バー・アンバー 第一巻

多谷昇太

文字の大きさ
66 / 100
第六章 桃畑

閣下、ご無事でーっ!

しおりを挟む
洞窟の左右上下いっぱいに広がった紙の山はしかしあたかもそこが無重力空間ででもあるかのようにどれもみな空中にフワフワと浮いている感じなのだ。かまわずに俺はそこに突っ込む。乱舞する紙の山を両手で掻き分けながらとにかく奥へ奥へと進んで行く。しかし背後からはさきほどのチンピラではなく、今度はなぜか完全武装した軍隊と思しき一団が追って来る気配がする。これが霊界の不思議なところで見えずともすぐにそうと分かるのだ。そう云えば地獄の恐怖の所以はそれが何であろうと当人が〝思えばすぐに現象化する〟ということなのだが、そうと思い出したのは後日のことでいまはただただ恐怖の虜そのものでしかなかった。このザマをもしミキやイブが見るならばさぞや俺を見損なうだろうがしかし前言したようにイブもミキも悉皆失念してしまい、思い出すことさえなかった。人が眠って夢を見るときその夢中では現実の自分をすっかり失って夢中のPTO、シチュエーションにすっかりはまってしまうということも俺は前に云った。で、だからいまがそれなのだ。地獄で恐怖を抱くことほど危険なことはないのだがこの見地からすると俺は100%アウトだった。「閣下!」紙の山中から突然一人の兵士が現れた。旧陸軍の三八銃と思しき銃を捧げ銃(つつ)して「閣下、ここはわたしが食い止めます。このままお逃げください」と上奏するように俺に云う。その顔は汗と泥にまみれており負け戦の只中にいるような姿である。ただその表情はこの俺を信じている、崇めているとでも云いたげな真摯で必死な面持ちだ。しかし何のことかわからず俺は彼をろくに見もしないで奥へとただ逃れて行く。すぐに彼は紙の山で見えなくなったが背後から「閣下、ご無事でーっ!」と最後の言葉を送ってよこした。あさましきまでの我が身だけという、自分さえ助かればというザマを露呈しつつ、紙の山を(おそらく今の兵士を簡単に倒してしまうだろう)背後から迫りくる軍団に隠れ蓑にするかのように、掻き分け掻き分け投げつけながら、俺は猪突〝猛逃げ〟して行く。するとその紙の山から今度は洞窟内のまた新たな十字路と思しきやや開けた場所へと飛び出した。紙の山は背後に乱舞していてそこ以降にはもはやないようだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく… なお、スピンオフもございます。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...