その悪女は神をも誑かす

柴田

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愛ゆえに(2)

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 一瞬の隙をついて、グウェンダルに無理やり穴をくぐらされる。すぐにあとを追ってくぐってくるから、逃げる暇もなかった。
 塀の外は、あまり人が近寄らないように木々が深々と茂り林のようになっている。すぐ隣に皇帝宮があるが、ここは離宮の管轄のため皇帝宮の人間は近寄らないよう徹底されていた。

 その林の中に、馬を連れた男が立っている。どうやらグウェンダルの手の者らしい。もしかしてメリーティアに「救い出してやる」と言ったそのときから、毎日ここに馬を連れて来させていたのだろうか。準備は抜かりないと言っていたが、周到にもほどがある。
 グウェンダルは男から手綱を受け取ると、メリーティアを先に鞍に乗せて後ろに跨った。それからメリーティアの頭の上にマントを被せてくる。急に前が見えなくなったことに慌てていると、「落ちるなよ」と囁かれたと同時に腹に腕が回され、馬が走りだした。
 メリーティアは悲鳴を上げたいのをなんとか堪え、腹に回されている腕に両手でしがみつく。

 皇宮内を馬で爆走するという暴挙に出ているが、見回りの騎士たちは馬上のグウェンダルを見ると素っ頓狂な声を上げるだけだった。

 ケイリクスの死体は離宮にある。離宮の騎士や使用人たちはグウェンダルが気絶させたため、まだ外には皇帝が殺されたことは洩れていないのだ。バレればたちまち非常事態宣言が発令され、皇宮、もしくは帝都の出入りが禁止される可能性が高い。
 そうなる前に帝都からは脱出しておきたい、というのがグウェンダルの考えだ。
 本来なら指示を出す立場であるグウェンダルがいないため、対応は遅れるだろうと予想している。

 静かな夜にそぐわない蹄鉄の音が響き渡る。走り続けてようやく城門が見えてきたが、この時間は当然閉ざされていた。
 グウェンダルは門衛の騎士に向けて声を張り上げる。

「――開門ッ!」

 メリーティアの護衛騎士に任命されてからは訓練に顔を出せていないが、騎士団内でグウェンダルは団長として畏れられている。特に訓練のときに集中的に扱かれる若手の騎士は、グウェンダルのよく通る張りのある声を聞いただけで反射的に震えあがった。

「えっ、団長!?」
「緊急事態ですか……!」

 戸惑いながらも門を開けた騎士の間を、グウェンダルは減速することなく駆け抜けていく。


 そうして帝都を抜けて次の街へと続く平原まで出ても、グウェンダルは走り続けた。

 馬がようやく脚を止めたのは、軒先にランタンが吊るされた宿屋の前であった。何もない夜の道をぼんやりと照らすそれはいい目印になる。次の街までは遠く、この平坦な道をさらにずっと走っていく必要があり、帝都と次の街までの間にはぽつぽつと宿屋が建てられていた。
 貴族や裕福な商人が利用するような立派な宿もあるが、グウェンダルが選んだのは旅人が利用するこぢんまりとした宿だ。こんなところにホールトン公爵が泊まるとは、誰も想像すらしないだろう。

 馬を厩舎に繋ぐと、グウェンダルは近衛騎士の制服を上だけ脱いだ。それをメリーティアに持たせて、彼女ごとマントにくるんで横向きに抱き上げる。
 宿屋に入ると慎ましいベルの音が鳴り、受付の奥の部屋から寝ぼけ顔の店主が慌てて迎えた。

 頭の禿げあがった店主は、グウェンダルを前にすると途端に目が冴えた様子で萎縮してしまう。人の好さそうな笑顔が見るからに引き攣った。騎士団長だということは知らない様子だが、まとう雰囲気が常人とは明らかに違う大柄な男が夜中に訪ねてくれば、誰だって恐ろしいと思うだろう。

「い、いらっしゃい」
「部屋は空いているか?」
「個室ですか? 空いてますけど……あの…………旦那、面倒ごとはごめんですよ」

 店主は、グウェンダルが抱いているものが明らかに人間の形をしていることに対して胡乱な目をする。まさか死体なのでは、と疑っているのだ。

「――駆け落ちなんだ」
「そ、そうですか……応援しています……」
「ありがとう」

 グウェンダルはさらっと嘘を言いながら、宿泊代金をカウンターの上に置く。目をまんまるにしていた店主が金を受け取り鍵をカウンターに置くと、すっと受け取った。

 宿屋の二階は、旅人が安く利用できるように雑魚寝スペースになっている。今は閑散期のようで、まばらに人が寝ているだけだった。
 木材が劣化しているのか、静かに歩いても軋む音が鳴るのが避けられない。なるべく音が鳴らないよう配慮しながら、グウェンダルは階段をさらに上がっていった。
 三階は個室が三つ並んでいる。今夜はどこも空いているようで三部屋とも扉が開け放たれていた。いずれも同じ作りで、そう広くはなさそうだ。

 いちばん奥の部屋に入るとグウェンダルは扉をしっかりと施錠して、ベッドにメリーティアを下ろした。

「……っぷは」
「苦しかったか?」
「大丈夫……だけど」

 ベッドに腰掛けたメリーティアの前に跪いて、グウェンダルは彼女の汚れた手をすくいとる。血はすでに乾いていて、手持ちの飲み水でハンカチを濡らしながら丁寧に拭っていった。
 それからナイトドレスを見やり、どす黒く変色している膝から下を躊躇いなく引き千切る。
 ハンカチとナイトドレスの端切れをカンテラの火で燃やすと、燃えがらを床に落として靴底で念入りに踏みつけた。

「……グウェンダル、あなたはばかね」

 離宮の使用人や騎士たちに手を出してしまった以上、皇宮に戻ればグウェンダルも罪に問われることは確実だ。騎士団長の地位も、ホールトン公爵としての地位も危うくなるだろう。
 そうまでしてどうして助けるの――なんてことは、もうわかりきっているから聞かなかった。

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