18 / 69
【参】巡ル探偵
⑤
しおりを挟む
結局、桜子はワンピースを三枚買った。東京にはない品で、とても気に入ったのは事実だが、情報料というのもある。
それらと濡れたワンピースを包んだ風呂敷を、荷物持ちよろしく持った新造と勝太が案内したのは、西集落の月原山道である。
「あれは確か、七夕の日だったよな」
新造は弟を振り返った。
「そうだよ。学校で七夕飾りを飾るからって、竹を持ってったもんな」
「そうそう、その帰りだから、十時くらいだったかな。――ちょうどこの辺りに来た時、向こうから……」
「……祟りじゃ……祟りが起きるぞ……」
それは、余りに異様な姿だった。ボロボロの着物を纏い、布袋竹の杖に寄り掛かるように腰を曲げ、月原山道を北の方から下ってくる。
「あな恐ろしや……この村は終わりじゃ……あな恐ろしや……」
真っ白な白髪を振り乱し、ボソボソと呟きながら歩く異様さに、農作業をしていた人々は皆手を止め、そちらに目を向けた。
これは良くない。新造は思った。若い衆頭として、この老婆を黙らせなければならないと。
「天狗の祟りじゃ……双子が、十五になってしまう……あぁ……恐ろしい事じゃ……」
なおも老婆は呟き続ける。新造は決意した。
「勝太、駐在所に行け。小木曽さんを呼んで来い」
小木曽とは、駐在所のお巡りである。勝太は心配そうに兄を見た後、橋へ向かい走って行った。
新造は前を向き、長靴の靴音高く、老婆に向かって歩きだした。
近くで見る老婆は、二重に腰を曲げているせいもあるが、酷く小さく見えた。彼女の行く手を遮る形で立ち、新造は声を張り上げた。
「婆さん、何者じゃ?」
すると老婆は、蛇のように頭をもたげた。じろりと睨み上げるその目が、死んだ魚のように濁っていて、新造はヒイッと声を上げかけた。
「私ャ、天狗様の使いにごぜェます。……あの娘たちが十五になれば、祟りが起きますだ……なんという事じゃ……あな恐ろしや……」
くしゃくしゃに丸めた藁半紙のような、皺だらけの口元を動かして、老婆は答えた。
「祟り? 何のことじゃ」
虚勢を張って嘲笑して見せたが、新造の心の内は恐怖でいっぱいだった。少し隙を見せたら、足が勝手に逃げ出すに違いない、そう思った。
だが老婆は嘲笑を許さなかった。見た目からは想像もつかない素早い動きで杖を振り、新造の鼻先にピタリ止めた。
そして、大きく目を見開いて新造の顔を凝視しながら、音割れしたレコードのようなかすれ声で呻いた。
「覚えておらぬか、あの災いを。語り継いでおらぬか、あの悲劇を。……この村は終わりじゃ。……恐ろしや……あな恐ろしや……」
「――それで、老婆はどうしたのですか?」
急に声がして、桜子はヒッと声を上げた。
「……なんだ、びっくりした。あなただったの」
振り返ると、犬神零が笑っている。
「はい。今、長老のところでお話を伺いまして。東集落に向かおうと、月原参道を歩いて来たら、何か話されていたので、気になりましてね。……それより、桜子さん、服をどうされたんですか?」
「え、あ、いや、……す、素敵だったから、買ったのよ。ねぇ?」
「そ、そう、じゃ……」
「あ、こちらが、まるいやの新造さんと勝太さん。……この人がね、えっと……」
「犬神零です。こちらの桜子さんの連れです」
新造は目を丸くして、妖怪でも見るような顔で零を見ている。……身なりから、そんな目を向けられる事にも、彼は慣れていた。ニコリと愛想笑いを返し、零は続けた。
「すいません、お邪魔でしたね。しかし、話が耳に入ってしまいまして。……その、天狗の使いという老婆は、その後、どうしたんですか?」
「消えたんだよ」
答えたのは勝太だ。
「ちょうどそこ、小屋があるだろ? あそこに来た時、煙みたいに消えたんだよ」
四人は勝太が示した場所へ向かった。そこは、月原山道を少し畦道に入ったところだった。畦道の脇に、ポツンと小屋が建っている。
「見た人は何人くらいいますか?」
「兄ちゃんと、そこら辺の田んぼにいた人が、十人くらいいたかな。あとは、僕と、小木曽さん」
「小木曽さんとは?」
「そこの駐在所のお巡りさんだよ」
零は小屋の前に立って周囲を見渡した。見晴らしの良い田んぼ道である。……この小屋以外。
零は舐めるように小屋を見回した。大小様々な板を隙間だらけに張った壁と、錆びたトタンの屋根。入口は観音開きの扉になっており、南京錠で閉じてあった。
「これは何のための小屋ですか?」
