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航悠編

17、崩れる足元

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「失礼。……暁の鷹という組織は、こちらが本拠地で間違いないだろうか」

 昼間、突然酒楼の扉が叩かれていかめしい顔をした数人の男たちが姿を現した。
 ……武官だ。たまたま酒楼にいた雪華と飛路と青竹は、警戒を顔に浮かべる。

「……あんた達は」

「これは失礼した。私は陽連警護の任にあたるがんと申す。こちらの今の責任者に会いたいのだが……」

 雪華が怪訝に問いかけると、巌と名乗った武官が巌めしくも礼儀正しく話しかけてきた。
 名は体を表すというが、まさにその通りだ。だが組織の取り締まりにきたというような雰囲気でもない。

「お役人が、ここに何の用だ? お上に睨まれるようなことはしていないつもりだが」

「そう警戒しないでくれ。そういった件で来たのではない」

 後ろ暗いところもある仕事だが、犯罪に手を染めてはいないはずだ。雪華が冷ややかに応じると、巌武官は首を振って少し迷いながら話し始める。

「実は我らの城宛てに、その……とある荷物が届けられてな。同梱されていたふみに、そちらの首領の名が記されてあったゆえ、何か知らぬかと参った次第だ」

「……!」

 予想外の要件に雪華は大きく目を見開く。背後で怪訝な顔をした飛路が雪華の代わりに問いかけた。

「頭領の? ……何だよ。あの人からの荷物か?」

「いや、おそらくそうではないと思う。……中を見れば分かる。それで、現在の責任者は?」

「……私だ。その荷と文とやら、私たちが見てもいいのだな?」

「あなたが……? いや、しかし女人が見たりするものでは――」

「……?」

 女の雪華が責任者と知って、巌武官はひどく困惑した顔になった。助けを求めるように飛路や青竹に視線を送るが、彼らが雪華より前に出ることはない。
 待っても無駄だと悟ったのだろう。巌武官は苦い顔で溜息をつくと、小さな小包と薄汚れた文を差し出した。

「女人には、刺激が強いと思うが……確認を頼む」

 小包は置いておいて、雪華はまず黄ばんだ文を開いた。ぱっと見て、航悠の筆跡ではないと分かる。だがその文面に胸が大きく波打った。


 ――我らの身辺を窺う大きなねずみを捕らえたゆえ、皇帝陛下へお近付きのしるしをお送り申し上げる。
 鼠の名を、尚航悠と申す。

 我らの要求が受け入れられねば、続けて陛下の愛し子たる陽連の民をしるしにさせて頂く次第だ。
 次は、秘蔵の珠玉を所望する―――


「……っ」

 文を握った手が、一気に汗ばんだように感じた。
 雪華は文を投げ出すと、一度解かれたらしい荷に手をかける。もどかしく紐を解くと、折り畳まれた紙と皮の蓋をかぶせられた竹筒が出てきた。

「何それ……」

 文を読み終わった飛路が、幾分か青い顔で尋ねる。畳まれた紙を開くと、そこには明るい茶色の髪が束ねて包まれていた。

「うわっ……!」

「…っ!」

 ――見間違えるはずがない。これは、航悠の髪だ。
 弾かれたように雪華は竹筒へと手を伸ばす。厳重に張られた皮の蓋を剥ぎ取って中を覗き込むと、ツンと臭う水の中に何か白いものが浮いているのが見えた。

「……!!」

 それが何であるかを理解して、ざっと目の前が暗くなった。
 とっさに口元を押さえ、中身をこぼさないように卓の上に置く。何事かと覗きこんだ青竹と飛路が、引きつった叫びを漏らした。

「げえ…っ!」

「…!! こ、れ――」


 満たされた水に浮かぶ、白く丸い――

 くるりと反転すると、濁った虹彩こうさいが――

 それでも、見慣れたその薄いとび色は――


「……航…悠……ッ。……っ……」

 喉の奥から、かすれたうめき声が漏れた。息が荒くなり、それ以上何も言葉が出てこない。

 足元が音を立てて崩れていくような気がした。自分がどこにいるのか、そもそもちゃんと床に立っているのかすら曖昧になる。
 揺らぐ体を卓についた手で必死に支え、それでもすがりつくものが欲しくて竹筒を固く握りしめると、雪華はこらえきれず咆哮ほうこうした。

「……く……、あ……。ああぁぁあ……ッ!!」

「雪華さん……!」

「ああああ……ッ!! うああ……!!」


 航悠が……、航悠を――。あいつの体を切り刻んで、誰が…! 誰が、誰が……!!

