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愚弟怨讐編 上
動き出した黒幕
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佳霖や十寺が潜むアジトの情報を集めるため、各地を転々としていた弥平は、特にこれといった収穫もなく、流川本家邸の正門前めがけてとぼとぼと歩いていた。
あくのだいまおうに続き、裏鏡の情報から、組織の黒幕は流川佳霖こと、澄男の父親であることが疑われている。
当然、その情報を鵜呑みにするほど馬鹿ではない。しかし結論から述べると、探査は難航している。
そもそも流川佳霖という人物に関するデータが、ほとんど存在しないのだ。
分家邸や本家邸内を調べまわったが、流川佳霖に関する情報は、自分が既に有している情報を逸脱しない、必要最低限のものばかり。
彼自身に踏み入った情報書類やデータは無く、ただ単に``流川佳霖なる人物が、流川家に名を連ねていた``程度の情報しか存在しなかったのだ。
本家派元当主、流川澄会に婿入りし、次期当主候補の流川澄男と流川久三男を生んだ実父ならば、出身地や経歴のデータが本家邸新館にあってもおかしくない。分家邸なら尚更だ。
分家派は流川家に名を連ねる者のみならず、流川家直系にあたる白鳥、水守に加え、流川と同等の立場にある他の五暴閥、隣国の巫市全域を支配する政府``統制機構``の情報など、全て持っている。
流川内部の人間であった佳霖のデータがほとんどないなどありえないのだ。考えられる原因は、何者かが佳霖のデータを消去した。もしくは最初から必要最低限のデータしか存在しなかった。の二通り。
言葉に出すなら簡単であれ、実行に移す事を考慮すると至難の技である。
流川家が保有している様々な機密データは、地上から遥か上空を公転する軍事航宙基地内の巨大サーバに保存されていて、追記や消去は本家にある流川本家直属軍事研究施設ラボターミナルからしか行えない。
ラボターミナルの警備は極めて厳重であり、あそこに踏み入れることが許されるのは、純血の血統を持つ流川家内部の者に限定されている。
確かに佳霖は、大戦時代より流川内部の者として名を連ねていたが、彼は水守家現総帥、水守璃厳の推薦で流川家入りした者。
つまり、厳密には余所者だ。
流川家は純血主義ではないが、信用ある傘下暴閥にも、決して重要な機密データを渡したり、閲覧する権限を与えたりしない徹底した秘密主義な暴閥。
本家入りするほど出世しようと、彼が余所者である以上、ラボターミナルに直接干渉し、己の素性に関するデータを消去する事は不可能だ。
無理に行おうとすれば、その時点で謀反とみなされ、理不尽な即死トラップの餌食となってしまうだろう。
となると、残る原因は一つ。
最初から最低限度の情報しか存在していない、になる。
「ですが、そんな事が、ありえるのでしょうか……」
弥平は顎に手を当て眉間にしわを寄せる。
精査された情報を利用する分家派。情報の入手から精査、管理まで全て行なっているラボターミナル。
そのラボターミナルが、佳霖の情報をほとんど有していないなど、ありえるのだろうか。
彼は余所者とはいえ、本家入りするまでに出世した男だ。身分を明かそうが明かすまいが、彼自身の素性の調査は行われたはず。
行なった上で、必要最低限度の情報しか得られなかったのだろうか。
いや、だとしたら本家入り自体不可能な話。澄会と結納し、二人の子供を身籠もる以前の問題になる。
彼が本家入りし、なおかつ澄会と結納できたということは、それだけ彼が信頼に足りる情報をラボターミナルが既に得ていて、当時の分家派、つまり自分の両親が、それを公式に認めたということ。
だが、現在サーバにあるだけのデータでは、当時の父が佳霖の本家入りを認めるはずがない。
頭の中で、思索がどん詰まりをみせる。
こういうときは、一から情報を整理してみる。推理において、先入観は御法度だ。
情報を入手し、それを精査、管理まで全て行なっているのは、本家派直属の地下研究施設ラボターミナル。
精査された情報を利用するのは分家派。
佳霖は水守家現総帥、当時の水守守備隊隊長である水守璃厳の推薦で流川家の傘下に入り、戦時は澄会の守護に徹していた。
その後は功績が讃えられ、守備隊副指揮から本家入りし、澄会と結納。流川澄男と流川久三男の二児を授ける。
これらを軸に、別の情報も参照してみよう。
佳霖の本家入りを承服したのは自分の父親にして、流川分家派現総帥。
父は当時、佳霖の本家入りに際して、ラボターミナルにある情報を参照し、佳霖に疑わしい経歴が無いかを確かめた。
そして佳霖は武力統一大戦時の功績が認められて本家入りを許され、本家派の当主に就いた澄会と結納できた。流川澄男と流川久三男という当主候補を授かる事もできた。
だとすると本家入り時点では、きちんとした経歴、戦績が存在していたということ。
そのデータが現時点でサルベージできないということは、本家入りした後に、データが何者かに改ざんされたということ。
ならば一度、ラボターミナルにスポットライトを当ててみる。
ラボターミナルとは、流川家の魔法技術、軍事技術、情報集積地の中枢。
流川家の中枢機関の一つであり、純血の血統を持つ流川の者しか立ち入る事が絶対できない、いわば流川家の聖域である。
またラボターミナルには必ず、世代ごとに専属の技工士が就任する習わしが存在する。
佳霖が本家入りしたときにラボターミナルを管理していたのは父の次男、自分や澄男、久三男から見て叔父にあたる流川久々である。
流川久々は、戦時から久三男が物心つくまで専属技工士に就いていた。
つまり佳霖のデータを入手し、精査したのは久々ということになる。
父に当時の話を聞くと、佳霖と関係が深かったわけではなかったらしい。
父は当時から分家派の邸宅におり、久々と佳霖は本家邸にいたため詳しい状況は分からないが、表層上はほとんど人間関係がなかったと話してくれた。
更に時は経ち、久々はラボターミナル専属技工士を離任。技工士の座は次期当主候補の久三男に託され、現在に至っている。離任後、久々は分家邸に隠居している。
ここまでの情報を頭の中に並べた弥平は、更に思索を走らせる。
単純に考えると、佳霖の経歴を改ざんできたのは久々ということになるが、何だ。何かが引っかかる。
この話からいけば、久々と佳霖が裏で手を結び、佳霖の指示もしくは久々の自発的行為で、ラボターミナルからデータを不正に改ざん。佳霖の経歴を一部、消去したことになる。
だが一体、何のために。
経歴をほとんど削除すれば、いずれは謀反の疑いをかけられる。佳霖も久々も、それが分からない愚か者ではないはずだ。
ならわざと。いや、それでも何のためにそんな事をするのかは明瞭にならない。
ただ自分の居場所を無くすだけの行為だ。実際、佳霖は既に謀反を企てた者として破門され、分家派が血眼になって彼を探している。
情報の不正改ざんが無ければ、証拠不十分で分家派は動かせなくさせることができたのに。何故、何故自分の命を自ら危険に晒してしまうような証拠を残す。
凡ミスだとでもいうのか。いや、だとしたら愚か以外の何者でもない。あまりにもあからさますぎる。
「いや…………待ってください」
弥平は立ち止まった。心臓の鼓動が高まり、執事服に汗が滲む。
直感だが、不正改ざんの犯人が閃いた。しかしながら本当なのか。いや、決めつけるのは良くない。もう一度、慎重に推理してみよう。
裏鏡から証言を得たとき、自分はある一つの仮説を立てていた。
それは分家派の捜査をかく乱させるため、敵首魁であるにもかかわらず、長い時間を経て培った信用を遺憾なく利用して、``敵組織の内通者``という先入観を、流川に与えたというもの。
あの先入観のせいで、佳霖はただの敵組織の末端程度か、もしくは事件に無関係な内部の人間だと思い込んで捜査していて、かなりのタイムロスを強いられてしまった。
アレに関しては、本当に自分の落ち度だと言わざるえない。裏鏡の証言を聞いて悟ったときは、苦虫を噛み締めた思いだ。
あの先入観を構築するには、かなりの時間と計画、そして戦闘力と実力が必要だ。そうでなければ余所者である以上、流川から門前払いにされるだけである。
しかし彼は門前払いにされるどころか、本家入りまで果たした挙句、当時の本家派当主であった澄会と結納を交わすほどの信用を手にした。
これらの事実から察するに、彼の根気強さと物事の企画能力は極めて高い。今回の経歴情報の不正改ざんも、おそらく何らかの``意図``があって行ったと考えてしかるべきだ。
