百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【伍】第一ノ事件

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 ――水川家の食堂。
 水川信一郎は、新聞を眺め珈琲を飲んでいた。彼は特に珈琲が好きという訳ではなかった。一度、取引先で出され、口にした途端、常に苛立っている精神が休まるのを覚えた。それから、輸入品を買い求めては、朝に昼に、事ある毎に飲むようにしている。
 妻の夢子は、隣の部屋に設えた祭壇に向かい、念仏を唱えている。祭壇の中央には、亡き愛娘・杏子の遺影が飾ってある。そして、その周囲には、どこから集めてきたか分からない、奇っ怪な人形たち。
 妻は、娘を亡くしてからおかしくなった。天狗伝説に傾倒しだし、あちこちから人形を集めだした。彼女に理由を聞くと、「娘の遺言なの」と言う。信一郎はあの日出張をしており、娘の今際に間に合わなかった。その遺言とやらを聞いたのは、夢子ひとりなのだ。……一度、夢子からその内容を聞いたものの、あまりに気味悪く、それ以来、その話題は避けていた。
 水川家は、水川産業の敷地の一角、小高い位置に構えた洋館である。セメント屋らしく、コンクリート造りの近代的な外装だ。百合御殿とまではいかないが、その威容は「セメント御殿」と呼ばれるほどである。
 水川村を一望できる食堂の窓辺にこうしていると、社長という立場にある優越感に浸れる。信一郎は新聞から目を上げ、珈琲カップを片手に窓の外を見た。川沿いに散らばる家々の小さな屋根が、昨日とは違う色に照らされている。梅雨が明けたのだろう。今日の本祭は暑くなりそうだ。
「おかわりはいかがですか?」
 メイドがポットを手に問い掛けた。
「飲み過ぎは良くないから、やめておこう」
 そう言いつつ、空のカップを置いた信一郎の脚は、途端に貧乏ゆすりを始めた。
 再び新聞をめくる。地元の話題の欄に、不知火松子の奉納舞の写真が載っていた。
 生きていれば、杏子は松子と同い年。今頃結婚して、子供のひとりやふたり、いたに違いない。
 ――彼女を失ったせいで、弟の滝二郎が、調子に乗り出した。
 彼は、村長という立場を貰い受けておきながら、息子の咲哉を来住野家に差し出そうとしている。
 強欲な彼は、水川産業という金の鶏が自分のものになると認識した上で、さらに、来住野家という魔法のランプにまで手を伸ばそうとしているのだ。
 信一郎としては、そんな弟のやり方は気に食わない。しかし、対抗する手段は、彼にはなかった。
 その苛立ちが、彼の貧乏ゆすりをさらに激しいものにする。
 その時、さらに神経を逆撫でる音が、風と共に窓から入ってきた。信一郎は顔を上げ、村を見下ろした。――パトカーだ。それも、何台も連なって、青梅街道から月原山道へと曲がっていく。……もしかして……。
 信一郎は貧乏ゆすりを止め、ニヤリと顎を撫でた。
 あの先にあるのは、まるいやのような百姓家と、来住野家、そして善浄寺しかない。
 彼も、天狗の生贄の話は知っていた。しかし、その結果が彼に有利にも不利にも働く事はなかったため、とりあえず、来住野十四郎に話を合わせていた。妻の手前、そして、社長を任された恩があるから、信一郎は十四郎に逆らえないのだ。
 ……もし、あの双子に何かあったとすると、最も慌てるのは、弟の滝二郎だ。もし、咲哉が口説いた方が死んだとしたら、来住野家乗っ取り計画は潰えるからだ。……そして姉妹の性格から、生き残るのは竹子だと、彼は思っていた。ところが、咲哉は臆病で、気の強い竹子に全くアプローチできない。
「――これは面白いじゃないか」
 信一郎は、つづら折れへと向きを変える車列を眺め、悦に入った表情を浮かべた。



 桜子が犬神零と面会を許されたのは、青梅署から捜査陣が到着してからだった。
 捜査の指揮を取るのは、赤松あかまつという警部補だった。壮年を少し超えたあたりの、額が広い髭面の男で、彼女が容疑者の連れだと知ると、捜査本部とした本宅の洋間に呼び出した。
 桜子が洋間に入ると、手錠姿で二人の警官に睨まれ、ソファに座らされた犬神零が情けない声を上げた。
「桜子さん、助けてください」
「知らないわよ、そんなの。……というより、どういう事ですか、これ」
「それは私も聞きたい」
 赤松は警官の一人、小木曽巡査に説明を促した。彼の話で状況を理解した桜子は溜息を吐いた。
「あなたらしいわ。間が悪いというか、墓穴を掘るというか」
「そう言わないで……」
 零は泣き出しそうな顔だ。
「とりあえず、この男の身元を確認したいのだがね」
 赤松に聞かれ、桜子はきっぱりと答えた。
「私の雇い主です」
「名は?」
「犬神零」
「職業は?」
「探偵みたいですよ」
「住まいは?」
「神田明神裏の楢崎ならさきさんっていうお宅に間借りしてます」
「生まれは?」
「さぁ」
「あなたとの関係は?」
「赤の他人です、お給金貰ってるだけの」
 赤松は髭だらけの顎を撫でた。
「なぜ、この屋敷に?」
「こちらのお嬢様がたから依頼を受けたんです。昨日今日行なわれる天狗祭りで、身に危険が降り掛かるかもしれないと」
「そして、依頼は達成ならず、と」
 皮肉っぽい目を赤松が零に向けると、彼は肩を竦めた。
「だから言ってるでしょう。依頼人を殺したりなんかしたら、依頼料が貰えなくなるじゃありませんか。そんな事する訳ないでしょう」
「一理あるな」
「この男が言っていた事と、彼女の証言に、食い違いはありません」
 書記係だろう。部屋の隅のテーブルで書類に向かっていた、刑事らしき男が赤松に言った。

