無頼少年記 黒

ANGELUS

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愚弟怨讐編 下

対峙、兄VS弟

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 視界が暗転したのも束の間。


 気づけば見知った門の前にいた。立派に建てられた木造の門と、こっち側と向かい側を隔てる大きな壁は、忘れることが絶対できないくらい印象深い。いつもくぐり慣れたその門は、流川るせん本家領正門。我が家の入り口だった。


「は? 家ン中っつったのに」


「``転移阻止セレニウム・プラベンティオ``の影響でしょう。おそらく、転移では領内に入れません」


「チッ……クソが。ここから家まで結構距離あんぞ……」


 俺は門の向こう側を思い浮かべる。


 曲がりなりにもここは流川るせん家の総本山。領地は俺でも全部把握しきれてないくらい無駄に広い。多分行ったことすらない場所も、いくつかあるくらいだ。


 いつもなら``顕現トランシートル``の技能球スキルボールで行き来するから苦に感じないんだが、これは最悪家の敷地内で迷うとかいうクソみたいな状況になりかねない。どうにか近道はないものか。


「あーもうクソ!! 近道知ってそうな奴って久三男くみおしかいねぇじゃねぇか!!」


「近道はしない方がよろしいかと。おそらく魔生物兵に封鎖されているはずです」


「まあそもそも、俺たちがここに転移してきたことも多分……」


 悟られている。俺は直感でそう思った。


 久三男くみおは本家領全体における管理権を持っている。言ってしまえばこの領地そのものが、久三男くみおの部屋みたいなもんだ。


 自分の部屋に誰かが入ってきたら嫌でも気づく。それと同じ理屈で、アイツも俺たちの侵入をすでに悟っているはず。だったら次にアイツがやりそうな手は簡単に思いつく。


「兵の派遣……。変に隠れるより直接やりあった方がはえぇか……?」


「``隠匿ラテブラ``で迎撃を避けるべきです」


「お前本家領舐めんなよ。そんな小細工通じるか」


「ならばここの本家領総力を相手取る、と……? 勝ち目がありません!」


「でもそれしか家ン中に入る方法は無い」


「し、しかし……」


「要は俺がくたばるか、俺がアイツを止めるか。へへ、やっと俺のやりやすい戦いになってきたぜ」


 俺は首を捻り、指を鳴らす。


 二つに一つ。アイツが俺を殴り倒すか、俺がアイツを黙らせるか。簡単な二択だ。


 これこそ戦いにあってしかるべき概念。生きるか死ぬか、殺るか殺られるか。ただ違うとすれば、俺は奴を殺さないってところだけだ。


「さてさて……早速お出ましか」


 黄緑色のフルプレートメイルで身を包む片手剣装備の兵士と、片腕がヴァズみたく銃口になってて、全身から青白い電撃を走らせてる生物が、ぞろぞろと無尽蔵に姿を現わす。


 名前は忘れたが、屋敷の外からコイツらの姿は見たことがある。それに、修行のときにボコボコにしたことがある奴らだ。


「またテメェらをボコせるときがくるとはな。ガキの頃を思い出すぜ」


 俺は遠き修行の日々を思い出して笑みを漏らす。


 日夜、修行という名目でここの魔生物を暇つぶしがてらブチのめし、ババアにボコボコにされてた日々が脳裏に浮かぶ。


 あのときはただ遊び半分だったけど、今回はそうじゃない。愚弟に売られた喧嘩をそれ相応の値段で買い叩き店を物理的にブッ潰しにいく。だから、やるべきは一つだけだ。


「ウオラァ!!」


 ぞろぞろと敷地内から湧いてくる魔生物を、腰に携えていた焔剣ディセクタムで両断する。


 肉の焼ける匂い。吹き出す鮮血。夥しい数の大軍を前にしても、なぜか全然気圧される気はしなかった。


 どうして俺はここまで鼓舞されているんだろう。


 父親に辱められたから。弟に裏切られたから。


 否、ただ単に弟に負けたくない。喧嘩で負けたくない。


 俺にとって、この戦いは兄弟喧嘩であるのと同時に、絶対に負けられない戦いなんだ。今まで弟に勝ちを譲った事などないように、今回もまた勝ちを譲る気は毛程もない。


 正直流石に本家領直属の魔生物全員を相手取るのは無謀も甚だしいが、そっちがその気なら、その無謀をこなしてやるまでのことだ。


 切り刻まれる魔生物が地に伏していく中で、ぞくぞくとどこからともなく新手が湧いてくる。


 右から、左から、木の上から、草や木の茂みから。どれだけ切っても焼いてもキリがない。分かってはいたが、凄まじい物量だ。


水守すもり槍術そうじゅつ襲凍旋風しゅうとうせんぷう!!」


 突如、目の前にいた黄緑色のフルプレートメイルの魔生物に霜が降り、動きが鈍くなった。


 俺は身を翻す。切っ先が凍りついた槍を片手に、周囲の地面に雪を降り積もらせるメイド、水守御玲すもりみれいは槍から膨大な冷気を放出させる。


「言っとくが俺は行くぜ。勝ち目が無いから合理的に退がるってんなら勝手にするんだな」


「私は流川るせん本家派当主の専属メイド。当主の守護こそが、私の役目」


「だったらとっとといくぞ。コイツらは雑魚だ。全員殺してたら埒があかねぇ、突っ切るぞ」


 俺は黄緑色のフルプレートメイルの兵士に飛び上がり、頭から頭へと魔生物を伝って走る。


 見渡す限りの魔生物の大軍がひしめく。各々の魔生物が自由に動き回れるほどの間隔こそあるが、それが逆にちょうどよく、俺はリズミカルに頭から頭へと飛び移っていく。


 が、ただ一人、俺のペースについてこれてない奴がいた。水守御玲すもりみれいだ。


 目の前を立ちふさがる奴らを槍で薙ぎ払って凍らせていってるみたいだが、相手の方が圧倒的物量で攻めてきている今、あの程度の攻撃じゃどうにもならない。


 魔生物の頭伝いに飛び移ればいいものを、メイド服紛いの鎧を着ているせいで飛び上がれないんだろう。ここら一体を凍らせるぐらいの事をしないと無理なんだが、なんでしないのか。もしかしてできないのか。


