百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【拾】真相ヘノ道

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 ――七月二十五日。

 犬神零は、頭の整理をする時は、歩くに限ると思い始めていた。先日、特に目的もなく村に向かった際に思い至った発想から、大発見があったからだ。
 今日は不知火清弥の葬儀だが、荼毘も済んでいるため出棺もなく、特に興味を引かれなかったため、参列はしなかった。……いや、罪悪感から逃げた、と言った方が正しい。
 椎葉桜子も、そんな彼の様子を気にしたのかついて来た。裏門を出て、長屋門の報道陣の間を潜り抜け、つづら折れを下りる。
「……そろそろ、帰りたいわね」
「もう、この村に来て一週間ですからね」
「温泉旅行なら大歓迎なんだけど。……あなた以外の人と」
「傷付きました……」
「あのね、そういう反応をされると、私が酷い事言ってるみたいじゃない。……仕事じゃなきゃ、って意味よ」
 つづら折れを抜け月原山道に出る。そこから何となく、右手、つまり青梅街道方面へと向かった。
 月原山道の始点、青梅街道に出る突き当たりが多摩荘。そこを左手に行くと、東集落へ向かう橋である。
 そこをちょうど、菊岡医師が歩いてきた。少し遅れて葬儀に参列するためだろう、黒の上下を着ている。
「おお、あの時の探偵君ではないか。調子はどうかね?」
 菊岡医師は黒々とした三角眉を動かして、零に声を掛けた。
「おかげさまで。……途中まで送りましょう」
「いいのかね?」
「はい。散歩してるだけですから」
 零と桜子は、来た道を戻る事になる。菊岡医師は戸惑いながらも、二人と肩を並べて歩きだした。
「先生は、色々な病気を診られるとか。特に苦手な分野はありますか?」
「あぁ、勿論ある。……特に、人が死ぬ場面と、難産に立ち会うのは、今でも嫌なものだ」
「難産ですか」
「下手したら、死人が二人増えるからな。本来なら喜ばしく迎えられるはずの新しい命に対する責任は、年老いた病人の比ではない。……以前は、この村のお産は産婆が一人でやっていたようだが、大分の歳でな。だから、医者が呼ばれる事も度々あった。今は、診療所の手伝いをしている娘が、看護婦兼産婆ってところだ」
「産婆、ですか……」
「それがどうかしたのかね?」
「……双子のお産は、やっぱり大変でしたか?」
 ――するとなぜか、菊岡医師はギクッと足を止めた。
「どうなさいましたか?」
「あ、いや……」
 再び歩きだした菊岡医師は、口ごもりながら答えた。
「竹子君と梅子君の時は、私は付き添っておらん。恐らく、その産婆が付き添っているはずだ」
「その産婆さんとは、どちらにお住いですか?」
「東集落の外れだ。……診療所にいるスミちゃんに聞いてくれ」
 そう言うと、菊岡医師はつづら折れへと入って行った。

「……ごめんください」
「はーい、こんにちわ。……って、誰?」
 診療所の看護婦のスミちゃんは、いかにも都会っ子という雰囲気だった。おかっぱ頭をクルンと外巻きにして、看護帽を頭に載せている。濃いめの化粧からは、年齢が伺えない。
「……大婆のとこに行きたいの? 何の用で?」
 大婆というのが、菊岡医師の言っていた産婆のようだ。事情を話すと、スミちゃんは不思議な顔をした。
「双子のお産? 何でそんな事知りたいのよ?」
「ただの興味です。竹子さんと梅子さんが生まれた時は、どんな様子だったのかと」
 ……桜子は察した。零は、竹子と梅子の区別ができるような、身体的な特徴を知りたいのだろう。
 スミちゃんは尚も不審な顔を見せたが、
「まぁ、先生の紹介なら案内するけどさ。……先に言っとくけど、大婆、かなり気難しいからね」
と支度を始めた。

 彼女はやはり東京生まれで、二年ほど前、看護学校の紹介で水川村に来たのだった。
「こんな田舎でしょ? みんな長続きしないのよ。私も適当なとこで辞めて、イイ男を探しに東京に戻るつもり。……って、あんた、どこに住んでるの?」
 零は苦笑しながら話題を変えた。
「菊岡先生はどんな方ですか?」
「まあ、悪い人じゃないわよ。あんまり怒らないし。でもあの通り、クソが付くほど真面目だから、頼まれたら断れない感じ? ……ここだけの話、以前、無理を言われて堕胎手術をして、不妊にさせちゃった事があるんだって。それを今でも後悔してて、毎日、色んな分野の専門書を読んで勉強してるわ」
「それは大変ですね……」

 大婆の住まいは、東集落の学校の裏、水川産業が工場を構える山のすぐ下だった。古めかしい板葺き屋根の平屋で、かつては産婦を収容した部屋があるからだろう、広さはある。
 スミちゃんは時折、独居の老人の見回りをしている。いわゆる孤独死というやつを、いち早く発見するためだ。それも診療所の役目らしい。独り暮らしの大婆の家にも、週に何度か顔を出すという。
「ご家族はおられないのですか?」
「娘にも孫にも置いて逝かれたって、いつも嘆いてるわ。元は腕利きの産婆だったんだけど、診療所の看護婦がやるようになってから、……あ、そういう資格がある人を、何年か前から菊岡先生が呼び寄せてるのよ、私も含めて……、それから、寄り付く人もいないからね。寂しいものよ」
 スミちゃんの話によると、大婆――寒田さむだヨネは九十歳を超えている。囲炉裏端に座った姿は、二重ふたえに背を丸めて小さい。……いつか聞いた、天狗の使いを名乗る老婆を連想するような、幾重にも年齢を刻んだ乾いた肌をしていた。
 しかし、長老の丸井宗右衛門に比べ耳はいいらしく、零が「来住野」という言葉を口にした途端、大声を上げたから三人は驚いた。
「あいつは……曾孫を……ハンを奪った……!」
「曾孫さんは、ハンさんと言われるんですか?」
「ハンは、あいつに、あいつに殺されたんじゃ! あの大天狗め! この手でくびり殺してくれるわ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて、ね、大婆さま……」
「これが落ち着いておられるものか! 可愛い曾孫を奪われた婆の苦しみ……! 大天狗めええ!!」

