魔法は使わなかったと胸を撫で下ろした瞬間に、鼓膜が破れるんじゃないかと錯覚するほどの轟音が響いた思いきや、避ける間も防御する間もなく吹き飛ばされたのだ。
あれはおそらく、剣圧。剣を振り下ろしたときに発生する衝撃波、つまり風を切ったときに起こる、左右へ分かれる風だ。
そう、ただそれだけ。ただの風なのだ。ただの風で、この威力である。
「御玲……? 今マジで何が起こった? 技能球に集中してたせいもあるんやが、なんか突然視界がぐるんってなってわけわかんない状態になったと思いきや地面に激突してたんだけど」
「おそらく、聖騎士紛いの魔生物によるものかと……」
「え? アイツなんかしてたか? 風属性系魔法使ったのか? いやでも、そんな素振りは無かったし霊力も何も感じなかったし……」
「剣圧です」
「は?」
「ただの剣圧ですよ。持っている剣を縦に振り下ろしただけです。それによって発生した衝撃波で、私達は吹き飛ばされたのです」
「は……? いや待って意味わかんない。剣圧? にしても程ってもんがあるだろ。第一、相手が攻撃態勢だったってんなら、なんで俺に言わなかったし」
「言う必要がないと思ったからです。ある程度距離がありましたし、剣を振り下ろす程度なら何の影響もないと……」
「ある程度距離があったって……どのくらい」
「五十メトほど」
「マジかよ……そんなにあったのに俺らクソ間抜けにも吹っ飛ばされたの」
はい、と御玲は返事をする。
相手との距離は目測だが五十メトは確実にあった。だからこそ、澄男には伝えられなかったのだ。
ただ剣を振り下ろしただけで、五十メト先の相手を吹き飛ばしてくるなど、誰が予想できるのか。
とりあえず、これで相手の物理攻撃力も分かった。警戒度をさらに引き上げて、ほんの僅かな所作に注意を払いながら進めばいい。
問題は魔法を使う瞬間だが、この場合はどうするか。澄男にも協力してもらって、少しでも警戒の視野と意識の先鋭化を―――。
「澄男さま……?」
澄男の様子がおかしい。顔を俯かせ、なにやらぶつぶつと呟いている。
御玲は顔を覗こうとするが、その前に澄男があるものを手渡してきた。それは、さっきまで澄男が後生大事に持っていた``隠匿``の技能球。
「御玲。これ持ってろ」
「え……? 澄男さま、何をなさるつもりですか……?」
「あぁん……? 見てわかんねぇか」
澄男は身を翻し、とぼとぼと歩を進める。御玲は本能的に、彼が何をしようとしているのかを悟った。
彼の周囲に漂う瘴気。それは禍々しい霊力。感情の起伏によって漏れ出した、殺意の表れ。
俗に言う、殺気だ。まさか、まさか澄男は。澄男がやろうとしている事は―――。
「お、おやめください!!」
御玲は声を張り上げた、己の声帯が発する事のできる、可能な限りの声量で。
「正気ですか……!? 確かに澄男さまの強さならば、一体程度なら相手できるかもしれません!! しかし、しかし……! 私達の周りには、百体いるんです!! 澄男さま百体分を相手にするようなものです!! お考え直しを……!!」
「うるせえ!!」
澄男の怒号に、身を震え、言葉が喉に詰まる。
「考え直すだぁ……? ふざけんじゃねぇ!! 剣圧ごときにクソ間抜けに吹っ飛ばされたんだぞ!? 舐めやがって……!! 魔生物だろうがなんだろうが、ふざけんのも大概にしやがれってんだ!!」
澄男の存在に気付いたのだろう。周囲の聖騎士紛いは、澄男に向かって敵意を露にする。
ある者は剣を振り、ある者は並々ならぬ霊力を剣に宿し。
多種多様な攻撃態勢に入る聖騎士紛いたち。その数、もはや三十をゆうに超える。
澄男が囲まれてしまった。どうする、割り込もうにも、あんな化物三十体を相手する力はない。
そもそも澄男だって、一体どうやって彼らを相手取るつもりなのか。敵対化した聖騎士紛いの数は、いまもなお増え続けているのに。
「クソが……! こちとら寒いの嫌いなところをわざわざ無理して踏破して、やりたくもねぇのにコソコソすんのを強いられて……! 挙句コソコソしてんのに、剣圧ごときに間抜けにも吹っ飛ばされる始末だ……!」
澄男は拳を強く握った。ぎりっという歯軋りの音が、御玲の鼓膜を捉える。
「コソコソしてるってだけでも侮辱されてるようなもんなのによォ……もういいわァ面倒くせェ……! テメェら全員邪魔。跡形もなく消えてなくなれ」
刹那、空を広範囲に渡って覆いつくす真紅の帳が、澄男を中心点にして姿を現す。
御玲はその様相に、絶句した。
