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ジェダイト編
18、死刑宣告
付かず離れずの距離で皇帝直轄領から西に移動すること三日。
国境手前の野営地に正規軍が落ち着き、暁の鷹も近くに天幕を立てて陣を構えた。
「さて、と……ようやく少し落ち着けるな。馬に乗りっぱなしで尻が痛えや」
「そんなこと言って、頭領が一番早かったですよ。さすが北奏の出身ですね」
腰をさすりながらぼやく航悠に、飛路が感心したような視線を向ける。航悠は溜息をつくと雪華に向けて顎をしゃくった。
「昔のことは忘れちまったよ。……雪華、向こうの大将んとこ、挨拶行くか」
「ああ。面倒だが一度くらいは顔を拝んでくるか」
雪華と航悠は連れ立って、今回の軍を統率している右軍将軍のもとに任務開始の報告に赴いた。
斎国軍の頂点に君臨する大将軍が比較的温厚な人物であるのに比べると、この将軍は勇猛果敢という感じだ。その代わりに細かいことは気にしない性質のようで、分不相応なほど激励されて報告は手短に終わった。……これなら、やりやすそうだ。
将軍と別れると、航悠は雪華を見下ろす。
「さて、とりあえず明日までは暇だな。俺は顔見知りへの挨拶がてら少しふらついてくが、お前はどうする?」
「私も適当にぶらつきながら帰るよ」
航悠と別れ、雪華は陣の中を歩いて情報を探ってみることにした。なんとはなしに厩舎の方に足を向けると、馬と人の声が雑多に聞こえてくる。
「そういや、斥候部隊が国境に着いたんだってな」
「ああ、シルキアの高官の護送を兼ねてる部隊だろ? わざわざ送ってやる必要があるのかねぇ。殺しちまえばそれで済んだのに」
「……っ」
馬の世話をしている兵たちの声が耳に届き、とっさに物陰に隠れる。すると最初に話を振った兵が周囲を見回し、声をひそめた。
「それがな……主上は送還を命じたんだが、ちょっと向こうさんと小競り合いがあって。どうも、下の判断で殺しちまうことにしたらしい」
「えっ……。マジかよ」
「ここだけの話だけどな。シルキアとしても、今さら返されても困るって感じなんじゃねーの。引き渡しで向こうと接触するのも危険があるしな。引き渡した次の瞬間に、こっちの使者が人質に取られたりな」
「あー……。まぁ、な。主上はまだ陽連だし、情報が届かなきゃ大した問題にもならないか」
「お前絶対、他の奴には言うなよ。たまたま俺の同期があっちの部隊にいて、教えてもらったんだから」
兵たちは次の話題に移ると、作業を再開する。雪華は音を立てないように後ずさると、その場からそっと離れた。
仲間のいる天幕に戻るまで、何も考えることができなかった。
「おう雪華、遅かったな。なんか目ぼしい情報でもあった――。……どうした?」
「シルキアの高官が…斥候部隊に護送されている奴が、秘密裏に、処刑される……らしい」
野営地に帰りつくと、蒼白な顔をした雪華の訴えに航悠が片眉を上げた。
「へえ。それはまた、思い切ったことを。皇帝の指示とは違うんだろ? バレたら厳罰ものなのになぁ。よっぽど面倒だったんだな」
「…………」
のんきな航悠の反応に、雪華は歯噛みする。しばらく迷ったあと、絞り出すようにつぶやいた。
「助け…られないか?」
「は?」
「そいつ。だって、情報を持ってるだろう…? みすみす殺すなら、色々聞き出してからの方が…!」
「おい、どうした。落ち着けよ。なんか変だぞ、お前」
「……っ」
言われなくても、分かってる。どうして自分は、こんなことを提案しているんだ。
(あの男にされたことと言ったら――)
捕らえられ、無理やり体を開かれ、心と体に屈辱を与えられた。
……それだけだ。
それだけだった……はずだった。
けれど一つだけ分かることは――
あの男を、このまま殺してはいけない。いや、殺されたくない。その一点だけだった。
「捕らえて尋問に掛けるってことか? 始末するつもりなら、そんなん禁軍がとっくにやってると思うがな」
「禁軍は禁軍だ。やり方が甘いかもしれない。私たちの方が、もっとうまく聞き出せるかも――」
「…………」
言いつのる雪華に航悠が疑り深い目を向ける。視線が交錯し、やがて折れたのは航悠の方だった。
「はぁ……。そこまで言うなら、別にいいが……斎の軍を敵に回すことになるぞ。絶対、バレないようにやらねぇと」
