異世界シンママ ~モブ顔シングルマザーと銀獅子将軍~【完結】

多摩ゆら

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17.転機

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「ケイ、ラスタ、少し話があります。昼休み前に私の部屋まで来てください」

 異なる世界への転移から三か月ほどが過ぎ、ココとの生活もなんとか落ち着いた頃。突然のヘレナ院長からの声掛けに仕事中のケイとラスタは顔を見合わせた。

「えっと……院長、あたし何かやらかしましたか?」

「ラスタ、なぜあなたは『何かやらかす』ことが前提なのです……。お説教ではありませんよ。あなた方とお話をしたいという方がいらっしゃってます」

「…?」


 首を傾げたケイとラスタは、指定された時間に院長室のドアを開いた。するとそこには、予想外の人物が待っていた。

「ヴォルクさん!? あれっ、先週も様子を見に来られてましたよね」

「ああ。時間を取らせてすまない。ケイ、ラスタ。そなたたちに少し頼みごとがあってな」

「……?」

 ヴォルクはいつもの軍服姿で座っていたが、侯爵家が管理する施設の定期的な見回りは先週に済ませたはずだった。ケイも軽く挨拶をして、近況を報告したのだが何かあったのだろうか。
 ケイとラスタ、二人の目に見つめられ、ヴォルクが歯切れ悪く話し始める。

「実は……侯爵邸うちの使用人が急に足りなくなったのだ。期間限定で良いから、手伝ってはもらえないか」

「え……? そんな感じでしたっけ? 先日伺ったときは十分いた感じでしたけど、あたしたちに侍女の仕事をしてほしいってことですか?」

 不可解な申し出にラスタが素早く疑問をぶつける。ヴォルクは首を振ると悩みを滲ませる表情で続けた。

「そうではない。やってほしいのは……介助の仕事なのだ。別邸の方で、伯母の面倒を見ていてな。夫に先立たれ、子供もないから私以外にもう身寄りがなく我が家で暮らしているのだが、普段世話をしている侍女頭のレダが腰を痛めてしまったのだ」

「えっ、レダさんが! 大丈夫なんですか?」

「ぎっくり腰で今は自宅で休ませている。レダももう年だからな……力を使うような介助をするのはそろそろ厳しいと思っていた矢先のことだったのだ」

「そうですか……。ヴォルクさんの伯母様って、お体が不自由なんですか?」

 36歳の甥の伯母というなら、60代か70代ぐらいだろうか。元の世界なら高齢者といってもまだ若い方だが、この世界では結構な老齢だ。

「そうだな。数年前に脳を患って、半身が動かしづらい。言葉も不自由でな……。口から食べるのと、座ることはできるが歩くのは難しい」

「なるほど……」

(脳卒中で片麻痺かたまひ。言葉が不自由ってことは失語か構音障害かな? 要介護3か4ってとこか)

 それは確かに生活の世話だけではなく介護が必要な状態だ。侯爵の血縁ともなれば身分が高すぎて養老院に入れるわけにもいかず、ヴォルクが面倒を見るよりほかないのだろう。
 ケイは冷静にそう分析し、ラスタとうなずき合う。

「とは言え、あたしたちの養老院での仕事はどうなるんですか? ここクビになっちゃったら困るんですけど。あとは勤務体制とか、待遇とか――」

「それについては、カルム養老院からの出向という形にします。次の方が見つかるまでというお話でしたし、侯爵から話を伺って私があなたたちを推薦させてもらいました」

 それまで背後で静観していたヘレナ院長が口を開いた。二人が振り向くと、ヘレナはゆっくりとうなずく。

「まずラスタは侯爵邸で少し働いたこともありますし、物怖じせず経験が豊富。言葉遣いや態度が少々心配ではありますが……まあ、大丈夫でしょう」

「やだ院長ったら。褒められたら照れますよ」

「指摘もしていますよ。それからケイは、侯爵ともご縁がありますしあなたの介護技術は目新しくて役に立ちます。ここでは一通り伝えてもらったようだから、ぜひ侯爵邸の方でもそれを発揮してほしいのです」