空中に描かれたのは、血の如く紅く、幾重にも重なったトーラス。言うまでもなく、魔法陣だ。しかし、何の魔法か見当もつかない。
それら一つ一つに意味不明な文字が描かれていく。その様はまるで、呪いでも書き込んでいくかのような禍々しさを感じさせる。
だがそれだけではとどまらない。
ただ近くにいるだけで蒸せるような熱さ。身体がぐつぐつと沸騰するような感覚。身体が熱い。まるで釜茹でにされているような、そんな熱さだ。
空は青いはずなのに、魔法陣の光量と範囲が広すぎて血のように紅く見える。あまりに明るく、目が潰れてしまいそうになる。
「まさか、これは……!」
この魔法陣の正体、詳しくは知らないが、今までの成り行きを思い返せば、なんとなく察しがつく。
裏鏡を誘き出すために開いた祝宴会で、突然会場ビルが倒壊し始めて、何がなんだか分からないまま、弥平の指示に従って脱出したときに見た、あの魔法陣。
会場ビルもろとも周辺の建物を呑み込んでいき、その直後に上威区の一部の地域―――会場ビルを中心とした半径数キロメトの球形範囲を、ただの更地せしめた、あの大量破壊。
間違いない。これは澄男や弥平が言っていた―――``竜位魔法``。上威区の一部を丸ごと消滅させた大災害の根源にして、破壊の身業。
間近で魔法陣を見るのは、初めてだ。なんたって、当時は何がなんだか分からないまま、分家邸へ脱兎の如く撤退したのだから。
だが気がかりなのは、あの大量破壊のときよりも魔法陣の数は多く、光の輝きは更に激しい気がすること。まさか、まさか―――――。
あの大量破壊をも上回る破壊を、行えるというのか。
聖騎士紛いの攻撃が迫る。数は既に八十以上。もはや団子のようになり、澄男の姿すらも見えなくなるほどに集まる。
魔法陣の輝きが一層増した。ついに目を閉じていなければ目が潰れてしまうほどの光量になったそのとき。
本家派当主の熾烈な怒号が、雑草と魔生物しかいないだだっ広い平原に猛烈な勢いで響き渡った。
「``破戒``!!」
時は遥か昔。未だ竜人国ヴァルヴァリオンがヒューマノリア大陸全土の支配権を有していた最盛期。
竜人国の繁栄は凄まじく、他の少数民族を淘汰し、約五億平方キロメトもある広大な大地を、圧倒的軍事力、技術力、魔法力、科学力で統一していた。
最盛時代の竜人世界人口は八十億を超えていたそうだが、そんな天下無双の時代に突如一匹の黒竜が姿を現す。
黒竜は彼らに言った。
『生きるべきは万軍を淘汰せしめる圧倒的強者のみ。地を這いずるしか能の無い弱者は、大地の一部、空の一部と成るがいい』
黒竜は竜人達を皆殺しにした。
女子供、屈強な兵士、何の力もない一般市民問わず、視界に入った者気配を感じた者全てを羽虫の如く。
竜人も負けじと対抗した。しかし黒竜の力は圧倒的であった。
竜人達が見たことのない力、それは魔法でもなければ魔術でもない、異形のみが扱える、真の妖術。
彼らには理解できなかったのだ。眼前に現れた、禍々しい妖気を放つ魔法陣の正体が。
その身技は竜人に圧倒的暴力、一気呵成な淘汰を知らしめ、最盛期のヴァルヴァリオン国において、破壊の限りを尽くしたのである。
だが、それでも竜人達は諦めない。黒竜を討伐する勇者隊を結成する。
死力を尽くして戦い、多くの尊い犠牲を出しながらも、その黒竜を討つことに成功した。
生き残った勇者隊は言った。
その黒竜は己を``ゼヴルエーレ``と名乗り、まさに``天災``の如く獰猛で、苛烈で、凶暴な竜であった。
まさに、暴力の権化。災害の具象。
人々を、そして国を救わんと立ち上がった勇者達でさえも、戦いの中で膝を折り、心折れて散っていったほどの、想像絶する畏怖の象徴であった、と。
そして時短くして、その勇者隊は戦いに負った心の傷で皆命を落とし、その事実は、生き残った竜人達を震え上がらせた。
復興の折、竜人達は勇者達を祀りながら、その黒竜に最大限の畏怖と、もう二度と現れてほしくないという忌避を込めて、名付けたのである。
―――``天災竜王ゼヴルエーレ``と。
エスパーダは話し終えた。退屈そうに聞く澄男と真剣にはぁ、と溜息を吐く御玲を一瞥しながら。
「待てや」
地面に積もった雪を掘っては蹴り上げ、眉間を歪ませながら顔を上げる。
「その話、一ヶ月前にあくのだいまおうから聞いた話と大差ない上に、ゼヴルエーレ死んでんじゃねぇか。まだ続きあんだろ。話せよ」
「悪いが、これ以上の事は知らぬ。我も、そなたと戦うまでただの言い伝えにすぎんと思っていたからな」
