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十二の月
7、親友の質問
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任務終了から一日が経った午後、雪華は久しぶりに薫風楼へと足を運ぶことにした。
しばらく藍良に会っていなかった。そろそろ顔を見せないと、次会う時に怒られるだろう。
「――あ、雪華様! お久しぶりですね」
「ああ。元気そうだな、春蘭。……藍良、いるか? 前もって文は出しておいたんだが」
「はい。自室にいらっしゃいますよ。『しばらく音沙汰がないから、死んでるんじゃないかと思った』ってプリプリしてましたけど」
「はは……ごめん」
薫風楼を訪れると、いつものように春蘭が出迎えてくれた。少し大人びたようにも見える彼女に取り次ぎを頼み、支度前だという藍良の部屋の戸を開ける。
「――失礼する」
「あら、雪華。思ったより早かったわね」
「支度前の方がいいかと思って。久しぶりだな」
親友の妓女はこちらに背を向けて二枚の羽織を真剣な目で見つめていた。雪華の来訪に振り返ってちらりと顔を確認すると、また羽織へと視線を戻す。
「それ、今日着る装束か?」
「そう。冬物の色の重ねって苦手なのよねぇ。どっちがいいと思う?」
「迷ってるなら、春蘭にでも選んでもらったらどうだ? 私に聞くよりは参考になると思うが――」
雪華が普段着ている衣服は、任務で動きやすいよう特別にあつらえたものだ。
雪華自身は気に入っているが色合いも形も一般的ではないため、普通の女性の感覚と自分のそれが微妙にズレていることを本人も自覚していた。しかし藍良は首を振って軽く溜息をつく。
「駄目よ。あの子、年の割に渋好みだから地味な色ばかり選ぶのよ。せっかく可愛い着物を着させてるのに、どうしてああなっちゃうのかしら」
「はは……。じゃあ、この季節なら白と紅がいいんじゃないか。藍良にもよく似合う」
「『雪の下』か。悪くないわね。……なによ、ちょっと会わないうちにずいぶん風流になっちゃったじゃない」
「そんなことないよ」
目を丸くした藍良に手を振り、雪華は断りもなく腰かけた。……なんのことはない。ここ半月の女官生活で、すっかり刷り込まれてしまっただけだ。
「結構長い仕事だったの? 航さんもこっち、来てないみたいだったし」
「ああ、少し骨が折れるやつだった。……ありがとう」
茶を淹れてくれた藍良に礼を言い、ありがたくすする。
藍良には自分の仕事のことは詳しく話していない。だが裏稼業同士、うすうす気付いている節もあるのだろう。
それでもこの友人は、雪華の仕事を詮索することがない。それをありがたいとも申し訳ないとも感じながら、何気ない風を装って問いかける。
「最近、客の方はどうだ? 何か変わったこととか困ったことはないか」
「変わったこと? ……そうねぇ、会合目的で利用する官吏が少し多くなったかしら。前から薫風楼でもよくやってたけど、いい加減に他の場所でやってほしいわね」
「……荒れるのか」
「そんなことはないけど……」
龍昇の言葉を思い出し、眉をひそめる。……やはり、官吏連中の間にも何かしらの動きがあるのかもしれない。戦の舞台にはならずとも、陽連も治安が悪化するかもしれないと言っていた。
「……気を付けろよ。政治的な話題には、あまり関わらない方がいい」
「関わらないわよ。興味ないもの。この街で安全に仕事ができるなら、上が何をしててもあたしたち妓女には関係ないわ。ただ街や国が荒れてお客がいなくなるようだと商売あがったりだから、そこのところはしっかりやってほしいけど」
「たくましいな」
指で銭の形を作り、藍良は形の良い唇を歪ませた。向かいに腰を下ろすと雪華の顔を眺め、ぱっちりとした目をきょとんと瞬かせる。
「あんた……なんか、感じ変わったわね」
「え?」
「なにかしら……。ああ、悲しくなるぐらいに欠けていた女らしさが、少し出てきたって感じかしら。うん。あんた、ちょっと女になったわ」
藍良の微笑に雪華は苦笑で応えた。褒められているのか貶されているのか、微妙なところだ。
「ちょっとか……。そういや部下にもそんなこと言われたけど、別に何もないよ」
「本当に?」
よく手入れされた指を組み、藍良が下からこちらを窺う。どんな男でも堕ちずにはいられないという流し目を受け、雪華は苦笑を深めた。
「本当だって」
「嘘。――分かった。あんた、恋しちゃったでしょ。少なくとも、気になる人ができたって感じ」
「またそれか……」
藍良お得意の質問に、雪華は頭を振った。いつもならそれで「もう!」と引き下がる藍良だが、今日は雪華をじっと見つめ続ける。そして紅を引いた口を開くと思いがけず真面目な表情で続けた。
「雪華。興味があるって気持ちを、自分で否定するのは良くないわ。可能性を消しちゃってる」
「え……」
「子供じゃないんだから、自分の気持ちぐらいちゃんと肯定してみなさいよ。素直になって――それで、あたしに話してみて?」
最後だけ、小首を傾げて藍良が笑った。陽連一の美妓が浮かべた悪戯娘のような笑みに、雪華も思わず毒気を抜かれる。
「……藍良は卑怯だな。私は女なのに、いま一瞬ときめいてしまった」
「あたしにときめいてどうすんのよ……。あんたが今ときめくべきは、違う人でしょうが」
一転して呆れたような視線を向けられ、雪華は小さく笑う。茶を一口含むと、素直な気持ちで親友へ告げた。
