【完結】斎国華譚 ~亡朝の皇女は帝都の闇に舞う~

多摩ゆら

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龍昇編

8、父母への背反

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 年が変わるまで、残すところ数時間のみとなった。
 大晦日の夜、雪華は宿に残った組織の仲間たちと、一年の労をねぎらい酒を酌み交わした。


「姐御~! まだ飲み足んないっすよねー? こっち来て一緒に……ヒック、飲み…ヒック」

「この馬鹿猿、飲みすぎだっつの。おら、ガキんちょはとっとと部屋帰れ」

「んだとコラ、オレより飛路のが若いぞ! つっても、アイツ田舎帰っちまったじゃん…! つーことはオレが一番ガキかよちくしょー」

「今頃気づいたのか、この猿。――あっ、テメェなに勝手に俺の酒飲んでやがる! すんません頭領、こいつ部屋に押し込んできます」

「へいへい。……青竹、お前もかなり飲んでるからさっさと寝ろよ。足元やばいぞ……って、聞いちゃいねーな」

 酒楼で大声を出しているのは、言うまでもなく梅林とついでに青竹だ。猿のように真っ赤になった梅林と、顔色こそ変わらないが呂律ろれつが少し怪しくなっている青竹に航悠がやる気なく答える。
 二人が二階に行ってしまうと、雪華はやれやれと息をついた。

「やっと行ったか……。あいつら、悪い奴じゃないがあの酒癖の悪さはなんとかならないのか」

「無理だろ。……ん、と。なんだ、こっちも空かよ」

 急にがらんとなった酒楼で、航悠が手元の酒瓶を覗きこむ。あらかた飲みつくしてしまったのか、溜息をつくと雪華の隣へと腰かけた。

「その酒、分けろよ」

「嫌だ。そっちのなら残ってるだろ。……これは駄目だ、私の秘蔵だからな。珍しく並んで買ったんだ」

「甘味でもないのに奮発したな。……んじゃ交換条件。満点屋の大福と月餅でどうだ?」

「そんなものじゃ割に合わないな」

「じゃあ綿屋のくずきりと桃饅も付けてやるよ。これでどうだ」

「それなら分けてやってもいい」

「妥協すんのはええな……」

 差し出された杯に酒を注いでやり、軽く縁を合わせる。辛めの酒を流し込むと、二人は揃って息をついた。

「美味い」

「だな」

 ちらりと笑みを交わし、また黙々と酒を注ぎ合う。……毎年の恒例だ。場所は変わってもこうして年の瀬を迎え、そして越してきた。
 だが、なぜか――来年もこうしてこの日を迎えられるのか、疑念がふいに胸をよぎった。杯を置いた雪華に、航悠がいぶかしげな視線を向ける。

「来年も……無事に、過ごせるといいな」

「そうだな、平穏無事が一番だ。もっとも小競り合いまでなくなっちまったら、商売上がったりだが」

 漠然と湧いた不安を見透かしたように、航悠が低く笑う。鷹揚おうような笑みは、雪華の小さな緊張を和らげる。

「まったくだな。……ま、自分に火の粉が降りかからなければいいさ」

「そうそう。人の不幸は蜜の味、ってな」

「それはお前だけだ。私はそこまで性格悪くはない」

「嘘言え」

 小突き合いながら、どんどん酒量が増えていく。そうして互いにいい感じで酔っ払ってきた頃、航悠がふいに切り出した。

「……で? お前、何を悩んでるんだ?」

「え…?」

 唐突に投げかけられた質問に、雪華は目を見開いた。横を見上げると、杯を置いた航悠が肘をついてこちらを見下ろしている。
 下がり気味の目にはいつもと変わらぬ笑みが浮かんでいるが、そこに揶揄やゆする色はない。先日から……いやもっと前から胸を占めている懸念を見透かされたようで、雪華は小さく息を詰めた。

「別に、何も悩んでなんて――」

「あっそ。じゃ、俺の勘違いだな」

 肩をすくめると、航悠はさっさと杯へ手を伸ばす。拍子抜けするほどの引き際の良さに、雪華は逆に戸惑った。

「…………」

 悩んでいると言えば、悩んでいる……かもしれない。けれどそれは航悠にはまったく関わりのないことだ。こんなことを話して、迷惑をかけるわけにはいかない。
 そう思う反面で、誰かに聞いてほしいと思っている自分がいた。この、不可解な感情を。

 だが待ってみても、航悠がそれ以上何かを言うことはなかった。数秒に渡って沈黙が続き、雪華はとうとう耐えかねて口を開く。

「お前、嫌な奴だな……」

「俺が?」

「カマをかけられたら、話さずにはいられなくなる。……いや、違うか。本当に嫌なのは、お前にそう悟らせた私の未熟さだ」

「別に、俺しか気付いてないからいいんじゃねーの。これでも長い付き合いだからな。ある程度は分かっちまうのも仕方ねぇだろ」

 肩をすくめ、航悠が苦笑する。
 ……敵わない。この相棒の前で、隠し事なんて一生できなさそうな気がする。両手で杯を包むと、雪華は重い口を開いた。

「聞き流してくれて、構わないから。悩んでいるというよりも……戸惑っている」

「ふぅん?」

「昔、な……幼馴染がいたんだ。そいつと私はすごく仲が良くて、いつも一緒に遊んでた。でも、あるときに……そいつの父親が、私の家族を殺した。私はそいつと、そいつの父親を憎んで……この街へと逃げた。お前と出会うすぐ前の話だ。でも最近、その幼馴染と偶然再会して……どうしていいか、分からなくなった」