つまり、ここからは経歴情報の不正改ざんを流川佳霖が意図して行った行為だと、あえて仮定して考え直してみよう。
改めて流川佳霖以外で得をする人物、正しくは``佳霖に代わり、不正改ざんをした者``は誰か。
まずは経緯のおさらいから。
三月十六日、澄男のガールフレンドである木萩澪華を十寺に殺害させ、澄会もなんらかの手段で殺害。
この事件を受け、流川は十寺の属している組織を探すため、情報収集を開始。
三月二十三日、あくのだいまおう達と出会い、最初の手がかりを入手する。
だが手がかり一つで総動員するほど流川は馬鹿ではない。手がかりを元に更なる情報収集を行う。
五月五日、暴閥界隈を対象に、身近な所から情報の再精査を澄男に提訴し、祝宴会という名の大規模な罠を裏鏡水月に対して仕掛けた。
そして裏鏡水月の証言から、黒幕は澄男と久三男の実父、流川佳霖ではないかという疑いが浮上した。
その疑いを元に、流川家のデータベースを検索したら、案の定。不自然にデータが消されていることが分かった。
そして今―――澄男と御玲は、あくのだいまおうと裏鏡の預言に出てきた``ヴァルヴァリオン``という地へ向かい、自分も更なる情報収集で外に出ている。
過程はどうあれ、ここまでの流れが、佳霖または情報を改ざんした人間のどちらか、もしくは双方が合同で描いたシナリオだったとしたら、一つの陰謀論を立てられないか。
黒幕である佳霖は流川から隠れたいのではない。逆に何らかの目的があって、流川に見つけて欲しいという陰謀論。そのために、情報を改ざんした人間はわざと分家派に悟られるような形の不正改ざんを仕込んだのでは、と。
だがここで、ならば何故ただの内通者であることを装い、分家の捜査を撹乱する理由があったのか、という疑問にぶつかってしまう。しかしそれは、すぐに見つかって欲しくない理由があったからだという答えで解決できる。
たとえば、アジトの建設が完璧ではなかったから、戦争準備や兵站確保もままならないまま流川に見つかって、攻め込まれでもしたら都合が悪いから、等。複数個の理由が挙げられる。
わざと分家派に悟られるような形の不正改ざんを残しているのだ。下手したらすぐに見つかってしまう可能性もある。ならばまず分家の捜査を撹乱させ、どうにかして不正改ざんから注意を反らす必要がある。
いずれ不正改ざんは見つかるが、それでもかなりの時間稼ぎにはなる。実際、分家は擬巖家をターゲッティングしていたせいで、佳霖はほとんどノーマークになっていた。厳密には捜査の優先順位を落としたというべきだが。
佳霖がいつから裏切る準備をしていたかは定かではないが、分家が佳霖に的を絞り始めたのは、裏鏡の情報を聞いたあの日。つまり五月五日からだ。
佳霖たちが流川に対し謀反を行ったのは三月十六日。それ以前から裏切りの準備をしていたと考えるのが自然なので、完全に分家は佳霖を過信したが故に出遅れたと言い訳を述べるしかあるまい。
とはいえ、なんにせよ最終的には流川にアジトと自分を、何の目的か知らないが、見つけて欲しい。そのために、血眼になって探している分家派を絶えず動かし続けていたい。
そのために、わざとらしい不正改ざんの痕跡を残したい。しかし、余所者の佳霖ではラボターミナルに侵入する事はできない。
つまり、ここで佳霖に代わり情報を不正に改ざんする人間が登場する。しかし謀反をほう助するのだから、膨大なリスクを背負うことに他ならない。
バレればその場で極刑の大罪である。
従って、佳霖に代わり情報を不正に改ざんする人間にとって、佳霖の情報を改ざんすることによって作られる``状況``が、極めて有利に働く必要がある。
では、現在の``状況``を整理しよう。
あくのだいまおうにも、裏鏡水月にも、本来なら絶対に知ることのできないはずの情報を既に有しているという超常的な共通点こそあるが、そのただものすごいところを度外視して証言そのものに焦点を当てるなら、彼らの証言には裏付けが全く無い。
ただひたすらに胡散臭いだけの預言である。
それを元に情報探査や、どこにあるかも分からない異種族の国に赴こうなどと誰が思うだろうか。
しかし、あの二人以外で有力な情報は無い。だからこそ、澄男がヴァルヴァリオンに行くと言い出したとき、自分は不安こそあったが引きとめはしなかった。
裏鏡水月の証言とあくのだいまおうの証言、どちらにも出てきたヴァルヴァリオンという謎の地名。
澄男も御玲も、そして自分も、二人の証言から出てきたその地名をただのホラではないかもしれないと認識して、宛てのない危険な国探しに赴くことを決めた。
つまり今、本家邸には誰もいない。自分も、裏鏡の証言と情報の不正改ざんについて調べるため、分家邸から外出している状態だ。
佳霖に代わって不正改ざんを行う事ができ、なおかつ本家邸に誰もおらず、分家邸にも当主が情報収集で不在であるという``今の状況``が得だと思える人物。
忌むべき逆賊として流川家に追われる膨大なデメリットがあることを知りながら、佳霖を除いて今の状況を極めて有利と思える人物。
つまり、何者にも監視されず、何者にも咎められず、自由奔放に動く事ができる流川家内部の人物は―――。
「や、やはり……」
考察の末、己が達した結論に震えた。
違うと信じたい。物的証拠も無いし、あるのは状況証拠だけ。ただの考えすぎで、自分の思索癖が性懲りもなく発動しただけだと信じたい。
でも、思い当たる人物は、やはりただ一人しかいないのだ。佳霖以外で、今の状況がとても都合の良いと思える人物というのは―――。
気がつくと、流川本家領の正門が視界に入っていた。
特に変わりばえのしない正門前。草木が均等に茂り、きちんと舗装された地面。掃除の行き届いた景色。いつもと同じ、自然に溶け込んだ本家領の姿があった。
だが何故だ。静かすぎる。景色は自然だが、雰囲気は不自然だ。嵐の前に漂う異様な静寂を想起させる。
おそるおそる正門へ近づく。気配を消し、警戒レベルを最大限引き上げる。気分は敵の拠点に潜入するかのごとく。
目の前にそびえる建物は、己が帰るべき場所にあらず。何故だろうか、もはや敵地にしか見えなかった。自分でも、自分の感覚を疑うほどに。
忍び足で近づく最中、身構えた。
左側から感じる不自然な強風。自然風ではない。例えるなら扇風機が発する風だ。それをかなり高出力にしたもの。
聴覚を研ぎ澄ませる。微かに聞こえるプロペラ音。極めて静音だが、それでもプロペラの存在は隠せていない。本家領周辺でプロペラ音。もしや。
即座にナイフを構える。
彼の周りには彼以外何もいない。だが彼は何もない、舗装された地面しかない所で、臨戦態勢を整えた。しかし、彼の行為は決して杞憂ではなかった。
【侵入者捕捉。敵対反応確認したため、捕獲モードから迎撃モードに移行】
草木を掻き分けて弥平の視界に現れたのは、白色のボディに覆われた小型飛行機。
いや、見た目を率直に述べるなら近未来的なデザインをした白色のドローンというべきか。
白色のボディに、ドローンは中心部から赤い光を発している。白は光を跳ね返す性質があるだけに、赤色光はドローンのボディペイントに馴染まず、空気中に放たれていた。
ドローンの真上にはトーラス状の魔法陣が描かれていた。どうやらあの魔法陣がプロペラ代わりだったらしい。``飛行``を推進力として、空を飛んでいるのだ。
まさに天使のような雰囲気を思わせるが、ドローンの前方に集束する光を見るやいなや、その発想は撤廃される。
あれは天使が放つ聖なる光などではなく―――。
「くッ」
対象を貫通し焼き尽くす、高出力レーザー光なのだから。
唐突に放たれたレーザーを華麗に回避する。
ドローンの正式名称は、ストリンパトロール。
流川本家領周辺に常駐し、無断侵入者や野生の魔生物を撃退、捕獲する魔導機である。
動力源はガソリン、軽油、況してや電気エネルギーにあらず。当然、魔法や魔術の原料である霊力だ。
霊力の使い方は、なにも魔法や魔術としてのみではない。文明が進み、魔法も魔術も、魔力という概念すら科学と差別化できなくなった現代、目に見えない摩訶不思議な力などではなく、応用の幅が極めて広い科学的エネルギーの一種にすぎなくなった。
魔導機とは、まさしく霊力を動力源に動く機械の総称なのだ。
ストリンパトロールから放たれるレーザー光線を避けながら、頭を回転させる。
ストリンパトロールの武装は、セミオートで放たれるマナリオンレーザー。霊力を媒介する素粒子マナリオンを一点に集束させ、それを光源にしてターゲットに放つフォトンレーザーの一種である。
