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転落(2)
メリーティアは視線を彷徨わせ、皇帝の姿を捜す。
処刑台が見える高座で椅子にゆったりと腰かけた皇帝は、人混みの中にいるメリーティアを見つめていた。彼の隣には皇后がいて、グウェンダルの死刑が執行されるのを今か今かと待ち構えている様子だ。そこには第一皇子の姿もあり、三角巾で腕を吊った彼はバツが悪そうに視線を伏せていた。
「陛下! 皇帝陛下……! お願いですっ、どうか……!」
遠くから必死に叫ぶメリーティアの様子を、皇帝はほの暗い笑みを浮かべてただ眺めていた。聞こえているはずなのに、取り合おうとはしてくれない。
直後、わっと群衆が声を上げる。メリーティアがつられて視線を向けると、ギロチンの刃が落ちるところだった。
肉と骨がぶつりと切れる音がして、すぐに重いものが転がる。
「…………ぁ、いや、いやよ……そんな……」
真っ赤な血飛沫が散るさまを目にして、メリーティアの目の前が暗くなった。足から力が抜けてしまい、立っていられずに崩れ落ちる。人に踏まれても、蹴られても、立ち上がることができなかった。
「――あら、そこにうずくまっているのはメリーティアかしら?」
遠のきかけた意識を引き戻したのは、この場に不釣り合いな弾んだ声だった。
「……トリー……」
メリーティアが顔を上げると、その悲惨な姿を目にしたトリーはせせら笑った。
グウェンダルとともにゴシップ誌に報じられた女だ。彼女もグウェンダルのことを愛していたはずなのに、トリーはちっとも悲しんでいる様子はなかった。
「……どうして笑っていられるの」
「どうしてって? 愉快だからよ」
「愉快? あなたもグウェンダルのことを愛していたのではなかったの……?」
メリーティアが据わった目で尋ねると、トリーは鼻で笑い飛ばす。顎をツンと上げた彼女はゴミを見るようなまなざしで、処刑台の上のグウェンダルだったものを一瞥した。
「あたしを好きにならないなら、死ねばいいのよ」
「――――は?」
「あの夜の真実を教えてあげるわ。あたしが彼に媚薬を盛ったの。……でも、あの男は介抱するために休憩室にいっしょに入ったあたしをテラスに追い出した。あんなに朦朧としていたくせに! あんたじゃなきゃ抱かないって言うのよ……! 彼がそのまま気を失ったものだから、あたしは一晩中テラスで過ごす羽目になったわ! あんな屈辱……許せるものですか! ……フン、いい気味よ」
最後の言葉は、グウェンダルとメリーティアのふたりに対して吐いたものに感じられた。
「あんたのそういう顔をずっと見てみたいと思っていたわ」
トリーは扇の先でメリーティアの顎をすくった。
いつも幸せそうに笑っていたメリーティアが、家族とグウェンダルの死により打ちのめされている。これを愉快と言わずしてなんと言うか。
トリーは昔からずっとメリーティアが嫌いだった。
実家は同じ爵位で、同じような事業を手がけているのに、ハイゼンベルグ家のほうが何事も上手くいく。トリーの容姿は華やかさに欠け、いつもメリーティアの引き立て役だった。トリーが好きになる男はみんなメリーティアを好きになってしまう。グウェンダルもそうだ。トリーの夫になった副騎士団長はさえない容姿で、家柄も大したことはない。いいものはなんでもメリーティアが持っていってしまう。
トリーはメリーティアからすべてを奪ってしまいたかった。
それが今やっと叶ったのだ。
だが群衆に揉まれて薄汚れていようと、絶望の涙に濡れていようと、彼女の美しさは損なわれない。トリーは大きく舌打ちした。
もっと絶望すればいい。輝く瞳を曇らせたい。この顔を歪ませるにはどうしたらいいだろうか。
「――ああ、そうだ。『ヴィネコット』はお口に合ったかしら?」
「……まさか」
「ふふっ、アイボリーはあたしの母の生家よ。皇后陛下に頼まれてあたしがハイゼンベルグに贈ったの。びっくりして死んじゃうくらい、とっても美味しかったでしょう?」
「……どうしてわたしの家族を殺したの? わたしのことが嫌いなら、わたしだけを殺せばよかったじゃない……っ」
目を真っ赤にして震える声を出すメリーティアの姿に、トリーはぞくぞくと背筋を震わせた。
「知らないわよ。言ったでしょ、皇后陛下に頼まれたって。あんたたちが第二皇子なんかを支持したのが悪いんじゃない? ほんとバカよね。冷酷無比な皇后陛下が、自分の息子を皇帝にするのに邪魔な存在を生かしておくはずがないじゃない。グウェンダルの剣はね、あたしの夫が盗んだのよ。ぜーんぶ第一皇子と夫の自作自演。あんたらがバカなおかげでうちの一族が皇后陛下に贔屓されて、あたしの夫が次の騎士団長よ。愚かでありがとう」
にっこりと微笑むトリーの顔を両目に映して、メリーティアは何も言葉にならなかった。
ハイゼンベルグ家も、グウェンダルも、皇位争いに巻き込まれて死んだのだ。第二皇子は一体何をしているのか、と姿を捜しても、この場には見当たらなかった。いたとしても、彼は力のない皇子だ。いくら人柄が優れていようと、それだけで皇帝になれるほど甘くはない。
今まではハイゼンベルグ家とホールトン家が彼の強力な後ろ盾だった。だが彼を支持していた家門はこれからどんどん背を向けるだろう。第二皇子を支持すればこうなる、というのを今まさに見せつけられたのだから。
「あんたが帝都にいて皇帝陛下に媚びを売って懇願していれば、グウェンダルは命だけでも助かったかもしれないのにね」
メリーティアが家出をする原因を作ったくせに、トリーは他人事のように笑っている。
「そもそもグウェンダルはあんたと結婚したのが間違っていたのよ。第二皇子を支持していたハイゼンベルグと縁故にならなければ、ホールトン家は中立でいたはずだわ。あんたを妻になんかしなければ、グウェンダルが皇帝陛下に目をつけられることもなかった。自分でもそう思うでしょう? あんたなんかと結婚したから不幸になったんだわ」
「……黙りなさい」
「えー? なんて?」
「黙りなさいって言ってるのよ……!」
トリーに掴みかかろうと腰を上げたとき、近衛騎士たちがメリーティアを取り囲んだ。
「邪魔よ! どきなさい!」
「メリーティア・ホールトン様。皇帝陛下がお待ちです」
「どういう意味よ? どこに連れていくつもり? 離してっ、離しなさい――!」
叫ぶメリーティアを、近衛騎士たちは丁重かつ強引に連行していく。
グウェンダルが第一皇子暗殺未遂で処刑されたいま、妻であるメリーティアにも同様の容疑がかかってもおかしくはない。このまま牢獄に入れられていずれは処刑されるのだろうか。
抵抗する気力が失せ、メリーティアは乾いた笑いをこぼす。
死んだほうがマシだ。家族もグウェンダルも殺された。生きていたって何の意味もない。
――ああ、でも。
メリーティアは自身のおなかを見下ろし、ぐっと下唇を噛み締めた。グウェンダルとの子どもの命がそこに宿っている。
初めて身体の内側からおなかを蹴られた感覚がして、涙がこみ上げた。
――死ぬわけにはいかないわ。
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