百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【伍】第一ノ事件

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 ――午後一時。

 ようやく寝室から出てきた不知火清弥は、ガウン姿のまま、居間の椅子に腰を下ろした。
「二日酔いでして」
 赤松の前で、清弥は頭痛薬と思われる粉薬を飲んだ。
「昨晩の前夜祭には、おられなかったようですな」
「えぇ。私は義父おやじ殿に嫌われてますのでね。何も役割がないのに、知らない子供のお遊戯を見てるってのもつまらんのでね」
「では、昨晩は何をしておられたのですか?」
「銀座のバーで飲んでました。でも、こっちの終便、早いでしょ? 六時くらいには上がりましたよ。けど、立川で乗り損ねましてね。仕方ないから、ハイヤーを飛ばして帰って来たんですけど、酒の酔いと車酔いが重なって、散々でしたよ」
 かつて、二枚目スターと言われていたこの男だが、続く不摂生のせいだろう、血色の悪さが目立ち、すっかりオーラを失っている。こめかみを拳でグリグリと押しながら、清弥は続けた。
「着いたのは、十時半前だったかな? 降りる時、運転席の時計を見ましたからね。ハイヤーの運転手にも、長屋門のとこにいた警官にも、確認してもらえれば分かりますよ」
「そして、裏門から中に入られたと」
「裏門の方が、うちには近いですから」
「それがですね……」
 赤松は鋭い目を清弥に向けた。
「確かに、長屋門の警官の記録では、あなたが帰って来られたのは、十時十七分となっています。ところが、ちょうどその頃、裏門付近をうろついていた人物がいましてね」
 ――水川咲哉である。彼は懐中時計を持っており、雷雨のため梅子との接触を諦め、裏門を出た際、それを見ていた。それが、十時二十分である。
「彼は、裏門付近では誰にも会っていないと言っていますが、おかしいですね」
「…………」
「それに、妻の松子さんは、あなたが帰宅した時間を知らないと仰っている。彼女は十時半までは起きていたが、その後、就寝したと」
「…………」
「長屋門を十時十七分に出発して、この洋館に十時半に着かない、という事は、あり得ますかね?」
「…………」
「あなた、真っ直ぐに裏門へ行きましたか?」
「…………」
「水川咲哉君をやり過ごした後、天狗堂へ行きませんでしたか!」
「何だよ一体!」
 不知火清弥は激昂した。
「そんなに俺を殺人犯にしたいのかよ。証拠はあるのか、証拠は!」



 ――その頃。
 犬神零と椎葉桜子は、捜査本部となっている洋間に軟禁されたまま、退屈していた。
「……暇ね」
「暇です」
「そもそも、あんたが間抜けな警官に捕まるからいけないのよ」
「反省してます」
「……おい、間抜けとは誰の事だ?」
「誰かしらね」
「き、貴様ッ! 本官は、柔道黒帯なのだぞ!」
「あら、奇遇ね。私、薙刀の免許皆伝なの」
 ……こんな軽口を叩けるのも、見張りの警官が小木曽ひとりになったからである。そろそろ帰せと、水川兄弟が騒ぎ出したため、不知火家の聴取が終わるまではと、広間の見張りが増員されたのだ。
 相変わらず、官帽姿が初々しい小木曽は憤慨するが、零と桜子は構わない。逆に零は、余裕たっぷりな笑顔で小木曽を見た。
「実のところ、どうですか? 水川村の生活は」
「…………」
「暇でしょ」
「…………」
「お里はどちらですか?」
「な、なぜ、田舎の出身だと分かる!」
「制服の下、ふんどしでしょ? 動くと、紐が透けるから分かります」
「…………」
「東京の洋装紳士は、メリヤスの猿股を履くんですよ」
 すると、小木曽は頭を抱えて座り込んだ。
「お父うやお母あにゃア、東京の警察官さなるって大口叩いて出てきたンだ。だけンど、警察官さなってみれァ、こげにナンもない村の駐在だかンの。盆に里帰り……あ、ワシの田舎は農作業あるから八月だかンな、里帰りなぞできんと、悲しゅうなっとったンだ」
「お気持ち、お察しします」
 零は同情を込めて大きく頷いた。
「しかし、嘆いてばかりでは、何も始まりません。――どうですか、ここはひとつ、大手柄を立てて出世するというのは?」
「……大手柄?」
 零は小木曽に顔を寄せて囁いた。
「真犯人を、捕まえるんですよ」
 小木曽は驚いた顔を零に向けた。
「薄々分かってるんでしょ? 私が犯人でない事は」
「…………」
「このまま、私が犯人でないと赤松警部補が断定すれば、どうです? あなた、誤認逮捕の懲戒モノですよ?」
 小木曽はゴクリと唾を飲んだ。
「ど、どうすりゃ……」
「だから、真犯人を捕まえるんです。……いいですか、私に案があります」
 零は手錠をされた手で器用に鉛筆を持ち、赤松と喜田が置いて行ったメモ用紙に何やら書きだした。
「昨日、雨が降り始めたのが、夜十時頃。そして、竹子さんが殺されたのが、今日午前零時から二時の間」
 零が書いたのは、時計のようだ。針で時刻を示し、十時と二時の間を塗り潰す。
「……つまり、少なくとも十時から零時までの二時間は、犯人は天狗堂にいた、という事です」
「それは、つまり……」
「この時間にアリバイのない人物に限定して調べるんですよ」
 色めき立った小木曽は、喜田が置いていった調書の綴りを手に取った。
「そうなると、今のところ、アリバイのないのは……」
 小木曽は手を止めた。
「……来住野梅子、それに、来住野鶴代」
「久芳住職も、アリバイという点ではありません。家族の証言は証拠になりませんから」
「水川咲哉も、まだ裏付けがないわね」
「――それに、来住野十四郎」
 零はニヤリと顎を撫でた。
「この中に必ず、犯人がいます」