 ……全く話にならないので早々に引き上げたのだが、零も桜子も、竹子と梅子の見分け方に劣らない大きな収穫があったと認識していた。
 ――寒田ハンという人物が、来住野家の誰かに殺されたと、曾祖母である大婆は信じている事。
 そして、「大天狗」という言葉……。
 帰りがけに、零はスミちゃんに尋ねた。
「大天狗というのは、何の事なんでしょう?」
 すると彼女は声を低くした。
「なんかね、この辺の方言で、……男の人のモノ? あれが大きい人を指すんだって。そこから転じてね、精力が異常に強い人とか、そんな意味もあるみたい」



 スミちゃんを診療所に送った後、桜子は静かだった。それはそうだ。独身の彼女にとって、口にし辛い話題が出たからだ。
 零にとっても何となく気まずく、黙って水川銀座を歩いていたのだが、向かいから丸井新造と勝太の兄弟が来たものだから、助かったとばかりに声を掛けた。その途端……。
「探偵さん! ……弟が、ご迷惑をおかけしましたッ!」
と、兄の新造が二重になって頭を下げるものだから、零は慌てて手を振った。
「そんな、私は何も迷惑なんかしてませんよ。……ねぇ、桜子さん」
「そうそう。なーんにも迷惑してないから、頭を上げてちょうだい。……それよりも、どう? セツさんのお洋服、多ゑさんたちへのお土産に買って行かない?」
「それはいい案です。さ、一緒に行きましょう」

「……寒田ハンさん、ねぇ」
 桜子が洋服を選んでいる間、零は丸井セツと向き合っていた。――当然、彼の本当の目的はこちらである。
 セツは記憶を探るように天井に目を向けた。
「名前は聞いた事あるけどね。大婆さまのとこの子だろ、産婆見習いをしてた」
「そのようですね」
「うーん、あたしがここに嫁いで二十三年になるんだけど、悪いね、詳しい事は分からないよ。……多摩荘のご主人なら、顔が広いし、知ってるんじゃないかしら」

 多ゑ、カヨ、キヨの分を買い、一枚おまけに桜子が貰った分と一緒に包んだ風呂敷を抱え、零はまるいやを出た。
 桜子は、丸井兄弟と談笑しながら歩いている。……その様子を見るに、新造が桜子を相当意識しているようだ。
 多摩荘の前で兄弟と別れ、零と桜子は藍染めの暖簾を潜った。
「いらっしゃい……って、探偵さんかい。またお風呂?」
 そう声を掛けたのは、若女将の又吉史津である。
「そうですね、ついでにお願いしましょうか。……お昼もお願いできたら」
「今日は暇だからいいよ。お部屋も空けようか?」
「いいや、帳場でいいです。……お父様は?」
「何言ってんだい、松子さんのご主人のお葬式だよ。もうすぐ帰ってくるだろうから、先にお風呂入んな」

 まだ掃除前とみえて助かった。掛け流しの温泉は、こんな昼間でも透明に澄んでいる。
 ぬるめの湯に浸かると、何もかも忘れ頭が無になる。多摩川のせせらぎを聞きながら空を眺めていると、隣から声がした。
「……ねぇ」
「何ですか、桜子さん」
「また来たいわね、多ゑさんたちや、あのガキンチョも誘って」
「確かに、そういうのもいいかもしれませんね」
「……もちろん、仕事じゃない時に、ね」
「はい。いつか計画しましょう」
 ……他愛のない会話だと、この時は思っていた。しかし間もなく、それが現実となるとは、零も予想していなかった。



 風呂から上がると、帳場で又吉朝夫が煙草を吸っていた。使い込んだ煙管を燻らせていた彼は、零を見ると帳場へ招いた。
「また一服どうだい? ……って、お連れさんは?」
「私の方が先に上がりました」
「そうかいそうかい」
 零も煙草入れから煙管を取り出し、刻み煙草を詰めると、火鉢の火を借りた。
「……お葬式はどうでしたか?」
「出棺もなかったし、念仏だけで終わりでしたわ。寂しいモンですな、元大スターだというのに」
「そうですね……」
「……ところで、こんな昼間っから、風呂に入りに来た訳じゃないんでしょう?」
 布袋様のようなこの主人はなかなか鋭い。零は苦笑して紫煙を吐き出した。
「――寒田ハン、という方について、お聞きしたいのですが」
 すると、温和な又吉朝夫の顔がみるみる引き攣った。そして、両目を見張ってひび割れた声を絞り出した。
「……あんた、それをどこで聞いた?」
 零が大婆の家での事を話すと、又吉朝夫はガクリと肩を落とし、気分を落ち着けようとするかのように、二三度目立て続けに煙管を吹かした。
「……その名に辿り着いちまったんなら仕方がない。――寒田ハンは、十四郎さんの妾だった人だ」
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