(許さない……!!)


「……ろして……、――殺してやる…!!」

 竹筒を握りしめたまま、雪華は腕に仕込んだ匕首ひしゅを引き抜いた。鋭い刃を手に、今にも飛び出していきそうなその肩に強い制止の声がかけられる。

「副、長……。大丈夫、大丈夫ですって!!」

「そうだよ雪華さん!! 落ち着けよ……!」

「…ッ、……! く…っ。…………」


 部下たちの声が引き金になったのか、真っ赤だった視界が徐々に明瞭になってきた。固く握りしめた竹筒がそっと引き抜かれ、蓋をかぶせられる。
 一度だけ強く拳を握ると、雪華は首を起こした。無言で成り行きを見守っていた巌武官に小さく頭を下げる。

「すまない、取り乱した。……たしかに、うちの首領のものだ。間違いない」

「そうか……。この文とともに、我らが皇帝に宛てて下劣極まりない要求を記した書簡が同封されていた。それはこちらで回収してある」

「……そうか。脅迫……だな」

 何が書かれているのかは知らないが、だいたい予測はつく。雪華が低く吐き捨てると巌武官もいかめしい顔でうなずいた。

「下手人が誰かはまだ分からぬが……我らが同胞の斎国人が捕らえられ、虐げられていることは事実だ。しかもこの先の予告までされている。一刻も早く彼を救出し、さらなる被害が生まれる前に捜索を開始したいのだが……よろしいか」

 捜索――それは陽帝宮、ひいては胡朝の力を借りるということだ。
 一応は裏の組織として、役人に関わるのは避けたいところだが、もうそうも言ってられない。雪華は苦渋の顔で頭を下げた。

「こちらでも探してはいるが……頼む」

「承知した。近頃は陽連周辺も治安が悪化しつつあるゆえ、あまり人手は割けぬかもしれないが……できる限り手を尽くそう」

「恩に着る。しかし、この文……皇帝宛てと見えるが、りゅう――陛下は、この件のことを知っていらっしゃるのか?」

「報告は上げてある。だが主上は二日前より北奏ほくそうに赴かれている。報告書に目を通されるのは、早くても明日以降だ」

「そうか……」


 それから巌武官は航悠の失踪した時期や、向かった場所などを聞いていった。
 帰りがけに、硬い表情で応じていた雪華を振り返り、厳めしい表情を少しだけ和らげる。

「まだ、それ以上の何かがあったとは限らない。気を落とされるな」

「……ありがとう。あんた、強面こわもてだがいい武官だな。顔を覚えておくよ」

 見ず知らずの武官に励まされ、雪華も思わず苦笑を浮かべる。ふいに雪華は巌武官たちがここを訪ねた経緯に疑問を抱いた。

「そういえば、よく尚航悠がうちの首領だと分かったな。あんた達にはあまり情報も伝わってないと思っていたんだが……調べたのか?」

 雪華の問いかけに強面の武官はきょとんと瞬いたあと、日に焼けた顔をまた少しだけ緩ませた。

「少しな。……道行く妓女に尋ねたら、一発だった。聞いてもいないのに色々と教えてもらった。そなた達の首領は、よほど女人に好かれていると見える」

「ふ。……それだけが、取り柄の男だ。恩に着る、巌武官」



 少しだけ頬が緩むやり取りを最後に武官たちが帰っていくと、雪華は重く溜息をついた。額を押さえると、飛路が心配そうに覗き込む。

「あんた……大丈夫か。顔、真っ青だ」

「大丈夫だ。……さて、とりあえず……あの馬鹿が単に遊び歩いているんじゃないことは分かった。松雲が戻ってくる前に、次の対策を――」

「あの……とりあえず、少し休んだ方がいいんじゃないすか。副長、マジで顔色悪いっすよ……」

「…………」

 飛路だけでなく、青竹にまで気遣われてしまった。部下二人に口々に告げられ、さすがに虚勢も限界かと視線を落とす。
 視界に入った竹筒から目を逸らし、雪華はゆっくりと頷いた。