霊力は原理的に肉眼では不可視のエネルギーだが、高密度に集束した霊力は極めてエネルギー密度が高いため、様々なエネルギーに姿を変え、肉眼で捉えることができるようになる。
最も分かりやすい姿が、光エネルギーとしての具現化だ。
レーザー光源の向きを見極めながら、絶妙なタイミングで回避し続ける。同時に、弥平を貫けなかったレーザー光は地面にめり込み、煙を出す。
よく見ると舗装された道路には穴が空き、レーザーが貫通した周辺は赤熱して若干融け始めていた。
マナリオンレーザーが有するエネルギーは極めて高く、当たった物体の熱運動を急激に促進させ、温度を爆発的に上昇させる。
マナリオンレーザーが照射された物体は一秒以内に数千度以上、出力によっては一万度を超える高温となり、耐熱性の高い合金ですら融解、蒸発させてしまう。
人間に照射すれば、内臓に致命的な火傷を負わせることができる代物である。
ストリンパトロールの装備しているマナリオンレーザーは、軍用装備であるため出力は非常に高く、霊力によるバリア―――すなわち防御系魔法である``霊壁``でもない限りは防げない。
貫通力も高く、物陰に隠れても、自分の身体を貫通してしまえるだろう。
外回りをしていたため、今はほとんど持ち合わせがない。傷を癒す即効性の回復薬を数本持っている程度だ。仮に回避ミスで照射された場合、受けてもいい回数は、かなり限られてくる。
「しかし……避けてばかりでは埒があきません……!」
弥平は遂に反撃を決する。
ストリンパトロールのマナリオンレーザーは、セミオート設計であるため連射できない。
必ず一発ずつの照射となり、次発照射までの間には明確なタイムラグが存在する。
接敵し、破壊するにはこのタイムラグを利用するしかないが、相手は``飛行``を駆使するドローンだ。
自分も``飛行``は使えないこともないが、霊力の消費が激しすぎる。
霊力回復薬は持っていないから、自分の容量だと限界まで搾り取って最大飛行時間は三分程度。使い果たせば動けなくなり、反撃手段はほとんどなくなってしまう。
一方、相手は流川本家邸新館から専用の霊力回復光線を受けており、常に霊力が補填されている。
つまり、飛行時間はストリンパトロールを破壊するか、本家邸を破壊しない限り無限。
本家邸は極めて装甲が堅く、持参している装備やアイテムでは傷一つつけることができないため、空を飛ぶドローンを破壊する他ない。
「しかしどうするか……飛び道具は持ってませんし……」
弥平はレーザーを避けつつ、魔導鞄をまさぐる。
あらゆる物体を貫通するレーザーを避けるため、常に動き続けなければならない中で、彼は一つのアイテムを手に取った。
それは白く輝く技能球。
確かこの技能球は、長距離移動にかかる時間を極限まで短縮するために支給された、``顕現``が込められた技能球だ。
唇をつり上げる。方法はこれしかない。
「それに……」
ざざ、と草木を掻き分ける微かな音を背後から聴覚が捉えた。
ストリンパトロールとは異なる気配。動植物が蠢いたときと同じもの。
「もう来てしまいましたか……」
顎から汗が滴る。
ストリンパトロールには、無類の貫通力を誇るマナリオンレーザー以外に、特筆するべきもう一つの固有能力がある。
彼の視界の右上、未だ距離は数百メトほどあるそこに、全身黄緑色のフルプレートメイルを着た鎧武者が、剣を片手に一人、二人と、弥平の所へじわじわと距離を詰めてきていた。
ストリンパトロールの固有能力とは、すなわち``敵対化``。
縦横高さ五十キロメトの矩形範囲内に存在する、全ての魔生物を迎撃対象に向けて敵対化させる霊子信号を発信する。
ここでの迎撃対象とは、すなわち弥平。あの鎧武者達は弥平を探しているのだ。
「しかし、ストリンナイトが既に数体来ますか……これは本当に時間がありませんね」
執事服の袖で、顔を覆う汗を拭う。
ストリンナイト。流川本家領を警護するため、人工的に創られた領地徘徊型の流川家直属魔生物。
直属魔生物の中では最下位に属する彼らだが、それでも全能度は一体で800を超え、なおかつ最も個体数が多い。
ストリンパトロールと連携した場合、数分以内に二十体を超える個体が群れを成して襲いかかってくる。
更に時間が経てば、上位の直属魔生物が出現するはずだ。その前にストリンパトロールを破壊しなければならない。
プロペラ音が大きくなる。隠れていた木陰から離れ、ストリンパトロールの方へ距離を詰める。
ストリンパトロールは索敵性能に特化した設計をしている。ラボターミナルからの魔法陣演算支援を受けて、探知系魔法の一種``逆探``を行使できる。
従って、どこに隠れようとストリンパトロールからは逃れられない。
速やかに敵を捕捉し、己より戦闘性能の高い魔生物に霊子信号を発信。確実に敵を迎撃する。それがストリンパトロールの本当の役目である。
背後からはストリンナイトも迫っている。
しかし彼らは索敵性能を備えておらず、目視以外では敵を察知する手段を持たない。
つまり、ストリンパトロールさえ潰してしまえば逃げ切るのは容易だ。
``顕現``が込められた技能球を握り、導入されている世界地図を脳内に読込する。
頭に浮かんだ唯一の方法とは、技能球を使った短距離転移強襲である。
ストリンパトロールのレーザーガンがセミオートである特性を逆に利用した戦略だ。
照射後は、砲身を必ず冷却しなければならないのと、光源作製にかかる時間を合計したタイムラグが存在するのは、さきほど話したとおりだ。
そのタイムラグ内では、ストリンパトロールは無防備状態になる。その隙を利用して、物理攻撃を加える。
ストリンパトロールの装甲は非常に薄い。自分の腕力と装備しているナイフなら、一撃で破壊できる自信はある。
飛行速度は速いが、転移強襲には流石に反応できないはず。
ストリンパトロールの前に姿を現わす。赤色光を放ち、甲高いサイレンを打ち鳴らすドローンは弥平に照準を合わせ、前方の砲身に光を籠める。
弥平は撃ってくれと言わんばかりに仁王立ち。回避のタイミングを見計らう。それと同時、背後から聞こえる草木を掻き分ける動物の気配が大きくなっているのを悟る。
着実に距離を詰めているストリンナイト。
まだ目視範囲に入っていないはずだが、目視範囲を考慮すると、チャンスは一度きり。
砲身から垣間見れる、光源が輝いた刹那が、勝負時だ。
草木を掻き分ける音とプロペラ音のみが支配する空間。弥平は五感を研ぎ澄まし、その瞬間を待ちわびる。
そして―――。
彼を目標に、高密度に圧縮された集束霊子は、瞼を思わず閉ざしたくなるような閃きを見せる光源から容赦なく放たれた。
同時に、弥平の姿は虚空へと掻き消える。
レーザーは空を割く。目標が予想しない挙動を見せたため、ストリンパトロールは、もう一つ魔法陣を重ね合わせる。
探知系魔法を使ったのだ。行使したのは``逆探``。
相手が魔法や魔術を使った際、その痕跡を分析して、相手の空間座標と肉体組成を割り出す魔法である。
だが、そのラグを見逃すような流川弥平ではなかった。
ストリンパトロールの真上から、陽光を遮る一つの影。それはドローンに覆い被さるように、一本の切っ先を振り落とした。
耳が痛くなるような高周波の音が辺りに響き渡り、甲高いサイレンと一瞬重なる。
ドローンはボディを異常に光らせるや否や、天から振り落とされた一矢とともに、粉々に砕け散った。
閃光と爆風が辺りを唸らしながら、爆心から黒体が弾き出される。それは空中で二、三回転しながら、舗装された地面に見事着地した。
「予想通りでしたね」
地面に華麗に着地した黒体は立ち上がる。
黒い執事服を優雅に靡かせる少年、流川弥平は地に伏し粉々となったストリンパトロールの残骸を一瞥し、爽やかに額に滲んだ汗を拭う。
即興で打ち立てた戦略が上手く運ばせた矢先、弥平の表情から歓喜の念は速やかに消え失せる。
身を翻し、素早く本家領から離れんと再び``顕現``の技能球を握った。
どうして都合の悪い推測というのは、都合の悪い時に限って、極めて高い射撃精度で的の中心をものの見事に貫くのだろう。
自分の分析能力と思考能力の高さを恨めしく思いたくなる。やはり、黒幕たる流川佳霖の謀反をほう助したのは彼だった。
流川家に直属するストリンパトロールとストリンナイトが、流川家内部の者である自分に敵対してきたのが、言い逃れしようのない証拠だ。
とにかく今の装備と所持アイテムだけでは分が悪い。一度、分家邸に帰還し、対抗するための準備を整えてから―――。
『悪いけど、そうはさせないよ』
本家領を尻目に、技能球を使おうとした弥平の脳裏へ若々しい少年の声が響いた。
