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【拾】真相ヘノ道
③
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――来住野十四郎に妾がいたというのは初耳だった。犬神零は目を細めた。
「ハンさんは、どんな方なんですか?」
「今も生きてりゃ、四十過ぎくらいじゃないかねぇ。大層な器量良しでね。小柄でな、童顔ってのか? 歳より若く見える子だったよ」
……小柄。その言葉が零をゾクッとさせた。
「いつ頃、十四郎さんのお妾さんに?」
すると朝夫は、言いにくそうに大きく息を吐いた。
「そうだな、もう三十年も昔になるか。……初めは奉公人って話だったんだよ。まだ十歳いくかいかないかで、陣屋様んとこに奉公に出たんだ。それまでも、大婆のところで産婆の手伝いをやってたから、相当なしっかり者だったけどな。そこを十四郎さんに見初められて、って話でな。……それが、いつの間にか、妾って事になってたんだ。そんな話を聞いた時も、まだ十二、三だぜ? 耳を疑ったさ」
――亀乃の件もある。それを知っている零にとっては、全く不思議な事ではなかった。
「それから、どうされたんですか?」
「相当十四郎さんに気に入られてたみてぇで、あまり村に来る事ァなかったんだけど、時々は来てたんだ、大婆の顔を見に。……それが、十何年か前、松子さんが家出した辺りだったか、急に来なくなってね」
――恐らく、亀乃が言っていた、松子と仲の良い使用人というのは、寒田ハンだろう。……しかしなぜ彼女は、松子と同じタイミングで屋敷を出たのか?
……いや……。
零の思考は、おぞましい方向へと進んでいく。
「……今、どうされているのかは?」
「さぁね。それから全く姿を見ないからね。……大婆にとっちゃあ、可愛い曾孫だったから、来なくなってからというもの、陣屋様を恨んでね。十四郎さんがハンちゃんを殺したんだなんて、物騒な事をずーっと言ってるよ」
――やはり、大天狗とは十四郎を指している。まだ幼い曾孫を妾にした事を揶揄したのだろう。
そして、もうひとつ。――貞吉は亀乃に、彼女は「里に帰った」と言った。水川村出身である彼女に対し、その言い方は不自然であり、実際、大婆のところへは戻っていないのである。つまり彼には、嘘を吐かねばならない理由があった、という事だ。
零は火皿からゆらゆらと昇る煙をじっと眺めた。
「器量良しというのは気になりますね。写真などはありませんか?」
「そうだねぇ。……あ、確か、善浄寺の住職と同級生じゃなかったかな? 途中までは、ハンちゃんも学校に行ってたから、アルバムか何かあるかもしれないよ」
朝夫はそう言いながら、頭をつるんと撫でた。
「しかし、何であんたには、こんなにベラベラ喋っちまうのかねぇ。宿屋なんてのは信用商売だ。これは良くないんだがね」
「――私には、あなたも若女将も、何か事が起こる事を願っていたんじゃないかと、そんな風に見えてましたけどね」
朝夫はくりんとした目で零を眺めてから、ゆっくりと首を振った。
「昔人間だからね、どうも世話焼きでいけねぇ。……何とかあの双子を、屋敷から出してやりたかったんだよ」
「それには、何か事件が起こる事が必要だと、あなたは考えていた」
「あっしらが何を言っても、陣屋様は聞く耳を持たねぇ。外から叩くしか、この殻は割れねぇ。そう思ってたところにあんたが来た、って訳でね」
「それで、私が来住野さんの事をつつきやすいよう、色々情報をくれた、と」
「その結果が、こんな風になるとは思ってもいなかったよ。……全く、あっしらはどうすりゃあ良かったのかねぇ」
朝夫は丸々とした肩を落とした。
そんな話をしていると、桜子がサチコとヨシコを連れ立ってやって来た。
「うなぎよ!」
「うなぎだよ!」
「うなぎー!」
それぞれ、食欲のそそる匂いの立つ丼を手にしている。
「それはいいですね」
「土用の丑だからね。さあ上がって」
最後に来た史津が、抱えたお膳を朝夫と零の前に並べ、子供たちの横に腰を下ろした。……サチコとヨシコの分は、茶碗に盛った小さなうな丼である。
「いただきまーす」
「おや? 今日は学校は休みですか?」
「夏休みだよー」
「宿題はやってる?」
「…………」
「休みはまだ始まったばかりですし。……ところで、若女将も、寒田ハンという方はご存知ですか?」
そう零が聞くと、史津もまたビクッと肩を震わせた。
「珍しい名前を言うもんだね。……まぁ、こういう仕事してると、嫌でも色んな噂は耳に入るよ。……あくまで噂だよ」
と、彼女は「あっちで食べといで」とサチコとヨシコを追い出した。そして零に顔を向け、こう言った。
「……お父っつぁんにも聞いただろうけどさ。……彼女、松子さんの実の母親だって噂があるのさ」
「いやあ、散歩はいいですね」
うなぎに満足して、零は機嫌よく月原山道を歩いている。
「本当、多摩川のうなぎにありつけるなんて。中フワフワの外がパリパリで、美味しかったわぁ」
彼らを満足させたのは、もちろん土用うなぎだけではない。そのために彼らは、善浄寺へと向かっていた。
久芳正善は寺務所の座敷に彼らを案内した。
零に対して、彼の一家は大いに負い目がある。座卓を挟んで座り、正善は素直に話を聞いた。
「寒田、ハン……」
やはり正善も、少しとは言えないほどの動揺を見せた。
「……確かに、同級生でした。しかし、もう三十年以上も前の事です」
「学校に通われていた頃のお写真はありませんか?」
「確か、卒業アルバムなら……」
正善は少し席を外し、すぐにアルバムを手に戻ってきた。
「彼女、卒業までいなかったんで、写っているかどうか。……あ、ありました。これです、この子です」
正善の指した写真は、遠足か何かのようだった。多くの子供たちが並んだ集合写真である。
その最前列の端に座るのが、寒田ハンのようだ。
「分かりますかね。……当時から、飛び抜けて可愛いかったので、男坊主に人気でした」
目を細めてその顔を見る。……そして、零と桜子は顔を見合わせた。
――小さく古い写真でも分かる程度に、彼女は来住野鶴代にそっくりであった。
犬神零は、洋間でソファーに身を投げ、頭の後ろで手を組んでいた。
逮捕された貞吉は、隣室で監視されている。容疑が固まり次第、身柄が青梅署に送られるそうだ。
ひとり書類に目を通していた百々目は、零の仕入れてきた情報に、半ば呆然とした顔を見せた。
「……その彼女が、古井戸の白骨であると?」
「今さら立証はできないでしょうが、可能性は高いかと」
百々目もソファーに身を沈め、脚を組んで天井を見上げた。
「……つまり、十四郎氏は、年若い妾を傍に置きたかったが、それは鶴代夫人の実家である高室伯爵へは秘密にしておかなければならなかった。華族という名声を利用したかったから、外聞には注意深くする必要があった、と」
「寒田ハンさんは、その奥方である鶴代さんにそっくりでした。それならば、もし子供ができた場合にも、疑われる事はないだろう。そう考えて、彼女を妾に選んだ……」
百々目は不快さを隠せない様子で、眉間に皺を寄せている。
「もし噂通り、彼女が松子氏の母親だとすると……」
「以前から、気にはなっていました」
「…………」
「環境の変化に弱い鶴代夫人が、双子の出産などという状況に、果たして耐えられたのかと」
「…………」
「もしかしたら、帝王切開での出産だったのでは? と、先程、たまたまお会いした菊岡先生にそれとなく聞いたのですが、彼はあの双子の出産に立ち会っていませんでした」
「…………」
「菊岡医師の紹介で、産婆の寒田ヨネさん――寒田ハンさんの曾祖母です――に会いに行きましたが、九十を超えた老人です。彼女らが生まれた十四年前には、七十半ば過ぎ。果たして、双子の出産という過酷な現場に立ち会えたかどうか」
「……君は何が言いたい?」
百々目は厳しい顔付きで零を睨む。零はそんな彼にジロリと目を向け答えた。
「この屋敷の秘密――膿を、全て出し切らないと、この事件の真相は見えてこない。そんな気がします」
不知火清弥の葬儀も終わり、閑散とした屋敷を、桜子は歩いていた。何となく、零にくっついて捜査本部へ顔を出す気分ではなかった。……多摩荘で聞いた話の続きを、聞く気にはなれなかった。
いつものように炊事場へ行くが、今日は多摩荘の仕出しを取っているため、亀乃も手持ち無沙汰にしており、手伝いを断られてしまった。仕方なく、裏口から百合園へ出る。するとそこでは、赤松をはじめ、捜査員が総出で這いつくばっていた。一体何事か?
「……どうされたんですか?」
赤松に聞くと、彼は腰を擦って伸びをした。
「隠し通路が発見されただろう。すると、竹子君の事件も清弥氏の事件も、外部の者の犯行という可能性が出てくる訳だ。だから、その痕跡が残っていないかどうか、徹底的に調べているのだよ」
赤松は、久芳住職が言う「隠し通路の存在は、来住野家と久芳家以外の誰も絶対に知らない」という言葉を、信用していないらしい。何でも疑うのが捜査の基本、というところだろう。確かに、竹子の殺された十九日の夜以来、雨は降っていない。ぬかるみに残された足跡が乾いて残っている可能性も、十分にあり得る。
「現場の刑事には難しい事は分からん。だから証拠を探して、そこから犯人を辿るのだよ、草の根を掻き分けてな。何もなければ、それがそれで証拠になる。捜査とは、そういうものだ」
「私もお手伝いします」
桜子も百合畑の傍に膝をついた。赤松もそれに並ぶ。
「それに、探偵殿の言っていた、一本歯の下駄の跡というのが、古井戸付近で見付かっていないのだ。……貞吉の自白も含め、どうも腑に落ちなくてな」
赤松はそう言って、百合園の先の径に目をやった。そこでは刑事が二人、何やらやっている。――彼らの足元にあるのは、背の高い一本歯の下駄である。それを履いて検証しようというのだろうが、うまくいかないようだ。
「探したら、近くの民芸品店で売っておってな。天狗伝説にあやかろうと作っているらしい。だが、あんなもの、どうやって履いて歩くのか」
「まぁ、丑の刻参りにも使われるくらいだし、よほどの執念がないと無理なんでしょうね」
と言いつつ、桜子も興味が出て、一度試してみたいと刑事に申し出た。サンダルを脱いで足を入れる。ストッキングを足袋のように親指と人差し指の隙間に押し込んで、鼻緒を挟む。……だが、刑事の手を借り、立とうとするとすぐによろめいて、とても歩ける代物ではない。
「なんかこれ、竹馬みたいね。竹馬なら、手で支えられるからいいんだけど、これは支えがないし、かなり難しいわよ」
すると、赤松が眉を吊り上げた。
「――竹馬か!」
「ど、どうしたの?」
「竹馬なら、百合を踏まずに、百合畑の中を通れるな!」
「……なるほど!」
赤松は捜査員たちに指示を出す。百合畑の中に、竹馬のような跡はないか、徹底的に調べろと。桜子もそれに参加する。
……だが貞吉が言っていたように、山犬が出るのだろう。獣らしい足跡が幾つかあっただけで、竹馬の跡は発見されなかった。
――夕刻。
すっかり人気のなくなった広間に、広縁からの夕日を浴びて座っているのは、不知火松子だった。彼女は未だ、喪服に身を包んでいる。
ぼんやりと眺める夫の遺影も夕日を浴び、白黒写真に血の気がさしたように、薄赤く染まっていた。
そこへ、犬神零と椎葉桜子がやって来た。
「……お加減はいかがですか?」
二人は彼女の後方の畳に座り、遺影に手を合わせた。松子は会釈をして答えた。
「少し落ち着きましたわ。ご心配をお掛けしましたわね」
それから再び、清弥の遺影に目を戻す。
「私と出会った時、彼は光輝いていました。雲の上のような人でした」
松子の様子を見て、二人は顔を見合わせた。……それにも関わらず、通夜葬儀は寂しいものだったのだ。供養しきれなかった、故人の思い出語りをしたいのだろう。察した二人は足を崩した。
「……あの、松子さんと清弥さんの、馴れ初めなんて、お伺いしてもいいですか?」
桜子が言うと、松子は振り返った。
――その微笑みは、夕闇を迎える直前の夕日のように、ゾクリと心に響く美しさだった。
「ハンさんは、どんな方なんですか?」
「今も生きてりゃ、四十過ぎくらいじゃないかねぇ。大層な器量良しでね。小柄でな、童顔ってのか? 歳より若く見える子だったよ」
……小柄。その言葉が零をゾクッとさせた。
「いつ頃、十四郎さんのお妾さんに?」
すると朝夫は、言いにくそうに大きく息を吐いた。
「そうだな、もう三十年も昔になるか。……初めは奉公人って話だったんだよ。まだ十歳いくかいかないかで、陣屋様んとこに奉公に出たんだ。それまでも、大婆のところで産婆の手伝いをやってたから、相当なしっかり者だったけどな。そこを十四郎さんに見初められて、って話でな。……それが、いつの間にか、妾って事になってたんだ。そんな話を聞いた時も、まだ十二、三だぜ? 耳を疑ったさ」
――亀乃の件もある。それを知っている零にとっては、全く不思議な事ではなかった。
「それから、どうされたんですか?」
「相当十四郎さんに気に入られてたみてぇで、あまり村に来る事ァなかったんだけど、時々は来てたんだ、大婆の顔を見に。……それが、十何年か前、松子さんが家出した辺りだったか、急に来なくなってね」
――恐らく、亀乃が言っていた、松子と仲の良い使用人というのは、寒田ハンだろう。……しかしなぜ彼女は、松子と同じタイミングで屋敷を出たのか?
……いや……。
零の思考は、おぞましい方向へと進んでいく。
「……今、どうされているのかは?」
「さぁね。それから全く姿を見ないからね。……大婆にとっちゃあ、可愛い曾孫だったから、来なくなってからというもの、陣屋様を恨んでね。十四郎さんがハンちゃんを殺したんだなんて、物騒な事をずーっと言ってるよ」
――やはり、大天狗とは十四郎を指している。まだ幼い曾孫を妾にした事を揶揄したのだろう。
そして、もうひとつ。――貞吉は亀乃に、彼女は「里に帰った」と言った。水川村出身である彼女に対し、その言い方は不自然であり、実際、大婆のところへは戻っていないのである。つまり彼には、嘘を吐かねばならない理由があった、という事だ。
零は火皿からゆらゆらと昇る煙をじっと眺めた。
「器量良しというのは気になりますね。写真などはありませんか?」
「そうだねぇ。……あ、確か、善浄寺の住職と同級生じゃなかったかな? 途中までは、ハンちゃんも学校に行ってたから、アルバムか何かあるかもしれないよ」
朝夫はそう言いながら、頭をつるんと撫でた。
「しかし、何であんたには、こんなにベラベラ喋っちまうのかねぇ。宿屋なんてのは信用商売だ。これは良くないんだがね」
「――私には、あなたも若女将も、何か事が起こる事を願っていたんじゃないかと、そんな風に見えてましたけどね」
朝夫はくりんとした目で零を眺めてから、ゆっくりと首を振った。
「昔人間だからね、どうも世話焼きでいけねぇ。……何とかあの双子を、屋敷から出してやりたかったんだよ」
「それには、何か事件が起こる事が必要だと、あなたは考えていた」
「あっしらが何を言っても、陣屋様は聞く耳を持たねぇ。外から叩くしか、この殻は割れねぇ。そう思ってたところにあんたが来た、って訳でね」
「それで、私が来住野さんの事をつつきやすいよう、色々情報をくれた、と」
「その結果が、こんな風になるとは思ってもいなかったよ。……全く、あっしらはどうすりゃあ良かったのかねぇ」
朝夫は丸々とした肩を落とした。
そんな話をしていると、桜子がサチコとヨシコを連れ立ってやって来た。
「うなぎよ!」
「うなぎだよ!」
「うなぎー!」
それぞれ、食欲のそそる匂いの立つ丼を手にしている。
「それはいいですね」
「土用の丑だからね。さあ上がって」
最後に来た史津が、抱えたお膳を朝夫と零の前に並べ、子供たちの横に腰を下ろした。……サチコとヨシコの分は、茶碗に盛った小さなうな丼である。
「いただきまーす」
「おや? 今日は学校は休みですか?」
「夏休みだよー」
「宿題はやってる?」
「…………」
「休みはまだ始まったばかりですし。……ところで、若女将も、寒田ハンという方はご存知ですか?」
そう零が聞くと、史津もまたビクッと肩を震わせた。
「珍しい名前を言うもんだね。……まぁ、こういう仕事してると、嫌でも色んな噂は耳に入るよ。……あくまで噂だよ」
と、彼女は「あっちで食べといで」とサチコとヨシコを追い出した。そして零に顔を向け、こう言った。
「……お父っつぁんにも聞いただろうけどさ。……彼女、松子さんの実の母親だって噂があるのさ」
「いやあ、散歩はいいですね」
うなぎに満足して、零は機嫌よく月原山道を歩いている。
「本当、多摩川のうなぎにありつけるなんて。中フワフワの外がパリパリで、美味しかったわぁ」
彼らを満足させたのは、もちろん土用うなぎだけではない。そのために彼らは、善浄寺へと向かっていた。
久芳正善は寺務所の座敷に彼らを案内した。
零に対して、彼の一家は大いに負い目がある。座卓を挟んで座り、正善は素直に話を聞いた。
「寒田、ハン……」
やはり正善も、少しとは言えないほどの動揺を見せた。
「……確かに、同級生でした。しかし、もう三十年以上も前の事です」
「学校に通われていた頃のお写真はありませんか?」
「確か、卒業アルバムなら……」
正善は少し席を外し、すぐにアルバムを手に戻ってきた。
「彼女、卒業までいなかったんで、写っているかどうか。……あ、ありました。これです、この子です」
正善の指した写真は、遠足か何かのようだった。多くの子供たちが並んだ集合写真である。
その最前列の端に座るのが、寒田ハンのようだ。
「分かりますかね。……当時から、飛び抜けて可愛いかったので、男坊主に人気でした」
目を細めてその顔を見る。……そして、零と桜子は顔を見合わせた。
――小さく古い写真でも分かる程度に、彼女は来住野鶴代にそっくりであった。
犬神零は、洋間でソファーに身を投げ、頭の後ろで手を組んでいた。
逮捕された貞吉は、隣室で監視されている。容疑が固まり次第、身柄が青梅署に送られるそうだ。
ひとり書類に目を通していた百々目は、零の仕入れてきた情報に、半ば呆然とした顔を見せた。
「……その彼女が、古井戸の白骨であると?」
「今さら立証はできないでしょうが、可能性は高いかと」
百々目もソファーに身を沈め、脚を組んで天井を見上げた。
「……つまり、十四郎氏は、年若い妾を傍に置きたかったが、それは鶴代夫人の実家である高室伯爵へは秘密にしておかなければならなかった。華族という名声を利用したかったから、外聞には注意深くする必要があった、と」
「寒田ハンさんは、その奥方である鶴代さんにそっくりでした。それならば、もし子供ができた場合にも、疑われる事はないだろう。そう考えて、彼女を妾に選んだ……」
百々目は不快さを隠せない様子で、眉間に皺を寄せている。
「もし噂通り、彼女が松子氏の母親だとすると……」
「以前から、気にはなっていました」
「…………」
「環境の変化に弱い鶴代夫人が、双子の出産などという状況に、果たして耐えられたのかと」
「…………」
「もしかしたら、帝王切開での出産だったのでは? と、先程、たまたまお会いした菊岡先生にそれとなく聞いたのですが、彼はあの双子の出産に立ち会っていませんでした」
「…………」
「菊岡医師の紹介で、産婆の寒田ヨネさん――寒田ハンさんの曾祖母です――に会いに行きましたが、九十を超えた老人です。彼女らが生まれた十四年前には、七十半ば過ぎ。果たして、双子の出産という過酷な現場に立ち会えたかどうか」
「……君は何が言いたい?」
百々目は厳しい顔付きで零を睨む。零はそんな彼にジロリと目を向け答えた。
「この屋敷の秘密――膿を、全て出し切らないと、この事件の真相は見えてこない。そんな気がします」
不知火清弥の葬儀も終わり、閑散とした屋敷を、桜子は歩いていた。何となく、零にくっついて捜査本部へ顔を出す気分ではなかった。……多摩荘で聞いた話の続きを、聞く気にはなれなかった。
いつものように炊事場へ行くが、今日は多摩荘の仕出しを取っているため、亀乃も手持ち無沙汰にしており、手伝いを断られてしまった。仕方なく、裏口から百合園へ出る。するとそこでは、赤松をはじめ、捜査員が総出で這いつくばっていた。一体何事か?
