3 / 59
約束された幸せな人生(3)
メリーティアは帝都のホールトン邸を飛び出し、ハイゼンベルグ領にある実家に帰った。
帝都からハイゼンベルグまでは馬車で二週間ほどかかる。実家に辿り着いた頃には両親も兄も事情を把握していたのか、メリーティアを快く出迎えてくれた。
少し身体を休めてから、夕食の席につく。
突然帰ってくるに至った理由を話すうちに、だんだんと気持ちが楽になっていった。ひさしぶりに両親の顔を見たせいか、身体からほっと力が抜けていく。冷静になった頭で考えると、グウェンダルがメリーティアを裏切るはずがない、という結論に至った。
両親も兄もしきりにグウェンダルを庇う。それだけ彼は誠実な人なのだ。
疑ってしまった自分が恥ずかしい。
メリーティアが実家に帰ったと使用人から聞いたのか、グウェンダルからの手紙が早馬で先に着いていた。母から渡されて中身を読むと、「君を裏切るような真似は決してしていない。私が愛しているのはメリーティアただひとり。だがあの夜のことは何も覚えていないんだ。私を信じてくれ」と少し崩れた字で綴られていた。よっぽど慌てて書いたのだろう。
多忙な日々が続いていたから、たまたま酒に酔って眠ってしまったのだろうか。
――それとも、グウェンダルへの想いを拗らせたトリーが何かしたのかもしれない。
早く帰らないと! と立ち上がるメリーティアを、兄がどうどうと宥めて座らせる。今日ハイゼンベルグ領に着いたばかりだし、何よりも今は夜だ。こんな時間に出発するのは危ないと説得され、メリーティアは渋々腰を落ち着けた。
理由はどうあれ、せっかくひさしぶりに実家に帰って来たのだ。少しゆっくりしてから帰ってもいいかもしれない。それに、まだ家族には妊娠したことを報告していなかった。メリーティアはこっそりとおなかを撫で、苦笑する。
これから母親になるのだから、もっとどっしりとかまえていられるようにならないといけない。あんなゴシップ記事で動揺しているようでは、公爵夫人にも騎士団長の妻としても相応しくないだろう。何があろうと、自分だけはグウェンダルを信じてあげなければならない。
ホールトン邸に帰ったら、グウェンダルにキスをしよう。不貞を疑ったことに対する謝罪の気持ちと、彼を変わらず愛しているという気持ちを込めて。
グウェンダルはおそらくとても心配しているはずだ。騎士団長という責任のある立場でなければ、仕事をほっぽりだしてメリーティアを迎えにきていただろう。
それから、あの日の夜に本当は何があったのか調べることをメリーティアは心に決めた。
本当にトリーがグウェンダルを嵌めたのなら、それ相応の罰を与えなければならない。
「今夜だけでもゆっくりしていきなさい」
「はいお父様」
「そうだ。マイルズが補佐官試験に合格したの。来年度から第二皇子殿下のもとで働くのよ」
「まあ! お兄様、すごいじゃない!」
マイルズは眼鏡のつるをしきりに押し上げて、照れくさそうにしている。皇族の補佐官と言えば、優秀な人の中でもたった一握りしかなることのできない憧れの職業である。
しかも第二皇子は側室が産んだ子でありながら、誰もが認めるほど聡明かつ人格者だ。皇后の息子である第一皇子を差し置いて、次期皇帝に推す声は非常に多い。ハイゼンベルグ家もまた、その家門のひとつであった。
両親も鼻が高いのか、うれしさが隠せていない。
父はメイドを呼ぶと、一本のワインボトルを持ってこさせた。
「お祝いにとアイボリー家からとても希少なワインをいただいたんだ。せっかくだからメリーティアもいっしょに飲もう」
ワイングラスに注いだものがそれぞれに配られる。
ボトルに巻かれているラベルには、『ヴィネコット』と書かれていた。ワインに詳しくないメリーティアでも知っているような銘柄である。しかもかなりの年代ものだ。『ヴィネコット』はアイボリー領でのみ生産されているため、アイボリー家にかかれば用意することも難しくないのかもしれない。
しかしそんな希少なワインをわざわざプレゼントしてくれるなど、なんて気前がよいのだろう。
アイボリー家とはさほど親交が深くなかったと思うが、第二皇子の補佐官になるマイルズに媚びを売っておきたい狙いでもあるのだろうか。
父はグラスを回し、匂いを嗅いで感嘆のため息をついている。
葡萄から作られているはずなのに、そのワインからは不思議と桃のような香りがした。甘く芳醇な香りに惹かれて口をつけてしまいそうになり、メリーティアは慌ててグラスをテーブルに戻す。
「あら、どうしたの? メリーティア」
「メリーはワインが苦手かな?」
「ううん、違うのお兄様。ワインは好きよ。でも――わたし、子を授かったの」
「まあ!」
唐突な発言に、母は口元に手を当てて目を瞠り、父はグラスをすべり落としそうになった。
まだ目立たないおなかを撫でて微笑むメリーティアに、三人とも「おめでとう」と声をそろえる。
「わたしのことは気にせずにワインを飲んでちょうだい」
「あぁめでたい。めでたいなぁ」
「そうねあなた。孫の顔が楽しみだわ。男の子でも女の子でも、きっととってもかわいいでしょうね」
「僕の補佐官試験合格と、メリーティアの懐妊に乾杯しよう!」
メリーティアも形だけグラスを掲げた。
美味しそうにワインを味わう三人の顔を眺め、メリーティアは顔を綻ばせる。不安を感じていたわけではないが、妊娠を喜んでもらえてうれしかった。
「――うっ、げほ」
慌てて飲んだのか、マイルズが目の前で咳き込む。兄に水を、とメイドに指示していると、母も父も同じように咳き込みだした。
高いワインも飲み慣れているはずだが、とびきり高級すぎて舌に合わなかったのかもしれない――なんて呑気なことを考えていると、ひと際大きく咳をした途端三人がびちゃっと大量の血を吐いた。
「…………え」
苦しげに呻きながら血を吐く姿を目にして、メリーティアは置かれた状況が理解できなかった。使用人たちの悲鳴や慌ただしい足音を聞きながら呆然とする。テーブルの上も、床も、一面が血の海だった。
テーブルクロスを掴んだ父が食器もろとも倒れ込む。もがくように喉をかきむしっていた兄が突然こと切れたように頽れた。口元を押さえた指の隙間から血を溢れさせた母が、掠れた声でメリーティアを呼ぶ。震える手を伸ばすが、その瞬間母の目がぐるんと上を向いた。
「ああ……ああ……」
メリーティアは声にならない悲鳴を上げた。この光景が現実だと信じたくない。夢なら覚めてと願っても、むせ返るような血の生臭さが残酷な現実をまざまざと突きつけていた。
執事によって呼ばれた医者が息を切らして駆け込んでくる。
彼は三人を診るとハッとして、それからただ首を振った。
メリーティア・ハイゼンベルグの人生は輝きに満ちていた。だけどもう、過去の話。
