その悪女は神をも誑かす

柴田

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最後のひとり(2)

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 メリーティアもこの匂いに気づいているはずだ。気づいていながら上機嫌にしている。

 ケイリクスは続けて笑った。

 メリーティアはそんな彼をゆったりと笑って眺め、グラスを掲げる。

「乾杯しましょう、陛下。この喜ばしい日に」

 ケイリクスの持つグラスに軽くぶつけられ、ガラスの華奢な音が鳴る。
 グラスを口元まで上げたケイリクスが、メリーティアをそっと見据えた。

「――余が死ねば、そなたは幸せになれるのか?」

 月明りに照らされた部屋を静謐が満たしている。
 メリーティアが艶然と微笑むのを目の当たりにして、ケイリクスは悲しげに双眸を細めた。
 向けられた笑顔は、これまで見てきた彼女のどの姿とも比較にならないほど美しい。

 わかっていた。最初からわかっていた。メリーティアが自分のことを好きになるはずないのだ。グウェンダルを見つめるまなざしと、ケイリクスに向けられるまなざしは温度からして違う。
 メリーティアが愛しているのは、今も昔もグウェンダルただひとりだ。
 それなのにケイリクスに近づいたのは、これが目的だったのだろう。

 ――いつ気づいたんだ? 余がグウェンダルを殺そうと思っていたことを。

 彼を守るためだけにここまでするなんて、どうやらメリーティアのことを見誤っていたようだ。ケイリクスがメリーティアのためにこの世のすべてを壊せるように、メリーティアはグウェンダルのためなら自分だって犠牲にできる、というだけのことか。
 彼女にとって、自分はどこまでいっても邪魔者でしかない。

 今からだろうとグウェンダルを殺すこともできる。貴族ひとりに冤罪をかけて処刑するなど、ケイリクスには容易いことだった。けれどそうしてメリーティアを手に入れたところで、一生自分の心は満たされない。それがはっきりとわかってしまった。

 この離宮でだんだんと憔悴していくメリーティアを見てきて、自分の気持ちに気づいてしまった。
 彼女にこんな顔をさせたいわけじゃない。
 痩せ衰えていく彼女の姿は、ケイリクスに恐怖を抱かせた。
 メリーティアから笑顔を奪ってまで、無理やり手に入れたいとは思わない。
 笑っていてほしいのだ。ケイリクスが見惚れたあのときのように、幸せそうに、咲き誇った一輪の花のように、メリーティアには笑っていてほしかった。
 彼女を幸せにしたかった。

 一度メリーティアを手に入れてみた今だからこそわかる。彼女に対する自分の気持ちが、ただ美しいものを手元に置いておきたいという欲求ではないことも、何がなんでも彼女を自分のものにしたいというおぞましいだけのものではないことも。
 心の底からメリーティアを愛している。
 幸せを願っている。

 彼女がこれ以上傷つくことなく、自分を犠牲にすることもなく、ただ愛しいひとの隣で笑っていられるなら、その隣にいるのが自分でなくても我慢しよう。
 彼女が幸せになるための道を歩んでいくには、きっとケイリクスの存在が厭わしいのだろう。

 ――メリーティアに殺されるのなら本望だ。

「それでも愛しているよ、メリーティア」

 ケイリクスはワインを一気に飲み干す。毒入りとわかっていながらも、彼に躊躇はなかった。


 血を吐いて倒れたケイリクスは、かすかに声をこぼすだけで、もがき苦しむことも情けなくうめき声を上げることもなかった。
 血がカーペットに染み込んで、どす黒く染まっていく。生臭い鉄の匂いに混ざって濃い桃の香りが部屋に充満していた。やがて痙攣しだしたケイリクスの身体が突然ぴたりと止まり、絶え間なく吐いていた血は口の端からただたらりと垂れていく。
 それは生命活動が止まったことを意味していた。

 一部始終をイスに座ったまま見下ろしていたメリーティアは、立ち上がろうとして――足に力が入らずその場に座り込んだ。
 ついた膝のところからナイトドレスに血が染みてくる。
 足に力が入らないため、手で這うようにしてケイリクスに近づいた。その掌も血で汚れ、引きずった毛先も赤く染まっていく。
 横を向いて倒れているケイリクスの身体を仰向けに転がすと、その胸に耳をつけた。
 何の音もしない。

「はは、は、あはは」

 ケイリクスの死に顔は、不思議と笑っているように見えた。
 メリーティアの人生をめちゃくちゃにしておいて、心を壊しておいて、グウェンダルを、赤子を殺しておいて、自分が死ぬときは満足して逝くだなんて本当に憎たらしい男だ。
 この身に溺れさせてから殺してやったらさぞ怒り悲しむと思ったのに、意味がわからない。
 ケイリクスという男は、結局メリーティアには到底わかり得ない頭のネジが外れた人間なのだろう。べつに理解したくもない。

「わたしは嫌いだったわ。大嫌いだった。ずっと、今も、明日も、死ぬまで嫌い」

 そう吐き捨てて、メリーティアは立ち上がった。

 ――わたしが全員、破滅に導いたのよ。ネビルも、トリーも、ヨハンセンも、モナも、ケイリクスも! もう誰も殺されない! あんなことは二度と起こりようがないわ!

 達成感が胸に込み上げる。よくがんばったと自分を褒めてあげたい。復讐を成し遂げた心は晴れやかだった。ほんのわずかにある罪悪感には目を背け、今はただ喜びに浸っていたい。

 生き返ってからずっと絡みついていた緊張がほどけ、気づけば口から笑い声がこぼれていた。
 恐れるものはもう何もないからか、両足も、身体も、とても軽い。メリーティアは大声で笑いながら部屋をスキップで一周すると、扉を開けた。今なら空だって飛べそうな気分で、狭い部屋の中だけにとどまってはいられない。

 るんるんとスキップで廊下を歩いていこうとすると、いきなり腕を掴んで引き留められた。

「あ、グウェンダル」
「メリーティア、どこへ行く? 陛下はどうした? …………それは、血か?」

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