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龍昇編

29、開戦

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 荒野を挟んで、藍地に白い龍が飛翔する斎国旗と、赤地に黒い太陽の刻印が輝くシルキア旗がはためく。
 整然と居並ぶ斎国軍の兵たちの最前で、右軍将軍が朗々と声を張り上げた。

「我ら斎国は、七百年近くの長きに渡り、この大陸東端の覇者であり続けた。国は栄え、民は富み、幾多の戦乱を乗り越えてなお、父母なる国土は豊かに満ちている。それはひとえに先人たちの努力によるものである! だが今、その国土を土足で踏み荒らそうとするやからがいる。我ら斎国全軍、皇帝陛下の代理人としてこの蛮行を決して許すわけにはいかぬ!」」

 兵たちの目はある者は使命感に燃え、ある者は恐怖を抱えながらも必死に前を向こうとしていた。
 それでも彼らの目的はただ一つだった。彼らが守ろうとしているものは、すべて彼らの背後にある。

「斎の民を、傷付けさせてはならぬ! 斎の国土を、一歩も踏ませてはならぬ! 我らの奮闘が、妻子を子孫を守るのだ! 者ども、迎え撃てーー!!」

 ほら貝の響きを合図に、両軍はいっせいに動き始めた。



「始まった…か」

 結局、奇襲は双方に情報が筒抜けだったことでうやむやになり、夜が明けると同時に戦いの火蓋が切って落とされた。
 高台から見下ろすと、青を基調にした斎国軍と黒と赤を基調にしたシルキア軍がいっせいにぶつかり合うのが見える。

 昨夜はあれほど静かだった国境の平原は、瞬く間に怒号と土煙と血で埋め尽くされ――朱朝討伐の変以来の騒乱が、この国に訪れようとしていた。

「両軍とも、後方の陣が到着しつつある。こりゃしばらくかかるぞ。斎が国境を崩されたら泥沼化だ」

「ここだけで食い止められればいいですけど……」

 戦場を見下ろした航悠と飛路が、冷静に分析する。雪華はその横で、同じく戦況を見ている松雲を振り返った。

「松雲。シルキアの陣は警備が手薄になっているか? 開戦のどさくさで、紛れこめないだろうか」

「あんたが行くつもりか? ……やめろよ。開戦直後でみんな殺気立ってる。もし見つかったら、絶対戻ってこれないよ」

「後軍がどう動くか少しでも掴めれば、対策の立てようがあるだろ。斎の軍師も予測はしているだろうが――」

「雪華。それは勧めない。開戦してしまえば、あとは小さな情報よりも大局を見る力の方が必要だ」

 真っ先に引き留めた飛路を松雲が援護する。それでもなお落ち着かない雪華の肩を、航悠の大きな手が叩いた。

「そうだな。俺らは軍師じゃねぇ。でかい戦の情報掴むよりは、暗殺とか警護とか、小さい仕事の方が似合いだ。……つーわけで、しばらく出番もなさそうだから俺は軍の方に加わってる。ちょっくら不逞ふていやからでも斬ってきますよ」

「え。……おい!」

 引っ込むのかと思いきや、航悠は愛用の湾刀を片手に丘を下っていこうとする。雪華がぎょっと制止すると、彼は振り返ってにやりと笑う。

「まあまあ心配すんな。最前線には出ねぇからよ。俺が相手すんのは、禁軍の取りこぼしだ。いつの時代でも、正面にブルって横から不意打ちかけてくる馬鹿がいんのさ。そういう卑怯者には、相応の処罰がいるだろ?」

「オレも行きます。じっとしてられない!」

 すると飛路まで航悠に続いて駆け出した。軽やかな足取りで追ってきた部下を航悠は苦笑で迎える。

「いいぜ。ただし出しゃばりすぎんな。あくまで俺たちは禁軍じゃねぇ。自分にできることしかするな」

「はい…!」

「飛路。お前まで……! だったら私も――」

「ばーか。お前まで出ちまったら、誰が俺らの陣を守るんだよ。依頼を投げ出したわけじゃないんだぜ? いいから待ってろ。ちゃんと帰ってくるからよ」

 二人だけに危険を負わせるわけにはいかない。匕首ひしゅを片手に駆け出そうとすると、航悠の言葉に足が止まる。追い打ちをかけるように飛路が声を張り上げた。

「松雲さん、雪華さんが逃げ出さないようにちゃんと見張ってて下さいね。その人、放っておいたら付いてきそうだから」

「了解。せいぜい頑張って出稼ぎしてきてくれ」

 松雲の言葉を最後に、嵐のような素早さで二人の男が丘を下りて戦陣へと加わっていく。
 それを唖然と見送った雪華に松雲が冷静に告げる。

「……雪華。誰だって、向き不向きがある。焦って、馬鹿なことを考えるなよ」

「……分かってる。戦いにけたわけでもない私が行っても、足手まといになるだけだ。分かってる――」

 雪華は身の軽さを生かした諜報活動には長けているが、戦闘能力自体は護身術に毛が生えた程度で、大の兵士を真正面から何人も相手にする力はない。ここで出て行っても航悠や飛路のお荷物になるだけだ。

「……ここでできることを、しよう。残った仲間と、陣を守る。情報を集める。食事を用意する。手当てをする。それから――」

 戦地に赴いたとて、雪華が個人でできることなど本当に限られている。その無力さを思い知る。
 けれど、逃げ出すつもりは毛頭なかった。

「絶対、誰一人欠けることなく、陽連に戻るぞ……!」


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