「チッ!!」


 あんなノロマ、見捨ててしまえばいいのは分かってる。正直特になんの感情も持ってないし、向こうがこっちを突き放すような行動ばかりとってるんだ。ここでのたれ死んだところで、俺は痛くもかゆくもない。


 でも、なんでだろうか。


 ここでアレを見捨てたら、俺の中にある何かを捨ててしまうような気がした。それが何なのかは皆目分かんないけれど、直感的に捨ててはいけない、捨てたら俺じゃない別の俺になってしまうような、そんな気がしたのだ。


「``灼熱砲弾``!!」


 俺の手から放たれる火球。それは地面に着弾するやいなや、赤い炎が御玲みれいを取り囲む。しかし、魔生物どもは一切臆することなく業火の壁をすり抜ける。俺はあることを思い出し、舌打ちした。


「クッソ!! そういやコイツら、火が効かないんだった!! おい御玲みれい!! 俺に掴まれ!!」


 御玲みれいを取り囲む業火を前にして、フルプレートメイルの兵士と片腕が銃口と化した青白い生物は、怯むことなくじりじりと詰め寄る。


 これ以上距離を詰められると身動き取れなくなっちまう。俺は御玲みれいの腕を鷲掴み、再びコイツらの頭に飛び上がる準備をするが、御玲みれいが突然俺の袖を引っ張ってきた。


「なんだよ引っ張んな!!」


澄男すみおさま、私に名案がございます」


「はぁ……? なんでこんなときに」


「私を盾にお使いください。頭に飛び上がるのではなく、この包囲網を一点突破するのです」


「い、一点突破……? 盾……?」


「ですから、私が槍を構えた状態で前に立って、その状態の私を盾として使い、貴方が突進するのです!! それが一番確実です!!」


「あーもうなにがなんだか分からんが分かった!!」


 俺と御玲みれいは素早く前後を入れ替わり、御玲みれいは槍を構え、俺はメイド服を、背中から両手で鷲掴む。


 御玲みれいの身体を少し宙に浮かせた状態にして、突貫の用意を整えた。


「おい!! 俺はホントに突進するだけでいいのか!!」


「構いません。私はこうします!!」


 刹那、御玲みれいと俺を前から包み込むほどの白くて薄い膜が現れた。同時に地面も白くなり、凍てつくような冷気が肌を鞭打つ。


「これは……!」


 俺の脳裏に浮かんだ、数日前の記憶。それは``皙仙せきせん``こと裏鏡水月りきょうみづきが攻めてきたとき、御玲みれいが使った槍術そうじゅつ。切っ先を相手に向けた状態で突貫する大技だ。


「なるほど、そういうことかよ!! だったら全力でいくぞ!!」


「お願いします!! 水守すもり槍術そうじゅつ羅刹貫槍らせつかんそう!!」


「ウオラアアアアアアア!!」


 御玲みれいのかけ声と同時、俺はこれでもかという脚力をこめて、地を蹴った。


 俺が今、どんな状態なのか客観的に説明するのは難しいが、走る勢いと槍から放たれる大量の冷気によって、彼方へと吹っ飛ばされる魔生物が、続々と両脇を前から後ろへ流されていく姿が見えた。


 両腕から伝わる手応えは凄まじく、大量の魔生物が吹っ飛んでいってるのが伝わってくる。このまま俺ン家の玄関まで突っ切れればいいが。


「おい、霊力保つんだろうな!?」


 暴風で声がかき消される中、俺はできる限りの大声で問いかけた。


 そう、問題はコイツの霊力がどれくらい保つのか、だ。途中で霊力が切れれば完全にお荷物になってしまう。生半可に切れるなんてことはないと思うが、氷の膜とクソみたいな冷気をずっと放出してる状態だと、霊力の消費は半端じゃないはず。


「このまま玄関まで突っ切ることができれば、なんとか……」


 一抹の不安がよぎる。


 俺たちは正門から入ったが、本家領の面積はかなり広い。正門からすんなり玄関の戸を叩けるほど甘くはないのだ。中は侵入者対策で迷路のように入り組んでいるはずだし、トラップもいくつかあるはず。


 でも確か、正門からガチの直線距離で突っ切れば、そのまま玄関だと、久三男くみおだったかババアだったかが言ってたような気がする。本当の流川るせん家の跡取りならいけるだろうという意味合いで作られた緊急用の抜け道的な意味合いで。


 ウダウダ考えてる暇はねえ。一か八かの大博打、やってやるぜ。


御玲みれい!! このまま直線距離で突っ走るぞ!! スピード上げるけどいけるか!!」


「い……いけます!」


「っしゃあ!! だったら久し振りに本気で走ってやっかぁ!!」


 俺は脚に込める力をできる限り最大に高めた。


 本気で走る。それはまだ、ババアが生きてた頃の修行の日々以来だろうか。ババアに追っかけられて、全力で逃げたときだったっけ。


 あまりにも俺の走りが速すぎて、領地内に設置されたほとんどのトラップが反応できずブッ壊れるという大惨事が起きたが、あの頃よりも脚力は間違いなく上がってる。


 今は、あのときよりも速く走れる自信がある。正直、庭が粉々にならないか心配になってきた。


 なぎ倒される木々の音。鼓膜が破れそうになるほどの風圧。自分でも人外的速度で走っていると自覚できるが、それでも止まる気は無い。目指すは自分の家。玄関、ただ一点のみ。


