初恋を眺めていた

根本美佐子

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【夏休み明け】

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【夏休み明け】

 夏休みが終わっても、まだ暑い日々は続いた。それでも、四クラスある教室の全てが一ヶ月半ぶりの授業の再開と、クラスメイトとの再会に浮足立つような雰囲気がしばらく続き、一か月後の体育祭が近くなってきた。

 一組二組の赤軍と、三組四組の青軍と別々の三学年合同体育祭練習が本格的になってきた途端に気が引き締まり、気が付けば赤軍と青軍の勝敗に大きく関わる赤青対抗集団ダンス対決の練習で応援団の係を中心に、クラスが一致団結し始めた。

 一年生だった去年は、先輩たちが中心になって、それに乗っかる感じだったけど、二年生は少し違った。
特に僕の四組は去年、赤軍に大敗した雪辱を果たすと、クラス全体の意気込みが違った。今年の集合ダンスは去年よりもみんな覚えが早く、今年のヒットソングで踊るせいで、誰もが浮かれながらダンスの曲を口ずさんだり、大声で歌ったり、楽しそうだったし、僕も楽しかった。

 だけど体育の授業が増えても、部活の練習量は変わらない。まるで休憩するみたいに数学や英語の授業を受け、居眠りをする奴が続出したけど、斜め前の席に座る五十嵐は居眠りをすることもなく授業を受け、部活でもバテることもなく相変わらず教科書どおりみたいな平凡だけど迷いのない投球をしていた。

 太陽が落ちるのが少し早くなったかな、そう思っていた夜に近い夕日の中を歩きながら、僕は五十嵐と二人きりになって、奈々子のことではなく、志望校はどこかと訊くと、五十嵐は恥ずかしがることもなくスポーツに力を入れていることで有名な高校名を口にした。

 その高校は文武両道で勉強も運動も出来ないと入れないけど、きっとコイツは推薦入試で受かって、僕よりもランクの高い生活を過ごすのだろう。

 でも僕も頑張ったら推薦入試は無理でも、一般入試で受かるかもしれない高校ではある。けど、その高校にどうしても行きたい理由はない。

 高望みを夢見るよりも、純粋に今、自分が望んでいることを探していた。

 僕は何になりたい?どんな高校生活を送りたい?誰と笑って生きていきたい?

 中学二年のなかなか終わらない夏。漠然とした未来を想像した。何にも浮かばないわけじゃなかった。高校でも野球部に入って、甲子園とか目指しちゃったりして……。

「世良さんもその高校に行くみたいなんだ。この前担任の先生から高校のパンフレットもらってるところ見てさ、不純な動機だけど世良さんを追いかけようと思う」

 五十嵐はもう理想を想像している。僕は少しの焦りと、また奈々子の話になったことに苛立ちを覚えたけど、こういう小さなストレスはすぐに忘れようと思った。

「アイツも成績いいし、夏の関東大会は二位だったし、受かると思うよ」
「うん、だから僕も頑張らないとって思ってさ、最近世良さんに過去の問題集借りたんだ」
「へぇ」

 やるじゃん。と思った。普段無口の奴でも、口実があれば好きな人に話しかけることも出来るんだなと、僕は途端につまらない気分になった。

「その問題集、凄くたくさん書き込みがしてあって、世良さんの字が凄く綺麗で勉強が凄くはかどるんだ」

「勉強もいいけどさ、部活をないがしろにするなよ。五十嵐はピッチャーなんだからな。打たせてアウト取るとかより、三振狙って行けよ」

「そのことなんだけどさ。最近、いや、先輩たちが引退してから守備がザルになってないか?」

「は?」

 威圧的にそう言い返したけど、実は最近守備が甘いことに僕も薄々気が付いていた。一年生のレギュラー候補と二年生の補欠三人のチームに、最近、負けはしないが押され気味と言うか、どこか宣戦布告を受けている気がしていた。