その声音には覇気はなく、声変わりすらまだ完全ではないごく普通の少年を想わせる。だが何故か、その一言にはいつになく確固たる堅い意志を滲ませていた。
技能球が光り輝いた刹那、地鳴りのような轟音と地震の如き揺れが、体幹を狂わせる。周囲の草木をへし折っていく音がひしめき、囀る小鳥達が怯えながら、その場を飛び去る。
生い茂る草木を掻き分け、へし折り、踏み潰し、彼の前に姿を現したのは、四本の足を持ち、ストリンパトロールと同じボディペイントがなされた多脚戦車。
前方に巨大な砲台を構え、背中には甲羅のように二基の副砲が垣間見える。
弥平は舌を打つ。距離を取ろうと後方に下がるが、背後からまた異様なプロペラ音が鼓膜を揺らした。
振り向くと、空中を飛行するドローンが数機、弥平を囲うように飛行している。
形状はストリンパトロールに似ているが、すぐに同型の別個体だと認識する。
ストリンパトロールよりも一回り大きい機体と白色のボディ、そして中心部をエメラルド色に輝かせる光。
なにより特徴的なのは、機体前方に花弁のような結晶体が、等間隔に回転している幾何学的形状をした主砲。
ストリンパトロールは排除したはずなのに、どこから湧いて出たのか。
更に弥平の左右後ろからはストリンナイトが数十体、青白い稲妻を全身に宿し、片腕が銃口になっている魔生物が数十体、全身が氷のように半透明で、前に立ちはだかる多脚戦車よりも巨大な体格を持つゴーレムのような魔生物が数体、うじゃうじゃと虫のように湧いてくる。
完全に物理的な退路を絶たれた。
技能球を発動しようとしたが、技能球から光は消える。弥平はくそ、と呟く。
眉間にしわを寄せながらも、深く、深く呼吸。
目を瞑り、高ぶった感情を抑えつつ、肩を竦ませながら、澄まし顔で言い放った。
「これは参りました。降参です」
流川弥平が気を落ち着かせ、己に下した判断はただ一つ。ナイフと魔導鞄を地面に捨て、両手を挙げる。であった。
『逃げないの? ``顕現``の技能球があるはずだよね』
その何者かは、まるで弥平を挑発するかのような口調で、問いかける。
感情が異常に昂ぶっているわけでもなければ、冷静沈着というわけでもない。
弥平の脳みそを経由して話しかけてくるソレに、並々ならぬ自信と、その自信に裏付けられた禍々しい悪意が含まれているのを、弥平は見逃さなかった。
「ここは本家領正門前。``転移阻止``を発動させるのは当たり前ですし、技能球による転移撤退をさせてくれるなら、私は無装備で貴方の所へ行ってさしあげますよ」
悪どく唇を吊り上げ、砲門を近づける多脚戦車を見上げる。
本家領は、敵性勢力の退路を完全に絶つため、相手に転移撤退の手段があるか否か問わず、本家領全域に、転移撤退、強襲を阻止する魔法を発動する。
これは、裏鏡水月を誘き寄せるために開催した祝宴会場で、分家派が用いた阻止系魔法`転移阻止``である。
これを突破できる者は、裏鏡水月のような、戦闘手段に超能力を持ちいる事のできる者。いわば``超能力者``しかいない。
『でも君なら転移撤退しなくても、僕の所まで行けばいいよね。一応、純血の血統を持つ者なわけだし』
尚も挑発的な言動を投げかけられるが、弥平の精神は、驚くほど冷静であった。
「前方にはストリンタンク、左右後方にはストリンアーミーを主軸とした魔生物部隊。殺す気満々じゃないですか」
弥平は両手を頭に組みながら、肩を竦める。
彼の目の前にいる多脚戦車はストリンタンク。前衛戦力用として開発された多脚戦車であり、本来、敵の本拠点や中継地点の破壊、敵軍の撹乱で用いられる。
物理防御と魔法防御に優れた性能を持つため、かなりタフだ。しかし、対人用として造られたわけではないストリンタンクは極めて動きが遅く、攻撃を回避する能力は持たないため、戦いたくなければ戦い自体を避けることは、容易にできる。
つまり、前方は手薄なのだ。ストリンタンク一体など、逃走を前提とするなら大した脅威ではない。
ただ問題は。
弥平は後方と左右に視線を投げる。
背後にはストリンパトロールの上位機、ストリンアーミーと、魔生物部隊がいる。彼らが問題だ。
ストリンアーミーは、索敵性能はパトロールよりも低い代わりに、魔法攻撃性能と物理、魔法防御性能をストリンタンク並みに引き上げたもので、パトロール譲りの飛行能力を加味すると、ストリンタンクよりも強敵になりうる。
ストリンタンクは攻撃と防御は強いが、動きは鈍重。破壊も回避も容易いが、ストリンタンクとほぼ同等の魔法攻撃能力を持ちながら、自在に飛行できるストリンアーミーからは、敏捷能力を強化する薬を飲まない限り、振り切れない。
破壊するしかないが、戦うとなればストリンタンクも相手にしなければならなくなるし、流石にタンクとアーミー、二つ同時に相手取るのは、今の装備とアイテムでは不可能だ。
それに、ストリンアーミー以外にも、敏捷能力に長けた魔生物はいる。
例えば青白い雷撃を全身に纏い、片腕が銃口となっている、体色が青く顔に巨大なくちばしを持つ人型の化物。
ストリンラギア。対人戦における前衛主戦力を目的に創造された、流川家直属強襲型魔生物。
敏捷能力はストリンアーミーの飛行速度を凌駕するばかりか、回避、物理、魔法攻撃能力も、ストリンタンクやアーミーなどの前衛魔導機を軽く凌ぐ。
もし真正面でやり合おうものなら、万全の装備と肉体強化を図った上で、刺し違える覚悟が必要になる。
今の自分で戦うのは、無謀以外の何ものでもない。
ストリンラギア以外にも、敵の侵略を徹底的に阻むために造られた、半透明の身体を持つ流川家直属侵攻阻害型魔生物メタレムに至っては、魔法、物理防御が高すぎて、仮に肉体強化を施しても打ち破れない。
足止めを食らえば、他の魔生物や魔導機の餌食になる。
これらを総括すると、自分一人で、なおかつ万全な装備も強化アイテムも無い状態で、彼の元へ行くのは現実的ではない。
はっきり言って、どうあがいても不可能だ。完全に、無駄な動きをしようものならその場で殺す。並々ならない殺意に満ちた虐殺的過剰戦力である。
「それで、どうするのです? 殺すならどうぞ。できれば痛みを感じる間もなく一瞬でしてくれると幸いです」
しゃがみ込んだまま、彼は作り笑いを絶やさない。脳内に直接話しかけてくる彼は、飄々とした声音で言った。
『そんな無駄な事はしないさ。僕は有能な人材をみすみす肉だるまにするような馬鹿じゃない』
「私を肉片にする事など、貴方はただ指示するだけで終えられる作業。むしろここで消しておいた方がよろしいのでは?」
『……僕を馬鹿にしてるのか。そんな事はしない。君は僕のために一生尽くすんだから』
「私の主人は澄男様ですよ」
『今はね。でももうじき、君の主人は僕になる』
「……どうしてでしょう」
『簡単さ。兄さんは、明日死ぬ。この世からいなくなるからさ。それまで、君は本家邸地下二階の牢屋にいてもらう』
「曲がりなりにも分家の当主を拘置するなんて、れっきとした謀反に他なりませんよ」
『そうだね。でも僕は本家の者だ。それに、僕が誰だか知らない君じゃないはずだし、僕の謀反なんて分家相手だろうとどうとでもできる』
「そうですね。貴方は現代社会の情報を牛耳る支配者であり、久々様を継いだ第二代ラボターミナル管理者。流川久三男様、ですしね」
弥平は謀反を企てた、その者の名を呼んだ。
流川久三男。
流川澄男の弟にして、ラボターミナルと、空と地上にある二つの軍事基地、そして本家領そのものの全管理権を有し、現代社会の全ての情報を支配する、情報化社会の王。
霊子ネットの最深部に住まう、現代の設計者兼管理者。
脳味噌の向こう側にいる久三男は、笑っているのか。嗤っているのか。どちらともとれる笑みとともに、言葉を紡ぐ。
『だから僕に謀反は適用できない。僕がここにいる限り、僕は世界の誰よりも強い』
「そうですね。困りました。分家派当主として」
『困る事ないさ。僕が正式に本家の当主になれば、君は密告すら許さない立場に置かれるし。悩む必要ないと思うよ』
悪意に満ちたフォローを返す久三男。弥平は深く息を吐く。
「澄男様が明日死ぬと仰ってましたが、それはどういう意味でしょう」
ずばりと核心を問う。
予想される手口はなんらかの手段を用いた殺害。だが澄男は今、ヴァルヴァリオン国を探しに北方遠征へ出ている。
久三男は立場上、ラボターミナルから出られないため彼直々に迎撃できない以上、どのような手段で澄男を殺害しようというのか。
竜位魔法などという超常を駆使し、数メガトン級の核兵器に匹敵する大量破壊をも起こした彼だ。普通の暗殺方法では決して殺せない。
『それは秘密。明日のお楽しみさ。地下牢にも映像中継してあげるからそこから見るといいよ』