「あ、ありがとうございます。でも、お一人に向けての専属介護なんてしたことがなくて……。ヴォルクさん、差し支えなければ、伯母様ってどんな性格の方なんですか?」

「そうだな……。病を患う前は、物静かで穏やかな方だった。今は表情も言葉もなかなか読めなくてな……ぼんやりしていることが多い。理不尽にきつく当たることはないと思うが」

 体の状態とヴォルクから聞き取った性格をもとに、対象者のイメージを膨らませる。
 ……介護できないことはない、と思う。ラスタと一緒ならなおさらだ。だがそれで即断できるほど簡単な話でもない。

「待遇については、こちらが無理を言っているので優遇させてもらう。それでもやりづらいと思ったら、断ってもらって構わぬ。それでそなたたちに不利益が生じることもない」

 具体的な待遇や勤務体制案を聞いて、ラスタがふんふんとうなずく。話を聞き終わるとラスタは迷いなく手を挙げた。

「あたし、やります。短期の出向扱いでちょっとでも稼げるならそっちの方がいいし。旦那もいるので侯爵邸に住み込むのはさすがに遠慮しますけど、条件最高じゃないですか」

「そうか。感謝する。……ケイはどうだ? ココも含めて住居は我が家で保障するが」

 視線を振られ、ケイは言葉に詰まった。魅力的ではあるが、もう少し冷静に考えたい。

「すみません……少し時間をいただいてもいいですか。ゆっくり考えたくて」

「分かった。明後日にもう一度寄らせてもらう。良ければそのときに答えを聞かせてくれ」





 約束の二日後、ケイは再び養老院の応接室でヴォルクと向き合っていた。
 院長に頼んで、今日は二人きりにしてもらっている。ヴォルクを目の前にして、ケイは家で考えたこの件についてのメリットとデメリットを今一度思い浮かべた。

 侯爵邸で仕事をするメリットは、まず何といっても待遇だ。金銭面もそうだが、使用人部屋とはいえ住み込みで住居も用意してくれるし、他の使用人の子供と混じってベビーシッター的に面倒も見てくれると聞いた。
 今の託児所もいいが、通勤時間がゼロというのは魅力的だ。ココもヴォルクや侍女頭のレダになついているし、仕事中もなんとなく様子が窺えるのはケイとしても安心する。

 それに対してデメリットは、やはり対象者がヴォルクの伯母一人という点だ。ヴォルクは不利益はないと言うが、何か重大な失態があったら、もしくはその伯母に嫌われでもしたらケイの仕事上の立場は微妙になる。
 カルム養老院に戻れる保証があるとはいえ、図らずもケイの後ろ盾となってくれているヴォルクの信頼を損ねるのはケイにとって恐怖だった。仕事の面だけでなく、心情的にも。それを含めてケイはヴォルクを見上げる。

「ヴォルクさん。侯爵邸でのお仕事の話、魅力的だと思います。できればお受けしたいと思っています。でも、その前に一つお話ししておきたいことがあります」

「ああ。なんだ?」

「もし、私に……伯母様に対する特別な介護を期待されているなら、それはやめてほしいんです。私、こういう仕事をしていますけど、別に博愛なわけでも人助けが好きなわけでもなくて。職を選んだ理由は働かざるを得ない状況があって、自分にできることと働く条件を照らし合わせた結果で、それがたまたま性に合っていたから続けてきただけなんです」

 ケイの言葉にヴォルクが意外そうに目を見開く。それを受けてケイは続けた。

「仕事だから、しもの世話も平気です。仕事だから、少しぐらい嫌なことがあっても受け流せます。もし私が働く姿を見て、私のことを優しいとか慈愛があるとか思われてこの依頼をされてきたのだとしたら、それは幻想です。……私たち介護者も人間です。ウマが合う人もそうじゃない人もいる。お金を介しているから、他人だから優しくできている側面もあるということを忘れないでほしいんです」

「…………」

 どれだけ介護の対象者が気の合う人であろうと、逆に合わない人だろうと、所詮は他人だ。のめり込みすぎると後がつらい。だって、そう遠くない未来に亡くなる人が多いのだから。

 自分の心を守るために、ケイはずっとそうやって線引きをしてきた。同僚たちだって少なからずそうだった。
 それを越えて、家族のように接してほしい、想ってほしいと思われるのはケイにとって重荷になる。家族だからこそできない、許せないこともあると今まで何人も見てきたのだ。