「……分かった。松雲が戻ってきたら、教えてく――、ッ!」

「危ない!」

 歩き出そうとしたら、がくりと膝が折れた。かしぐ体を、とっさに伸びてきた飛路の腕に支えられる。

「あ……。悪い――」

「……部屋まで、送る。それぐらいさせて」


 有無を言わさず支えられ、雪華は自室に戻った。まだ不安そうな顔をした飛路が出ていくと、室内は途端に静まり返る。

「…………」

 一人になると、現実が再び重くのしかかってきた。ふらふらと寝台に近付き、崩れるように腰を下ろす。

「……航悠……」

 この十三年、誰よりも口にしてきたその名をつぶやくと、思考が一瞬ふっと霞んだ。頭を振って、まだ明るい窓の外を睨み据える。

(航悠が、何者かに捕らえられて……それでどうして城に荷が? それに、珠玉って――)

 先ほどの巌武官や飛路と青竹が気付いた様子はなかったが、珠玉は朱の玉、朱色の宝――つまりは、朱朝の宝を暗に示している。
 それはおそらく、朱朝の生き残り……雪華のことだ。見る者が見れば、少なくとも龍昇ならすぐに気付く。

(下手人は……朱朝の皇女が生きていることを知っている。それを龍昇が把握していることも……。それで航悠を見せしめに使って、脅迫を……?)

 ならば、下手人は雪華が元皇女であることも把握しているのだろうか。それにしては雪華の身辺には別段変わったことも起きていない。
 正体が割れているなら、何かの動きがありそうなものだが――。

(鼠ということは……航悠は、何かを探っていた? でも捕らえられて……それは、皇女についての情報を持っていると思われたからか?)

 そこまで考えて、はたと気付いた。航悠はもしかして……『皇女』に関する何かを、探りに行ったのではないだろうか。

(でも、それなら一言ぐらい――)

 任務の内容も何も、誰にも告げずに。
 それは雪華が聞かなかったからでもあるが、考えてみれば少し不自然だ。雑談混じりでも告げていなかった。まるで、雪華にも誰にも知られたくないみたいに――

(…! もしかして、私が皇女だと知っていて――)

 それはふいに浮かんできた仮定だった。今までほとんど考えていなかった、もしかしたら考えないようにしていた、一つの可能性。
 ひどく自惚れた考えがぱっと頭に浮かび、即座にそれを打ち消した。だが一度思いついてしまったそれは、妙に信憑性を帯びていく。

 航悠は、雪華に関する何かを探りに任務に出たのかもしれない。誰にも何も言わず――

 ……あの男なら、やりかねない。それは自惚れではなく。
 仲間のためなら、そういうことを平然とやってのける男なのだ、あいつは。

(いや、まだ分からない。それより――)

 航悠が雪華の出自を知ろうが知るまいが、とりあえず今はどうでもいい。
 それよりも、航悠がどこぞの誰かに捕らえられて虐げられているという確かな事実の方が問題だ。

 あの文と髪と竹筒は、皇帝に対する脅迫だ。皇女を差し出し、要件を呑ませるための見せしめ。
 だとしたら、航悠は――

「……っ」

 航悠が今置かれている状況を想像し、ぞくっと背筋が粟立った。
 捕らえれて、体を虐げられ、下手をしたらすでにもう……

「……ッ! 生きてる……。絶対に無事だ…!!」

 歯を噛み締めると、頭に浮かんだ真っ黒な想像を打ち消すように雪華は強く叫んで立ち上がった。いとわしい光景を散らそうと、何度も頭を振る。

(あいつが、そんな簡単にやられるものか……! 顔と腕っぷしだけが取り柄なんだ。そうそう簡単にやられるわけがない)

 決定的な脅迫を突き付けたいのなら、それこそ首でも送ってくるだろう。それをしないということは、命までは取ってはいないのだ。……きっと。
 松雲が帰ってきたら、今後のことを話し合おう。武官も協力してくれる。きっと、すぐに見つけられる。

「大丈夫。……大丈夫だ」

 少しだけ冷静な思考になり、己を鼓舞するように声に出して繰り返した。
 そうしなければ、崩れてしまうと――心のどこかで分かっていた。


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