サマネイ

多谷昇太

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第四章 得度式と鏡僧侶

寺はここではない

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いや、もっと正確に云えばそのいまだなんの実体もないいい加減な自信が、他人との絡みのない、悉皆自分オンリイの、マスターベーション的なそれと知るのが嫌だったのだろう。いまから思えばそれを認めることが、つまり自他から指摘されて剥がされるのが恐く、嫌だったのだと思う。それどころか井の中の蛙で逆に他人や社会を弾劾さえしていたのだった。畢竟、表面的には前記したごとく、彼のA・ランボーが故国フランスをヨーロッパを遺棄して、自他から逃げ出したのとそれはよく似た心理劇だったろう。もっとも述懐がアブストラクト過ぎて読者にはよくわかるまい。追々具体的に処々で述べ行くのでいまはご勘弁…。
とにかく、ではここで先に割愛してしまった、修行先の寺がマーブル・テンプルからここワット・パクナムに変更されたしまった辺りのことを当日にさかのぼって述べよう。云われた3日後に山本僧侶のもとへ行ってみると確かに今度は狸寝入りなしで俺を迎えてくれのだが、しかしいきなり意外なことを聞かされることとなった。つまり寺の移籍と担当が変わることだがそのわけを彼は聞かされていないようだった。いったい斯くも数多きタイの寺寺なのだが、それらを統括する何らかの機構でもあるのだろうか?宗派は一様ではないらしいがしかしたかが日本人の一介のサマネイのために、いかなる計らいがそこで生じたと云うのだろう?あとからそれを思えば不思議に思わないこともない。しかしとにかく移籍は間違いないようでそのままその話に移ると思いきや「くわしい話は飯を食ったあとで」とでもするかのように、いきなり托鉢に同行を促された。
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