「リヤカーがしまってあるんじゃ。リヤカーを持ってる家ばかりじゃないからな、誰でも使えるように、ここに置いてるんじゃ」
「鍵はなぜ?」
「前、一回盗まれたんだよ。だから、鍵を付けたんだよ」
「鍵はどなたが管理されているんですか?」
「前は、うちのひいひい爺ちゃんが持ってたけど、一回失くしてな。それからは、善浄寺に預けてあるんじゃ」
「随分遠くないですか?」
「留守がちな家だと、使いたい時に困るから、絶対家に誰かがいるとなると、うちか善浄寺くらいなんだよ」
「それに、田植えと刈り入れン時くらいしか使わないんじゃ。でも、ないと不便なんじゃ」
「なるほど。……それで、老婆が消えた時には、鍵は掛かっていたんですか?」
「それは確かだよ。小木曽さんと一緒に確かめたから」
「中は見ましたか?」
「一応見ておこうと、俺が鍵を、善浄寺まで取りに行ったんじゃ。もちろん、中には誰もおらなんだけどな。小木曽さんも一緒に見たから、間違いない」
零は睨むように鍵を眺めていたが、そのうちニヤリと顎を撫でた。
「中を見てみたいですね」
ところが、それは事件の終盤までお預けになってしまった。
その時、月原山道をドタドタと走ってくる姿が現れたのだ。
「い、犬神さん! こんなところにおいででしたか!」
多摩荘の又吉朝夫である。大した距離ではないのだが、丸い腹をゆさゆさと揺らし、息も絶え絶えである。
「い、急いで、お部屋に戻って」
「何かあったんですか?」
すると朝夫は目を見開いてこう言った。
「ま、松子さん。……不知火松子さんが、お部屋で、お待ちです!」
まるいやの兄弟と別れ、慌てて多摩荘に戻る。
夜の祭りの見物客だろう、続々と人が暖簾を潜りやって来る。若女将の史津は、てんてこ舞いの忙しさだ。
「あ、顔のいいおじさん!」
「顔のいいおじさん!」
サチコとヨシコが、帳場であやとりをして遊んでいた。それに苦い笑いを向けて、零と桜子は部屋に戻った。
障子を開けた途端、神々しいばかりの気配を感じ、零も桜子も足を止めた。
――その気配の元は、部屋の隅で正座していた。そして、二人の姿を認めると、三指をついて頭を下げた。
「急にお邪魔をいたしまして、申し訳ございません。――私、不知火松子と申します」
それらと濡れたワンピースを包んだ風呂敷を、荷物持ちよろしく持った新造と勝太が案内したのは、西集落の月原山道である。
「あれは確か、七夕の日だったよな」
新造は弟を振り返った。
「そうだよ。学校で七夕飾りを飾るからって、竹を持ってったもんな」
「そうそう、その帰りだから、十時くらいだったかな。――ちょうどこの辺りに来た時、向こうから……」
「……祟りじゃ……祟りが起きるぞ……」
それは、余りに異様な姿だった。ボロボロの着物を纏い、布袋竹の杖に寄り掛かるように腰を曲げ、月原山道を北の方から下ってくる。
「あな恐ろしや……この村は終わりじゃ……あな恐ろしや……」
真っ白な白髪を振り乱し、ボソボソと呟きながら歩く異様さに、農作業をしていた人々は皆手を止め、そちらに目を向けた。
これは良くない。新造は思った。若い衆頭として、この老婆を黙らせなければならないと。
「天狗の祟りじゃ……双子が、十五になってしまう……あぁ……恐ろしい事じゃ……」
なおも老婆は呟き続ける。新造は決意した。
「勝太、駐在所に行け。小木曽さんを呼んで来い」
小木曽とは、駐在所のお巡りである。勝太は心配そうに兄を見た後、橋へ向かい走って行った。
新造は前を向き、長靴の靴音高く、老婆に向かって歩きだした。
近くで見る老婆は、二重に腰を曲げているせいもあるが、酷く小さく見えた。彼女の行く手を遮る形で立ち、新造は声を張り上げた。
「婆さん、何者じゃ?」
すると老婆は、蛇のように頭をもたげた。じろりと睨み上げるその目が、死んだ魚のように濁っていて、新造はヒイッと声を上げかけた。
「私ャ、天狗様の使いにごぜェます。……あの娘たちが十五になれば、祟りが起きますだ……なんという事じゃ……あな恐ろしや……」
くしゃくしゃに丸めた藁半紙のような、皺だらけの口元を動かして、老婆は答えた。
「祟り? 何のことじゃ」
虚勢を張って嘲笑して見せたが、新造の心の内は恐怖でいっぱいだった。少し隙を見せたら、足が勝手に逃げ出すに違いない、そう思った。
だが老婆は嘲笑を許さなかった。見た目からは想像もつかない素早い動きで杖を振り、新造の鼻先にピタリ止めた。