「……どうされたんですか?」
赤松に聞くと、彼は腰を擦って伸びをした。
「隠し通路が発見されただろう。すると、竹子君の事件も清弥氏の事件も、外部の者の犯行という可能性が出てくる訳だ。だから、その痕跡が残っていないかどうか、徹底的に調べているのだよ」
赤松は、久芳住職が言う「隠し通路の存在は、来住野家と久芳家以外の誰も絶対に知らない」という言葉を、信用していないらしい。何でも疑うのが捜査の基本、というところだろう。確かに、竹子の殺された十九日の夜以来、雨は降っていない。ぬかるみに残された足跡が乾いて残っている可能性も、十分にあり得る。
「現場の刑事には難しい事は分からん。だから証拠を探して、そこから犯人を辿るのだよ、草の根を掻き分けてな。何もなければ、それがそれで証拠になる。捜査とは、そういうものだ」
「私もお手伝いします」
桜子も百合畑の傍に膝をついた。赤松もそれに並ぶ。
「それに、探偵殿の言っていた、一本歯の下駄の跡というのが、古井戸付近で見付かっていないのだ。……貞吉の自白も含め、どうも腑に落ちなくてな」
赤松はそう言って、百合園の先の径に目をやった。そこでは刑事が二人、何やらやっている。――彼らの足元にあるのは、背の高い一本歯の下駄である。それを履いて検証しようというのだろうが、うまくいかないようだ。
「探したら、近くの民芸品店で売っておってな。天狗伝説にあやかろうと作っているらしい。だが、あんなもの、どうやって履いて歩くのか」
「まぁ、丑の刻参りにも使われるくらいだし、よほどの執念がないと無理なんでしょうね」
と言いつつ、桜子も興味が出て、一度試してみたいと刑事に申し出た。サンダルを脱いで足を入れる。ストッキングを足袋のように親指と人差し指の隙間に押し込んで、鼻緒を挟む。……だが、刑事の手を借り、立とうとするとすぐによろめいて、とても歩ける代物ではない。
「なんかこれ、竹馬みたいね。竹馬なら、手で支えられるからいいんだけど、これは支えがないし、かなり難しいわよ」
すると、赤松が眉を吊り上げた。
「――竹馬か!」
「ど、どうしたの?」
「竹馬なら、百合を踏まずに、百合畑の中を通れるな!」
「……なるほど!」
赤松は捜査員たちに指示を出す。百合畑の中に、竹馬のような跡はないか、徹底的に調べろと。桜子もそれに参加する。
……だが貞吉が言っていたように、山犬が出るのだろう。獣らしい足跡が幾つかあっただけで、竹馬の跡は発見されなかった。
――夕刻。
すっかり人気のなくなった広間に、広縁からの夕日を浴びて座っているのは、不知火松子だった。彼女は未だ、喪服に身を包んでいる。
ぼんやりと眺める夫の遺影も夕日を浴び、白黒写真に血の気がさしたように、薄赤く染まっていた。
そこへ、犬神零と椎葉桜子がやって来た。
「……お加減はいかがですか?」
二人は彼女の後方の畳に座り、遺影に手を合わせた。松子は会釈をして答えた。
「少し落ち着きましたわ。ご心配をお掛けしましたわね」
それから再び、清弥の遺影に目を戻す。
「私と出会った時、彼は光輝いていました。雲の上のような人でした」
松子の様子を見て、二人は顔を見合わせた。……それにも関わらず、通夜葬儀は寂しいものだったのだ。供養しきれなかった、故人の思い出語りをしたいのだろう。察した二人は足を崩した。
「……あの、松子さんと清弥さんの、馴れ初めなんて、お伺いしてもいいですか?」
桜子が言うと、松子は振り返った。
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