台本の外の僕らは、まだ演じ方を知らない

宝来ななな

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「言葉にできない」

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 結城蒼(ゆうきあお)は暗い教室の真ん中に立たされていた。
 教室は暗幕を下ろしたようで、とても暗い。
 蒼が教室に入ってくると、クラスメイトたちは一様に狐の様な目をして蒼を取り囲んでいる。
 教室は蒼が眩暈がするほど騒がしい。
 クラスメイトたちは蒼を吊し上げた。
「反論もしないなんて、あんたしゃべれないの?」
 一人の女子生徒が嬉しそうに口角をニヤリと切り上げた。
 切りあがった唇からは、蒼を切り裂く言葉しか発しない。
「台本も覚えてないのかよ。それでもプロなのかよ?」
 違う! 蒼は頭を抱えた。
 仕事を舐めてたわけじゃ無い。
 蒼は反論しようとすればするほど、声が出せなくなる。まるで金魚の様に、口はぱくぱくとひらくが声は出てこない。
「お前、調子こきすぎじゃね?」
 幼い頃からずっと一緒で、親友だと思っていた裕太が蒼を馬鹿にする様に言った。
 違うっ。
「違うっ!!!!うるさいっ……"Shut the hell up! All of you!"(うるせぇっ!みんな黙れっ!!)」
 叫んだ勢いで蒼は、飛び起きた。
 部屋には、はぁはぁと浅い呼吸音しか聞こえない。
 叫びすぎたのか、喉はひりひりとして声は出てこない。
 辛い記憶のせいで、うまく頭が回らない。
"Oh God... it was just a dream."(ああ………、夢だった…)
 
 蒼は被っていた掛け布団を体に巻き付けると、震える指で両肩を抱いた。
 少し遅れてぴぴぴ、ぴぴぴという電子音が鳴る。
 蒼は大きく息を吸った。
 浅い呼吸が少しずつ整っていく。
   最近は日が出ている時間が長くなり、この時間でもカーテンの隙間から明るい光が入ってくる。
 都内中心部の一戸建て。蒼の部屋はその家の中でも一番小さい部屋だが、十五畳程度の広さでモノトーンで統一されている。部屋の隅に机とギターが置かれていて。さながら、高級な独房だ。
 蒼は目頭を両の親指で軽く揉むと、覚悟を決めたように体を起こす。
「今日も学校か………」
 窓を開けるとランニングやペットの散歩をしている人に混ざってちらほらと出勤途中らしい疲れたサラリーマンが見える。一様に生気の無い顔をして、虚ろな瞳で駅に向かっている。
「なんで朝なんて来るんだろうな」
 誰に問う訳でもなく、蒼は独り言を言って学校への支度を始めた。