澄男すみおさま!! 前方に大型の魔生物!! 半透明の……巨魁が!!」


「あぁ!? 確かそれは……」


 半透明で、巨体。


 多分それは、領地まで攻め込んできた敵勢力の前に立ちはだかり、敵軍を疲弊させる目的で造られた、ゴーレム型の魔生物。


 確かめちゃくちゃ堅くてうざったい奴だ。倒せないことはないが、できればスルーしたかったのに。


「一か八かだ!! このまま突っ込んでブッ壊す!!」


 方向転換などというクソ面倒なことをしてる余裕はない。御玲みれいの霊力が切れちまう前に、突っ込んで土手っ腹に風穴あけてくれる。


「ウオオオオオオオオオオオ!!」


 両腕から伝わる熾烈な衝撃。さっきまで猛回転していた足は止まり、腕からは勢いを押し返す力が加わる。


 やっぱり堅い。単純な防御性能が半端じゃないこのゴーレム型魔生物は、いつもいつもうざったく前に立ちはだかりやがる。


 だがこんなところで退く気は無い。こんな堅いだけの魔生物ごとき、粉々にしてやる。俺が目指すべき場所は、あの愚弟が踏ん反り返ってる場所だけなんだ。


「ふんっっだらばあぁぁぁぁぁぁ!!」


 氷の膜は一転。全てを呑み込む赤い炎へと豹変する。


 炎の勢いがロケット噴射のように彼の背を押すと同時、ばぎゃ、という音が鳴り響いた。腕が押し返される重圧から解放され、俺たちは勢いあまって地へ放り出される。


「痛ぇ……そういや御玲みれいは!?」


 思わず御玲みれいの名を叫ぶ。


 一点突破に集中しててアイツの身を案じるのを忘れてたが、大丈夫だろうか。死んでないと思うが。


 砂埃を払いながら辺りを見渡すと、俺から少し離れた場所に、御玲みれいは打ち捨てられたかのように地面に伏していた。


「お、おい生きてるか……?」


「ん……んぅ……」


 御玲みれいのメイド服は破けて、ほぼ散り散りになっていた。


 砂埃や火傷、打撲とかで無事とは言いがたい状態。霊力を使い果たした挙句、敵と正面衝突したのだ。むしろ俺の突貫にギリギリ耐え抜いてるコイツの身体は、意外と丈夫だったんだなと再認識する。


「私は……大丈夫です……まだ」


「いやいや……無理だろどう考えても。霊力も切れてるみたいだし」


「霊力など……無くたって……!」


「もういいお前は。あとは俺がやる。よくやったよ」


「いえ……私が倒れるわけには……私には流川るせん本家派当主を守護するという大義が……!」


「大義ってお前……」


 ずたずたの身体を細い両腕で持ち上げようとするが、もはや手も足も限界に達してるのが目に見えて分かる。特に腕はさっきのむちゃくちゃな突貫のせいで相当ダメージを負ってる。肌からは血が滲み、打ち身で青黒く変色していた。


「無理だ。諦めろ。第一、霊力切れを起こしてるんじゃ、ここから動けやしない」


 尚も立ち上がろうとする御玲みれいを、手で押さえつける。


 体内の霊力を短時間で使い切ったときの反動は凄まじい。一日動きたくなくなるような無気力感と、身体が今にも融けだしそうになるほどの疲労感が同時に襲いかかる。なおかつそれらは、霊力の上限が高い奴ほど強く表れる。


 御玲みれいの上限は分かんないけど、正門から玄関前までの距離、冷気を放出しながら走り抜けられるんだから、並みの魔術師が持つ霊力量と比較するのもおこがましくなるくらいの霊力を、一気に消費してる計算をしてもやりすぎじゃない。


 俺は横になるように誘導しようと身体に触れた矢先、御玲みれいは強く俺の手をひっぱたいた。驚いて思わず手を引っ込めたが、御玲みれいは俺の顔を強く睨みつける。


 今にも気絶してしまいそうなとろんとした瞳。俺の眼を睨むその眼差しは、酷く寒気を感じさせるほど、ものすごく冷ややかなものだった。


澄男すみおさーん。澄男すみおさーん?』


 微妙な空気の中、無言で視線を交わし合ってる最中に、一本の霊子通信。聞き慣れないガラガラ声が不快感を煽るが、不遜にも頭ン中で馴れ馴れしく話しかけてくるソイツに、意識を向けた。