 いったん言葉を切り、雪華は重い息を吐き出した。黙って聞いていた航悠が相槌を打つ。

「……憎らしくて?」

「ああ」

 うなずいて、杯をもう一度包むと雪華は沈鬱に口を開く。思考を整理しながら、声がぶれないように続けた。

「家族が殺されたことに関しては、今となっては仕方のない部分もあったと思う。でも、あいつを憎いと思う気持ちは止められなかった。一度会ってしまったのはともかく、それ以上関わらなければそれで忘れられると思った。でも、何度か会うのを繰り返して――」

 ――繰り返して。あの瞳と、彼の言葉にもう一度さらされて。……十三年の憎しみは大きく揺らいだ。

「会わなかった年数だけ、そいつも私のことを考えていたと知った。私みたいにただ憎むんじゃなく、私を、馬鹿みたいに心配して……」

 龍昇の眼差しを思い出す。さげすむでもなく、詫びるでもなく、ただ雪華をまっすぐに映した黒い瞳。
 嘘のないそれを鼻で笑おうとしたが、上手くできず、雪華は歪んだ笑みを小さく浮かべる。

「おかしいだろう……? 自分の父親が殺した相手の娘のことなんて、とっくに忘れてると思ってた。でもそいつはそうじゃなくて、憎まれてもいいから会いたかったとまで言ってきた。私はずっと、憎むことでそいつを忘れようとしてきたのに……! そんな姿を見ていたら……自分が何にこだわっているのか、分からなくなった。憎みたいのか、許したいのか……それさえも、もう分からないんだ」

 酒が回ってきたのか、話しているうちに感情がたかぶり言葉がぽろぽろとこぼれていった。一息に言いきると、雪華は杯を包んだまま項垂れる。

「……憎みたいのか?」

「……憎みたい。父上や母上の最期の顔を思い出すたびに、責められているような気がするんだ。何をほだされているんだ、と。でも、あいつも私も当事者じゃない。だから仕方ないと、心のどこかで思ってる。それが……許せない」

 杯を握りしめながら、目をきつく閉じる。
 もう輪郭すら怪しくなってきた父母の顔。それよりもずっと鮮明に思い出せる幼い龍昇の顔。そして今の彼の眼差しが心を浸食する。

「憎しみだけで、埋め尽くせたなら楽なのに……本当はもう、とっくに……憎んでなんていないんだ」

 ――違う。きっと、許しているだけじゃない。
 自分は父母に背く感情を、あの男に抱き始めている。あってはならない想いを――

 項垂れたまま口を閉ざした雪華を航悠が見下ろす。やがて雪華は顔を上げると、航悠に問いかけた。

「……お前は、どう思う」

「俺が? 何を」

「お前から見て……私はやはり、愚かに見えるか。それとも、ささいなことで悩んでいると思うか」

 ……他の誰でもなく、航悠に聞いてみたかった。自分のことを自分以上に知っているようなこの男に、何か言ってほしかった。依存しているのは認めるが、自分でも見えない解決の糸を示してほしかった。
 航悠はしばらく雪華の顔を眺めたあと、低く口を開く。

「別に、愚かには見えねぇけど。詳しくは分からんが、お前と同じようなことを俺も昔思ったよ」

「お前が……?」

「ああ。……ま、昔の話だ。そうだな……親のかたきっつったって、十年も経てば憎しみが薄れるのは仕方ないんじゃねぇの。憎しみを持続させる奴もいるが、たいていの人間はそんなもんだろ。負の感情を後生ごしょう抱えてくことより、今を生きる方が大事で、大変だからな」

 酒杯をもてあそびながら、航悠が淡々と語る。雪華と視線を合わせると、彼は無表情に続けた。

「だから、仇だとかそういうのはとりあえず置いておいて……俺ならまず、そいつ自身を見る。そいつが今何を考えて、お前に何をしたいのか。お前が今のそいつに対してどうしたいのか。そっちの方が、重要なんじゃねーの。……ま、状況はよく分かんねぇけど、お前自身はそうしたがってるように俺には見えるがな」

 そうくくった男の顔を、雪華はまじまじと見上げた。無意識のうちに自分の頬に触れ、確かめる。

「そう見えるか……?」

「さあな、あとは自分で考えることだ。……甘えんな」

「たっ…!」

 額を指で弾かれ、小さく声を上げる。航悠は元のにやけ面に戻って、杯に口を付けた。

「…………」

 答えが見えたわけではない。それは自分で考えなければいけないことだ。けれど、航悠らしい明確な回答は雪華の心をたしかに軽くしてくれた。
 そのとき急に屋外から声が聞こえ、二人はそろって振り返る。

「あ……。年が明けたみたいだ」

 話しているうちに、年を越してしまったようだ。通りから聞こえてきた賀正の声に耳を澄ませる。

「みたいだな。……ま、今年もよろしく」

「ああ……こちらこそ」

 小さく杯をぶつけ合い、一息に酒を飲み干す。祝いの言葉も何もないが、毎年恒例のちょっとした儀式だ。

「……今年が、最後かもしれないな」

「え?」

 航悠が小さく何かをささやいた。聞き返すと、首を振って雪華の杯に酒を注ぐ。
 そうして互いに珍しくへべれけになった頃、二人は揃って卓へと沈み、新年から風邪に見舞われる羽目になったのだった。


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