元禄大正怪盗伝

山岸マロニィ

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Ⅰ.トーキョー・ファントムシーフ

(9)最終選考

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 ――トウヤが目を覚ましたのは、応接間のソファーの上だった。
 凝った造りの照明を眺め、どうして自分がこんな場所にいるのかを思い出す。

「…………」
 ようやく事態を把握したところで起き上がろうとすると、そばに控えていた侍女が見に来た――トウヤを投げ飛ばした、あの大女だ。

「あの……お加減は大丈夫でしょうか?」
 彼はギョッとして身構えるが、彼女は大きな体を小さくしてしょげ返っていた。
「おまえはいつもやりすぎだと、お嬢様に叱られてしまいました。記憶はありますか? 骨は繋がっていますか?」

 妙な心配の仕方だが、過去にそういう目に遭った者がいてもおかしくないと思えるので、笑い事ではない。
「あ……いや、こちらこそ……」
 と、トウヤは首を竦めた。
「何と言うか……申し訳ありませんでしたッ!」
 もう、平謝りするしかない。

「謝らなければならないのはこちらですわ。試すような真似をしたのは私ですもの」

 そう声がして顔を上げると、扉の前にノノミヤ・ヒカルコが立っていた。
「お嬢様……!」
 その姿を見て、侍女はかしこまる。
「お休みになられたとばかり……」
「お客様がおみえですもの。この度はそこのタマヨが失礼をいたしましたわ」

 襟の詰まったドレスに着替え、髪をまとめ上げた姿は、見違えるほどに清楚な印象だ。
 改めて見ると、すれ違いざまに二度見するほどの美人である。大きな黒目に通った鼻筋。小ぶりの唇に引かれた口紅も、顔立ちの華やかさが勝るほど。

 ……男装していたとはいえ、こんな美人と取っ組み合いをしていたのか……と、トウヤは複雑な気持ちになった。

 そんな下衆な考えが恥じ入るような姿勢で、彼女はトウヤにこう言った。
「夜分に申し訳ないのだけれど、少しお時間をくださらない?」

 ◇

 ヒカルコに連れ出されたのは、礼拝堂だった。

 他の応募者の姿は既にない。投光器は片付けられ、静寂に包まれた庭からほんのりと月明かりが届く。そんな頼りない光がステンドグラス越しに射し込む礼拝堂は、昼間見た時とは全く違う幻想的な表情をしていた。

 扉を入ったヒカルコは、真っ直ぐに祭壇へと向かい、正面に立つマリア像を見上げた。
「このマリア像は、父が母に似せて作らせたの……幼い頃、母を亡くしたから、私が悲しまないように」

 突然語りだしたヒカルコの意図が分からず、トウヤは戸惑った。ただただ、白い偶像を見上げる美しい横顔を眺めるしかない。

「母はね、強すぎる潜在魔力に呑まれて死んでしまった――だから私は、魔法が大嫌い」

 彼女はそう言うと、トウヤに顔を向けた。
 背後の薔薇窓の幽玄さも含め、彼を見据えるその視線は、トウヤをゾクッとさせるものだった。

 ヒカルコは言った。
「これが、探偵選考試験の最終問題――私と一緒に、この国ヒノモトを敵に回す覚悟はあって?」

 それは、あまりにも想定外の質問だった。
 驚きを呑み込み、冷静沈着を装いつつ、トウヤは脳をフル活動させ正解を探る。

 ――この質問は、罠だろうか?
 仮にも公爵、しかも内務大臣を務める家柄のご令嬢という立場である。「国を敵に回す」などという事を軽々しく言うとは思えない。

 ならば、考えられる思惑はふたつ。

 ひとつは、ミソギである彼の、国への忠誠心を試している場合。
 だが、もしそうであるなら、わざわざこんな場所へ呼び出した上、自分の弱味を晒す必要など全くない。

 とすれば、もうひとつの可能性――彼女の言葉に嘘がない場合。
 母の死を契機として、彼女が生きていく上で魔法の存在が耐えられないものとなり、それを排除するためならば、家柄を棄ててでも、魔法全てを敵に回す覚悟がある、という意味だ。

 彼はヒカルコの目から真意を読み取ろうと、じっと透き通った黒い瞳を見据える。
 だが分かったのは、その真っ直ぐな視線からは、冗談や誤魔化しでは逃げられない事だけだった。

 彼女の瞳と、彼女を守るように立つマリア像。
 逃げ場のない袋小路に追い詰められた心地で、トウヤはヒカルコを見返す。

 ……どうしたものかと、脳波でリュウに呼び掛けてみるが応答がない。どうやら先程の騒動で、ピアス型脳波通信機が壊れたようだ。
 リュウの事だ。うまく逃げ出して、どこかに身を潜ませて今の状況を見てはいるだろうが……

 果たして、正解はどこにあるだろうか?

 そこで脳裏に浮かぶのは、彼の中に息づいているひとつの指針だ。

 ――『怪盗の心得 十九カ条』。
 師匠である怪盗十九号がよく言っていた、怪盗として恥じる事なく振る舞うための約束事だ。

 その中に、「怪盗は正直であるべし」というものがある。

「……いいか、嘘つきは泥棒のはじまりということわざがあるのは知っているな? だが、よく覚えておけ。逃げ隠れするようなコソ泥は、嘘をついて誤魔化さなければならないが、怪盗を極めれば嘘などつく必要などない。己の信念に嘘がなければ、正義がおまえについて来るのだから――」

 師匠がかつて言った言葉が、トウヤ脳内を巡る。

 当時はその意味がよく分からなかった。
 しかし、彼の弟子として経験を積むうちにその真意が理解できてきた。

 自分の信念に基づいた行動を常に意識すれば、周りが味方になるのだ。
 確かに、怪盗は悪人だろう。けれど、自分の『正義』にさえ嘘をつかなければ、やがて世界の方が変わっていく。
 一度、それをこの目で見ている――二十二世紀の東京で。

 とはいえ、今のトウヤにそんな力はないし、正体をバラす時でもない。
 ただ、自分の信念を正義と信じるのなら、何も誤魔化す必要などない、そう思った。

 トウヤは軽く頬を緩め、ヒカルコの視線を受け止める。
 そして答えた。


「この国だろうが神だろうが、正義のためならば、いつでも敵に回しましょう」


 正直、『正義』などという胡散臭うさんくさいものを信じてなどいない。
 だが、この世界に『絶対悪』が存在するとすれば、同じ人間の中に格差を穿つ、差別と偏見。

 悪の反対が正義とすれば、それらをなくす事は多分、正義なのだろう。

 ヒカルコの黒い瞳が揺れる。
 そのまましばらく無言で彼を見ていたが、やがて彼女は口元をフッとほころばせた。

「探偵選考試験に合格よ」


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