『あのぬいぐるみどもの誰かだよな』


『オレっす、カエル総隊長っす!』


 あぁ、と俺は嘆息で返す。


 そういや御玲みれいをよく分からん魔法で回復させてた奴がいた。黄緑色をした二足歩行の蛙。片目を何故か眼帯で隠し、手足が異常に細長い生物。


『今テメェらに構ってる暇はねぇ』


『もうすぐそっちにヴァズが来ますんで、もし家の中に入れるんでしたら、早く入ってくだせえ!』


『……壊れてなかったんだな』


『そうなんすよ~。なんか突然起き上がって飛んでちゃって。パオングさん曰くそっちに向かってるっぽくて~』


『テメェらは何してんだ今』


『他のみんなはパオングさんの魔法で正門前。オレはヴァズに取りついてものすごく高い空を飛行中』


 なるほど、と呟き、俺は力尽きる寸前の御玲みれいを見下ろす。


 パオングとかいう奴の主な移動手段が転移なら、おそらく援護は期待できない。領地全体に転移を阻害する魔法が張られているからだ。


 俺らはなんとか突っ切ったが、同じことができるとは思えない。既に兵で囲まれているはず。


 となると、こっちに来るらしいヴァズとカエル総隊長。あの二足歩行の生物は、なにやらよく分からん回復魔法が使えるみたいだし、アイツに回復させるしかない。


 俺が回復魔法を使えれば話は早かったが、攻撃の、それも火属性の魔法以外に興味が無かったのが、仇となってしまった。


『お前、御玲みれいの回復頼めるか』


『はい? さっきしたっすよね』


『色々あって無理させちまって……瀕死だ』


『えー! 何したんすか、一応女の子っすよ』


『そうなんだが成り行きで……』


『まあいいっす。そっちにいけそうなのはオレだけなんで、とりあえず動かないように見張っててくだせえ』


『恩にきるぜ……』


『あ、それと』


 カエルが余韻を遮り、言葉を続ける。まだ話すことがあんのかと思いつつも、奴の霊子通信に耳もとい脳味噌を傾ける。


『あくのだいまおうの旦那から伝言っす。今の貴方でも倒せる程度に弱らせておきましたので、トドメはお任せしますね。ご武運を。だとさ。んじゃ』


 霊子通信は切られた。


 アイツを倒しておかないと、久三男くみおが作ったオモチャから逃げる事になってしまう。


 本当なら弱らせるのも自分でやるべきなのだが、今はクソ親父に変な薬をブチこまれてる状態だ。ハンデってもんだろう。


「チッ……」


 鳴り響くサイレン。木々をなぎ倒し、踏みにじる音。振り向かずとも分かる、全方位からの敵意。


 久三男くみおが作ったオモチャ的なやつらと、ゴーレム型の魔生物、片腕が銃口になってて雷を纏ってる奴の上位種みたいなのがそれぞれ数体以上。


 左も右も、前も後ろも囲まれた今、退路も進路も絶たれた。御玲みれいが戦闘不能状態になっててお荷物状態だし、果たして全方位を囲まれた状態で玄関まで行けるか。


 もう目と鼻の先だというのに、ものすごく遠く感じる。御玲みれいは瀕死である一方、俺はまだ体調的にも霊力的にも余裕はある。コイツら全員ブチのめすことはそう難しいことじゃない。


 だが問題は、御玲みれいだ。瀕死の御玲みれいを担ぎながらコイツらをぶちのめせるかは見当つかない。


 今まで魔生物狩りはただ一人だけでやってきた。その背には誰もおらず、ただただ目の前にいるモンスターを力の限り殺戮する。それで今の強さを手に入れた。


 まあでも人外と化した部分はクソ親父によって植えつけられた蜥蜴の細胞によるもので、俺自身はそれほど強くないのかもしれないが、目の前の雑魚モンスターと機械をブチのめすことくらいはできるだろう。いや、できるはずだ。


 俺たちとの間合いを、じりじりと縮めてくる雑魚ども。全方位を囲い、どこからでも八つ裂きにできるぞと脅してるかのように、俺への殺意をぐつぐつと高めていく。


 そのとき、一本の霊子通信が、再び脳味噌を掠めた。


『流石だ兄さん。なんだかんだでここまで来たんだね』


 カエルとは打って変わって、とても聞き慣れた声だった。俺は舌打ちをかましたい気持ちを抑えながら、冷静を装う。


『兄さんがここに来たってことは、僕を誅殺しにきたんでしょ? でも僕もただで死ぬつもりはないんでね。まだ抵抗させてもらうよ』


 久三男くみおが一方的に語った刹那、どごん、という爆音とともに、視界が砂塵で埋め尽くされる。


 凄まじい暴風と砂埃。まるで竜巻の近くにいるみたいな感じだ。どうということはないが、このタイミングでこんなことをする奴はおそらくアレしかない。


 砂塵が止み、山からの風で視界が晴れる。


 御玲みれいを担いだ俺の目前に立っていたのは、黄緑色の装甲と紫色の頭髪というクソみたいに特徴的な姿をした大男だった。顔の半分を覆い尽くすデカいバイザーが光り、じっと俺を見つめる。


 よく見ると胴体は欠け、右手のミニガンも破壊されてる。多分、あのぬいぐるみどもが壊してくれたのだろう。若干ボロくなってるような気がした。


澄男すみおさーん」


 ヴァズの後ろから、とてとてと二頭身の蛙がこっちに駆け寄ってきた。陽気に手を振り、身体の大きさとは不釣り合いながま口を開け閉めする。


御玲みれいさんをこっちに。``蘇・生``します」


「……よく分からんが頼んだ。あともう俺の手助けはしなくていい」


「え? まだオレ戦えますけど」


「これは俺とアイツのタイマンだ。手助けはいらねぇ」


 俺はカエルの返事を待たず、背中に背負っていた御玲みれいを引き渡す。


 まきこまれないように、できるだけ遠くに行けと指示し、俺は改めてヴァズと、そして脳に直接話しかけてくる久三男くみおと向き合った。


久三男くみお。俺はひとつだけ宣言しとく』


『ん? 説得じゃなくて?』


『最初はそのつもりだったが、テメェとの約束を思い出した今、それは必要無くなった』


『へぇ。覚えてたんだね』


『ついさっきまで忘れてたがな』


 俺はおもむろに空を見上げた。


 今から十年くらい前、アイツがオモチャの試作品とかなんとか言って道場に転がり込んできたあの日。


 俺は確か、そんなことできるはずがねぇ、とテキトーにあしらって黙らせたけれど、今回の戦いで、コイツの覚悟と努力が本物だということが分かった。


 カオティック・ヴァズがなによりの証拠。俺は、ぬいぐるみどもと御玲みれい弥平みつひらの助けがなけりゃ、おそらく生きて帰れなかった。力こそ全てと豪語してきた俺だが、今回の戦い、自分の圧倒的な力だけでは乗り切れなかった。


