【完結】斎国華譚 ~亡朝の皇女は帝都の闇に舞う~

多摩ゆら

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航悠編

18、焦燥

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 翌日から、本格的な航悠の捜索が始まった。
 松雲と相談し、誰をどこに行かせるかを割り振る。しかし雪華が告げた任務の内容に梅林が戸惑いの声を上げた。

「あの……姐御。オレ、通常の任務って……。かしら探しに行くんじゃないんすか?」

「それは他の奴に任せる。お前はそっちに付いてくれ。人数が少なくなって悪いが」

「……なんで。全員で当たった方が、色々な場所を探れるだろ? いつもの任務なんてしてる場合じゃ――」

 極めて冷静な雪華の声に、今度は飛路が難色を示した。雪華は静かな視線を向けると小さく首を振る。

「新しい依頼は、しばらく受けない。でも前から依頼されてたものは別だ。土壇場で断ればこれからの信用に関わる」

「……っ、でも…!」

「航悠とこの仕事を始めたとき……決めたんだ。組織の中で何か問題があっても、少なくとも引き受けた依頼ぐらいは責任を持って遂行するって。あいつがいないからと言って、受けた依頼をおろそかにすることはできない。そんなことをしたら、あいつが帰って来た時に泣くぞ」

「え…?」

「俺の酒代がなくなった、とか言ってな」

 下手な冗談だが、飛路の不満を止める効果はあったようだ。雪華は苦笑を引っ込めると、真顔で飛路と梅林を見る。

「私たちの仕事は、物を生み出したり、やりとりしたりするものではない。信用と実績だけが支えなんだ。請け負っている依頼を放り出せば、同業者に横取りされる。そうすれば、私たちは路頭に迷うしかない。……私は、お前たちにそんなことをさせたくない」

「…………」

「そういうわけだ。気にはなると思うが……行ってくれるか、梅林」

「……っす。でも明日は、オレも頭を探す方に入れて下さいね!」

「了解した。……ありがとう」



 巌武官をはじめとする警備隊の面々と連絡を取り、暁の鷹は陽連の東に位置する街を中心に捜索の手を伸ばした。
 だが二日過ぎても有力な情報や足取りを掴むことはできず、任務の合間に戻った自室で雪華は天井を振り仰いだ。

「…………」

 ……ずっと、頭痛がしていた。

 元から請け負っていた依頼は自分を含む皆に振り分け、順調にこなせていたから今のところ問題はない。……航悠が見つからないということ以外は。
 目立つ男だから足取りが掴めそうなものなのだが、そこはさすがに職業柄。あれでいて航悠は、気配や正体を隠すのが非常に上手い。そのため、足取りはまったく掴むことができなかった。

 陽連を含む、皇帝直轄州の主な街は探ってみた。それでも何の音沙汰もないということは、直轄州からすでに出ているのかもしれない。
 巌武官たちは管轄上、直轄州の外におもむくことはできない。他州の領土内を探るならば、その州の武官に掛け合うか、皇帝が統括する禁軍を動かさなければならないということだった。

 だがどちらも、すぐに動かせるものではない。今のところ直轄地の外の街は暁の鷹の仲間たちで細々と探るしかなく、捜索は難航していた。

「あ……。雪――」

 窓の外に白く舞い落ちるものが見えて、空を振り仰ぐ。
 ずいぶん冷えると思ったら案の定だった。空からはらはらと白い雪が降ってきた。その光景に昨年の記憶がよみがえる。


『ああ、雪か。風情があっていいが、さすがにちっと冷えるな』

『…………』

『……雪華?』

『…………』

『何ぼーっと見て――、って、ああ……屋台な。汁粉か。そういやあったかいもん、飲みたくなるよな。なんの味がいいんだ?』

『……え。いや、別に飲みたいとは――』

『そんだけうっとりした顔して、なに言ってるんだか。小豆と松の実と黒胡麻だって。どれがいい?』

『……黒胡麻』

『はいはいっと。……あっちぃな。あとで俺にも少し分けろよ。お前いっつも即行で食っちまうからな』


「…………」

 ちょうど一年前のやり取りを思い出し、視線を足元に落とす。思考を見透かされたようで恥ずかしかったのを覚えている。
 頬を冷たい風が撫で、ひやりとした冷気が体を這い上がった。

「……寒い……」

 天候はあの日と変わらないのに、どうしてこれほど凍えるのか。

 振り返れば、いつも隣にあの男がいた。空気のようで、けれどその存在は雪華を守るように強く温かく――失ってみて、その大きさに初めて気付く。

 そばにいるのが、当たり前だと思っていた。いつか別れの時が来るとしても、これほど唐突にその存在を失うなんて夢にも思わなかった。
 一度痛い目を見ているのに、どうしてまた安穏としていたのか。どうして、それがずっと続くだなんて思っていられたのか。

 今までどれほど航悠に寄りかかり、甘えていたのかを痛感し唇を噛みしめる。脳裏に低く落ち着いた声がよみがえって、また一つ頭が痛んだ。

(そばにいてくれ――。それ以外、望まないから……)



「雪華さん、下に――」

「…………」

「雪華さん? ……大丈夫?」

「え……。ああ、悪い。考え事をしていた」

 ふいに背後から声をかけられて、雪華は緩慢に振り返った。見ると、部屋の入口に飛路が立っている。
 律儀な彼が無断で扉を開けるわけはないから、声をかけても自分が気付かなかったのだろう。ぼんやりとした視線を向ける雪華を飛路が心配そうな眼差しで見つめる。

「……あんた、ちゃんと休んでるか? 昼は頭領探して、夜は夜で残った任務してるだろ。ちゃんと寝てるのか…?」

「大丈夫だ。任務から戻ったら、自室に引き揚げてる。さすがに休まなければ身が持たんからな、ちゃんと寝てる」

「そう……かよ。ならいいけど……。そうそう、あんたにお客さん――」

「雪華! あんた、大丈夫なの……!?」

「藍良…!?」

 飛路を押しのけるように扉から押し入ってきたのは、衣の色も鮮やかな藍良だった。妓楼からそのまま抜け出して来たような格好だ。殺風景な雪華の部屋に、突然大輪の花が咲く。

「この子から、航さんがいなくなったって聞いて…! ああもう、仕事なんかしてらんないって飛んできたのよ……! もう十日になるって言うじゃない。もう! なんで早く知らせてくれなかったの! もっと早くに聞いてたら、何か協力――」

「ちょ…ちょっと待て、藍良。落ち着けって! とにかく掛けて。話はそれから――」

「落ち着けないわよ! 落ち着いてるあんたの方がおかしいでしょうが!」

「……っ」

 早口でまくしたてる藍良に押され、寝台まで追い詰められる。剣幕にたじろいでいると、背後から遠慮がちに声が掛けられた。

「あの……オレ、外行ってるね。女の人同士で積もる話もあるだろうし。あ、何かあったらすぐに知らせるから、雪華さんはゆっくりしてて」

「あ……ああ、ごめんなさいね。飛路君だっけ。キミ、いい子ね。気が利く子はお姉さん好きだわ」

「……どうも」

 けたたましさをさすがに自覚したのか、藍良がはっとしたように声量を落とした。とっさにでも男に向ける極上の笑みと賛辞を忘れないあたり、さすがは陽連一の妓女だ。
 あっさり子供扱いされた飛路は、微妙に顔を引きつらせているが。

「じゃ、また。……藍良さん、あとお願いします」

 珍しく一礼をして飛路が辞すと、藍良が唇に手をやる。雪華の悪友は値踏みするような視線でにやりと笑った。

「あの子が飛路君か。……将来かなり有望ね。あれは間違いなく、相当な男前になるわよ。……じゃなくて!」

「いや、お前が言ったんだろうが……」

「いったい何があったのよ。いきなり航さんが行方不明って……」

 椅子に腰かけて、藍良がじっと雪華を見つめる。憂いを浮かべた親友に、雪華は重い口を開いた。



「……そんな荷物が……」

「ああ。手を尽くして探してはいるんだが……手がかりが少なくてな。そろそろ直轄州の外にも出ようと思ってる」

 雪華が今までの経緯を語り終えると、藍良は暗い表情で瞳を伏せた。美しい顔が曇り、雪華はなるべく明るい声で親友を気遣う。

「でも、まだ決定的なことがあった訳じゃないから。それより藍良、どうしてここへ? 飛路から聞いたって……」

「店で支度してたらあの子が来て、藍良さんはいますかって……。妓楼に入るのなんて初めてだろうに、あんたの話、聞いてほしいってわざわざ来たのよ」

「あいつが知らせたのか……。悪いな、心配かけて」

「ううん。……飛路君のこと、責めないでね。すごく心配してたんだから。自分たちだけじゃ駄目だから、あたしに行ってほしいって」

「……普段通りにしてるつもりだったんだけどな。部下に心配かけるようでは、まだまだか」

 飛路を責めるつもりは毛頭ないが、部外者である藍良に頼るほど自分は弱っているように見えたのか。雪華が自嘲の笑みを浮かべると、藍良は憂いを帯びた瞳で雪華を覗き込む。

「……雪華。あんた、ちゃんと休んでるの? 航さんが見つかる前に、あんたの方が倒れそうよ」

「え……。大丈夫、ちゃんと休んでるよ。さっき飛路にも言ったばかり――」

「嘘。……化粧が濃いわ。いつもおざなりなあんたが、こんな時におかしいでしょ。クマは隠せても、あたしの目は誤魔化せないわよ」

「……っ」

「雪華。あたしはあんたの部下じゃないわ。あたしの前でまで、強くいないで。航さんのこと、心配でしょうがないんでしょう?」

「……藍良……」

 雪華の目を見つめ、藍良が膝に手をかける。親友の真摯な眼差しに、律していた心がぐらりとかしいだ。雪華は部下たちにも話せない心の内をかすれた声で紡ぐ。

「…………。眠れ…ないんだ……。とこに入っても、荷物のこととか、あいつの顔ばかり頭に浮かんで……飛び起きる。今、どうしているんだろうとか、どうしたら助けられるかとか……。そんなことを考えてると、朝になってる。動いたり、考えたりしていないと……不安で……」

「……そう。そうね……」

 藍良は、大丈夫とも頑張れとも言わなかった。そのことに少しホッとする。
 何が大丈夫なのか、何を頑張ればいいのか、今の雪華にはもう分からなくなっていた。

「でも、私が動かないと。私が崩れたら、仲間も崩れる。それだけは避けたいんだ」

「そう……。でも……無理はしちゃ駄目よ。あんたには松雲さんも飛路君も青竹君も、他の皆もついてるのよ。彼らをもっと、信じなさい。眠れなくても、体は休めて。航さんが見つかった時、あんたがこんな状態じゃ……あの人は喜ばないわ」

 美しく化粧を施した、しかし外面的な美しさだけでは決して出せない強い眼差しが、雪華を勇気づけるように見つめた。

「……ああ。そうだな……」

 嘆息とともにつぶやくと、藍良はもう一度、雪華の拳を強く握り返してきた。


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