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【拾】真相ヘノ道
①
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百々目は天狗堂にいた。
昨日から、暇さえあればここにいる。そして、未だ注連縄が括られたままの梁を見上げていた。
次から次へと浮上しては消えていく犯人像。動機、アリバイは簡単に崩れる。ならば、犯行の方法から絞り込めはしないか。そう考えたのだ。
祭りの準備をした貞吉と、村の寄合、若い衆連中に詳しく話を聞いた。それにより、分かった事がひとつ。
――この注連縄は、二十日の本祭で生贄となる動物を吊るすために、前日から用意されていた。
という事は、十九日の夜、被害者である来住野竹子がここへ犯人に呼び出された際に、彼女はこの忌まわしい注連縄の輪の存在を、不審には思わなかったのだ。
しかし、輪は長身の百々目が見上げる位置に固定されている。――どうやって生きた被害者を、ここにぶら下げたのか?
「……おや、警部殿ではありませんか」
そう言って入ってきたのは、犬神零である。
「桜子さんが、亀乃さんの手伝いをすると行ってしまいましてね。置いてけぼりで暇なので、散歩していました」
椎葉桜子が、立て続けに起こる事件で鬱いだ気持ちを紛らわそうと、亀乃の手伝いに励むのは理解できる。しかし、この男が暇潰しに散歩しているとは思えない。百々目の姿を見てやって来たのだ。……こういうところが信用ならない。彼はそう思った。
「君は一度、小木曽巡査を言いくるめて、ここを見ていたようですね」
「さすが警部殿、情報収集力が確かですな」
茶化す零を横目で睨み、百々目は再び梁に視線を戻した。
「……で、何か分かったのかね?」
「はい。――梁の上、注連縄の横一尺ほどだけ、埃がありません」
「それは、赤松警部補が言っていたように、別の縄を掛けて、被害者を吊り上げた跡なのでは?」
「本当にそう思っていて、警部殿はずっとここを見上げておられるので?」
百々目は苦々しく息を吐いた。
「ならば、君はどうやったと考えているんだね?」
「さぁ。警部殿のご意見をご拝聴したいところです」
百々目は首を振る。
「彼の言う方法では、屈強な男、もしくは複数犯しか犯人像が浮かばない。……しかし、もし、女の単独犯だと仮定した場合、その方法はあるのかと、ずっと考えている」
「――つまり、警部殿の中の犯人像は、女である、と」
「可能性の問題だ。……現状、貞吉氏と梅子氏のアリバイが出てきて、容疑者がゼロなのだ。アリバイを崩すためには、別の角度から犯人を絞り込むしかない。そのため、広い可能性を検証している」
「可能性、ですか」
零も並んで梁を見上げて顎を撫でる。そして言った。
「……ならば一度、実験してみませんか?」
立入禁止の目印に使われているロープと、見張り番をしていた小木曽巡査を拝借する。……頭の包帯が官帽で隠れているので、一見、元気そうである。
零は、二つ折りにしたロープを梁に投げて渡し、輪になった方を小木曽に持たせた。
「こうやって、首のところで持っていてください。絶対に手を外してはいけませんよ。死にますから」
そう言うと、零は背負い投げの要領で、思い切りロープを引っ張った。
「うわっ!」
小木曽が叫ぶ。だが、背伸びをした状態から上に上がらない。尚も零は力を込めるも、爪先立ちになった程度で、とても注連縄の位置までは上がらなかった。
「お、おい、し、死ぬ……!!」
小木曽が音を上げたところで、零は力を緩めた。床に尻餅をついた小木曽は咳き込んだ。
「やっぱり、小木曽さんでは竹子さんの代わりになりませんね。体格差が大き過ぎます」
「そ、そんなの、やらなくても分かるだろ!」
「それに、この梁、思ったより表面がザラザラしていて、ロープとの摩擦で力が必要です」
「なるほど……」
百々目は梁を睨んだ目を細めた。
「その上、この方法だと足りないものがある。……持ち上げた遺体を注連縄の輪に移す際に、ロープから手を離さなければならない。しかし、ここには引っ掛けておくようなところはない。同等の力を持つ協力者、もしくは、被害者の体重以上の重石が必要だ」
「確かに。……まぁ、犯人が怪力で、竹子さんをそのまま注連縄に吊り下げられるのなら、話は別ですけどね。それか、生贄の動物みたいに、動かない被害者を複数人で持ち上げ……」
そう言った零は、まるで電撃を受けたかのように身を強ばらせた。その様子に百々目は声を上げた。
「どうしましたか!」
「……ないんです」
「何がですか?」
零は見開いた目を百々目に向けた。
「――生贄が、ないんですよ!」
「…………」
「梅子さんは依頼に来られた時、こう仰っていました。本祭には、山で狩った猪か鹿を生贄にすると。……それを当日の朝、調達しますかね?」
意味を理解した百々目の表情がみるみる変わっていく。
「普通、遅くとも前日までに猟銃で狩って、吊るした時に血が流れないよう、血抜きをしたりしませんかね? ……例えば、あの水車小屋あたりで」