 俺は舐めていたのだ、実の弟を。だからこそ、今日は―――。


『お前とサシでやり合うことにする。ルールは一つ、どっちかが負けを認めるまでブチのめす、それだけだ』


『ブチのめす? 殺す、じゃなくて?』


『ああ。だから俺は宣言する。俺はお前を殺さない。殺す前に、テメェをブチのめす』


 霊子回路は静まり返った。不自然と言っていいほどの沈黙が脳味噌を支配する。少し間が空いて、けらけらとしたか細い嗤いが漏れた。


『殺すと公言してる人にただブチのめすだけなんて、丸くなったんだね兄さん』


『そんなつもりはねぇよ? もう俺に二度と喧嘩売れないほどのトラウマを植えつけるからな。もしかしたら死んだ方がマシだったと思うかもしれねぇぜ?』


『負け惜しみもここまでくるとお笑いだ。僕が敗北する要素は無い。仮にヴァズが負けても、僕直々にトドメをさしてやるつもりだからさ』


 ヴァズの背後から青白い球体が現れた。ぷかぷかとシャボン玉みたく浮くそれは、どんどん透明度が上がっていき、中から人影のようなものが見えるまでに透き通る。


 薄く青白く輝く球体の中には、白衣を着た、天然パーマ風のボサボサヘアをした野郎が座っていた。


 太陽の光で輝くメガネの縁。瞼の下にできた隈と、黒く淀んだ瞳の持ち主は、球体状のカプセルの中から、地上にいる俺を見下ろす。


「おいおい、いいのか? 戦闘能力皆無のクソザコが、こんなど真ん中に出ちまってよぉ」


「構わないさ。ヴァズで弱らせた後、僕がトドメをさすからね」


「相変わらず卑怯で姑息な奴だ。正々堂々とブチのめすっていう漢気はねぇのかっての」


「悪いけど、僕は合理主義者だから。力や才能、漢気とか義侠心があっても、結果が出せなきゃただの無能だからね」


「だったらその言葉、のしつけて返すぜ!!」


 俺は力強く踏み出した。


 さてどうするか、なーんて考える気はさらさら無い。もう答えなんて出てるんだ。要は目の前に立ちはだかる久三男くみおが作ったオモチャをぶっ壊し、カプセルん中でのうのうと踏ん反り返ってるクソ久三男くみおをブチのめす。ただそれだけだ。


 テメェが情報だの理論だの論理だので突き進むんなら構わねえ。それで俺を殺るのも構わねえ。だったら俺はその逆を行く。


 俺は今までどおり純粋なパワーで。そしてテメェが俺を殺すってんなら殺す前に殺す気が起きなくなるほどブチのめす方向で。


 悪いが俺は、臨機応変に長いものに巻かれて難を凌ぐとかいう利口な生き方はできねぇ性分なんだよ。分かる必要はねえ。分からねえなら分からせる。分かるまでぶん殴る。ただ―――。


「ただ、それだけだぁぁぁぁ!!」


 右拳で放った渾身の一撃。さっきまでの身体の気怠さが嘘みたいだ。だったら好都合、カオティック・ヴァズだかなんだかしらねぇが、邪魔するってんならブッ壊す。


 右拳で殴れば、左拳、左拳で殴れば、右拳。反撃の隙を与えるな。銃口を構えさせるな。肩から放たれるレーザーで血肉を焼かれ割かれようが殴れ。殴って殴って殴って殴って殴り続けろ。オモチャが壊れる、その瞬間ときまで―――。


「損傷多大。武装破損。他武装検索。実行不可。抵抗不可。自律自爆提訴」


 刹那、ヴァズの胸辺りが神々しく光り始めた。


 今コイツ、自律自爆って言ったか。畜生面倒くせぇ、ロボットなだけにちゃっかりしやがって。抵抗できないと思えば自爆で何もかも灰燼にするってか。


 そうかそうかいいだろうテメェがその気なら俺にも手がある一度もやったことがねぇがやるしかねぇ。


「オモチャ風情が俺ン家ブッ壊してんじゃねぇぞガラクタがァ!! だったらテメェの霊力全部受けとめてやらァ!!」


 自分でも分かる。言ってることは支離滅裂で、滅茶苦茶だってことは。


 だがンなことどうでもいい。相手が無茶苦茶押しつけてくるってんなら俺も無茶苦茶を押しつけてやるまでのこと。霊力炸裂させて何もかも消滅させるのなら、俺はその霊力を全部受け止めて吸収して回復するぐらいの無茶をやってやる。


「さあ来ぉぉぉぉぉぉぉい!!」


 腹の底から、心の底から、喉が枯らすくらいの大声で叫んだ。


 光量がどんどん上がる。もはや瞼も開けていられないほどに明るくなり、俺は思わず瞼を閉じる。そして、ついに―――。


 肉という肉、臓物という臓物、骨という骨。それら全てが一気呵成に沸騰する。もはや痛いとも熱いとも言えない暴虐の激流。


 叫ぶことも、名を呼ぶことも許されない。常識の範疇を超えた絶大な霊力の放出は、感覚が死にかけている俺の肌を微かに刺激する。


 だが何故だろう。俺は不思議と意識を保てていた。


 今にも身が焼け、裂け、木っ端微塵になるかもしれないってぐらいの凄まじい状態にさらされてるってのに、俺は外へ弾け飛ぼうとしてる霊力を、二本の手と、二本の足、そして一本の胴だけで抑えつけようとしている。