「んだそりゃ……じゃあ俺がなんで竜位魔法が使えんのか説明にならねぇじゃねぇか」
御玲は二人の話を聞きながら、肩を落とす。
一ヶ月前に聞いた、あくのだいまおうの話。
澄男はその話にゼヴルエーレなる存在が関係しているのではないか、と疑念を抱いていた。
そしてその話に出てきた``竜人という一個体の種を滅亡寸前に追い込む天災``というのが、ゼヴルエーレという竜であることがようやく確定できた。それは一種の収穫といえるだろう。
しかし今の話ではゼヴルエーレは討伐され、この世に存在しないという流れになってしまっている。
ならば何故、ゼヴルエーレの力を使えるのだろうか。エスパーダの話では、明らかな矛盾が生まれてしまう。
一つ分かった事が増えたと同時に、わからない事がまた増えたのだ。溜息をつかずにはいられない。
エスパーダは困ったような顔色をしつつ、更に北の方を指差した。
「我は分からぬが、もしかしたら新設大教会なる建物に潜り込めば、何か分かるかもしれぬ」
「テメェ寝ぼけてんのか? 教会行って神に祈りでも捧げろってのかよ」
「違う。ヴァルヴァリオン国は竜神を祀る宗教国家。代々、竜神を祀る教会が、国民を治めてきた」
「は? なんで教会が国治めるんだよ。国ってのは政府? だっけ? そういうのが治めるモンだろうに」
「宗教国家ですから、竜人にとって教会の権限は絶大だったってことですよ」
「つまり、教会イコール政府ってこと?」
はい、と御玲は締めくくる。
ややこしい話だ。だったら政府と教会は同じって先に言えよ煩わしいという本音を押し殺し、無理矢理話を切り替える。
「要はその大教会って所に行ってガサ入れしたらめぼしいモンが出てくるかもしんねぇってことか。簡単に言ってくれるよな」
「うむ。悪いが我は立場上、ヴァルヴァリオンに行く事はできぬ。許せ小僧……」
「いいよ別に。これは俺らの問題だしテメェは余所者だ。これで貸し借り無しにしといてやるよ」
かたじけない、と背の高いデカブツは少し頭を下げた。
身体からクソみたいなパワーが溢れ出てるような奴を連れていきたくはない。絶対悪目立ちする。
多分コイツも、自分の力の強さを分かった上での配慮だろう。
戦ったときも化け物レベルに強かったが、多分今はあの時とは比べものにならないぐらいのパワーを秘めているはずだ。それに、あの王女っぽい女を守る役目もあるだろうし。
「案内ありがとよ。こっからは俺らだけで行くわ。お前はとっととあの女の所へ行ってやれや」
「うむ。そうさせてもらうこととする」
エスパーダは淡々と答え、地面の雪をほんの少し掻き立てながら、どこかへと消え去った。転移の魔法はいつみても便利なものだ。
「澄男さま」
エスパーダが去ると同時に、御玲は真剣な面差しを向けてきた。
「ヴァルヴァリオンに行くまでの地理、魔生物の生息状況など、何故聞かなかったのです?」
思わず、大きく溜息をつく。重苦しい荷物が唐突に乗っかったような気だるさを感じながらも、眠たそうな目で御玲をみつめた。
「……あのさ。なんでそういうことを今言うかな。もう行っちゃったじゃんアイツ」
「会話してらしたので」
「フツーに忘れてただけなんだけど。先に言えよ……」
「主人の会話をメイドごときが妨げることはできません」
「そういうの面倒だからやめろって言ったよね……つーか普通に困るからそういうときは口挟めよ。変なところで融通利かないなお前……」
「メイドたるもの、主人の行為には……」
「いい!! いい!! うるさい!! ……そんでどうしようか。正直エスパーダ呼ぶのやだぞさっきのさっきだしお前なんとかしろ命令だ」
「……自信がありませんが、これを使いましょう」
肩から掛けている魔導鞄をまさぐり、御玲はバイザーのようなものを取り出す。
「んだそりゃ」
「拡張視覚野です。視覚情報を拡張するデバイスですね」
「何ができるんだ」
「内蔵された探知系魔術を用いて情報を収集し、それを装備者の視神経を通して視覚野に……」
「長げぇしよく分からん。分かりやすく簡潔に言え」
「敵の位置や大雑把な強さの測定ができる眼鏡です」
「最初からそー言おうな今度からな」
御玲は淡々と拡張視覚野を装備する。
エスパーダが言っていた。おそらく主人は聞き流しているが、ヴァルヴァリオンの国に行くまでの魔生物とまともに戦えないと。
年齢は若輩とはいえ、人間の世界では最高峰の戦闘能力を持っている。なおかつ澄男は流川本家の当主である。
かつて裏鏡水月との戦いで、数メガトンの核爆弾の爆発をもろともしなかった人外だ。