あなたにおすすめの小説
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
<完結>金貨5000枚で売られた王太子妃
ぜらちん黒糖
恋愛
「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」
甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。
旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。
「それは本当に私の子供なのか?」
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
死に戻りの悪役令嬢は、今世は復讐を完遂する。
乞食
恋愛
メディチ家の公爵令嬢プリシラは、かつて誰からも愛される少女だった。しかし、数年前のある事件をきっかけに周囲の人間に虐げられるようになってしまった。
唯一の心の支えは、プリシラを慕う義妹であるロザリーだけ。
だがある日、プリシラは異母妹を苛めていた罪で断罪されてしまう。
プリシラは処刑の日の前日、牢屋を訪れたロザリーに無実の証言を願い出るが、彼女は高らかに笑いながらこう言った。
「ぜーんぶ私が仕組んだことよ!!」
唯一信頼していた義妹に裏切られていたことを知り、プリシラは深い悲しみのまま処刑された。
──はずだった。
目が覚めるとプリシラは、三年前のロザリーがメディチ家に引き取られる前日に、なぜか時間が巻き戻っていて──。
逆行した世界で、プリシラは義妹と、自分を虐げていた人々に復讐することを誓う。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
異世界に逃げたシングルマザー経理は、定時退勤だけは譲れない
木風
恋愛
DV夫から一歳の娘を抱えて逃げた鈴木優子は、光に飲まれて異世界の王宮へ転移してしまう。
生きるために差し出した武器は簿記と経理経験――崩壊寸前の王宮会計を『複式簿記』で立て直すことに。
ただし譲れない条件はひとつ、「午後五時の定時退勤」。娘の迎えが最優先だからだ。
その姿勢に、なぜか若き国王ヴィクトルが毎日経理室へ通い始めて――仕事と子育ての先に、家族の形が芽吹いていく。
王女殿下のモラトリアム
あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」
突然、怒鳴られたの。
見知らぬ男子生徒から。
それが余りにも突然で反応できなかったの。
この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの?
わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。
先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。
お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって!
婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪
お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。
え? 違うの?
ライバルって縦ロールなの?
世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。
わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら?
この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。
※設定はゆるんゆるん
※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。
※明るいラブコメが書きたくて。
※シャティエル王国シリーズ3作目!
※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、
『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。
上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。
※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅!
※小説家になろうにも投稿しました。
裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……
希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。
幼馴染に婚約者を奪われたのだ。
レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。
「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」
「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」
誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。
けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。
レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。
心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。
強く気高く冷酷に。
裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。
☆完結しました。ありがとうございました!☆
(ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在))
(ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9))
(ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在))
(ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))