そうですか……と力なく打ちひしがれるフリをした弥平は、ストリンナイトやストリンラギアたち魔生物部隊に担がれ、本家領へ護送されていった。
あくのだいまおうに続き、裏鏡の情報から、組織の黒幕は流川佳霖こと、澄男の父親であることが疑われている。
当然、その情報を鵜呑みにするほど馬鹿ではない。しかし結論から述べると、探査は難航している。
そもそも流川佳霖という人物に関するデータが、ほとんど存在しないのだ。
分家邸や本家邸内を調べまわったが、流川佳霖に関する情報は、自分が既に有している情報を逸脱しない、必要最低限のものばかり。
彼自身に踏み入った情報書類やデータは無く、ただ単に``流川佳霖なる人物が、流川家に名を連ねていた``程度の情報しか存在しなかったのだ。
本家派元当主、流川澄会に婿入りし、次期当主候補の流川澄男と流川久三男を生んだ実父ならば、出身地や経歴のデータが本家邸新館にあってもおかしくない。分家邸なら尚更だ。
分家派は流川家に名を連ねる者のみならず、流川家直系にあたる白鳥、水守に加え、流川と同等の立場にある他の五暴閥、隣国の巫市全域を支配する政府``統制機構``の情報など、全て持っている。
流川内部の人間であった佳霖のデータがほとんどないなどありえないのだ。考えられる原因は、何者かが佳霖のデータを消去した。もしくは最初から必要最低限のデータしか存在しなかった。の二通り。
言葉に出すなら簡単であれ、実行に移す事を考慮すると至難の技である。
流川家が保有している様々な機密データは、地上から遥か上空を公転する軍事航宙基地内の巨大サーバに保存されていて、追記や消去は本家にある流川本家直属軍事研究施設ラボターミナルからしか行えない。
ラボターミナルの警備は極めて厳重であり、あそこに踏み入れることが許されるのは、純血の血統を持つ流川家内部の者に限定されている。
確かに佳霖は、大戦時代より流川内部の者として名を連ねていたが、彼は水守家現総帥、水守璃厳の推薦で流川家入りした者。
つまり、厳密には余所者だ。
流川家は純血主義ではないが、信用ある傘下暴閥にも、決して重要な機密データを渡したり、閲覧する権限を与えたりしない徹底した秘密主義な暴閥。
本家入りするほど出世しようと、彼が余所者である以上、ラボターミナルに直接干渉し、己の素性に関するデータを消去する事は不可能だ。
無理に行おうとすれば、その時点で謀反とみなされ、理不尽な即死トラップの餌食となってしまうだろう。
となると、残る原因は一つ。
最初から最低限度の情報しか存在していない、になる。
「ですが、そんな事が、ありえるのでしょうか……」
弥平は顎に手を当て眉間にしわを寄せる。
精査された情報を利用する分家派。情報の入手から精査、管理まで全て行なっているラボターミナル。
そのラボターミナルが、佳霖の情報をほとんど有していないなど、ありえるのだろうか。
彼は余所者とはいえ、本家入りするまでに出世した男だ。身分を明かそうが明かすまいが、彼自身の素性の調査は行われたはず。
行なった上で、必要最低限度の情報しか得られなかったのだろうか。
いや、だとしたら本家入り自体不可能な話。澄会と結納し、二人の子供を身籠もる以前の問題になる。
彼が本家入りし、なおかつ澄会と結納できたということは、それだけ彼が信頼に足りる情報をラボターミナルが既に得ていて、当時の分家派、つまり自分の両親が、それを公式に認めたということ。
だが、現在サーバにあるだけのデータでは、当時の父が佳霖の本家入りを認めるはずがない。
頭の中で、思索がどん詰まりをみせる。
こういうときは、一から情報を整理してみる。推理において、先入観は御法度だ。
情報を入手し、それを精査、管理まで全て行なっているのは、本家派直属の地下研究施設ラボターミナル。
精査された情報を利用するのは分家派。
佳霖は水守家現総帥、当時の水守守備隊隊長である水守璃厳の推薦で流川家の傘下に入り、戦時は澄会の守護に徹していた。
その後は功績が讃えられ、守備隊副指揮から本家入りし、澄会と結納。流川澄男と流川久三男の二児を授ける。
これらを軸に、別の情報も参照してみよう。
佳霖の本家入りを承服したのは自分の父親にして、流川分家派現総帥。
父は当時、佳霖の本家入りに際して、ラボターミナルにある情報を参照し、佳霖に疑わしい経歴が無いかを確かめた。
そして佳霖は武力統一大戦時の功績が認められて本家入りを許され、本家派の当主に就いた澄会と結納できた。流川澄男と流川久三男という当主候補を授かる事もできた。
だとすると本家入り時点では、きちんとした経歴、戦績が存在していたということ。
そのデータが現時点でサルベージできないということは、本家入りした後に、データが何者かに改ざんされたということ。
ならば一度、ラボターミナルにスポットライトを当ててみる。
ラボターミナルとは、流川家の魔法技術、軍事技術、情報集積地の中枢。
流川家の中枢機関の一つであり、純血の血統を持つ流川の者しか立ち入る事が絶対できない、いわば流川家の聖域である。
またラボターミナルには必ず、世代ごとに専属の技工士が就任する習わしが存在する。
佳霖が本家入りしたときにラボターミナルを管理していたのは父の次男、自分や澄男、久三男から見て叔父にあたる流川久々である。
流川久々は、戦時から久三男が物心つくまで専属技工士に就いていた。
つまり佳霖のデータを入手し、精査したのは久々ということになる。
父に当時の話を聞くと、佳霖と関係が深かったわけではなかったらしい。
父は当時から分家派の邸宅におり、久々と佳霖は本家邸にいたため詳しい状況は分からないが、表層上はほとんど人間関係がなかったと話してくれた。
更に時は経ち、久々はラボターミナル専属技工士を離任。技工士の座は次期当主候補の久三男に託され、現在に至っている。離任後、久々は分家邸に隠居している。
ここまでの情報を頭の中に並べた弥平は、更に思索を走らせる。
単純に考えると、佳霖の経歴を改ざんできたのは久々ということになるが、何だ。何かが引っかかる。
この話からいけば、久々と佳霖が裏で手を結び、佳霖の指示もしくは久々の自発的行為で、ラボターミナルからデータを不正に改ざん。佳霖の経歴を一部、消去したことになる。
だが一体、何のために。
経歴をほとんど削除すれば、いずれは謀反の疑いをかけられる。佳霖も久々も、それが分からない愚か者ではないはずだ。
ならわざと。いや、それでも何のためにそんな事をするのかは明瞭にならない。
ただ自分の居場所を無くすだけの行為だ。実際、佳霖は既に謀反を企てた者として破門され、分家派が血眼になって彼を探している。
情報の不正改ざんが無ければ、証拠不十分で分家派は動かせなくさせることができたのに。何故、何故自分の命を自ら危険に晒してしまうような証拠を残す。
凡ミスだとでもいうのか。いや、だとしたら愚か以外の何者でもない。あまりにもあからさますぎる。
「いや…………待ってください」
弥平は立ち止まった。心臓の鼓動が高まり、執事服に汗が滲む。
直感だが、不正改ざんの犯人が閃いた。しかしながら本当なのか。いや、決めつけるのは良くない。もう一度、慎重に推理してみよう。
裏鏡から証言を得たとき、自分はある一つの仮説を立てていた。
それは分家派の捜査をかく乱させるため、敵首魁であるにもかかわらず、長い時間を経て培った信用を遺憾なく利用して、``敵組織の内通者``という先入観を、流川に与えたというもの。
あの先入観のせいで、佳霖はただの敵組織の末端程度か、もしくは事件に無関係な内部の人間だと思い込んで捜査していて、かなりのタイムロスを強いられてしまった。
アレに関しては、本当に自分の落ち度だと言わざるえない。裏鏡の証言を聞いて悟ったときは、苦虫を噛み締めた思いだ。
あの先入観を構築するには、かなりの時間と計画、そして戦闘力と実力が必要だ。そうでなければ余所者である以上、流川から門前払いにされるだけである。
しかし彼は門前払いにされるどころか、本家入りまで果たした挙句、当時の本家派当主であった澄会と結納を交わすほどの信用を手にした。
これらの事実から察するに、彼の根気強さと物事の企画能力は極めて高い。今回の経歴情報の不正改ざんも、おそらく何らかの``意図``があって行ったと考えてしかるべきだ。
つまり、ここからは経歴情報の不正改ざんを流川佳霖が意図して行った行為だと、あえて仮定して考え直してみよう。
改めて流川佳霖以外で得をする人物、正しくは``佳霖に代わり、不正改ざんをした者``は誰か。
まずは経緯のおさらいから。