澄男の推定全能度は最低900から最高1000以上。全能度700超え自体ほとんどいないし、800以上ならば対抗できる存在は限られてくる。
彼が易々と押し負けるとは思えないが、ここら一帯の魔生物の強さをマッピングしておくことに越したことはない。
拡張視覚野の電源を入れる。
拡張視覚野は導入されている探知系魔術から得た情報を元に、肉体性能を数値化する簡易演算機能を搭載している。
拡張視覚野の演算性能は特筆するほど高くなく、正確な数値は出ないが、大雑把な指標にはなりうる。
基準としては、全能度が700を超える魔生物は要警戒。未満の魔生物は脅威になりえない、といったところ。
「澄男さまは``隠匿``の技能球を。私はマッピングをしていきます」
澄男に技能球を手渡す。
ここで澄男がやることは特にない。強いてあるとするなら、黙って技能球を握っておく。だ。
「ではいきます」
御玲の一言で、二人は積雪の中を進む。吹雪は既になく、遠くに野原のようなものが見える。目指すはそこだ。
とかく、雪原から脱出しなければ話にならない。
吹雪や降雪がないあたり、エスパーダが言っていたように、ここはエヴェラスタの麓のようだ。彼は嘘をついていない証拠である。利害が一致している限り、味方と見ていいだろう。
重い沈黙の中、二人は一切口を利かず、ひたすら前へ前へ、遠くに見える野原を目指して歩いた。
そのうち、地面に張った雪は徐々に薄くなり、混じり気のない白銀の大地だった地面は、泥と雪、氷が混ざったぬかるみと変化していく。
靴底に張りついた泥が二人の足取りを重くするが、それでも二人は休憩など一切取らず、ひたすら黙って野原を目指した。
そして歩き続けること、三時間。
「ようやく凍土を抜けましたか」
「んだここは。草原か」
二人の視界一杯に広がる大草原。
白く染まった雪原と打って変わり、程良く涼しい風と、程良く照らす陽光が心地良さを感じさせる。
「御玲。そのバイザーで遠くの方何かあるか分かんない?」
「しばしお待ちを」
拡張視覚野に念を送る。
拡張視覚野の操作は念じるだけで可能だ。例えば三倍望遠で景色を見たいなら、心の中で三倍望遠と呟くだけで、光学ズームが実行される。
さらに、探知系魔術で得た地理情報を元に、視覚情報を自動的に補完する機能もあるため、デジタルズームの概念は存在しない。
つまり、どれだけ遠くを眺めても探知系魔術が届く範囲であれば、視覚情報が粗雑になることはないのだ。
「ここから約十五キロメト先に集落らしき地帯あり。人がいるかもしれません」
「ようやく人工物がある所まで来たか……でもまだ十五キロメト……」
「ただしここから五キロメト地点に魔生物。数は……たくさんいますね、数え切れません」
「クソが……どこもかしこもうじゃうじゃと……面倒だから技能球で素通りすんぞ」
「はい。とりあえずデータだけでも……」
御玲は捕捉した魔生物から大まかな肉体性能を数値化する。
今、探索している場所は、流川分家派のマッピングが行き届いていない、いわば未探索エリア。
拡張視覚野に少しでも情報を蓄積し、北の魔境に関する地理情報を分家派に持ち帰らなければならない。
マッピングや魔生物の生息状況が分かれば、次に何かの事情で遠征に行く際、無駄な移動時間を``顕現``の技能球で可能な限り省略したり、魔生物の対策も迅速に行えるようになる。
拡張視覚野によって数値が投影される。
自分の視界に直接刻まれた文字列だが、己の視界に描かれた文字列に、御玲は思わず絶句した。
「霊的ポテンシャル180、物理攻能度160、霊的攻能度150、物理抗能度150、霊的抗能度130、敏捷能度120、回避能度115……全能度1005……!?」
それは、想像の上をいく数値だった。
全能度1000。もし存在するとしたら、歩く天災と言われるであろう想像上の存在。暴閥界隈でも、世間でも、そのようなものはいないというのが通説だ。
しかし五キロメト先にいる。本来、想像上の存在であり、澄男以外存在しないだろうと思われていた化け物が。全能度1000に値する存在が。
「なるほど……正直眉唾でしたが、``北の魔境``という地名はあながち間違いではありませんね」
御玲は冷静さを保ちながらバイザーにデータを保存する。
``北の魔境``。
今いる場所は、まさに人類未踏の秘境。逆に言えば、自分達が初めて足を踏み入れた人間だ。
自覚が無かったわけではない。しかし、現実味があったかと問われれば、あまり感じていなかった。