 今までこんなどデカい霊力と真正面からぶつかりあったことなんかない。精々つむじ風だとか、落雷だとか、火球だとか、そんな程度のものでしかなかった。


 これはそれらの比じゃない。言っちまえば暴力そのもの。力の権化みたいなもんだ。


 でもだったらちょうどいい。目には目を、歯には歯を。テメェが暴力なら、こっちはそれ以上の暴力で押し返す。


「ぬぅぅぉおぉおおおおおおお!!」


 押し返す。押し返す押し返す押し返す押し返す。


 感覚としては、ボールを握りつぶす感じに近い。ぶっくぶくに膨れた風船を力の限り抱きしめて破裂させる感じに近い。


 腕、足、そして腹筋。力を込められる部位全ての筋肉にありったけの力をブチこむ。


 がっしりとした手応え。目が潰れていても分かる、霊力の塊が小さくなっていく感覚。


 これは、いける。このまま力の限り、押し潰す。


 ヴァズの体内から炸裂した霊力の塊はみるみる小さく、縮んでいく。光量も次第に小さくなり、目を開けても問題ないくらいに、それは野球ボール大の塊と化したのだった。


「ふぃー。いっちょあがり!」


 気づけば、上半身の服は吹き飛びズボンはズタズタになっていた。身体も煤だらけ、肌はリンゴみたく真っ赤に腫れ上がっていて、じんじんしていたが、アドレナリンが出てたせいなのか。あまり気にならなかった。


 むしろそんな細かいことよりも、初めてクソみたいにデカい霊力の塊を封じ込められたことに、言葉にしようのない高揚感を得ていた。


「……相変わらず、化け物すぎるよ。兄さん」


「そうなの? よー分からんが、そいつぁ良い事聞いたな」


 俺はまじまじと指の上に浮く野球ボール大の霊力球を見つめる。


 霊力のボールは爛々と輝いていた。まるで、夜空に浮かぶ星の一粒を、すっごい力で圧縮したような感じの物体だ。


 正直綺麗だし、記念として取っときたいぐらいだが、気を抜いたらまた破裂しそうだし、久三男くみおに投げつけたら多分アイツ死ぬだろうし。どうするべきか。


「……そうだ。腹も減ってるし、色々連戦して疲れたしな。食っちまうか」


 初めてのことを達成した影響なのか。自分でも素っ頓狂なことを言ってる自覚はある。


 でもこれ、見方を変えればわたあめに見えなくもないし、青白く光ってて熱いから身体あったまりそうだし、見た目的になんか甘そうだし、ひょっとして食ったら腹の足しになるんじゃないだろうか。


 正直こんなもん持ったまま久三男くみおと殴り合うのは面倒くさくてやってられないし、誰かに預けるつっても適任がいないんじゃ、食うしかないよな。


「兄さん……? 今なんて?」


 俺の発言に困惑してるんだろう。カプセルから身を乗りだし、思わず問いかけてきた。俺は真顔で霊力の塊を掲げながら、言った。


「言葉のとおりだ。腹減ったから、これ食う」


「く、食うって……いや兄さん、それ霊力の塊だよ!? それも大国の一個や二個、一年くらい普通に養えるくらいの!!」


「腹減ってるし、疲れてるし、いけるいける」


「いや腹減ってるとか疲れてるとかそんな問題……はっ! ま、まあ? それで兄さんが死んだら? ぼ、僕の不戦勝ってことになるから? 勝手にしたらいいと思うけど?」


「うん。だから勝手に食べる」


 俺は霊力の塊を口に近づける。大きく口を開け、俺は野球ボール大のそれを、口いっぱいに頬張った。


 口の中で咀嚼し、噛み砕き、舌で転がし、そして喉へ運んでいく。何者の発言も許さない空気が、場を支配した。


 俺は黙々と霊力を食べた。それは生まれて初めての行動に相違なく、死ぬんじゃないかという不満よりも、霊力ってどんな味すんだろうというものすごく俗物的な疑問が先走る。


 俺は胃の中に熱いものが入り込んだことを感じて、横柄に唇を拭った。


「正直言って、味ねぇわ」


 初めて口にしたものとしては味気ない。それが霊力を食べた感想だった。


 食感は柔らかくて口にしたら溶けてすぐ液体みたいになっちまったぐらいだ。正直好んで食いたいか、と問われたら、全くそんなことはないと答える代物だった。


 でもひとつだけ、言えることがある。


 奥底から湧き上がる何か。それはとても瑞々しくて、熱くて、身体の中で炎が燃え滾ってるような感覚が、脳を貫いていく。


 烈火のごとき炎。言い換えれば、力っていうやつなのかもしれない。元気っていう奴なのかもしれない。


 今までの気だるさとか、悩みとか、疲れとか、それらが全て消し飛んで、今すぐにでも目の前に踏ん反り返るクソ愚弟をブチのめしたい欲望が、ふつふつと俺の体の全てを乗っ取ろうと手を伸ばしてきやがる。


「嘘……そんな……! そんなことって……! あの霊力を受け止めただけじゃなく……吸収したっていうの……!?」


「みてぇだなァ……おかげさまでこれまでにないほど滾ってらァ……!」


「くっ……! でも、僕は負けない!! 僕が、この僕こそが、世界で一番強いんだ!!」


 久三男くみおは再び霊力のバリアを展開する車椅子みたいなポッドを巧みに操り、空高く飛び上がった。


「空中戦かァ!! いいぜ、俺はお兄ちゃんだからなァ!! 弟の得意な戦場で戦ってやんよォ!!」


 俺は足にこれでもかという力を押し込めた。


 これがまた不思議。力を押し込めた瞬間、俺の予想を遥かに違うスピードで、俺は天高く舞い上がった。


 重力に逆らったときに起こる上からの力で、頭が参っちまいそうになったが、興奮してるのか、力が奥底から漲ってくるのか。俺の意識は、不思議と平常を保っていた。


「……ん!?」


 久三男くみおを中心に巻き起こる旋風。それはどんどん勢いを増し、地上の草木や空を覆う雲をも巻き込んで、巨大な風の巣を作り出した。


 凄まじい風圧。雲をも巻き込んだ巨大旋風は、雲を無理矢理集結させて暗雲を作り出し、青白く光る何かが目に見え始める。


 もはやただの雲じゃない。雷を起こし、全てを焦がす巨大な雷雲。地上から巻き上げた草や木、砂塵を尽く黒焦げにしていくそれは、俺から視界を奪い、久三男くみおの位置を見事に撹乱していく。


