久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

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第伍話──箪笥

【捌】箪笥

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 その足で桜子を浅草に送り、零とハルアキは事務所に戻ったのだが。
 午後のやわらかい日差しに照らされた応接の長椅子で向き合い、二人は黙り込んでいた。

 零が慶司の手に呪符を当てたのは、あやかしの気配を探るためである。
 あの呪符は、結界を張る時にも使うものだ。しかし零の扱う結界は少々特殊で、「あの世のこの世の狭間」を作り出す。そのため、何もない場所に結界は張れない。妖の気配が必要なのだ。
 つまり、触れたものに妖の気配がなければ、呪符は反応を見せない。だが、慶司の手に触れた途端、呪符は反応を見せた。

「ハルアキの言う通り、ごくありきたりな殺人事件ではないようですね」
 零がボソリと沈黙を破る。
「事件の裏に怪異があるのか、それとも事件自体が怪異の一部なのか」
「それはまだ分からぬ。じゃが……」
 ハルアキは癖のある髪で目元を隠すように顔を伏せ、テーブルに置かれた紙切れを見ていた。

 久世慶司の屋敷の間取り図である。
 玄関から真っ直ぐに延びた廊下の左右に幾つかの部屋が並ぶ形になっている。そして、廊下の突き当たりにある部屋に、赤い墨で四角が描かれていた。
 箪笥である。

 ハルアキは紙面を睨みながら言った。
「あやつが取り憑かれているのではなく、屋敷自体が怪異けいの術中であると考えた方が良い」

 怪異けいとは、妖が為す、人の世では起こり得ない現象。
 そのような現状を起こす妖を、零は『鬼』と呼ぶ。
 人にとって害のない妖に対し、鬼は害を為す存在――それを滅するのが、彼の使命だ。

 つまり、あの屋敷に踏み入れた途端、何が起きてもおかしくない状況だったのだ。
 桜子が「気持ち悪い」と言っていたのも無理はない。彼女は人一倍、そういう気配を感じやすいのだから。そんな彼女が、妖に取り込まれなかっただけ幸運だったと言うより他にない。

 だが今のところ、それ自体を「鬼」と呼ぶまでの怪異は起きていない。しかし慶司が妖の意のままにされているのであれば、放っておく事はできないし、この先、何も起こらない保証はない。

 零はハァと息を吐き、背もたれに身を預けた。
「この先は、桜子さんを巻き込む訳にはいきませんね」
「じゃが、未だ怪異の正体が見えぬ。如何いかがする気じゃ?」
 ハルアキは長椅子に胡坐をかき、間取り図の横に置かれた紅茶にたっぷりと蜂蜜を溶かす。零の使命云々をハルアキは知らないが、何度も妖退治の場に居合わせているため、彼が何を必要としているかは理解しているのだ。

 天井の木目を眺め、零は答えた。
「箪笥の中を、見てみたいですね」
 蛾に変化していては、ハルアキと言えど扉を開くことはできなかった。スプーンでカップをぐるぐると混ぜながら、彼はチラリと零に視線を送る。
「あやつは屋敷の中を見られまいとしておる。雨戸が閉め切りなのもそのためじゃろう。どうやって奥座敷まで入る気じゃ」
「そこなんですよね……」
 零は顎を撫で、硝子窓の外を飛び回る羽虫に目を移した。
「ハルアキみたいに変化できるといいのですが……」

 そう言ってから、彼はふと顔をハルアキに向けた。
「――そう言えば、この前、桜子さんを甲虫カブトムシにしてましたよね?」
太裳たいもの変化の術を自らに掛けるか他者に掛けるか、それだけの違いじゃからな」
 太裳とは、ハルアキの使う式神『十二天将』のひとつ。彼が最も頻繁に使う式神で、『変化へんげ』の術を使う。
 それを聞き、零はニヤリとした。
「一度に術を掛けられるのは何人まで?」
「以前は一人じゃったが、今なら十人はいけるじゃろう。じゃが、耐性のない者に掛ければ、その者は意識を失い、変化したものの本能に操られるぞ」
「耐性のある者なら?」

 つまり、零である。十二天将の内でも髄一の扱い辛さである天一貴人てんいつきじん形代かたしろにされても平気だった彼が、変化の術程度で我を失うとは考えにくい。

 ハルアキはじっと零を見返す。
「何に化けるのじゃ?」
「警官です」
「…………」
「どうせなら、桜子さんにバレる前、今晩辺りにやってしまいましょうか」
 零はニヤニヤと顎を撫でた。