あるのか無いのか分からない、宛てのない旅路になる。その覚悟しかしていなかった。
でも今、実感した。ここは魔境だ。
全能度1000の魔生物が数え切れないほどの数うろついている。
大暴閥ですらたった一体で壊滅せしめる怪物が普通に存在している場所を、``魔境``と言わずなんと言おう。
領地周辺に生息しているフロスタンなど、可愛く見えてくる。
遥か昔、最盛期の竜人達は、こんな化け物が跋扈する時代を生きていたというのか。
「おい。何止まってる。どうした」
「い、いいえ。何も」
澄男の問いかけで、現実に引き戻される。
なんにせよ技能球で素通りできるのだから、戦闘は起こらない。むしろ起こしてはならない。
起こしたら、死だ。
「澄男さま。その技能球は、およそ一時間分の霊力しかありません。魔生物が目視範囲に入るまで、使わないで下さいね」
「は? あぁ……そういやそうだったな。無くなったらお前ン家に帰るんだよな」
「はい。``顕現``の技能球で」
「面倒だなぁ……今ここで補充できないかこれ」
「無理でしょう。そんな事したら、体内の霊力を使い切ってしまいます」
御玲は困ったような表情で答えた。
技能球に霊力を封入する作業は、専用の魔導機で行うのが常。
原理的には人間が手を握って力めば補充できなくもないのだが、人間の霊力量では、魔法一回分を補充する事すら大多数が不可能だ。
ものすごく有名な大魔導士だったならできるかもしれないが、そのような存在など、世界に一人、二人いたらいいぐらいの話である。
「でもよ、霊力の残量って、どうやったら分かるんだ? これ、使う前とパッと見変わってねぇけど」
「そんなはずは。もう種火程度の光量だったはずですが……」
御玲は技能球を見せるよう、指示する。
技能球の霊力残高は、技能球の輝きで分かる。
霊力満載の技能球は凛然と光り輝くが、魔法を使う度に輝きは失われていき、無くなれば無色透明な、ただのガラス玉になってしまう。
予想では、フロスタンを切り抜けるのに連続使用したため、既に線香花火程度の光しか発せられないはず。
「あれ……?」
しかし、その技能球は御玲の予想を静かに覆した。
澄男の言った通り、技能球は使う前と同様の状態で、彼の手の中にあったのだ。
``隠匿``の消費霊力は、かなり高い。一回分を補填できる人間など、数えるほどしかいないはず。だが、この技能球は使われる前と同様。
何故。どうやって。この場にそれだけの霊力を持っている人間なんて。
「まあなんでもいいや。これで帰る必要はなくなったワケだ」
「なんでもいいって、そんな」
「いいんだよなんでも。重要なのは帰る必要がなくなった、ただそれだけだ」
澄男は御玲の困惑をばっさりと切り捨て、ほら早く前に出ろよと急かす。
これは明らかに異常だ。原因を調べた方がいいのは火を見るより明らかだが、澄男にその意志は欠片も感じられない。
意見具申しても、取り合ってもらえないだろう。実際問題、原因を調べるといっても、こんな事は初めてだし、調べごとに精通している弥平がこの場にいない以上、中途半端に終わるのが目に見えている。
中途半端に終わるのが分かってて、目の前の主人は決して是としない。
「……そうですね。申し訳ありません」
そう言って、澄男の前に立つ。
当然、拡張視覚野を装備し、索敵能力が強化されている御玲が前。技能球を握っておく以外にやることがない澄男は後ろである。
草と風しかない野原を二人寂しく歩き始めた。辺りを見渡しても風を遮る障害物は一切無く、遠くには荘厳に立つ小さい山脈群が取り囲む。
天気は快晴。青空に綿状の雲が風に乗って流れている。太陽は一番上に登っているから、今はもう昼過ぎ。
十五キロメト先に人工物と言っていたから、到着は夕方になりそうだ。
ひたすら変化のない景色が続く中、案の定の沈黙が支配する。歩き続けること、約一時間。
御玲は澄男にしゃがむよう指示し、二人は草陰に隠れて様子を伺う。
彼らが来たのは、エヴェラスタ領を抜けた場所から五キロメト地点。魔生物がいると言っていた場所である。
二人はその五キロメト地点から二百メト離れた草陰から、その魔生物を間近で観察する。
「アレが……魔生物?」
視界に写っているのは、白く輝くフルプレートを身に纏った兵士。
雰囲気からして、王道ファンタジーに登場する聖騎士のような風貌をしている。
異様な違和感が胸に落ちた。この野原一帯には、人工物、集落は数キロメト四方に渡って存在しない。
村人がいるわけでもなければ、開拓、工事をする一般市民がいるわけでもない。純粋な無人だ。
彼らが兵士だったとして、守るべき弱者がいないというのに、何故こんな雑草しか生えていないような野原を徘徊しているのか。
装備は見る限り、かなり立派だ。フルプレートの鎧には目立った傷や汚れはなく、片手に携えている剣には、血の跡も刃毀れした様子もない。新品同然の武具ばかりである。
更にもう一つ。違和感の原因を述べるなら、彼らは兵士の姿をしているが、まるで夢遊病患者のようにふらふらと歩き回っているのだ。
それに、兵士同士、他愛ない雑談に花を咲かせている様子もない。
いくら警備しているからといって、雑談の一つもしないのはおかしな話だ。確実に空気が重苦しいものになる。
白銀のフルプレートに身を包む兵士達は一言も交わし合うこともなく、隊列すら気にせず、まるで自動人形のようにとぼとぼと野原を徘徊し続けている。
異様な情景に呆気にとられる澄男をよそに、拡張視覚野で彼らを分析する。
「間違いありません。彼らは魔生物です」
淡々と分析結果を呟く。拡張視覚野に映ったのは、彼らの肉体性能。
それは一時間前にマッピングしたときと同じ数値を叩き出していた。
あのときは五キロメト先に魔生物がいたと言った。つまり目の前にいる彼らは、そのときに捕捉した魔生物と同一個体ということを、意味している。
「いや……でもあれ、人だぜ。どう見ても」
「全能度が四桁の人間など、流川家の親世代を除けば、存在しません。弥平さまも言っていたでしょう。人間の種族的肉体性能の上限は、全能度700だと」
「俺の全能度が最高1000以上って、お前も弥平も言ってたじゃんか」
「お言葉ですが、それは澄男さまが異常なんです。普通、全能度1000の人間なんて、こんな野晒しな場所にはおりません」
「言い切ったなお前……! そりゃあ……確かにそうかもしんねぇけど……」
「仮に全能度1000の人間だったとして、こんな何も無い野原を徘徊しているなんて、どう考えてもおかしな事です。更には、その人間が数え切れないほどいる……流川家以外の者で、一人いるだけでもおかしいくらいなのに」
御玲は、徘徊するフルプレートの集団を訝しげに見つめる。
拡張視覚野が弾き出した肉体性能。
兵士なのに隊列や配置を一切気にしない素ぶり。
いくら警備しているとはいえ、誰もコミュニケーションを取ろうとしない異様な雰囲気。
風貌は明らかに聖騎士か何かだが、フルプレートの鎧の中身は、人ではない何かだと、己の中の本能が口ずさんでいる。
「澄男さま、技能球を」
澄男は何か言いたげであったが、自分が置かれている状況を、身を以って知ったのだろう。``隠匿``を発動した。
御玲は静かに彼の前へ立ち、フロスタンのときように、一列縦隊で魔生物と魔生物の間を縫うように進んでいく。
フロスタンのときと同じく、聖騎士型の魔生物の数は多い。平原に数え切れないほどの数、不規則にぞろぞろと歩き回っている。
フロスタンのように明らかな人外なら特に感想はないのだが、人に酷似しているだけに、尚更不気味だ。
この平原がどれだけ続いているか分からないが、十五キロメト先に人工物となると、かなりの時間、この聖騎士紛いが跋扈する平原を歩かなければならない。
``隠匿``によって完全不可視、完全潜伏状態とはいえ、油断は禁物。
ここは平原であり、身を隠す場所が全く無い。見つかれば最後、この場にいる全ての魔生物が敵対化し、袋叩きにされてしまう。
そうなれば最期だ。生存は絶望的となる。
御玲は自分に備わっている五感全てを先鋭化させ、周囲の警戒を厳とする。
``隠匿``を発動している間は、魔生物に存在を悟られる事は絶対ない。それは確実だろう。
しかしながら、問題が一つある。
フロスタンも``隠匿``を発動して素通りしたが、彼らは敵意があろうと無かろうと、無差別に魔法を発動する局面が存在した。
実際、それで澄男が危うく氷漬けにされるところを、目の当たりにしている。
つまり、問題とはまさしく、魔生物が魔法を無差別に発動する局面の存在である。
無差別に魔法を発動するのはフロスタン特有の習性か、という質問に答えるなら、答えは否だ。
悲しきかな、無差別に魔法を発動する行為は、魔生物共通の習性であり、フロスタンに限られた習性ではない。
魔生物とは元来、生物の生存本能だったものが、霊力によって励起されて生まれる生物。