「しかし、それらしいものは、この屋敷には一切なかった」
「と、いう事は……」
「生贄を用意する係の者が、その日、生贄は必要ないと知っていた……!」
――その後、再度聴取を受けた貞吉は、重々しく項垂れて白状した。
「あっしが、竹子様と、不知火清弥さんを、殺しました」
――午後六時。
不知火清弥の通夜が始まった。
かつての二枚目スターであり、先日の記者会見で再び脚光を浴びた人物である。竹子の時とは比にならない数の報道陣が詰め掛けていた。
しかし、広間で手を合わせる者は少なかった。彼が行きつけにしていた銀座のバーのママと、飲み仲間と思われる劇団の後輩が数人。来住野家の関係の弔問客は一切なかった。……そもそも、十四郎と梅子の姿すらなかった。
来住野梅子は、貞吉が自白した事で、「十九日の夜は貞吉と共に過ごした」という証言が嘘だと判明したのである。
……ならばあの夜、誰と過ごしていたのか。つまり、シーツに付着した精液は誰のものかと、十四郎に追求されたのだ。しかし、彼女はニヤリとしてこう答えた。
「分かってるじゃない、――誰のものか」
すると十四郎は血の気を失い、それ以来、部屋にこもったまま出て来なくなった。
梅子も、窓のない部屋に閉じこもり、一切顔を見せていない。
喪主の不知火松子は、初江に付き添われ、祭壇の前に座っている。
この日の導師は久芳住職ではなかった。水川夢子と企んだあのような計画が発覚した以上、来住野家の敷居は跨げないと思ったのだろう。
水川信一郎と夢子も同様だった。水川滝二郎と咲哉親子は、疲れた様子だが後方で座っている。
あとは、寄合の村人数名。
再び警察関係者から開け放たれた広間は、ガランと薄ら寒かった。
桜子は相変わらず、炊事場で亀乃の手伝いをしていた。
犬神零はというと、長屋門にもたれ、報道陣と警官の押し問答を背に、人気のない前庭を眺めていた。
彼にはどうしても気になる事があった。――十九日の夜は、不審者の一件から、この長屋門の西側の部屋に、複数の警官が詰めていたのである。梅子が貞吉と逢瀬していたと告白した時から疑問はあった。……長屋門の東側に住まいする貞吉が、果たして警官たちに悟られずに、夜中に出入りができたのだろうか?
しかしすぐに答えは出た。警官たちが注視していた格子窓は、長屋門の外側に向いており、内側にある貞吉の部屋の出入口には、全く注意を払っていなかったのだ。そして、あの豪雨である。足音などは雨音に消されてしまっただろう。
貞吉は部屋を出ると、東側の石垣伝いに、屋敷の裏へ回ったのだ。そして勝手口から屋敷に入るも、その脇の亀乃の部屋には、誰もいなかった……。
貞吉の部屋の出入口にはロープが張られ、立入禁止となっている。そこを眺めながら、しかし零は腑に落ちないものを感じていた。――彼が二人を殺さねばならない動機が、どうしても浮かばないのだ。
「……彼は犯人じゃないって言っておきながら、大外れじゃない」
手が空いたのか、桜子がやって来た。彼女は零と並んで、漆喰の白壁に背を預けた。
「外れましたね。私の言う事は当てになりません。第一、私は誰ひとり助けられていません。探偵失格です」
「そう言ってまた拗ねる。……でも、あなたの助言がなきゃ、警部さんも、生贄の事に気付かなかった訳でしょ? あなたにしては、冴えてたんじゃないの」
褒めてるのか貶してるのか分からない言い草である。零は頭を掻いた。
「……どうも、何かが引っかかります。それが何か。何かを見落としているのか、それとも、未だ見えぬ事実があるのか……」
そこへやって来たのは百々目である。
「ちょっと来てくれ」
零と桜子が洋間に入っていくと、正面に、手錠をされた貞吉が座らされていた。その向かいには赤松。
彼はベテランの凄味のある声で、貞吉の聴取をしていた。
「――もう一度聞く。来住野竹子さんを、天狗堂の注連縄にどうやって吊るしたのかね?」
「こ、こう、抱っこして、よいしょっと……」
「では、小木曽巡査を殴った時に、何を投げて彼を誘き出したのだ?」
「……石?」
「不知火清弥氏を古井戸へ誘き出した手紙の内容は?」
「…………」
「……終始、この調子でね」
百々目が苦い表情を浮かべた。
昨日から、暇さえあればここにいる。そして、未だ注連縄が括られたままの梁を見上げていた。
次から次へと浮上しては消えていく犯人像。動機、アリバイは簡単に崩れる。ならば、犯行の方法から絞り込めはしないか。そう考えたのだ。
祭りの準備をした貞吉と、村の寄合、若い衆連中に詳しく話を聞いた。それにより、分かった事がひとつ。
――この注連縄は、二十日の本祭で生贄となる動物を吊るすために、前日から用意されていた。
という事は、十九日の夜、被害者である来住野竹子がここへ犯人に呼び出された際に、彼女はこの忌まわしい注連縄の輪の存在を、不審には思わなかったのだ。
しかし、輪は長身の百々目が見上げる位置に固定されている。――どうやって生きた被害者を、ここにぶら下げたのか?