 ◇


 その晩の事。
「すみません! すみません!」
 柴又の久世邸の戸を、二人の警官が叩いた――変化した零とハルアキである。
 眠気まなこを擦りつつ現れた慶司は、夜回りの巡査二人を見て目を丸くした。
「な、何かあったんですか?」
「すぐそこで空き巣がありまして、犯人がこちらの方へ逃げたものですから、この辺りのお宅を確認して回っております」
「…………」
「お宅の中を拝見してよろしいでしょうか?」
 押し入ろうとする背の高い方の警官――零を、だが慶司は両手で押しとどめた。
「そ、それは困ります。こんな夜中に、迷惑です」
「お時間は取らせません。すぐ終わりますから」
「で、ですが、奥で、妻が臥せっておりますし……」
 すると、背の低い方の警官――ハルアキが慶司を睨んだ。
「もしや、犯人を匿っているのではあるまいな」
 慶司は顔色を変える。
「そ、そんなバカな!」
「なら、拒む理由はあるまい」
「安倍巡査、そんな言い方は良くありません……もしかしたら、犯人が彼を人質に取って立て籠もっているかもしれませんし」
 と、零は慶司の肩越しに奥を覗き込む。
「違いますよ! 私の他に誰もいません!」

 そこで零は、してやったりとばかりにニヤリとした。
「おや? 奥様がいらっしゃるというお話では?」

 言葉に詰まった慶司を押し退け、零は玄関に踏み込んだ。
 左手にカンテラ、右手に警棒を持った二人は、土足のまま屋敷に上がり込む。そして手分けをする格好で、零は居間へ、ハルアキは奥座敷へと向かった。
「ほ、本当に、空き巣などいませんから……!」
 慶司が迷わずハルアキを追うのを見て、零はやはり……と部屋着姿の背を見送った。よほど奥座敷を見られたくないのだろう。
 一応格好だけ、零は他の部屋も覗いて回る。だが何処いずこも居間と同じで、何もない埃っぽい空間があるだけだ。押し入れを開きカンテラの明かりを向けてみても、隅々まで何ひとつ置かれていない。徹底極まる簡素さは、異様を通り越して不気味ですらある。

 一方、ハルアキは盛大に捜索しているようだ。ゴトゴトと派手な物音がする。
「この襖か?」
「こ、ここは納戸です」
「何も置いていないではないか。ならば、この戸が怪しい」
「便所です……」
「そうとなれば、ここか!」
「そ、そこは……!」
 どうやら、奥座敷に踏み込んだようだ。ハルアキは大きく声を上げた。
「この大きな箪笥は何だ?」
 それを合図に、零も奥座敷へと向かう。

 寝所として使われているここだけは修繕したらしく、埃っぽさがない。青々とした畳に一組の布団が敷かれ、その横に、これまた真新しい、大きな観音開きの洋箪笥が一さおポツンと佇んていた。
 桐板と飾り金具でこしらえてある、嫁入り道具としてはごく一般的な形の洋箪笥。上部を観音開きが占め、下に二段の引き出しが付いている。

 だがやはり、お玉の姿などどこにもない。

 しかし、そこを追求するのは今ではない。
 ハルアキはトドメを刺すような調子でのたまった。
「この箪笥の中なら、大人一人は隠れられそうだ。おい、開けてみよ」
 顎で指図され、半ば苦笑しつつ零が前に出る。すると、慶司がハルアキを突き飛ばすようにして彼を遮った。
「な、何の権限があるんだ! 空き巣などいない。勝手に開けるな、ゆ、許さないぞ!」

 箪笥に張り付くように阻止する彼の姿に、零とハルアキは顔を見合わせた。これでは「この中に隠しているものがある」と白状しているようなものだ。
 ハルアキは顔を戻し、慶司の鼻先に警棒を突き付けた。
「どうしても拒むのなら、公務執行妨害で逮捕するぞ」
 ハルアキはノリノリである。しかし、こういう恫喝どうかつは交渉の材料として得策でないのを零は知っていた。
「や、やれるモンならやってみろ!」
 と居直られては、こちらが困るのだ。

 零はハァと息を吐き、ハルアキに横目を向けた。
「安倍巡査、彼は久世伯爵のご子息ですよ。そのような無礼な物言いをしてはなりません」
「しかし、この箪笥に空き巣が隠れているやもしれぬのじゃぞ……だぞ!」
「仕方ありません、ここは引きましょう……いや、大変な失礼をいたしました」
 零は頭を下げる。すると慶司はいくらか安堵した表情を浮かべ箪笥から離れた。
「なら、さっさと出て行ってください」
 慶司は憤った声でそう言い、不満げな顔を浮かべるハルアキの背を押す――その隙に、零は箪笥を開いたのである。

 しかし、その中はがらんどうで、何も入っていなかった。

 零の行動に気付いた慶司は、烈火の如く怒鳴り声を上げた。
「貴様ら! ふざけるなよ、訴えてやる!」

 これ以上はまずいと悟った二人は、そそくさと屋敷を後にした。
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