「介護そのものについても、期待はしすぎないでください。そもそも伯母様に拒否される可能性もありますし、この世界の環境で、私にできることはもう出し尽くしています。『恵みの者』と言われたって、私にはすごいことはできないです。本当にただの一職員でしかないですよ。……それでもいいんですか?」

 固い顔で見上げると、ヴォルクが無言で見下ろす。しばし見つめ合い、先に沈黙を破ったのはヴォルクの短いため息だった。

「ずいぶんはっきりと言うのだな。正直、驚いたぞ」

「う……すみません。でも契約したあとで『思ってたのと違った』と言われるのは避けたいので……私も立場がありますし」

「ぶっ……。くく、確かにそうだ。すまぬ、そなたの事情も考えねばならなかったな」

 小さく噴き出したヴォルクにケイは首を傾げた。国の重鎮である将軍かつ侯爵相手に『私にも立場がある』と言ってのけた人間はヴォルクの人生において実は初めてだったのだが、その事実をケイは知らない。
 ヴォルクは苦笑するとまなじりを和らげてケイを見下ろした。

「それでも、頼みたい。……いや、ぜひそなたに頼みたい。はじめから、それほど強い期待をそなたたちに抱いていたわけではない。あくまでも次の者が見つかるまでの代わりで、仕事ということも分かっている。私の血縁だからといって過剰に構えることもなければ、私がそれを強いることもない。ただこの院でしているようなことをやってもらいたいだけだ」

「……はい」

「逆にはっきり言ってくれた方が、こちらも仕事相手として気兼ねなく接することができる。先日も言ったが、無理だと思ったらその時点でこの院に戻ってくれて構わぬ。それでそなたらに不利益が及ぶことのないよう、私が責任を持って対処する。結局は相性だからな。合う合わないはあるだろう」

「え……。いいんですか?」

「? いいも何も、そなたが言ったのだろう。私に異論はないが?」

 対象者の家族が抱きがちな幻想を打ち砕くような、かなりきつめのことを言った自覚があるがヴォルクはあっさりと受け取った。

 甥と伯母。直系ではないとはいえかなり近しい血縁だが、ヴォルク自身も客観的な線引きはしているようだ。それが二人の関係性によるものなのか、それとも将軍という人の生死を見てきた職業柄から来ているものなのかは分からないが。
 かなりの覚悟で伝えた出鼻がくじかれ、ケイは首筋を所在なく掻く。

「ええと、じゃあ……改めてよろしくお願いします。――あ! でも、私たち親子だけ特別扱いはしないでくださいね! ちゃんと使用人用の部屋にしてくださいね」

 頭を下げて新たな雇用主に挨拶すると、ケイははっと顔を上げた。この前のような特別待遇をされたら先住の使用人たちにどんな顔をされるか分かったものではない。
 念を押すように告げると、圧に押されたようなヴォルクが苦笑する。

「それは分かっているが――先日のような食事をたまにするのも駄目か?」

「だ、駄目です。特別扱いですから」

「ココに会うのも駄目か?」

「うっ……。ヴォルクさんが望むなら、そのぐらいは……」

 ココも喜ぶし――とさっそく誘惑に負けそうになり、ケイはぎゅっと目をつぶった。その顔を見てヴォルクは小さく笑う。

「ココと軽く遊んだり茶を飲んだりするのは? ……ああ、そうするとそなたもついてきてしまうな。さてどうするか」

「ヴォルクさん……もしかしてからかってます?」

 ケイが呆れたように見上げるとヴォルクは目を細めた。ケイが初めて見る、少し悪戯げな笑みだった。
 それに苦笑すると、ケイはふと視線を落とす。

「……今度こそ、ヴォルクさんとは呼べなくなりますね。ヴォルク様? 侯爵様……?」

 さすがに雇用主を『さん』付けするわけにはいかないだろう。ケイが寂しげに笑うと、ヴォルクはケイを見下ろしこちらも寂しげに笑った。

「いや……二人のときは、そのままで良い。そなたは……そなただけは、そのままでいてくれ」


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