「……おや、警部殿ではありませんか」
そう言って入ってきたのは、犬神零である。
「桜子さんが、亀乃さんの手伝いをすると行ってしまいましてね。置いてけぼりで暇なので、散歩していました」
椎葉桜子が、立て続けに起こる事件で鬱いだ気持ちを紛らわそうと、亀乃の手伝いに励むのは理解できる。しかし、この男が暇潰しに散歩しているとは思えない。百々目の姿を見てやって来たのだ。……こういうところが信用ならない。彼はそう思った。
「君は一度、小木曽巡査を言いくるめて、ここを見ていたようですね」
「さすが警部殿、情報収集力が確かですな」
茶化す零を横目で睨み、百々目は再び梁に視線を戻した。
「……で、何か分かったのかね?」
「はい。――梁の上、注連縄の横一尺ほどだけ、埃がありません」
「それは、赤松警部補が言っていたように、別の縄を掛けて、被害者を吊り上げた跡なのでは?」
「本当にそう思っていて、警部殿はずっとここを見上げておられるので?」
百々目は苦々しく息を吐いた。
「ならば、君はどうやったと考えているんだね?」
「さぁ。警部殿のご意見をご拝聴したいところです」
百々目は首を振る。
「彼の言う方法では、屈強な男、もしくは複数犯しか犯人像が浮かばない。……しかし、もし、女の単独犯だと仮定した場合、その方法はあるのかと、ずっと考えている」
「――つまり、警部殿の中の犯人像は、女である、と」
「可能性の問題だ。……現状、貞吉氏と梅子氏のアリバイが出てきて、容疑者がゼロなのだ。アリバイを崩すためには、別の角度から犯人を絞り込むしかない。そのため、広い可能性を検証している」
「可能性、ですか」
零も並んで梁を見上げて顎を撫でる。そして言った。
「……ならば一度、実験してみませんか?」
立入禁止の目印に使われているロープと、見張り番をしていた小木曽巡査を拝借する。……頭の包帯が官帽で隠れているので、一見、元気そうである。
零は、二つ折りにしたロープを梁に投げて渡し、輪になった方を小木曽に持たせた。
「こうやって、首のところで持っていてください。絶対に手を外してはいけませんよ。死にますから」
そう言うと、零は背負い投げの要領で、思い切りロープを引っ張った。
「うわっ!」
小木曽が叫ぶ。だが、背伸びをした状態から上に上がらない。尚も零は力を込めるも、爪先立ちになった程度で、とても注連縄の位置までは上がらなかった。
「お、おい、し、死ぬ……!!」
小木曽が音を上げたところで、零は力を緩めた。床に尻餅をついた小木曽は咳き込んだ。
「やっぱり、小木曽さんでは竹子さんの代わりになりませんね。体格差が大き過ぎます」
「そ、そんなの、やらなくても分かるだろ!」
「それに、この梁、思ったより表面がザラザラしていて、ロープとの摩擦で力が必要です」
「なるほど……」
百々目は梁を睨んだ目を細めた。
「その上、この方法だと足りないものがある。……持ち上げた遺体を注連縄の輪に移す際に、ロープから手を離さなければならない。しかし、ここには引っ掛けておくようなところはない。同等の力を持つ協力者、もしくは、被害者の体重以上の重石が必要だ」
「確かに。……まぁ、犯人が怪力で、竹子さんをそのまま注連縄に吊り下げられるのなら、話は別ですけどね。それか、生贄の動物みたいに、動かない被害者を複数人で持ち上げ……」
そう言った零は、まるで電撃を受けたかのように身を強ばらせた。その様子に百々目は声を上げた。
「どうしましたか!」
「……ないんです」
「何がですか?」
零は見開いた目を百々目に向けた。
「――生贄が、ないんですよ!」
「…………」
「梅子さんは依頼に来られた時、こう仰っていました。本祭には、山で狩った猪か鹿を生贄にすると。……それを当日の朝、調達しますかね?」
意味を理解した百々目の表情がみるみる変わっていく。
「普通、遅くとも前日までに猟銃で狩って、吊るした時に血が流れないよう、血抜きをしたりしませんかね? ……例えば、あの水車小屋あたりで」
「しかし、それらしいものは、この屋敷には一切なかった」
「と、いう事は……」
「生贄を用意する係の者が、その日、生贄は必要ないと知っていた……!」