「あ、ああ……! 夜陰に紛れれば、きっと――」
「決行は早い方がいい。……今夜、やろう。もっともすでに殺られちまってる可能性もあるから、そのときはさっさとずらかるぞ」
別人のように思考と表情を切り替えた相棒に、雪華は大きくうなずいた。
その日の夜、雪華と航悠と数人の部下たちはさっそく国境付近へ向かい、作戦を開始した。
夜陰に乗じて斥候部隊の陣に近付き、様子を窺う。
「なんだ……? なんか、妙に騒がしいな」
陣内の尋常ではない様子に航悠が声をひそめる。雪華も耳を澄ますと、騒ぎは徐々に大きくなっていった。
「――が、……げたぞ…!」
「見張りがやられた…! 追え! そう遠くには行ってないはずだ…!」
松明の火が揺れ、兵士たちが動揺している。
何事か――暗闇に目を凝らした瞬間、兵たちの背後の茂みが動いた。
「いたぞ……! ぎゃあっ!!」
「!」
振り返ると、遠く木立の影、月に照らされて銀の糸が光った。雪華は思わず声を上げてしまう。
「ジェ――。……っ、シルキアの官吏だ!」
「待て! まだ動くな。兵士に見られたらまずい!」
「でも…!」
航悠に制止されたが、体が止まらなかった。駆け出した雪華を航悠の声が追ってくる。
「雪華!? くそっ、あの馬鹿…!」
闇に紛れて、逃亡者が向かうだろう場所を探っていると、ほどなくしてかすかな物音にたどり着いた。
銀髪の男――ジェダイトが、木を背後に荒く息をついている。かろうじて立ってはいるが、その場から動けないようだ。
「腕をやられたか……。ちっ…!」
聞き覚えのある声、けれど聞いたことのない荒い口調と声色に雪華は音もなく近付く。
周囲に他に人影はない。最後の一歩であえて足音を立てると、ジェダイトは鋭く振り返った。
「――誰だ!」
ところどころ黒衣が切り裂かれ、全身に殴打と血の痕跡をまとった、手負いの獣のような男の前に雪華は姿を現した。
「……ッ。な――、雪華、どの…!?」
「…………」
碧の目が、やはり今まで見たこともないような驚きに見開かれる。その直後、背後から複数の怒声が響き、ジェダイトが顔を歪めた。
「こっちだ! 走った跡がある!」
「……ッ! ぐ……」
腕を押さえ、ジェダイトが木の幹に沿って崩れ落ちていく。とっさに手を伸ばした雪華を押しのけるように、大きな影が視界を遮った。
「!」
「こっちだ…! 雪華、お前はおとりになれ! こいつは俺が連れてく!」
「航悠…! 頼む!」
立ちふさがったのは航悠だった。気を失ったジェダイトを肩に担ぎあげ、足音も立てずに繋いでいた馬の方へと走っていく。
雪華は身をひるがえすと、音を立てて逆の方向へ走り始めた。
「あっちだ! 追え! 追え……!」
航悠とジェダイトから距離を取るように、雪華は縦横無尽に夜の森を駆けた。
追っ手を撒き、迂回して陣に戻るとすでに航悠の馬が繋いであった。雪華は緊張した気分で天幕に入る。
「あ、雪華さん。大丈夫だった?」
「ああ。航悠と……シルキアの官吏は?」
出迎えた飛路に問いかけると、ちょうど航悠が後ろから入ってきた。成人した男を担ぎ上げて運ぶのはそれなりに骨が折れたようで、肩を鳴らしてぼやく。
「ああ、帰ってきたか。腕をやられてたから一応は手当てしてやったが、近くにあった小屋に繋いである」
「頭領。それは?」
「ああこれか。……暗器だ。こんなん使えるなんて、兵士じゃないにしろただの官吏でもねぇな」
航悠が床に投げ出したのは、銀色の長い針だった。血のりが付き、あちこち欠けている。
見覚えのあるそれから、雪華はとっさに目を逸らした。
「……容体は」
「今日は無理だろうが、明日には喋れるんじゃねーの。……雪華。お前もしかして、顔見知りか?」
「……まさか。どこに接点がある」
問いかけにぎくりとしつつ表情が揺らがぬよう答えると、航悠の目が細まる。
……こいつのこういう視線は、苦手だ。すべて見透かされている気持ちになる。
雪華は飛路に視線を向けると冷静に命じた。
「繋がれてるなら、もう暴れる危険もないな。……尋問は、明日私が行う。それまで様子を見ていてくれ」
「あ……、うん」
航悠の視線を振り切るように天幕を出ると、大きく息を吐き出した。
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