百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【弐】祭リノ前夜

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 唾でも吐きそうな勢いの桜子を、零は強引に廊下に引きずり出した。そして無言で、長屋門の外まで連れ出す。
 そこで桜子は腕を振り解き、零に食ってかかった。
「何で止めたのよ、この腰抜け!」
「私は腰抜けですよ……それでいいです……」
 零はそう言うと、道端にヘナヘナとへたり込んだ。
「心臓が止まるかと思いました……」
 そこで桜子は我に返った。――まだ数か月の付き合いとはいえ、桜子は、犬神零がこんなに情けない男ではない事は知っている。それ以上に、彼が決して人を叱り付けたりしない人物である事も。
 要するに、彼女の気持ちを鎮めるには、彼が道化役になる事が最善であると判断し、そのように演じているだ。
 桜子はそれを理解し、我を失った己の言動に赤面した。
「ごめんなさい。ちょっと、やり過ぎたわ……」
 桜子が手を貸し、零が立ち上がったところで、人の気配がして二人は顔を上げた。
 日はすっかり傾き、山道は薄闇に包まれている。その中を、ふたつの影がこちらに向かって来た。ちょうどその時、門灯が点灯し、その姿を浮き上がらせた。
 ――それは先程、洋間から出て来た、法被と刺し子の男二人だった。
 年長の方、多摩荘の法被の布袋様のような男が、ニタニタと愛想良く声を掛けてきた。
「いやあ、気風の良いお嬢さんだね。あっしは惚れたよ」
「……え? 聞こえてたの?」
「聞こえるどころか、ここから石垣を見上げると、洋間は丸見えだからな」
 ……確かに、洋間の明かりが煌々と薄闇に浮かんでいる。その視線を感じたように、若草色のカーテンが閉められた。桜子は思わず、赤い頬を両手で隠した。
「立ち聞きは悪いとは思ったけど、どうしても気になってね。……東京から来た探偵さんとは、人は見かけによらないですな。これからどうするんだい?」
「いやあ、本当は何とか取り入って、このお屋敷に泊めて頂けたらと思っていたんですが、無理でしたね……」
 零が頭を搔くと、布袋様はハハハと腹を揺すった。
「じゃあ、うちに泊まりな。あっしは、街道沿いで宿屋をやってるんだよ」

 つづら折れを下り、月原山道に出る。田んぼの広がるこの辺りには街灯もなく、雲を透かした弱々しい月明りを頼りに歩くしかなかった。
 道すがら、男たちは名乗った。
 布袋様のような五十男は、又吉朝夫またよし あさお。温泉旅館「多摩荘」の主人である。
 刺し子を着た四十男は、「まるいや」という洋品店を営む婦人の夫で、村の長老である丸井宗右衛門まるい そうえもんの曾孫だと言った。
「今から帰ったのでは、途中で終電を迎えてしまうでしょうから、どうしようかと困っていました。旅館に泊まらせて頂けるとは幸運です」
 零が礼を言うと、又吉朝夫は太鼓腹をポンと叩いた。
「明日からは、天狗祭り目当ての客が多いんだけど、今日はまだ空きがあるからね」
 又吉朝夫は、商売柄愛想がいい。比べて、長老の曾孫の男はいかにも真面目な農夫で、黙ってぎこちない笑顔を貼り付け頷いている。
「先程は、寄合の言伝に行かれたとか。やはりお祭りの打ち合わせですか?」
 さりげなく零が尋ねると、朝夫はハハハと笑って誤魔化した後、渋い顔をした。
「探偵さんだけあって、答えにくい事をズバリと聞くねえ。……まぁあんたなら、すぐに調べ出すだろうから、隠しても無駄だね」
 朝夫は弛んだ首を竦めて見せた。
「竹子ちゃんと梅子ちゃんの依頼でやって来たって事は、『天狗の祟り』の事じゃないのかい?」
「はあ、まぁ……」
「あんたがたがあのお二人から、どんな風に話を聞いてるかは知らないがね、このご時世、あそこまで立派に育ったお嬢さんを、天狗の生贄にしろ、なんてむごい事を言う奴なんかいないよ。でもね、やっぱり怖いんだよ。特に、善浄寺――来住野さんとこより少しかみにある、この辺の皆が檀家になってる寺だけどね――、そこには昔、天狗の予言通りに洪水が起きた記録が残っててね。住職が、このまま二人が十五の誕生日を迎えるのは良くないと言い張るんだよ」
 朝夫は脂肪に包まれた肩をブルッと震わせた。零は眉を寄せた。――梅子の話と違うではないか。
「だからさ、十四郎さんに、二人のうちのどちらかでもいいから、遠くの女学校にでも出したらどうかとね、村の寄合で話し合って、それを伝えに行ったんだけどね」
「お聞き入れ頂けなかったと」
「そういう事ですわ」
 朝夫は頭をツルッと撫でた。
「これまで、屋敷から一歩も出してない大事な箱入り娘さ。それは分かってるけどね。このまま世間のセの字も知らずに大人になるのは、傍から見てても心配なんだよ。いい機会だと思うんだけどねぇ」
「なるほど……」

 返事をしながら、零は別の事を考えていた。
 梅子のあの様子からして、彼女が「村人たちが天狗の生贄にしようとしている」と思い込んでいるのは間違いないだろう。しかし、これまで十四年も彼女たちの成長を見守ってきた通り、村人たちに、姉妹を害しようなどという意識は、これっぽっちもないのだ。
 ならば、梅子にそう思わせているのは、一体何なのか? そしてなぜ、十四郎は悪意のない寄合の提案を拒絶するのか?