そして、大きく目を見開いて新造の顔を凝視しながら、音割れしたレコードのようなかすれ声で呻いた。
「覚えておらぬか、あの災いを。語り継いでおらぬか、あの悲劇を。……この村は終わりじゃ。……恐ろしや……あな恐ろしや……」
「――それで、老婆はどうしたのですか?」
急に声がして、桜子はヒッと声を上げた。
「……なんだ、びっくりした。あなただったの」
振り返ると、犬神零が笑っている。
「はい。今、長老のところでお話を伺いまして。東集落に向かおうと、月原参道を歩いて来たら、何か話されていたので、気になりましてね。……それより、桜子さん、服をどうされたんですか?」
「え、あ、いや、……す、素敵だったから、買ったのよ。ねぇ?」
「そ、そう、じゃ……」
「あ、こちらが、まるいやの新造さんと勝太さん。……この人がね、えっと……」
「犬神零です。こちらの桜子さんの連れです」
新造は目を丸くして、妖怪でも見るような顔で零を見ている。……身なりから、そんな目を向けられる事にも、彼は慣れていた。ニコリと愛想笑いを返し、零は続けた。
「すいません、お邪魔でしたね。しかし、話が耳に入ってしまいまして。……その、天狗の使いという老婆は、その後、どうしたんですか?」
「消えたんだよ」
答えたのは勝太だ。
「ちょうどそこ、小屋があるだろ? あそこに来た時、煙みたいに消えたんだよ」
四人は勝太が示した場所へ向かった。そこは、月原山道を少し畦道に入ったところだった。畦道の脇に、ポツンと小屋が建っている。
「見た人は何人くらいいますか?」
「兄ちゃんと、そこら辺の田んぼにいた人が、十人くらいいたかな。あとは、僕と、小木曽さん」
「小木曽さんとは?」
「そこの駐在所のお巡りさんだよ」
零は小屋の前に立って周囲を見渡した。見晴らしの良い田んぼ道である。……この小屋以外。
零は舐めるように小屋を見回した。大小様々な板を隙間だらけに張った壁と、錆びたトタンの屋根。入口は観音開きの扉になっており、南京錠で閉じてあった。
「これは何のための小屋ですか?」
「リヤカーがしまってあるんじゃ。リヤカーを持ってる家ばかりじゃないからな、誰でも使えるように、ここに置いてるんじゃ」
「鍵はなぜ?」
「前、一回盗まれたんだよ。だから、鍵を付けたんだよ」
「鍵はどなたが管理されているんですか?」
「前は、うちのひいひい爺ちゃんが持ってたけど、一回失くしてな。それからは、善浄寺に預けてあるんじゃ」
「随分遠くないですか?」
「留守がちな家だと、使いたい時に困るから、絶対家に誰かがいるとなると、うちか善浄寺くらいなんだよ」
「それに、田植えと刈り入れン時くらいしか使わないんじゃ。でも、ないと不便なんじゃ」
「なるほど。……それで、老婆が消えた時には、鍵は掛かっていたんですか?」
「それは確かだよ。小木曽さんと一緒に確かめたから」
「中は見ましたか?」
「一応見ておこうと、俺が鍵を、善浄寺まで取りに行ったんじゃ。もちろん、中には誰もおらなんだけどな。小木曽さんも一緒に見たから、間違いない」
零は睨むように鍵を眺めていたが、そのうちニヤリと顎を撫でた。
「中を見てみたいですね」
ところが、それは事件の終盤までお預けになってしまった。
その時、月原山道をドタドタと走ってくる姿が現れたのだ。
「い、犬神さん! こんなところにおいででしたか!」
多摩荘の又吉朝夫である。大した距離ではないのだが、丸い腹をゆさゆさと揺らし、息も絶え絶えである。
「い、急いで、お部屋に戻って」
「何かあったんですか?」
すると朝夫は目を見開いてこう言った。
「ま、松子さん。……不知火松子さんが、お部屋で、お待ちです!」
まるいやの兄弟と別れ、慌てて多摩荘に戻る。
夜の祭りの見物客だろう、続々と人が暖簾を潜りやって来る。若女将の史津は、てんてこ舞いの忙しさだ。
「あ、顔のいいおじさん!」
「顔のいいおじさん!」
サチコとヨシコが、帳場であやとりをして遊んでいた。それに苦い笑いを向けて、零と桜子は部屋に戻った。
障子を開けた途端、神々しいばかりの気配を感じ、零も桜子も足を止めた。
――その気配の元は、部屋の隅で正座していた。そして、二人の姿を認めると、三指をついて頭を下げた。
「急にお邪魔をいたしまして、申し訳ございません。――私、不知火松子と申します」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる