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飛路編
3、早朝の一閃
「ふぁ……。早く起きすぎたな」
城での潜入捜査終了から数日が過ぎ、新たな任務を受け始めた頃。珍しく朝早くに目が覚めてしまい、雪華は冷えた空気に身を震わせた。
「さむ……。……? なんだ」
窓の外から、ブン、と聞き慣れぬ音が断続的に響いてくる。しばらくすると、また一つ。
雪華はかじかむ手で冷気に曇った窓を押し開けた。そして意外な光景に目を見開く。
「あ……」
部屋の真下に、剣をふるう青年の姿が見えた。
……飛路だ。彼は凍える早朝の空気も気にならない様子で、一心に直刀を振っている。
(あいつ、普通の剣なんて持っていたのか……)
頭上の雪華に気付くことなく、飛路は剣を振り続けている。髪を整えながら、雪華はそのさまを興味深く見下ろした。
一般的な剣の流儀に詳しいわけではないが、飛路は粛々と形稽古をしているようだ。
剣をまっすぐに構え、振り下ろす。かと思うと鮮やかに体を回転させて、薙ぐように横へと振り払う。
その一つ一つの動きは洗練されていて無駄がない。早朝の空気を切り裂くような太刀筋と美しい剣さばきに、雪華はいつしか魅了されていた。
(すごい……)
剣の軌跡に呼応して、飛路の束ねた髪が揺れる。一片の乱れもなく流れるように刻まれる太刀筋は、鋭くも惚れ惚れするほど美しかった。
やがてその剣の動きがぴたりと止まると、雪華は一目散に階段を駆け降りた。
「すごいな、飛路」
「え……。雪華さん?」
外に出ると、汗を拭う青年に幾分か興奮気味で声をかけた。軽く息を乱した飛路が振り返って目を丸くする。
「おはよう。……悪い、上から見てたんだ」
「……げ、マジかよ……。なんだよ、声掛けてくれたら良かったのに」
「集中してたから、悪いと思って。それより驚いたぞ、お前やっぱりちゃんと剣を習ってたんだな。素人とは全然違う。……お父上に教わったのか? 剣のことは詳しくないが、本当に綺麗だったぞ」
「え……」
矢継ぎ早に語る雪華が珍しいのか、気圧されたように飛路が目を見開く。しばらくして、飛路はゆっくりと頷いた。
「うん。……あ、ありがと……」
「いや、本当のことだから。直刀を持っていたとは全然知らなかったな。見せてもらってもいいか?」
「へ。……ああ」
飛路に歩み寄ると、その手元を覗き込む。飛路は一歩後ずさると、汗ばんだ柄を慌てて服の裾で拭った。おずおずと差し出されたまっすぐな剣を、雪華も慎重に受け取る。
「――っ。さすがに重いな、暗器とは違う」
「気を付けて」
手にした瞬間、ずしりとした重みが腕にかかった。
持ち上げて見つめると、柄に非常に精緻な細工が施されたものであることが分かる。これは、かなりのものではないだろうか。
剣はよく手入れされていたが、使い込まれた形跡があった。朝日を反射して、雪華の顔が刀身に映る。
(ん……?)
ふと、何かの記憶が頭をよぎった。なぜだろうか――この剣を、自分はどこかで見たことがあるような気がする。
だがじっと見つめても、それ以上の記憶はどこをたどっても湧いてこなかった。次第に今感じた既視感もあやふやになってきて、雪華は剣を飛路へと返す。
「ありがとう。見事な剣だな。どこかで見たことがあるような気がしたんだが……そんなはずはないよな」
「え……。あ……うん」
惑ったように剣を見つめた飛路が、それを鞘に収める。朝の空気に身を伸ばしながら、雪華は先日から気になっていたことを問いかけてみた。
「そういえばお前、この前の城の任務に入る前から官吏に友人がいたのか?」
「え?」
「いや、任務中にたまたま一緒にいるのを見かけてな。官位は違うが顔見知りのようだったから、もしかしてと思って」
「……っ。見てたんだ」
「ああ。……ちらっと見ただけだから、話とかは聞いてないぞ」
強張った飛路の表情に、雪華は慌てて弁明をした。……しまった。あまり聞かれたくない話だったのかもしれない。
雪華の表情の変化に飛路も気付いたのか、視線を和らげるとゆっくりと頷く。
「うん……そう。前に街で知り合って。人目に付くところではちゃんと身分をわきまえてたんだけど、時間外だからうっかりしてた」
「私しか見てなかったから、別に謝ることはない。しかし、お前も意外に顔が広いな」
「そうかな」
飛路が少し困ったように笑う。
前に『胡朝が憎かった』と言っていたが、なにも官吏すべてが憎いというわけでもないのだろう。そう結論付け、踵を返す。
「そろそろ朝餉の時間だな。早く起きたし、手伝いに行くよ」
「――っ、雪華さん」
「?」
「あんたさ……。いや、オレ――」
雪華を呼び止めた飛路が何かを言いかけ、迷うように口を閉ざした。しばらく待っていると、通りからゆったりとした足音が聞こえてくる。
「ふあ……。……あ? なんだお前ら。朝から逢引?」
「航悠。お前はまた朝帰りか」
のそりと現れたのは、大あくびを浮かべた航悠だった。……服からかすかに花の香りがする。昨夜は妓楼に行っていたらしい。
「朝餉できてるか? 酒飲みすぎて、胃がちょっとな。粥が食いてえ……」
「自業自得だ。自分で作るんだな」
「そこは『私が作ってあげるわ』とか言うところだろ。ま、いいわ。普通の飯で……」
体調不良ならまだしも、二日酔いの胃の調子まで考慮してやる義理はない。酒臭い航悠を扉の方に押しやると、雪華は立ちつくしている飛路を振り返った。
「悪い。どうした、飛路」
「あ――、ううん。オレ、汗拭いてから行くよ。先に行ってて」
「ああ」
穏やかな笑みに送られ、航悠の背を押して屋内へと入る。誰もいない酒楼の卓子に腰かけた航悠が、含み笑いを浮かべた。
「お前って……残酷だな」
「は? なんだ急に」
「さてね。……俺も応援してやりたいところだが、近付きすぎるとまた妬かれそうだな」
航悠がくつくつと笑う。酔っ払いの戯言かと気にも留めず、雪華は厨房へと引っ込んだ。
それから何度となく飛路の剣さばきを思い出し、その日は一日、清々しい気分に浸った。
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