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飛路編
終、受け継がれるもの
しおりを挟む斎国歴六八五年 三の月
シルキアとの間に、西峨の港湾を巡る戦いが勃発す。
されど皇帝・胡龍昇の記した親書により、早期に停戦へと持ち込まれる。
このとき使者としてシルキア陣営に赴いたのが、前皇朝である朱朝最後の皇女・朱香紗と、同じく前大将軍 宗飛天の嫡子・宗飛路である。
「斎国正史」より
あの戦の終結から、三年の歳月が流れた。陽連花街の一角にある蒼月楼の前で、馬に横乗りになった女に屋内から声がかけられる。
「雪華さーん。荷物、これで全部?」
「たぶんな。……あ! 地図を忘れた」
「うわっ! いいから、飛び降りないで! オレが取ってくるから……!」
「別にこれぐらい、大丈夫だと言うのに」
「い・い・か・ら、そこにいて! 今が大事な時期なんだから――頼むよ、本当に」
慌てたような声の主は、言わずと知れた飛路だ。馬上の雪華を残して二階へと駆け上がる足音を聞きながら、雪華はほどよく晴れた秋の空を見上げた。
肩の上で短く切りそろえられた髪が揺れ、軽くなった頭が気持ちいい。
使者としてシルキアの陣に赴いたあと、結局雪華は眠ったまま飛路に抱えられて斎へと戻り、目が覚めたら腹の痛みと引き換えに戦は終わっていた。
目覚めてから聞いた話だが、月のものでもないのに下からかなりの出血をしていたらしい。
それ以来、腹部の痛みはぱたりと収まったが――あとから考えると、あれはもしかしたらそういうことだったのかもしれない。
(……ごめんな。鈍感で)
腹を撫で、失ったかもしれない命と新たに宿った命を同時に慈しむ。
今日、雪華と飛路は暁の鷹を離れ、飛路の故郷である東匠へと出発することになっていた。
「安定期入ったばかりで行くのも大変だろうが、冬になるともっときついしな。まあお前なら大丈夫だろ」
「うえっ……あ、姐御……お元気、でっ……。ひっ」
「鼻水を拭け、梅林。……世話になったな」
航悠の発言を皮切りに、仲間たちが次々にはなむけの言葉をくれる。間食の甘味を手渡しながら青竹が糸目でつぶやいた。
「まさかあんなガキに捕まるとは、副長も焼きが回りましたね」
「そうだな。だが、目はたしかだったと思うぞ?」
「雪華。これ持っていけ。安産祈願だ」
「ありがとう松雲。あの馬鹿三十路をよろしくな。どこかで落ち着かせてやってくれ」
「余計な世話だっての。……お、噂をすれば旦那が来たな。よし――」
苦笑した航悠が、降りてくる足音を聞きつけて突然雪華の手を握った。外に出てきた飛路が目を見開く。
「雪華さんおまた――、あー! ちょっと頭領! なに手なんか握ってんですか!」
「いいじゃねぇか。減るもんでもなし」
「減ります! まったく油断も隙もない! 放して――、って、痛っ! いたたたたた! 頭領…! 手がもげますって!」
航悠の腕を掴んだ飛路が、逆にその手をひねり上げられた。関節技をきめられ、飛路は本気の悲鳴を上げる。
そんな飛路に航悠は顔を近づけ、ドスのきいた声でにこやかに告げた。
「飛路。お前――結婚前に孕ませた罪は重いぞ」
「だからもともと、今年中には結婚するつもりだったって何度も――! ていうか怖っ! 顔マジで怖いですよ頭領…!」
「おーい。何じゃれてるんだ。置いてくぞ」
「えっ、嘘。待って!」
航悠にようやく解放され、ひらりと馬にまたがった飛路が雪華の体を挟んで手綱を握る。その肩はあの頃より厚みと高さを増し、年上の仲間たちと並んでもなんら遜色なくなっていた。たくましくなった上半身に、雪華は身重の体を預ける。
「じゃあな。……楽しかった。みんな達者で」
「色々、ありがとうございました。必ず……幸せにします」
「私が幸せにしてやると、言っているのに」
今はしっかり戸籍と土地…この国で生きる権利を得た仲間達に見送られ、陽連をあとにする。街道に出ると、秋の風が頬を揺らした。
「……楽しみだな」
「そう? オレは今から不安だけど。出産大丈夫かなとか、名前なんにしようとか。オレもちゃんと、父親やれるかなとか」
「お前が色々考えてくれてるから、私はどんと構えていられるよ。……こんな穏やかな日が来るなんて、思わなかった」
「安心して。オレが――守るから」
ばっさりと後ろ髪を切った、精悍な横顔を見上げる。……心も体も大人になった。つくづく、いい男に成長したと思う。
「そうだな。私の命は、お前に預けた。お前は、私を守れ。……一生、な」
そのうなじをくすぐると、飛路はあの頃と変わらぬ明るい瞳で小さく笑った。
「……御意」
-完-
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