※次話から個別ルートに完全分岐します。また、挿絵は終了となりますのでご了承ください。
しばらく藍良に会っていなかった。そろそろ顔を見せないと、次会う時に怒られるだろう。
「――あ、雪華様! お久しぶりですね」
「ああ。元気そうだな、春蘭。……藍良、いるか? 前もって文は出しておいたんだが」
「はい。自室にいらっしゃいますよ。『しばらく音沙汰がないから、死んでるんじゃないかと思った』ってプリプリしてましたけど」
「はは……ごめん」
薫風楼を訪れると、いつものように春蘭が出迎えてくれた。少し大人びたようにも見える彼女に取り次ぎを頼み、支度前だという藍良の部屋の戸を開ける。
「――失礼する」
「あら、雪華。思ったより早かったわね」
「支度前の方がいいかと思って。久しぶりだな」
親友の妓女はこちらに背を向けて二枚の羽織を真剣な目で見つめていた。雪華の来訪に振り返ってちらりと顔を確認すると、また羽織へと視線を戻す。
「それ、今日着る装束か?」
「そう。冬物の色の重ねって苦手なのよねぇ。どっちがいいと思う?」
「迷ってるなら、春蘭にでも選んでもらったらどうだ? 私に聞くよりは参考になると思うが――」
雪華が普段着ている衣服は、任務で動きやすいよう特別にあつらえたものだ。
雪華自身は気に入っているが色合いも形も一般的ではないため、普通の女性の感覚と自分のそれが微妙にズレていることを本人も自覚していた。しかし藍良は首を振って軽く溜息をつく。
「駄目よ。あの子、年の割に渋好みだから地味な色ばかり選ぶのよ。せっかく可愛い着物を着させてるのに、どうしてああなっちゃうのかしら」
「はは……。じゃあ、この季節なら白と紅がいいんじゃないか。藍良にもよく似合う」
「『雪の下』か。悪くないわね。……なによ、ちょっと会わないうちにずいぶん風流になっちゃったじゃない」
「そんなことないよ」
目を丸くした藍良に手を振り、雪華は断りもなく腰かけた。……なんのことはない。ここ半月の女官生活で、すっかり刷り込まれてしまっただけだ。
「結構長い仕事だったの? 航さんもこっち、来てないみたいだったし」
「ああ、少し骨が折れるやつだった。……ありがとう」
茶を淹れてくれた藍良に礼を言い、ありがたくすする。
藍良には自分の仕事のことは詳しく話していない。だが裏稼業同士、うすうす気付いている節もあるのだろう。
それでもこの友人は、雪華の仕事を詮索することがない。それをありがたいとも申し訳ないとも感じながら、何気ない風を装って問いかける。
「最近、客の方はどうだ? 何か変わったこととか困ったことはないか」
「変わったこと? ……そうねぇ、会合目的で利用する官吏が少し多くなったかしら。前から薫風楼でもよくやってたけど、いい加減に他の場所でやってほしいわね」
「……荒れるのか」
「そんなことはないけど……」
龍昇の言葉を思い出し、眉をひそめる。……やはり、官吏連中の間にも何かしらの動きがあるのかもしれない。戦の舞台にはならずとも、陽連も治安が悪化するかもしれないと言っていた。
「……気を付けろよ。政治的な話題には、あまり関わらない方がいい」
「関わらないわよ。興味ないもの。この街で安全に仕事ができるなら、上が何をしててもあたしたち妓女には関係ないわ。ただ街や国が荒れてお客がいなくなるようだと商売あがったりだから、そこのところはしっかりやってほしいけど」
「たくましいな」
指で銭の形を作り、藍良は形の良い唇を歪ませた。向かいに腰を下ろすと雪華の顔を眺め、ぱっちりとした目をきょとんと瞬かせる。
「あんた……なんか、感じ変わったわね」
「え?」
「なにかしら……。ああ、悲しくなるぐらいに欠けていた女らしさが、少し出てきたって感じかしら。うん。あんた、ちょっと女になったわ」
藍良の微笑に雪華は苦笑で応えた。褒められているのか貶されているのか、微妙なところだ。
「ちょっとか……。そういや部下にもそんなこと言われたけど、別に何もないよ」
「本当に?」
よく手入れされた指を組み、藍良が下からこちらを窺う。どんな男でも堕ちずにはいられないという流し目を受け、雪華は苦笑を深めた。
「本当だって」
「嘘。――分かった。あんた、恋しちゃったでしょ。少なくとも、気になる人ができたって感じ」
「またそれか……」
藍良お得意の質問に、雪華は頭を振った。いつもならそれで「もう!」と引き下がる藍良だが、今日は雪華をじっと見つめ続ける。そして紅を引いた口を開くと思いがけず真面目な表情で続けた。
「雪華。興味があるって気持ちを、自分で否定するのは良くないわ。可能性を消しちゃってる」
「え……」
「子供じゃないんだから、自分の気持ちぐらいちゃんと肯定してみなさいよ。素直になって――それで、あたしに話してみて?」
最後だけ、小首を傾げて藍良が笑った。陽連一の美妓が浮かべた悪戯娘のような笑みに、雪華も思わず毒気を抜かれる。
「……藍良は卑怯だな。私は女なのに、いま一瞬ときめいてしまった」
「あたしにときめいてどうすんのよ……。あんたが今ときめくべきは、違う人でしょうが」
一転して呆れたような視線を向けられ、雪華は小さく笑う。茶を一口含むと、素直な気持ちで親友へ告げた。
※次話から個別ルートに完全分岐します。また、挿絵は終了となりますのでご了承ください。
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