 久三男くみおが作り出したのは、自分を中心に何もかもを巻き込んで作り出した竜巻。ここはまだ山奥にあるからよかったものの、もし人がたくさんいる街中だったなら、間違いなく人間もろとも、街を尽く更地にしていたことだろう。


 自爆によるヴァズの霊力を吸収し、更に力を増した俺でさえも下手すりゃ巻き込まれちまいそうになるぐらい、風と雷の猛襲が、俺を痛めつけてくる。


「くそがぁ……! 面倒な技使いやがって!」


 俺は顔をしかめながら、叫ぶ。


 砂塵や雷雲、焦げた木々の成れの果てが邪魔で、久三男くみおの位置がわからない。どうせアイツのことだ。自分の位置をわからなくして、俺を攻めあぐねさせる作戦だろう。どんな攻撃だって、当てられなきゃ意味は無いんだから。


 コイツの魂胆はわかってる。伊達に来たるべき戦いのために修行してたワケじゃねえ。


 俺は竜巻へ右手をかざす。右手の平から現れた、青白く輝く小さい球。竜巻の千分の一くらいしかない大きさのそれは、竜巻と打って変わって、穏やかに輝きながら、右手の平でゆらゆらと動く。俺は唇を吊り上げた。そして。


「吹っ飛べ!! `灼爆煉輝弾しゃくばくれんきだん``!!」


 俺は目にも止まらぬ速さで百八十度、身を翻す。


「え!?」


 そこには、いつのまにやら背後に回り込んでた久三男くみおが、面食らった顔で俺を見ていた。


 しかしンなことはどうでもいい。俺は容赦なく、非力な実の弟に対して小さいが濃縮された霊力の塊を、力一杯投げつけた。


 久三男くみおに避ける暇などない。渾身の腕力で投げつけられた霊力弾は、まっしぐらに久三男くみおの車椅子へ突っ込んでいき、そしてその儚い一生を、巨大な打ち上げ花火として大々的に終える。


「馬鹿が!! あんな手に引っかかるほど俺は間抜けじゃねぇぞ!! 舐めた真似してくれたなァ!!」


 俺は空を揺らす勢いで怒号を放つ。


 久三男くみおがやったのは実に大げさで、実に幼稚な手だった。


 竜巻を起こして自分の位置を撹乱させ、竜巻に気を取られてる隙を狙って背後から強襲。といったところか。


 たしかに竜巻を発生させて、それそのものをブラフに使ったワケで、大概の奴ならこれでいけたかもしれない。


 でも相手が悪かった。相手はなんたって、この俺だ。


 俺があんな竜巻ごときでたじろぐワケがない。今更街の一つや二つ、小国の一つや二つ、一瞬で消しとばすような災害なんぞどうってことないんだ。


 裏鏡りきょうとの戦いで、そんな大規模破壊すら及びもつかないクソチートの存在を、身を以て知っている。俺の目の前に瞬間的に現れるとかなら多少は意表をつけたかもしれないのに、わざわざ背後に回るとかいう漫画やアニメでありがちな隙のつき方しやがるから余計バレバレなんだ。


 これは多分、アイツと俺の、実戦経験の差。アイツの発明は確かにすごいが、前衛になるのを放棄したせいで、こういうやるかやられるかの読み合いには慣れてない。それが今回のミスの原因だ。


 いくら裏でコソコソとチートアイテムやらチート戦力で押し込もうと、元々あった格闘センスに、実戦経験を積んで更に磨き上げた俺には敵わ―――。


「ぐぉ!?」


 突然、左胸に不自然な熱さを感じ取った。


 視界がぼやける。平衡感覚が崩れる。


 左胸に手を当てた。手からは熱いような、でも冷たいような液体がどくどくと流れ出る感触が支配し、それを見ようとした刹那。


「ごほっ……!」


 俺は咳き込んだ。思わず口を拭う。拭った手の甲を見てみた。そこには、朱色の液体が、色濃く塗りたくられていた。


「馬鹿はそっちさ!! 言ったじゃないか!! 僕は無駄ってのが大嫌いなんだよ!!」


 俺は再び身を翻し、殺意を込めた視線を奴に浴びせる。


 竜巻はブラフ。そして、竜巻に注意を向けている隙に背後に回ったのもブラフ。


 おそらく俺には理解できないテクノロジー的ななにかで、俺に幻を見せてたんだろう。


 左の胸に焼けるような痛みが走り、なおかつ背後から前面へ、貫くように光の柱が通ったあたり、霊力をものすごく細く凝縮して撃ったレーザーか。


「舐めやがって……! そんなしょーもねぇのでくたばる俺じゃねぇぞ……!」


 どくどくと血が流れ出ている胸を手で押さえ、力を込めた。


 普通なら意識が遠のいてもおかしくない致命傷のはずだが、今の俺は興奮でもしているのか。むしろさらに力が湧いてきて今にもアイツをブチのめしたい気分が増している。


 それに俺は何故だか傷の治りが異常に速い。はっきり言って小さい頃からそんなだったが、三月十六日、十寺じてらに八つ裂きにされたときも、もはや使い物にならなくなった足が、一瞬にして治ったのがその証拠だ。