三月十六日、澄男のガールフレンドである木萩澪華を十寺に殺害させ、澄会もなんらかの手段で殺害。
この事件を受け、流川は十寺の属している組織を探すため、情報収集を開始。
三月二十三日、あくのだいまおう達と出会い、最初の手がかりを入手する。
だが手がかり一つで総動員するほど流川は馬鹿ではない。手がかりを元に更なる情報収集を行う。
五月五日、暴閥界隈を対象に、身近な所から情報の再精査を澄男に提訴し、祝宴会という名の大規模な罠を裏鏡水月に対して仕掛けた。
そして裏鏡水月の証言から、黒幕は澄男と久三男の実父、流川佳霖ではないかという疑いが浮上した。
その疑いを元に、流川家のデータベースを検索したら、案の定。不自然にデータが消されていることが分かった。
そして今―――澄男と御玲は、あくのだいまおうと裏鏡の預言に出てきた``ヴァルヴァリオン``という地へ向かい、自分も更なる情報収集で外に出ている。
過程はどうあれ、ここまでの流れが、佳霖または情報を改ざんした人間のどちらか、もしくは双方が合同で描いたシナリオだったとしたら、一つの陰謀論を立てられないか。
黒幕である佳霖は流川から隠れたいのではない。逆に何らかの目的があって、流川に見つけて欲しいという陰謀論。そのために、情報を改ざんした人間はわざと分家派に悟られるような形の不正改ざんを仕込んだのでは、と。
だがここで、ならば何故ただの内通者であることを装い、分家の捜査を撹乱する理由があったのか、という疑問にぶつかってしまう。しかしそれは、すぐに見つかって欲しくない理由があったからだという答えで解決できる。
たとえば、アジトの建設が完璧ではなかったから、戦争準備や兵站確保もままならないまま流川に見つかって、攻め込まれでもしたら都合が悪いから、等。複数個の理由が挙げられる。
わざと分家派に悟られるような形の不正改ざんを残しているのだ。下手したらすぐに見つかってしまう可能性もある。ならばまず分家の捜査を撹乱させ、どうにかして不正改ざんから注意を反らす必要がある。
いずれ不正改ざんは見つかるが、それでもかなりの時間稼ぎにはなる。実際、分家は擬巖家をターゲッティングしていたせいで、佳霖はほとんどノーマークになっていた。厳密には捜査の優先順位を落としたというべきだが。
佳霖がいつから裏切る準備をしていたかは定かではないが、分家が佳霖に的を絞り始めたのは、裏鏡の情報を聞いたあの日。つまり五月五日からだ。
佳霖たちが流川に対し謀反を行ったのは三月十六日。それ以前から裏切りの準備をしていたと考えるのが自然なので、完全に分家は佳霖を過信したが故に出遅れたと言い訳を述べるしかあるまい。
とはいえ、なんにせよ最終的には流川にアジトと自分を、何の目的か知らないが、見つけて欲しい。そのために、血眼になって探している分家派を絶えず動かし続けていたい。
そのために、わざとらしい不正改ざんの痕跡を残したい。しかし、余所者の佳霖ではラボターミナルに侵入する事はできない。
つまり、ここで佳霖に代わり情報を不正に改ざんする人間が登場する。しかし謀反をほう助するのだから、膨大なリスクを背負うことに他ならない。
バレればその場で極刑の大罪である。
従って、佳霖に代わり情報を不正に改ざんする人間にとって、佳霖の情報を改ざんすることによって作られる``状況``が、極めて有利に働く必要がある。
では、現在の``状況``を整理しよう。
あくのだいまおうにも、裏鏡水月にも、本来なら絶対に知ることのできないはずの情報を既に有しているという超常的な共通点こそあるが、そのただものすごいところを度外視して証言そのものに焦点を当てるなら、彼らの証言には裏付けが全く無い。
ただひたすらに胡散臭いだけの預言である。
それを元に情報探査や、どこにあるかも分からない異種族の国に赴こうなどと誰が思うだろうか。
しかし、あの二人以外で有力な情報は無い。だからこそ、澄男がヴァルヴァリオンに行くと言い出したとき、自分は不安こそあったが引きとめはしなかった。
裏鏡水月の証言とあくのだいまおうの証言、どちらにも出てきたヴァルヴァリオンという謎の地名。
澄男も御玲も、そして自分も、二人の証言から出てきたその地名をただのホラではないかもしれないと認識して、宛てのない危険な国探しに赴くことを決めた。
つまり今、本家邸には誰もいない。自分も、裏鏡の証言と情報の不正改ざんについて調べるため、分家邸から外出している状態だ。
佳霖に代わって不正改ざんを行う事ができ、なおかつ本家邸に誰もおらず、分家邸にも当主が情報収集で不在であるという``今の状況``が得だと思える人物。
忌むべき逆賊として流川家に追われる膨大なデメリットがあることを知りながら、佳霖を除いて今の状況を極めて有利と思える人物。
つまり、何者にも監視されず、何者にも咎められず、自由奔放に動く事ができる流川家内部の人物は―――。
「や、やはり……」
考察の末、己が達した結論に震えた。
違うと信じたい。物的証拠も無いし、あるのは状況証拠だけ。ただの考えすぎで、自分の思索癖が性懲りもなく発動しただけだと信じたい。
でも、思い当たる人物は、やはりただ一人しかいないのだ。佳霖以外で、今の状況がとても都合の良いと思える人物というのは―――。
気がつくと、流川本家領の正門が視界に入っていた。
特に変わりばえのしない正門前。草木が均等に茂り、きちんと舗装された地面。掃除の行き届いた景色。いつもと同じ、自然に溶け込んだ本家領の姿があった。
だが何故だ。静かすぎる。景色は自然だが、雰囲気は不自然だ。嵐の前に漂う異様な静寂を想起させる。
おそるおそる正門へ近づく。気配を消し、警戒レベルを最大限引き上げる。気分は敵の拠点に潜入するかのごとく。
目の前にそびえる建物は、己が帰るべき場所にあらず。何故だろうか、もはや敵地にしか見えなかった。自分でも、自分の感覚を疑うほどに。
忍び足で近づく最中、身構えた。
左側から感じる不自然な強風。自然風ではない。例えるなら扇風機が発する風だ。それをかなり高出力にしたもの。
聴覚を研ぎ澄ませる。微かに聞こえるプロペラ音。極めて静音だが、それでもプロペラの存在は隠せていない。本家領周辺でプロペラ音。もしや。
即座にナイフを構える。
彼の周りには彼以外何もいない。だが彼は何もない、舗装された地面しかない所で、臨戦態勢を整えた。しかし、彼の行為は決して杞憂ではなかった。
【侵入者捕捉。敵対反応確認したため、捕獲モードから迎撃モードに移行】
草木を掻き分けて弥平の視界に現れたのは、白色のボディに覆われた小型飛行機。
いや、見た目を率直に述べるなら近未来的なデザインをした白色のドローンというべきか。
白色のボディに、ドローンは中心部から赤い光を発している。白は光を跳ね返す性質があるだけに、赤色光はドローンのボディペイントに馴染まず、空気中に放たれていた。
ドローンの真上にはトーラス状の魔法陣が描かれていた。どうやらあの魔法陣がプロペラ代わりだったらしい。``飛行``を推進力として、空を飛んでいるのだ。
まさに天使のような雰囲気を思わせるが、ドローンの前方に集束する光を見るやいなや、その発想は撤廃される。
あれは天使が放つ聖なる光などではなく―――。
「くッ」
対象を貫通し焼き尽くす、高出力レーザー光なのだから。
唐突に放たれたレーザーを華麗に回避する。
ドローンの正式名称は、ストリンパトロール。
流川本家領周辺に常駐し、無断侵入者や野生の魔生物を撃退、捕獲する魔導機である。
動力源はガソリン、軽油、況してや電気エネルギーにあらず。当然、魔法や魔術の原料である霊力だ。
霊力の使い方は、なにも魔法や魔術としてのみではない。文明が進み、魔法も魔術も、魔力という概念すら科学と差別化できなくなった現代、目に見えない摩訶不思議な力などではなく、応用の幅が極めて広い科学的エネルギーの一種にすぎなくなった。
魔導機とは、まさしく霊力を動力源に動く機械の総称なのだ。
ストリンパトロールから放たれるレーザー光線を避けながら、頭を回転させる。
ストリンパトロールの武装は、セミオートで放たれるマナリオンレーザー。霊力を媒介する素粒子マナリオンを一点に集束させ、それを光源にしてターゲットに放つフォトンレーザーの一種である。
霊力は原理的に肉眼では不可視のエネルギーだが、高密度に集束した霊力は極めてエネルギー密度が高いため、様々なエネルギーに姿を変え、肉眼で捉えることができるようになる。
最も分かりやすい姿が、光エネルギーとしての具現化だ。
レーザー光源の向きを見極めながら、絶妙なタイミングで回避し続ける。同時に、弥平を貫けなかったレーザー光は地面にめり込み、煙を出す。
