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最後のひとり(1)
しおりを挟むその日の夜、メリーティアはどうにも眠れない様子だった。窓際に置かれたイスに腰掛け、ハイテーブルに肘をついて夜空を眺めている。
ケイリクスが入浴に行く前とまったく同じ体勢だ。
無理もない。メリーティアが望んだこととはいえ、貴族令嬢の彼女には、昼間見た光景は相当衝撃が強かっただろう。やはり見せるべきではなかった。以前のようにまた睡眠薬を処方させるべきだろうか。しかしあまり薬に頼りすぎるのもよくない。
自分が彼女の心を癒やすことができたらいいのに。
ケイリクスは一瞬ためらったあと、慰めるべく近づいた。
「……眠れないかい?」
声をかけると、振り返ったメリーティアが見上げてくる。ピンク色の瞳は、夜に見ると紫にもよく似ていた。
「ええ、興奮して眠れないんです」
感傷に浸っているのかと思いきや、メリーティアの目は爛々と輝いていた。顔色もよく、声が弾んでいることから上機嫌なことが窺える。
メリーティアのこのような生き生きとした姿をこの頃あまり見られなかったせいか、ケイリクスは彼女のその秘められた残虐性などには目を瞑り、慈しみに満ちた笑みを浮かべた。
「あの女が死んで、少しは気分がよくなったみたいだね」
「わたし、あの人のこと嫌いだったんです。わたしとあなたを殺そうとした人ですもの」
「余も気分がいい。これでそなたを皇后にできる」
メリーティアは顔の前で指先を合わせると、パァッと表情を明るくした。
「それじゃあ、お祝いをしましょう。ワインで乾杯しませんか?」
「まだ身体は回復途中だろう?」
「……少しだけです。だめですか?」
「少しだけだよ」
ベルを鳴らし侍女を呼ぶと、ケイリクスより先にメリーティアが口を開く。
「あのワインを持ってきてちょうだい」
「かしこまりました」
それだけで通じたようで、侍女は頭を下げて退室していった。
ケイリクスが不思議そうにメリーティアを見る。彼女はそんなにもワインが好きだっただろうかと。メリーティアはわくわくとした様子で、侍女がワインを持って戻ってくるのを待っていた。
箱に入れられたワインと、グラスがふたつ運ばれてくる。侍女がコルクを開けようとすると、「あとはわたしがやるわ」と言って下がらせた。
「……それは?」
メリーティアが持つ箱を覗き込むと、蓋が開けられる。まるで宝石箱のようにベルベッドが敷かれた長方形の箱の中には、皇帝であるケイリクスでもあまりお目にかかれない銘柄のワインが入っていた。――『ヴィネコット』だ。
「これ、どうしたんだい?」
「兄が第二皇子殿下の補佐官試験に合格したときに、両親がお祝いでいただいたそうなんです。一本お裾分けしてもらったのを、タウンハウスから取り寄せておきました。特別な日に陛下といっしょに飲みたくて、今日まで大事にとっておいたんですよ」
「それはそれは、貴重なワインの価値がさらに跳ね上がったな」
ケイリクスがうれしそうに顔を綻ばせる目の前で、ワインのコルクを抜く。ふたつのグラスに注ぎながら、メリーティアはいつもより明朗に言葉を紡いだ。
形のいい唇が忙しなく動くのがかわいらしくて、ケイリクスは目が離せなかった。
「いい香りですね」
とぷとぷと静かに注ぎつつ芳醇な香りに酔いしれて、メリーティアは「はあ」と色っぽくため息をこぼす。同意してあげたいところだが、ケイリクスのほうまでは香ってこなかった。
『ヴィネコット』ともなれば、メリーティアが上機嫌なのも頷ける。
彼女がこんなに喜んでいるのは珍しい。もっと早くワインが好きなことを知りたかった。
目尻を下げてにこにこ笑う顔がかわいくて、何本だろうと、値段がいくらしようと、今後は『ヴィネコット』を買い占めようとケイリクスは心に決める。世界中からあらゆる銘柄のワインを取り寄せるのもいいだろう。
今日のメリーティアはとびきり美しくてかわいい。ケイリクスが彼女を見初めたデビュタントボールで、グウェンダルに対して見せていた無邪気な笑顔を彷彿とさせる。
そこまで考えて、ケイリクスはある違和感に気づいた。
メリーティアは今、心から笑っている。
ケイリクスの前では一度も見せたことがない、本当の笑顔だ。
モナを処刑したことくらいで彼女の心を得られたとは思えない。それなのに、なぜそんなふうに笑うのか理解できなかった。彼女が自分に心から笑いかけてくれるはずがない。だって、なぜなら、メリーティアはケイリクスのことを――、
「どうぞ、陛下」
スッと差し出されたグラスには、重厚な赤みのワイン。スワリングしてみると、官能的なまでの芳醇な香りの中に瑞々しい桃の匂いが混ざっていた。
「は」
ケイリクスは唇の隙間から息をこぼすように笑った。
この匂いを知っている。忘れられるわけもない。メリーティアがモナの画策により毒殺されたかけたとき、彼女が吐いた血からも同じ匂いがしていたのだから。
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