――その後、再度聴取を受けた貞吉は、重々しく項垂れて白状した。
「あっしが、竹子様と、不知火清弥さんを、殺しました」
――午後六時。
不知火清弥の通夜が始まった。
かつての二枚目スターであり、先日の記者会見で再び脚光を浴びた人物である。竹子の時とは比にならない数の報道陣が詰め掛けていた。
しかし、広間で手を合わせる者は少なかった。彼が行きつけにしていた銀座のバーのママと、飲み仲間と思われる劇団の後輩が数人。来住野家の関係の弔問客は一切なかった。……そもそも、十四郎と梅子の姿すらなかった。
来住野梅子は、貞吉が自白した事で、「十九日の夜は貞吉と共に過ごした」という証言が嘘だと判明したのである。
……ならばあの夜、誰と過ごしていたのか。つまり、シーツに付着した精液は誰のものかと、十四郎に追求されたのだ。しかし、彼女はニヤリとしてこう答えた。
「分かってるじゃない、――誰のものか」
すると十四郎は血の気を失い、それ以来、部屋にこもったまま出て来なくなった。
梅子も、窓のない部屋に閉じこもり、一切顔を見せていない。
喪主の不知火松子は、初江に付き添われ、祭壇の前に座っている。
この日の導師は久芳住職ではなかった。水川夢子と企んだあのような計画が発覚した以上、来住野家の敷居は跨げないと思ったのだろう。
水川信一郎と夢子も同様だった。水川滝二郎と咲哉親子は、疲れた様子だが後方で座っている。
あとは、寄合の村人数名。
再び警察関係者から開け放たれた広間は、ガランと薄ら寒かった。
桜子は相変わらず、炊事場で亀乃の手伝いをしていた。
犬神零はというと、長屋門にもたれ、報道陣と警官の押し問答を背に、人気のない前庭を眺めていた。
彼にはどうしても気になる事があった。――十九日の夜は、不審者の一件から、この長屋門の西側の部屋に、複数の警官が詰めていたのである。梅子が貞吉と逢瀬していたと告白した時から疑問はあった。……長屋門の東側に住まいする貞吉が、果たして警官たちに悟られずに、夜中に出入りができたのだろうか?
しかしすぐに答えは出た。警官たちが注視していた格子窓は、長屋門の外側に向いており、内側にある貞吉の部屋の出入口には、全く注意を払っていなかったのだ。そして、あの豪雨である。足音などは雨音に消されてしまっただろう。
貞吉は部屋を出ると、東側の石垣伝いに、屋敷の裏へ回ったのだ。そして勝手口から屋敷に入るも、その脇の亀乃の部屋には、誰もいなかった……。
貞吉の部屋の出入口にはロープが張られ、立入禁止となっている。そこを眺めながら、しかし零は腑に落ちないものを感じていた。――彼が二人を殺さねばならない動機が、どうしても浮かばないのだ。
「……彼は犯人じゃないって言っておきながら、大外れじゃない」
手が空いたのか、桜子がやって来た。彼女は零と並んで、漆喰の白壁に背を預けた。
「外れましたね。私の言う事は当てになりません。第一、私は誰ひとり助けられていません。探偵失格です」
「そう言ってまた拗ねる。……でも、あなたの助言がなきゃ、警部さんも、生贄の事に気付かなかった訳でしょ? あなたにしては、冴えてたんじゃないの」
褒めてるのか貶してるのか分からない言い草である。零は頭を掻いた。
「……どうも、何かが引っかかります。それが何か。何かを見落としているのか、それとも、未だ見えぬ事実があるのか……」
そこへやって来たのは百々目である。
「ちょっと来てくれ」
零と桜子が洋間に入っていくと、正面に、手錠をされた貞吉が座らされていた。その向かいには赤松。
彼はベテランの凄味のある声で、貞吉の聴取をしていた。
「――もう一度聞く。来住野竹子さんを、天狗堂の注連縄にどうやって吊るしたのかね?」
「こ、こう、抱っこして、よいしょっと……」
「では、小木曽巡査を殴った時に、何を投げて彼を誘き出したのだ?」
「……石?」
「不知火清弥氏を古井戸へ誘き出した手紙の内容は?」
「…………」
「……終始、この調子でね」
百々目が苦い表情を浮かべた。
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