よく見ると舗装された道路には穴が空き、レーザーが貫通した周辺は赤熱して若干融け始めていた。
マナリオンレーザーが有するエネルギーは極めて高く、当たった物体の熱運動を急激に促進させ、温度を爆発的に上昇させる。
マナリオンレーザーが照射された物体は一秒以内に数千度以上、出力によっては一万度を超える高温となり、耐熱性の高い合金ですら融解、蒸発させてしまう。
人間に照射すれば、内臓に致命的な火傷を負わせることができる代物である。
ストリンパトロールの装備しているマナリオンレーザーは、軍用装備であるため出力は非常に高く、霊力によるバリア―――すなわち防御系魔法である``霊壁``でもない限りは防げない。
貫通力も高く、物陰に隠れても、自分の身体を貫通してしまえるだろう。
外回りをしていたため、今はほとんど持ち合わせがない。傷を癒す即効性の回復薬を数本持っている程度だ。仮に回避ミスで照射された場合、受けてもいい回数は、かなり限られてくる。
「しかし……避けてばかりでは埒があきません……!」
弥平は遂に反撃を決する。
ストリンパトロールのマナリオンレーザーは、セミオート設計であるため連射できない。
必ず一発ずつの照射となり、次発照射までの間には明確なタイムラグが存在する。
接敵し、破壊するにはこのタイムラグを利用するしかないが、相手は``飛行``を駆使するドローンだ。
自分も``飛行``は使えないこともないが、霊力の消費が激しすぎる。
霊力回復薬は持っていないから、自分の容量だと限界まで搾り取って最大飛行時間は三分程度。使い果たせば動けなくなり、反撃手段はほとんどなくなってしまう。
一方、相手は流川本家邸新館から専用の霊力回復光線を受けており、常に霊力が補填されている。
つまり、飛行時間はストリンパトロールを破壊するか、本家邸を破壊しない限り無限。
本家邸は極めて装甲が堅く、持参している装備やアイテムでは傷一つつけることができないため、空を飛ぶドローンを破壊する他ない。
「しかしどうするか……飛び道具は持ってませんし……」
弥平はレーザーを避けつつ、魔導鞄をまさぐる。
あらゆる物体を貫通するレーザーを避けるため、常に動き続けなければならない中で、彼は一つのアイテムを手に取った。
それは白く輝く技能球。
確かこの技能球は、長距離移動にかかる時間を極限まで短縮するために支給された、``顕現``が込められた技能球だ。
唇をつり上げる。方法はこれしかない。
「それに……」
ざざ、と草木を掻き分ける微かな音を背後から聴覚が捉えた。
ストリンパトロールとは異なる気配。動植物が蠢いたときと同じもの。
「もう来てしまいましたか……」
顎から汗が滴る。
ストリンパトロールには、無類の貫通力を誇るマナリオンレーザー以外に、特筆するべきもう一つの固有能力がある。
彼の視界の右上、未だ距離は数百メトほどあるそこに、全身黄緑色のフルプレートメイルを着た鎧武者が、剣を片手に一人、二人と、弥平の所へじわじわと距離を詰めてきていた。
ストリンパトロールの固有能力とは、すなわち``敵対化``。
縦横高さ五十キロメトの矩形範囲内に存在する、全ての魔生物を迎撃対象に向けて敵対化させる霊子信号を発信する。
ここでの迎撃対象とは、すなわち弥平。あの鎧武者達は弥平を探しているのだ。
「しかし、ストリンナイトが既に数体来ますか……これは本当に時間がありませんね」
執事服の袖で、顔を覆う汗を拭う。
ストリンナイト。流川本家領を警護するため、人工的に創られた領地徘徊型の流川家直属魔生物。
直属魔生物の中では最下位に属する彼らだが、それでも全能度は一体で800を超え、なおかつ最も個体数が多い。
ストリンパトロールと連携した場合、数分以内に二十体を超える個体が群れを成して襲いかかってくる。
更に時間が経てば、上位の直属魔生物が出現するはずだ。その前にストリンパトロールを破壊しなければならない。
プロペラ音が大きくなる。隠れていた木陰から離れ、ストリンパトロールの方へ距離を詰める。
ストリンパトロールは索敵性能に特化した設計をしている。ラボターミナルからの魔法陣演算支援を受けて、探知系魔法の一種``逆探``を行使できる。
従って、どこに隠れようとストリンパトロールからは逃れられない。
速やかに敵を捕捉し、己より戦闘性能の高い魔生物に霊子信号を発信。確実に敵を迎撃する。それがストリンパトロールの本当の役目である。
背後からはストリンナイトも迫っている。
しかし彼らは索敵性能を備えておらず、目視以外では敵を察知する手段を持たない。
つまり、ストリンパトロールさえ潰してしまえば逃げ切るのは容易だ。
``顕現``が込められた技能球を握り、導入されている世界地図を脳内に読込する。
頭に浮かんだ唯一の方法とは、技能球を使った短距離転移強襲である。
ストリンパトロールのレーザーガンがセミオートである特性を逆に利用した戦略だ。
照射後は、砲身を必ず冷却しなければならないのと、光源作製にかかる時間を合計したタイムラグが存在するのは、さきほど話したとおりだ。
そのタイムラグ内では、ストリンパトロールは無防備状態になる。その隙を利用して、物理攻撃を加える。
ストリンパトロールの装甲は非常に薄い。自分の腕力と装備しているナイフなら、一撃で破壊できる自信はある。
飛行速度は速いが、転移強襲には流石に反応できないはず。
ストリンパトロールの前に姿を現わす。赤色光を放ち、甲高いサイレンを打ち鳴らすドローンは弥平に照準を合わせ、前方の砲身に光を籠める。
弥平は撃ってくれと言わんばかりに仁王立ち。回避のタイミングを見計らう。それと同時、背後から聞こえる草木を掻き分ける動物の気配が大きくなっているのを悟る。
着実に距離を詰めているストリンナイト。
まだ目視範囲に入っていないはずだが、目視範囲を考慮すると、チャンスは一度きり。
砲身から垣間見れる、光源が輝いた刹那が、勝負時だ。
草木を掻き分ける音とプロペラ音のみが支配する空間。弥平は五感を研ぎ澄まし、その瞬間を待ちわびる。
そして―――。
彼を目標に、高密度に圧縮された集束霊子は、瞼を思わず閉ざしたくなるような閃きを見せる光源から容赦なく放たれた。
同時に、弥平の姿は虚空へと掻き消える。
レーザーは空を割く。目標が予想しない挙動を見せたため、ストリンパトロールは、もう一つ魔法陣を重ね合わせる。
探知系魔法を使ったのだ。行使したのは``逆探``。
相手が魔法や魔術を使った際、その痕跡を分析して、相手の空間座標と肉体組成を割り出す魔法である。
だが、そのラグを見逃すような流川弥平ではなかった。
ストリンパトロールの真上から、陽光を遮る一つの影。それはドローンに覆い被さるように、一本の切っ先を振り落とした。
耳が痛くなるような高周波の音が辺りに響き渡り、甲高いサイレンと一瞬重なる。
ドローンはボディを異常に光らせるや否や、天から振り落とされた一矢とともに、粉々に砕け散った。
閃光と爆風が辺りを唸らしながら、爆心から黒体が弾き出される。それは空中で二、三回転しながら、舗装された地面に見事着地した。
「予想通りでしたね」
地面に華麗に着地した黒体は立ち上がる。
黒い執事服を優雅に靡かせる少年、流川弥平は地に伏し粉々となったストリンパトロールの残骸を一瞥し、爽やかに額に滲んだ汗を拭う。
即興で打ち立てた戦略が上手く運ばせた矢先、弥平の表情から歓喜の念は速やかに消え失せる。
身を翻し、素早く本家領から離れんと再び``顕現``の技能球を握った。
どうして都合の悪い推測というのは、都合の悪い時に限って、極めて高い射撃精度で的の中心をものの見事に貫くのだろう。
自分の分析能力と思考能力の高さを恨めしく思いたくなる。やはり、黒幕たる流川佳霖の謀反をほう助したのは彼だった。
流川家に直属するストリンパトロールとストリンナイトが、流川家内部の者である自分に敵対してきたのが、言い逃れしようのない証拠だ。
とにかく今の装備と所持アイテムだけでは分が悪い。一度、分家邸に帰還し、対抗するための準備を整えてから―――。
『悪いけど、そうはさせないよ』
本家領を尻目に、技能球を使おうとした弥平の脳裏へ若々しい少年の声が響いた。
その声音には覇気はなく、声変わりすらまだ完全ではないごく普通の少年を想わせる。だが何故か、その一言にはいつになく確固たる堅い意志を滲ませていた。
技能球が光り輝いた刹那、地鳴りのような轟音と地震の如き揺れが、体幹を狂わせる。周囲の草木をへし折っていく音がひしめき、囀る小鳥達が怯えながら、その場を飛び去る。