「蒼、おはよう。今日もご飯は食べないの?」
「無理。ごめん」
 階下に降りると、蒼の母が立っていた。昔は女優だったこともあり、朝五時台だと言うのにすでに化粧を終え、身支度は完璧だった。
「成長期なのに……、蒼。また痩せたでしょ」
 心配そうに母は蒼の顔を撫でる。蒼はくすぐったそうに首をすくめた。
「テスト後はいつもこんなじゃん」
 でも…。と言葉を続けたそうな母の前を通り過ぎると、蒼は家政婦の田中からカバンを預かるとすぐさま家を出た。玄関前には蒼のお抱え運転手の佐藤がにこにこと笑顔で車のドアを開けて待っていた。
「おはようございます。蒼ぼっちゃま」
「おはよう。佐藤さん」
 佐藤の笑顔に引っ張られる様ににこりと笑い返すと、座席シートに沈み込む。ベッドの様にふかふかでは無いが、大きめのベンツのシートは177センチの男子高校生を眠気に誘う程度には寝心地が良い。
 ブルっと携帯が震えた。
 ラインのメッセージが1件。本日渋谷で18時。これだけの短いメッセージだ。
 送信者は蒼が長いメッセージを嫌うことを熟知した上で、メッセージを送ってくれていた。蒼は幼稚園、小学校、中学校をインターナショナルスクールで卒業した。しかもその学校は、基本的に海外から日本に親の出張などでやってきた純粋に英語圏の人間が多い学校だった。そのせいで、蒼は日本語でのやりとりが上手ではない。一応とか、なんとなくとかの日本語特有の曖昧さが理解できないからだ。
「佐藤さん。今日は帰りに渋谷で仕事が入ったから。学校から渋谷駅まででお願いします」
「わかりました、18時からですね」
 佐藤さんは前を見ながら返事をした。今年で還暦を迎える佐藤さんは、これまでずっと我が家のお抱え運転手をしてくれている。正確な運転で、うちに就職した時から三十年以上事故を起こしたことがないという、数いるお抱え運転手の中でも安全運転のエキスパートだった。
「あと…」
 蒼が声をかけようとした時だった、先のコンビニですよね。と好々爺は笑った。
「あ、ああ」
 蒼は照れ臭そうに笑うと、目を閉じる。学校と仕事の両立は時間のやりくりが難しい。どうしても睡眠を削らないといけない場合がある。昨日やっと定期テストが終わった蒼は、少しの時間でも回復を狙って目を閉じた。
「蒼ぼっちゃん。ぼっちゃん」
 佐藤が蒼に声をかけると、蒼はゆっくりと目を開けた。
「ん? コンビニ?」
 そうですよ。と佐藤がにこにこと笑いながら、車の扉を開けた。
 蒼は目をこすると、コンビニに入っていく。その背中はまだ寝ぼけているかの様で、なかなか覚束ない。蒼も自分の足取りがしっかりしていないのを自覚しているのか、よれよれとコンビニのいつものサンドイッチの場所に向かった。
 ツナサンドと牛乳パック。蒼は基本的にはいつもこのメニューだった。仕事で食事制限が入る場合はメニューが変わるが、高校に入ってからはこのメニューで落ち着いている。
 蒼の通う私立明誠学園は、国内屈指の中高一貫の男子校だ。
 東大に現役で合格する学生も多く、文武両道をモットーに進学コースと体育コースで別れている。中学の頃から在学している生徒を内進生、蒼たちの様に高校から入学した生徒のことを外進生と呼び区別される。都内に広大な敷地を有し、快適な教室、セキュリティの高さが売りで、当然学費も年間三百万以上はかかるらしく、生徒は基本富裕層の子息だった。そんな中で、特待生に力も入れている。特待生は学年席次十番以内の生徒には全額学費無料だ。そのため、そこまで学費を準備できない家庭の子供でも優秀であれば明誠学園は受け入れていた。またアルバイトは自由だが、アルバイトをする生徒も席次十番内にいなければならないと言う校則があった。そのせいで、蒼は早朝6時から登校し、特待生と一緒に自習を始めなければならなかった。
「なんで、こんなきつい思いしてバイトしてんだろう。俺」
 蒼はツナサンドを握りしめながら深いため息を吐く。
蒼がレジに向かおうと振り返った時だった。
「あ。あの。大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?」
 優しい低めの声の店員が声をかけてきた。
「え。あ。はい。大丈夫です」
 蒼は初めて店員から声をかけられたので、びっくりしてしまった。足早にレジに向かうと、こっそりとさっきの店員を盗み見る。蒼より十センチほど大きそうで、胸板もしっかりある。雄というのがしっくりくる様な、制服の上からもわかる立派な体躯の男だった。
「新しく入った人かな?」
 蒼は車に乗り込むと、佐藤さんに伝えるほどでもない声で呟いた。
「コンビニで何かありましたか?」
 コンビニから出発しながら佐藤が聞いた。
「いや。すごいガタイの良い店員さんが居たからさ」
 そうですか。と佐藤は続けた。
「常連のぼっちゃんが知らないと言うことは、新しく入られた方かもしれませんねぇ」
 そんな話をしているうちに蒼を乗せたベンツは学校に吸い込まれていった。