 それでもなんだかんだ負けないから、誰も気が付くフリをしていないけど、何人かはレギュラーの立場が危ういと感じる時がある。

 僕はライトだけど、運動神経をフル活用して、一年生やベンチ組からポジションを主死している。でも、内野は特にレギュラーと交代させられることがある。それはつまり、お前じゃなくても試合に勝てると言われているようなものだ。

 部活全体の雰囲気は悪くないけど、先輩時代の時よりも真面目で前向きな奴らが今年の一年生には多い。

 僕等二年生が道具の手入れをしなくなって、準備をしなくなっても、文句の一つも言わずに頑張っている姿は、もう僕等二年生には懐かしいものになってしまっていた。

 それでも、慣れと言うのは怖いもので、僕等二年生は頑なに手伝わなかった。けど、手伝わなくなった代わりに、五十嵐だけが後輩に「ありがとう」とか「お疲れ」と言っている姿を何度か見かけたことがある。

 後輩のご機嫌をとって嫌な奴。そう思ったこともあったけど、冷静になると正しいのは悔しいけど五十嵐だと思った。

 五十嵐は野球部でノリが悪いけど、それは五十嵐にとってはどうでもいいことで、それで嫌われるなら構わないという堂々とした姿勢をしている。

 無口だけど、嫌われる要因もない。相談を持ち掛けても信用できない人間でもない。

 ピッチャーという野球部では憧れのポジションにいるのに鼻にかけることもない。一緒に練習していたら、認めるしかない程、誰よりも努力しているのがわかるからだ。

 五十嵐はスポーツ選手にしては、体格に恵まれていない。それでも、センスがいい。誰よりもコントロールの良さに、野球部一番のピッチャーのお手本みたいな投球。

 そんな五十嵐の秘密を僕だけが知っている。世良奈々子に片思い中で一緒の高校を目指しているということ。
五十嵐に言わなかったけど、僕は随分前に母さんから知らされていた。母さんは奈々子のことを実の娘のように可愛がっているところがあって、いつもテストの成績を何故か僕に自慢して来たり、羨ましがったりしていることが多い。

 だけど、僕と奈々子は兄弟じゃない。小学校までは好きだった同級生の女子で、今じゃただのご近所の娘さんだ。クラスも隣の三組だし、無関係だ。

 やっと分かれ道について五十嵐と別れた。家は近いけど、五十嵐は中学で転校してきたから、どんな小学生生活を送ってきたのかとか、誰も知らなかったし、僕も興味がなかった。

 家に着いて、制服を部屋のクローゼットにちゃんとかけた。そうしないと母さんがご飯のお代わりをくれないのだ。風呂に入り、部屋に戻って着替えたらエアコンをつけ、リビングで母さんが用意してくれたご飯を食べた。夏の運動後は時に食欲を奪うけど、食べ始めてしまえば、いくらでも食べれると思った。これぞ成長期。

 涼しくなった部屋に入った時、いつもだったらスマホを見たりゲームをしたり漫画を読んだりする。だけど、もう五十嵐は今日の授業の復習をして、明日の授業の予習をして、奈々子から借りた高校の過去問題を解いているかもしれないと思ったら、なんだかそんな気分になれなかた。

 別に五十嵐と奈々子と同じ高校に行きたいわけじゃない。それでも、三人で試験を受けて僕だけが落とされるのは嫌だなと思い、勉強をしようとカバンから教科書とノートを出そうとカバンを開けた。中身はグローブとスパイクと空っぽの水筒だけだった。

 仕方がなく、クローゼットの下に置いたままだった一年生の時の教科書の中から英語の教科書を取り出し、書き込み一つしていない教科書にシャープペンで英文を訳して書き込んでいった。

 この日から、毎日短時間だったけど勉強を習慣化させるようになった。

 大人になって勉強しておけばよかったって、何度か大人が言っているところに出くわしたことがあるけど、大人になってもしようと思えば勉強は出来る。でも、中学生の時にしかできない中学生の問題がきっとある。答えを探す時間はあと一年半。
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