 四人は月原山道を抜け、青梅街道に出た。そこを渡った多摩川沿いにある建物が、温泉旅館「多摩荘」である。
 かつての宿場町の繁栄を思わせる、古びた造りだ。洒落た玄関の左右が格子になっているところを見ると、往時は妓館だったようだ。江戸の当時は、遊女が旅人を招いていたであろうその場所には現在、民芸品や写真が飾ってある。
 朝夫は「多摩荘」と染め抜いた藍の暖簾を潜り、声を上げた。
史津しづ、お客様だ。部屋を用意してくれ」
 零と桜子も後に続く。すると奥から「はーい」と返事が聞こえ、パタパタと足音が近付いてきた。
「お父っつぁん、寄合の皆さんが広間でお待ちかねだよ。……って、随分顔のいいお客様だね。いらっしゃいまし」
 史津と呼ばれたこの女は、又吉朝夫の娘である。実質、多摩荘の切り盛りをしている若女将だ。三十そこそこだが、こなれた雰囲気を纏い、三指をついて客を迎えるさまも板についている。ふくよかな体つきと愛嬌のある顔立ちが、妙に色っぽい。父が布袋様なら、娘は弁天様といったところか。
「来住野さんのところで一緒になってね。お困りのようだから、一晩お世話をして差し上げてくれ」
「こんないい男なら、一晩でも二晩でも歓迎しますよ。さあ、こちらへ」
 史津が二人を廊下の奥へ導くと、朝夫と長老の曾孫は、大勢の声のする襖に入って行った。
「あの様子だと、いいお返事を聞けなかったみたいだね」
 史津がそちらに目を向けた。
「だいたいの話は、道中で伺いました。こちらで、寄合の会合をされているんですか?」
「えぇ。父が寄合のまとめ役をしているものですから、いつもここで」
 そう言うと、史津はハァと溜息を吐いた。
「商売よりも寄合でね。旅館はあたしに任せきり。まあいいけどさ」
 史津は結髪に江戸小紋を着て、朝夫と揃いの法被を羽織っている。巧みな裾さばきで二人を奥まった部屋へ通すと、再び畳に三指をついた。
「ごめんなさいね、愚痴っぼくって。父のお客様って聞いて、つい」
 そして、「粗末なものですけど、お夕食をご用意しますので」と、部屋を出て行った。

 そこは、八畳ほどの和室であった。床の間には、花瓶に挿した百合が飾られている。
 それを眺める形で並んで腰を下ろすと、先程の出来事が気まずかったのか、道中黙っていた桜子がようやく口を開いた。
「顔がいいのは得ね」
「面倒も多いですけどね」
 桜子はストッキングに包まれた足を崩し、床の間の百合を見た。
「でも、ちょっと安心したわ。村の人たちが、あの双子を天狗の伝説通りにする気がないと分かって」
「そうですね。梅子さんも、ご心配なさる必要がないの知れば、安心なさるでしょうし、そうならば、竹子さんのご心配も、杞憂となる訳です。……もっとも、水川家との婚姻に関するものは残りますが、天狗の一件とは無関係ですしね。しかし、このまま帰る訳にはいきません。きっちり根拠を揃えて、依頼人に報告する責務があります。仕事ですから」
「じゃあ、明日、村の人たちにもっと詳しい話を聞いて、それを報告すればいいかしら」
「ですね。そうすれば、晴れやかにお祭りを迎えられるんじゃないでしょうかね」
 気になるところは数々残る。しかし、今回はその全てを明かす必要がある依頼ではない。これまで犬神零は、秘密の奥底まで明らかにしなければならない事件に、数多く関わってきた。そのどれもが悲惨な結末を迎えた事を知っているため余計に、過剰に首を突っ込むのは憚られるのだ。
「でも……」
 桜子は、今度は打って変わって、目をキラキラと輝かせて零を見た。
「明日の晩の前夜祭だけは、何としても見に行きたいわ」
「構いませんよ。簡単に解決しそうですしね」
 ……だが、この予想な大いに外れたのである。その後に起こる、数々の凄惨な事件が、彼らをしばらく、この水川村に引き留める事になるのだが、この時の二人は、まだ何も分かっていなかった。

 間もなく、史津が女中を引き連れ、お膳を持ってやって来た。
「田舎料理でお口に合いますかどうか。お酌で勘弁してくださいな」
 女中を下がらせ、史津は零の横に腰を据えた。――父から言われたのか、零の耳に入れておきたい事があるのだろう。
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