 まるで病院の診察室の入口の様な軽さの扉を開けると、すでに教室の半分くらいの席は埋まっていた。この時間の自習は一日のなかでもしっかり自習する時間が取れるコアな時間のため、特待生たちは必死に勉強をしている。そのため、声を上げることは絶対に禁止だった。挨拶なんてもっての外だ。蒼も極力を音を出さない様に席に座ると自習を始める。得意な理系の科目を数科目進めると、時刻は八時五十分をすぎていた。もうすぐHRが始まる。蒼は、解放された気分になって教室から抜け出した。

「蒼ーっ! おっはよぉ」
 教室を出て、教室棟と理系棟を結ぶスロープを少し行ったところで、蒼の友人の田島光が声をかけてきた。

"Hey. Morning. You just got here?"(おはよ。今来たとこ?)

"I got to school earlier, but I didn’t really feel like going to class yet… so I stayed in the library with a book."(ちょっと早く来てたんだけどね、教室に行くのはまだいいかなって。本、読んでたんだ)

 光は中学校を卒業するまで海外で暮らしていた帰国子女で、蒼が英語の方が好きなことを理解してる唯一の仲間だった。二人きりの時は、英語で返してくれる。

"Oh, I see. I was just super sleepy... so I left class for a bit."(……そうなんだ。俺、めっちゃ眠くて……教室出てきたわ)

 目を擦るジェスチャーをしながら、蒼が光に返す。

「本当大変だね。バイトしている人は」
 休憩時間のチャイムが鳴り、特待生たちもぞろぞろと教室をでてきたので光は日本語に切り替えた。
「本当。俺なんでこんな思いをしてまで、バイトしている理由が自分でもわかなんないんだよ」
 困惑した表情の蒼に、光はにかっと笑いかける。
「蒼は好きなんだと思うよ。その仕事」
 そう言われて、蒼は教室へ向かう足を止めた。
「そう、なのかな?」
「そうだよ。そうじゃないと、こんなに頑張っている意味わかんないよ!」
 蒼よりも十センチほど背が低い光は、少し背伸びをして蒼の鼻の頭を指で弾いた。
「蒼って、思ったよりも鈍感なんだね!」
 いたずらっ子の様な顔で笑う光に、蒼もつられて笑った。


 教室へ戻ると、光と一緒にいた時の様な穏やかな空気は無くなった。
 うちのクラスは進学志望者が多く、高校二年生だと言うのにすでに教室の中は受験モードだ。休み時間に勉強をするのは当たり前。もし誰かと話したい場合は、教室の外に出るのが暗黙の了解だった。
 みんながみんな、自分のためだけに打算的に動くエゴイスト。
 そこには友人を作ろうなどという人間的なことを思う人間は居ない。高得点者に対する妬み、嫉み、あわよくば周りの人間を陥れてやろう。そんなことしか考えられない、蒼とは到底価値観の違う人間が四十人も集められていた。
「もっと青春できる学校に入学したら良かったな」
 受験生当時は、人間関係が希薄な校風に憧れて入学したはずだったのにな。と蒼は誰に言うでもなく呟いた。
「まぁ、人間って勝手な生き物だからね」
 HRが終わったあと、カバンを持った光が蒼のところに一目散に飛んできた。こんな教室に居たく無いのは光も同じな様だった。
「今日はこれからバイト?」
「いや。なんか、坂井さんが事務所に来てくれって言うから。今日は渋谷の事務所」
 へぇ、とこの一年で蒼の動きを把握している光が首を伸ばして蒼を見た。
「事務所って珍しいね。いつも現場集合なのに」

"Seriously though, why do we have to meet at the agency of all places?"
(マジでさ、なんでよりによって事務所なんだよ?)

 そうだよね。って光も首を縦に振った。それくらい、坂井さんが事務所に蒼を呼ぶのは珍しいことだった。
「でも。ま。もう渋谷なんてすぐだし、あんまり大したことじゃなかったりして!」
 いたずらっ子の表情をして、光は笑った。
「ま、面白い話しがあったらラインする」
 了解! と言って光はばいばーいと自分の家の車に戻っていった。
「ぼっちゃま。お待ちしていました」
 車の扉を開けた佐藤に会釈をして、俺は車に乗り込んだ。
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