 すると扉が開き、別の刑事が顔を覗かせた。
「村の診療所の菊岡きくおか医師を呼んで来ました」
「そうか」
 赤松は立ち上がり、警官たちに目配せすると、部屋を出て行った。検死の間、二人を監視しておけ、という意味だろう。
 立っていても仕方ないので、警官たちの顔色を伺いながら、桜子も斜め前のソファに腰を下ろした。
 そして、犬神零の姿を眺めて、再び溜息を吐いた。
「どうするのよ、これから」
「はい。しばらく帰られそうになくなりました」
「着替えを買っておいて正解だったわ」
 桜子は浴衣地のワンピースのポケットに手を突っ込んだ。
「しかし、いつまでもハルアキを多ゑさんにお願いしておく訳にはいきません。何とか身の潔白を証明したいのですが」
 零が言うと、小木曽が睨んだ。
「本官が誤認逮捕をしたと言うのか!」
「当たり前でしょう。あの状況のどこをどう見たら、私が殺人の現行犯になるんですか」
「確かに、状況から、現行犯はないな」
 書記係の刑事が口を挟む。――彼は喜田きだといって、赤松の部下である。
「な、なぜ、そう言い切れるんですか!」
「素人でも分かる。あの仏さん、死後硬直してたぞ」
「…………」
「死後硬直とは、死後二、三時間で始まり、六時間から八時間で全身に及ぶ。あの仏さん、全身が硬直していた。つまり、最低でも死後六時間は経ってる。現行犯は有り得ん」
 小木曽は表情を硬直させたまま、ポカンと喜田を眺めている。
「しかし、それで身の潔白が証明できる訳じゃない。死亡推定時刻のアリバイが証明できなければ意味はない。……とりあえず、遺体発見当時の状況でも聞いておこうか。おまえが第一発見者のようなものだからな」
「亀乃さんの悲鳴を聞いて駆け付けたので、第一発見者は亀乃さんですね」
「まあいい。……おまえが悲鳴を聞いたのは何時だ?」
「時計を持っていないので、はっきりはしないのですが、太陽の位置からすると、六時頃かと」
「最初に現場を見た時の様子はどうだった?」
「天狗堂の入口は濡れていました。そこを踏まないように入りましたから」
「足跡みたいなものは?」
「ありませんでした。――それから、被害者の衣装は乾いていました」
「それはどういう意味だ?」
 零は身を乗り出し、喜田の顔をまじまじと見た。
「被害者は、という事です」
 指先で鉛筆を弄んでいた喜田は手を止めた。
「雨の降っていない時間に被害者、そしては、天狗堂に入っています。濡れた足跡がなかったという事は、犯人もまた、床が濡れていない時間に、天狗堂へ入っています。雨の降っていた時間と合わせると、犯行時間が限定されませんかね?」
「なるほど。確か、昨晩は夜十時頃から降り出したな。……いつまで降っていたか、分かるか?」
 小木曽の隣の警官が答えた。
「午前四時頃まで降っておりました。夜勤でしたので、記憶しております」
「夜勤からこちらに出張とは……。ご苦労様です」
「……という事は、昨夜午後十時までに天狗堂に入った事になる。午前四時では、死亡推定時刻と合わないからな」
「あの……」
 夜勤明けの警官だ。
「首吊り自殺、というのは、考えられないでしょうか?」
 零は首を振った。
「それはありません。踏み台になるようなものがありませんでした。奥の祭壇も、きちんと整えられていましたし」
「それに、天狗堂の入口には履物が置かれていなかった。犯人が片付けたのだろう」
「それならば、他で殺害した後、運び込んだ可能性は?」
「それは検死で分かるだろう」

 そう言っていると、赤松が戻ってきた。
 赤松は喜田に命じた。
「被害者は、来住野竹子。死亡推定時刻は、七月二十日の午前零時から二時の間、死因は縊死いし、凶器はあの注連縄。索状痕さくじょうこんは一本だったため、別の場所で殺害してから吊るした可能性は低い。仏さんはあの場にぶら下げられて、命を落としたのだ。――捜査資料に記載しておけ」
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