彼らは常に本能的に動いているだけであり、その動作一つ一つに理性や思想などは存在しない。
息を吸って吐く。心臓の脈拍。食欲。性欲。尿意。便意。
彼らが無差別に魔法を発動する所以は、私達人類にとっての``生理的欲求``と同種のものでしかないのである。
従って、魔生物である聖騎士紛いの生物も、おそらくは無差別に魔法を発動してくる局面が存在するとみて間違いない。
彼らがフロスタン程度であれば、まだ抵抗や対処、回避は容易だっただろう。
しかしながら、彼らの全能度はフロスタンの比ではない。
全能度1005。つまり、澄男とほぼ同等の肉体性能を有する生物が、周囲に軽く百体以上。そんな中を潜伏状態で、たった二人だけで進んでいる今の絵図は、ただただ地獄以外の何ものでもないのだ。
「ッ……!」
などと考えている尻から、一体の聖騎士紛いが、持っていた剣を突然構え始めた。
拍動が高鳴る。何をしようとしているのか分からないが、嫌な予感がする。
聖騎士が剣を構える。その行為が、和やかな行為ではないのは、火を見るより明らかだ。
何をするつもりなのか。相手が思想や理性を持たないだけに厄介だ。初見なのがさらに拍車をかけている。
魔法か、物理か。ただ剣を振り下ろすだけならまだいい。相手とはかなり距離がある。剣を振り下ろすだけならば、こちらに影響はほとんどない。
厄介なのは魔法を使う場合だ。魔法を使われると種類や範囲によって、対抗策が変わってくる。魔法の知識は完全ではない以上、対処できない魔法を使われると、ただそれだけで最悪の状況になりかねない。
頼む。物理。物理攻撃であってほしい。ただ剣を振り下ろす。それだけの行為で―――。
「うおおおおおおお!?」
「ひゃああああああ!?」
あってほしい。そう心の中で叫ぼうとした、瞬間の出来事であった。
ぐおん、という風を切る音にしては異常に野太い音が鳴り響いたと思いきや、今まで体感したことがないような強風が、体を殴打したのだ。
まるで風に吹き飛ばされるゴミ袋のように、彼方へと飛んでいく。着地態勢もままならない状態で、二人は草生い茂る地面に激突した。
「な、何だ!? 何が起こった!?」
澄男があたふたと周りを見渡す。御玲も遅れて、むくりと起き上がる。
それほど遠い距離は吹き飛ばされていないようだが、起こった出来事があまりに壮絶すぎる。
本当に、ただ剣を振り下ろしただけにしか見えなかった。
魔法は使わなかったと胸を撫で下ろした瞬間に、鼓膜が破れるんじゃないかと錯覚するほどの轟音が響いた思いきや、避ける間も防御する間もなく吹き飛ばされたのだ。
あれはおそらく、剣圧。剣を振り下ろしたときに発生する衝撃波、つまり風を切ったときに起こる、左右へ分かれる風だ。
そう、ただそれだけ。ただの風なのだ。ただの風で、この威力である。
「御玲……? 今マジで何が起こった? 技能球に集中してたせいもあるんやが、なんか突然視界がぐるんってなってわけわかんない状態になったと思いきや地面に激突してたんだけど」
「おそらく、聖騎士紛いの魔生物によるものかと……」
「え? アイツなんかしてたか? 風属性系魔法使ったのか? いやでも、そんな素振りは無かったし霊力も何も感じなかったし……」
「剣圧です」
「は?」
「ただの剣圧ですよ。持っている剣を縦に振り下ろしただけです。それによって発生した衝撃波で、私達は吹き飛ばされたのです」
「は……? いや待って意味わかんない。剣圧? にしても程ってもんがあるだろ。第一、相手が攻撃態勢だったってんなら、なんで俺に言わなかったし」
「言う必要がないと思ったからです。ある程度距離がありましたし、剣を振り下ろす程度なら何の影響もないと……」
「ある程度距離があったって……どのくらい」
「五十メトほど」
「マジかよ……そんなにあったのに俺らクソ間抜けにも吹っ飛ばされたの」
はい、と御玲は返事をする。
相手との距離は目測だが五十メトは確実にあった。だからこそ、澄男には伝えられなかったのだ。
ただ剣を振り下ろしただけで、五十メト先の相手を吹き飛ばしてくるなど、誰が予想できるのか。
とりあえず、これで相手の物理攻撃力も分かった。警戒度をさらに引き上げて、ほんの僅かな所作に注意を払いながら進めばいい。
問題は魔法を使う瞬間だが、この場合はどうするか。澄男にも協力してもらって、少しでも警戒の視野と意識の先鋭化を―――。
「澄男さま……?」
澄男の様子がおかしい。顔を俯かせ、なにやらぶつぶつと呟いている。
御玲は顔を覗こうとするが、その前に澄男があるものを手渡してきた。それは、さっきまで澄男が後生大事に持っていた``隠匿``の技能球。
「御玲。これ持ってろ」
「え……? 澄男さま、何をなさるつもりですか……?」
「あぁん……? 見てわかんねぇか」
澄男は身を翻し、とぼとぼと歩を進める。御玲は本能的に、彼が何をしようとしているのかを悟った。
彼の周囲に漂う瘴気。それは禍々しい霊力。感情の起伏によって漏れ出した、殺意の表れ。
俗に言う、殺気だ。まさか、まさか澄男は。澄男がやろうとしている事は―――。
「お、おやめください!!」
御玲は声を張り上げた、己の声帯が発する事のできる、可能な限りの声量で。
「正気ですか……!? 確かに澄男さまの強さならば、一体程度なら相手できるかもしれません!! しかし、しかし……! 私達の周りには、百体いるんです!! 澄男さま百体分を相手にするようなものです!! お考え直しを……!!」
「うるせえ!!」
澄男の怒号に、身を震え、言葉が喉に詰まる。
「考え直すだぁ……? ふざけんじゃねぇ!! 剣圧ごときにクソ間抜けに吹っ飛ばされたんだぞ!? 舐めやがって……!! 魔生物だろうがなんだろうが、ふざけんのも大概にしやがれってんだ!!」
澄男の存在に気付いたのだろう。周囲の聖騎士紛いは、澄男に向かって敵意を露にする。
ある者は剣を振り、ある者は並々ならぬ霊力を剣に宿し。
多種多様な攻撃態勢に入る聖騎士紛いたち。その数、もはや三十をゆうに超える。
澄男が囲まれてしまった。どうする、割り込もうにも、あんな化物三十体を相手する力はない。
そもそも澄男だって、一体どうやって彼らを相手取るつもりなのか。敵対化した聖騎士紛いの数は、いまもなお増え続けているのに。
「クソが……! こちとら寒いの嫌いなところをわざわざ無理して踏破して、やりたくもねぇのにコソコソすんのを強いられて……! 挙句コソコソしてんのに、剣圧ごときに間抜けにも吹っ飛ばされる始末だ……!」
澄男は拳を強く握った。ぎりっという歯軋りの音が、御玲の鼓膜を捉える。
「コソコソしてるってだけでも侮辱されてるようなもんなのによォ……もういいわァ面倒くせェ……! テメェら全員邪魔。跡形もなく消えてなくなれ」
刹那、空を広範囲に渡って覆いつくす真紅の帳が、澄男を中心点にして姿を現す。
御玲はその様相に、絶句した。
空中に描かれたのは、血の如く紅く、幾重にも重なったトーラス。言うまでもなく、魔法陣だ。しかし、何の魔法か見当もつかない。
それら一つ一つに意味不明な文字が描かれていく。その様はまるで、呪いでも書き込んでいくかのような禍々しさを感じさせる。
だがそれだけではとどまらない。
ただ近くにいるだけで蒸せるような熱さ。身体がぐつぐつと沸騰するような感覚。身体が熱い。まるで釜茹でにされているような、そんな熱さだ。
空は青いはずなのに、魔法陣の光量と範囲が広すぎて血のように紅く見える。あまりに明るく、目が潰れてしまいそうになる。
「まさか、これは……!」
この魔法陣の正体、詳しくは知らないが、今までの成り行きを思い返せば、なんとなく察しがつく。
裏鏡を誘き出すために開いた祝宴会で、突然会場ビルが倒壊し始めて、何がなんだか分からないまま、弥平の指示に従って脱出したときに見た、あの魔法陣。
会場ビルもろとも周辺の建物を呑み込んでいき、その直後に上威区の一部の地域―――会場ビルを中心とした半径数キロメトの球形範囲を、ただの更地せしめた、あの大量破壊。
間違いない。これは澄男や弥平が言っていた―――``竜位魔法``。上威区の一部を丸ごと消滅させた大災害の根源にして、破壊の身業。
間近で魔法陣を見るのは、初めてだ。なんたって、当時は何がなんだか分からないまま、分家邸へ脱兎の如く撤退したのだから。
だが気がかりなのは、あの大量破壊のときよりも魔法陣の数は多く、光の輝きは更に激しい気がすること。まさか、まさか―――――。
あの大量破壊をも上回る破壊を、行えるというのか。
聖騎士紛いの攻撃が迫る。数は既に八十以上。もはや団子のようになり、澄男の姿すらも見えなくなるほどに集まる。
魔法陣の輝きが一層増した。ついに目を閉じていなければ目が潰れてしまうほどの光量になったそのとき。
本家派当主の熾烈な怒号が、雑草と魔生物しかいないだだっ広い平原に猛烈な勢いで響き渡った。
「``破戒``!!」
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