 流石に心臓をブチ抜かれたのは初めてだったが、正直この分だと大丈夫そうだ。


 俺はゆっくりと左胸に添えていた手で左胸を撫で、唇を吊り上げた。久三男くみおにレーザー的な何かでブチ抜かれた穴が、リアルタイムで綺麗に塞がっていくのを確認して。


「し、心臓撃ち抜いたのに……生きてる……!?」


 驚愕に満ちながら、でも恐怖が散りばめられた声音が心地よく鼓膜を撫でる。


 そりゃそうだ。誰だって心臓撃ち抜かれたら死ぬ。死んだと確信する。常識的に考えれば、疑いない``人間``の摂理ってやつだ。その摂理に、人間、というか普通の生物なら逆らう事なんざできないだろう。


 皮肉なもんだ。どうやら俺は、幸か不幸か、その摂理から外れちまってる存在らしい。


「おいどうした。俺を殺すんじゃなかったのかよォ……? もしかしてビビってんのか?」


 俺は弟の戦意を煽る。久三男くみおは顔を左右に振り、平然を装うかのように、ガンを飛ばしてくる。


 余裕ぶってるようだが、アイツのツラを十六年も見てきた俺なら分かる。


 額に流れる脂汗。過呼吸気味の息遣い。血走る眼球。


 今まで裏でコソコソやってたのが、調子乗って前に出てきたまではいいものの、ことごとく予想外に見舞われてどうしようもなくなった現実に打ち震えてるってサマが、手に取るように分かる。


 これが相手を手のひらで回してるって感覚なんだろうか。 


「前から化け物級だと思ってたけど……やっぱり……!」


「なにグダグダしてやがる、とっとと来いよ、殺れよ、壊せよ。それがテメェの目的なんだろ?」


「そ、そうさ……! 兄さんを倒せば、ぼ、僕が世界で最強なんだから……!」


「うんうん陰キャのテメェの割にはよくやったと思うぞだからさァ早く来いよ来ないなら俺からいくぞ?」


 久三男くみおは歯噛みし、バリアを張られた透明移動ポッドの中で、キーボードをカタカタ打つかのような仕草をすると、アイツの周りに白い球っころが一、十、百と、数えるだけクソ面倒になる量の霊力弾が、どこからともなく現れる。


 俺は思わず、顔をしかめた。


「あぁん!? テメェ舐めてんのか? そんなミソッカスな霊力弾で俺を殺れるワケねぇだろうがよ!!」


 腹の奥底からパワーとは違う、じわじわしたもんが別に湧いてきた。それはドス黒くて、粘っこくて、禍々しくて、でも俺の人生を語る上で外せない慣れ親しんだ感情。


「クソ親父といい、愚弟といい、クソ寺といい、御玲みれいといい……どいつもこいつも舐めた真似しやがって……!!」


 小さく、掠れるような、でも濃厚で野太い声音で、俺は呻くように呟いた。


 クソ親父はホント、想像以上のクズだった。


 十寺じてらは相変わらず、人間が持つカスの部分の集合体みたいな奴だった。


 御玲みれいは俺のことを嫌ってるってのを態度でバリバリ示してる癖に、いくら言っても本音を話そうとしないノロマだった。


 そして、いつからか家の地下で引きこもり修行という修行をロクにせず、よく分からんものばかり作ってコソコソやってたと思ったら俺を殺すとか言いだし、その割に舐めた真似しやがる愚弟。


 どいつもこいつも舐めすぎだ。いっそのこと、一気になにもかもブッ壊したくなってくる。


 俺を殺す? その割に殺気が全然ねぇんだよ殺すんならもっとそれを態度で示せ俺を怖がらせるぐらいしろや曲がりなりにも俺の弟であのクソババアの血をひいてんだからさ殺すとかほざくならもっと圧倒してみせろよむしろテメェよりあのヴァズとかいうやつの方が殺気あったぞつか殺気の塊だったわその割に生みの親のテメェはなんだ言ったんなら言ったことを果たせ果たせねえなら黙って裏でコソコソしてろ正直ここまでチキンでヘタレだとマジで消し炭にしたくなってくるじゃねぇかなんで流川るせんの血ひいてんのにコイツこんなに弱くてヘタレで陰キャで無能なんだああ不愉快不快で胸糞悪くてたまらねえ興が冷めそうだクソッタレ。


「行け!!」


 久三男くみおの掛け声が鼓膜を掠めた。俺は上を向く。


 降り注ぐ、視界一帯を覆う霊力弾の雨。その一つ一つは大したことはない。とはいえ、この物量だ。百個は下らない数の霊力弾が降り注げば、庭が大惨事になるだろう。


 別に家の庭がどうなろうとどうでもいい。そんなもんに元々関心なんざないし、むしろ消し飛んだなら眺めが壮観になる。


 でも、地面に倒れたアイツが―――。


 俺は自分の中に湧く``甘さ``に舌を打つ。面倒くせぇし俺に何のメリットもないが、所詮ただの気まぐれがてら、やってやるか。


 むしろそうした方が久三男くみおの絶望に満ちた顔が見れるかもしれねぇし。俺はアイツを殺すつもりはないんだ。ただ殺すなんざそれこそ甘い。


 殺して欲しかったと思わせるくらいのトラウマと絶望を植えつける。それがこの戦いの、俺の目的―――。


 俺は霊力を足に集中させ、ロケットみたく噴射させる。


「まるでアニメや漫画の主人公にでもなった気分だぜ。こうも簡単に空って飛べるんだな」


 俺は平然と、特に何のためらいもなく霊力弾の雨へ突っ込んでいく。


 久三男くみおがなにを考えてんのか分かんねえが、俺を殺すにはあまりにもふざけた攻撃だ。恐れる必要も価値もない。家の庭の大半を更地にできても、この俺を殺すには全然足りねえ。


 視界がどんどん白くなっていく中、霊力弾の雨との距離をどんどん縮めていく。俺を殺しにくる、その距離まで―――。
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