 ――ところがである。
 赤松が重要参考人として身柄を拘束したのは、不知火清弥だった。



 とりあえず自由の身とはなったのだが、屋敷の敷地から出ないよう、零と桜子は、赤松に厳しく言い付けられた。
 しかし、犬神零はタダでは起きない。不知火清弥が重要参考人となった理由を、赤松から聞き出した。そして、その理由は一応、納得できるものだった……。
 零は桜子に白い目で睨まれ頭を掻いた。
「不知火家を見落としていました……」
「本ッ当、役立たずね!」
「まぁ、そう言わないでください。小木曽巡査を手懐けたいための方便だったんですから」
「じゃあ、さっきのアリバイがどうとかいうのは、当てずっぽうなの?」
「いや、そんな事もないとは思っています。――それに、不知火清弥氏はシロですよ」
「なんで言い切れるの?」
「勘です」

 二人は、百合御殿の敷地を探索していた。午後の眩しい日差しは、すっかり百合を濡らした雫を乾かし、百合園は、朝とは違った表情を見せている。
 天狗堂の周囲には縄が張られ、立ち入り禁止の札が立てられていた。
 ――そして、小木曽である。一通り現場検証が終わった後の誰もいない天狗堂を、ひとりポツンと見張っている。
「やあやあどうも、誤認逮捕という栄誉が確定した小木曽巡査じゃないですか」
 零が近付くと、小木曽は歯を剥きだした。
「貴様の推理の方が当てにならんではないか、へっぽこ探偵!」
 歯軋りする小木曽の肩をポンポンと叩きながら、零は囁く。
「やはり、駐在所の巡査というのは、捜査に参加させて貰えないんですか?」
「貴様……ッ!」
「水川兄弟一族が帰り、私が解放され、見張る人がいなくなったから、ひとりポツンと、誰もいない事件現場の見張りですか。――全く不公平です。配属が違うだけで、捜査の経験値に差が出てしまいます。これでは、手柄の立てようがないじゃありませんか」
「…………」
「どうです? ――私にもう一度、現場検証させて貰えませんか?」
「もう終わってる。鑑識も来た。あとは何を調べるんだ」
「見落とし、ですよ」
「…………」
「もし、見落としがあってご覧なさい。赤松警部補は面目丸潰れです。ですが、私がそれを見付け、あなたが赤松警部補に報告する。そうすれば……」
 小木曽は唾を飲んだ。
「あなたは赤松警部補にとって、無視できない存在になります。あなたは誰か来ないか、見ていればいいいだけです。……こんな絶好の機会を、無駄にするんですか?」
 小木曽はしばらく零を眺めていたが、やがて小声で言った。
「入れ」

 ――桜子は思った。
 犬神零という人物を、絶対に信用してはならない。
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