生い茂る草木を掻き分け、へし折り、踏み潰し、彼の前に姿を現したのは、四本の足を持ち、ストリンパトロールと同じボディペイントがなされた多脚戦車。
前方に巨大な砲台を構え、背中には甲羅のように二基の副砲が垣間見える。
弥平は舌を打つ。距離を取ろうと後方に下がるが、背後からまた異様なプロペラ音が鼓膜を揺らした。
振り向くと、空中を飛行するドローンが数機、弥平を囲うように飛行している。
形状はストリンパトロールに似ているが、すぐに同型の別個体だと認識する。
ストリンパトロールよりも一回り大きい機体と白色のボディ、そして中心部をエメラルド色に輝かせる光。
なにより特徴的なのは、機体前方に花弁のような結晶体が、等間隔に回転している幾何学的形状をした主砲。
ストリンパトロールは排除したはずなのに、どこから湧いて出たのか。
更に弥平の左右後ろからはストリンナイトが数十体、青白い稲妻を全身に宿し、片腕が銃口になっている魔生物が数十体、全身が氷のように半透明で、前に立ちはだかる多脚戦車よりも巨大な体格を持つゴーレムのような魔生物が数体、うじゃうじゃと虫のように湧いてくる。
完全に物理的な退路を絶たれた。
技能球を発動しようとしたが、技能球から光は消える。弥平はくそ、と呟く。
眉間にしわを寄せながらも、深く、深く呼吸。
目を瞑り、高ぶった感情を抑えつつ、肩を竦ませながら、澄まし顔で言い放った。
「これは参りました。降参です」
流川弥平が気を落ち着かせ、己に下した判断はただ一つ。ナイフと魔導鞄を地面に捨て、両手を挙げる。であった。
『逃げないの? ``顕現``の技能球があるはずだよね』
その何者かは、まるで弥平を挑発するかのような口調で、問いかける。
感情が異常に昂ぶっているわけでもなければ、冷静沈着というわけでもない。
弥平の脳みそを経由して話しかけてくるソレに、並々ならぬ自信と、その自信に裏付けられた禍々しい悪意が含まれているのを、弥平は見逃さなかった。
「ここは本家領正門前。``転移阻止``を発動させるのは当たり前ですし、技能球による転移撤退をさせてくれるなら、私は無装備で貴方の所へ行ってさしあげますよ」
悪どく唇を吊り上げ、砲門を近づける多脚戦車を見上げる。
本家領は、敵性勢力の退路を完全に絶つため、相手に転移撤退の手段があるか否か問わず、本家領全域に、転移撤退、強襲を阻止する魔法を発動する。
これは、裏鏡水月を誘き寄せるために開催した祝宴会場で、分家派が用いた阻止系魔法`転移阻止``である。
これを突破できる者は、裏鏡水月のような、戦闘手段に超能力を持ちいる事のできる者。いわば``超能力者``しかいない。
『でも君なら転移撤退しなくても、僕の所まで行けばいいよね。一応、純血の血統を持つ者なわけだし』
尚も挑発的な言動を投げかけられるが、弥平の精神は、驚くほど冷静であった。
「前方にはストリンタンク、左右後方にはストリンアーミーを主軸とした魔生物部隊。殺す気満々じゃないですか」
弥平は両手を頭に組みながら、肩を竦める。
彼の目の前にいる多脚戦車はストリンタンク。前衛戦力用として開発された多脚戦車であり、本来、敵の本拠点や中継地点の破壊、敵軍の撹乱で用いられる。
物理防御と魔法防御に優れた性能を持つため、かなりタフだ。しかし、対人用として造られたわけではないストリンタンクは極めて動きが遅く、攻撃を回避する能力は持たないため、戦いたくなければ戦い自体を避けることは、容易にできる。
つまり、前方は手薄なのだ。ストリンタンク一体など、逃走を前提とするなら大した脅威ではない。
ただ問題は。
弥平は後方と左右に視線を投げる。
背後にはストリンパトロールの上位機、ストリンアーミーと、魔生物部隊がいる。彼らが問題だ。
ストリンアーミーは、索敵性能はパトロールよりも低い代わりに、魔法攻撃性能と物理、魔法防御性能をストリンタンク並みに引き上げたもので、パトロール譲りの飛行能力を加味すると、ストリンタンクよりも強敵になりうる。
ストリンタンクは攻撃と防御は強いが、動きは鈍重。破壊も回避も容易いが、ストリンタンクとほぼ同等の魔法攻撃能力を持ちながら、自在に飛行できるストリンアーミーからは、敏捷能力を強化する薬を飲まない限り、振り切れない。
破壊するしかないが、戦うとなればストリンタンクも相手にしなければならなくなるし、流石にタンクとアーミー、二つ同時に相手取るのは、今の装備とアイテムでは不可能だ。
それに、ストリンアーミー以外にも、敏捷能力に長けた魔生物はいる。
例えば青白い雷撃を全身に纏い、片腕が銃口となっている、体色が青く顔に巨大なくちばしを持つ人型の化物。
ストリンラギア。対人戦における前衛主戦力を目的に創造された、流川家直属強襲型魔生物。
敏捷能力はストリンアーミーの飛行速度を凌駕するばかりか、回避、物理、魔法攻撃能力も、ストリンタンクやアーミーなどの前衛魔導機を軽く凌ぐ。
もし真正面でやり合おうものなら、万全の装備と肉体強化を図った上で、刺し違える覚悟が必要になる。
今の自分で戦うのは、無謀以外の何ものでもない。
ストリンラギア以外にも、敵の侵略を徹底的に阻むために造られた、半透明の身体を持つ流川家直属侵攻阻害型魔生物メタレムに至っては、魔法、物理防御が高すぎて、仮に肉体強化を施しても打ち破れない。
足止めを食らえば、他の魔生物や魔導機の餌食になる。
これらを総括すると、自分一人で、なおかつ万全な装備も強化アイテムも無い状態で、彼の元へ行くのは現実的ではない。
はっきり言って、どうあがいても不可能だ。完全に、無駄な動きをしようものならその場で殺す。並々ならない殺意に満ちた虐殺的過剰戦力である。
「それで、どうするのです? 殺すならどうぞ。できれば痛みを感じる間もなく一瞬でしてくれると幸いです」
しゃがみ込んだまま、彼は作り笑いを絶やさない。脳内に直接話しかけてくる彼は、飄々とした声音で言った。
『そんな無駄な事はしないさ。僕は有能な人材をみすみす肉だるまにするような馬鹿じゃない』
「私を肉片にする事など、貴方はただ指示するだけで終えられる作業。むしろここで消しておいた方がよろしいのでは?」
『……僕を馬鹿にしてるのか。そんな事はしない。君は僕のために一生尽くすんだから』
「私の主人は澄男様ですよ」
『今はね。でももうじき、君の主人は僕になる』
「……どうしてでしょう」
『簡単さ。兄さんは、明日死ぬ。この世からいなくなるからさ。それまで、君は本家邸地下二階の牢屋にいてもらう』
「曲がりなりにも分家の当主を拘置するなんて、れっきとした謀反に他なりませんよ」
『そうだね。でも僕は本家の者だ。それに、僕が誰だか知らない君じゃないはずだし、僕の謀反なんて分家相手だろうとどうとでもできる』
「そうですね。貴方は現代社会の情報を牛耳る支配者であり、久々様を継いだ第二代ラボターミナル管理者。流川久三男様、ですしね」
弥平は謀反を企てた、その者の名を呼んだ。
流川久三男。
流川澄男の弟にして、ラボターミナルと、空と地上にある二つの軍事基地、そして本家領そのものの全管理権を有し、現代社会の全ての情報を支配する、情報化社会の王。
霊子ネットの最深部に住まう、現代の設計者兼管理者。
脳味噌の向こう側にいる久三男は、笑っているのか。嗤っているのか。どちらともとれる笑みとともに、言葉を紡ぐ。
『だから僕に謀反は適用できない。僕がここにいる限り、僕は世界の誰よりも強い』
「そうですね。困りました。分家派当主として」
『困る事ないさ。僕が正式に本家の当主になれば、君は密告すら許さない立場に置かれるし。悩む必要ないと思うよ』
悪意に満ちたフォローを返す久三男。弥平は深く息を吐く。
「澄男様が明日死ぬと仰ってましたが、それはどういう意味でしょう」
ずばりと核心を問う。
予想される手口はなんらかの手段を用いた殺害。だが澄男は今、ヴァルヴァリオン国を探しに北方遠征へ出ている。
久三男は立場上、ラボターミナルから出られないため彼直々に迎撃できない以上、どのような手段で澄男を殺害しようというのか。
竜位魔法などという超常を駆使し、数メガトン級の核兵器に匹敵する大量破壊をも起こした彼だ。普通の暗殺方法では決して殺せない。
『それは秘密。明日のお楽しみさ。地下牢にも映像中継してあげるからそこから見るといいよ』
そうですか……と力なく打ちひしがれるフリをした弥平は、ストリンナイトやストリンラギアたち魔生物部隊に担がれ、本家領へ護送されていった。
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