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第一章 引き寄せ合うチカラ

8 再契約(2)

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 思い立ったが吉日で、話し合いの数時間後には依頼人の男が呼び出されていた。
 先に客間に通されていた男の前に、入って来たラウルとユイが並ぶ。

「ユリ!我が娘よ、期限前に父を呼ぶとは、良い報告かな?」
 何も知らない男は演技を続ける。これに答えたのはラウルだ。
「良いか悪いかで言えば、お前にとっては悪い方かもしれないな」
 軽く片側の口角が上がっている。

「またまたご冗談がお好きで?フォルディス様は!我が娘は気に入っていただけなかったのかな?」
「私は冗談は好まない。が、彼女は大いに気に入った。お前の娘ではないがな」
「え…。一体何をおっしゃって…?」
 男の目がユイに向く。

 ユイが口パクでバレた、と伝えると、男の顔はたちまち青ざめて行った。
――ごめんなさい…。私だって不本意よ?――

「ついては、彼女に依頼したお前の契約は、今日限りで終了だ。望みのフォルディス家の謎を、今から特別に教えてやる」
「えっ…謎を、フォルディス自らが説明するというのか?」
「そう言っている。何か不満が?」
 やや機嫌を損ねたラウルに、男が激しく首を振って否定する。
「いえいえ!大変光栄に存じます!よろしくお願いします!」

――ちょっと待って、それってこの部屋が大惨事!って事にならないでしょうね?――
 言い知れぬ不安を感じたユイが、ラウルに小声で言う。
「あの、フォルディス様、あんまり大袈裟な事は…しないでくださいね?」

「分かっている。片付けが面倒だからと釘を刺されているからな」
 後方に控えるダンが深く頭を下げて無言で答えるのを見て、ユイは思う。
――そういう事もちゃんと言えるのね、あの人!いつも平身低頭で、それなのに怒られてばっかだけど?――
 こんな事を考えて思わず笑ってしまう。

 二人が何の事を言っているのか全く理解していない男は、ニコニコと間の抜けた顔で待っている。

――痛い目に遭わせちゃったらゴメンなさい!フォルディス様の怒りが、どうか大した事ありませんように!――
 怒りの度合いで力の強さが決まる事はすでに体験済みだ。
 ユイはもう祈るしかない。

 そしてラウルが男に向けて語り始めた。
「私が人間でないなどという噂が広まっているようだが…。残念ながら、その期待には応えられない」
「人智を越えた存在である事は間違いありませんが」
「ダン、余計な口を挟むな」
 申し訳ございません、とダンが平謝りした。

――これこれ!アハハッ!…何かクセになりそっ――

「そしてもう一つ残念な事に、私に敵う者などいはしない。探りを入れようなどムダな事だ」ラウルの表情が険しくなる。
 気づけば、快晴だった空がいつの間にか雲に覆われていた。遠くの方で雷鳴までも聞こえ始めている。
「あら、何だか急に天気が悪くなってきたわ…今日ってこんな天気だっけ?」

 ユイが窓を見上げた時、突如稲妻が走り凄まじい音が空を駆け抜けた。
「きゃ~っ…!!」
 驚きのあまりしゃがみ込むユイに、ラウルが優しく手を差し伸べる。
 そんな行為とは正反対の、とても冷たい声で言う。
「もしお前の娘役がユイ・アサギリでなければ、命は保証できなかった」

 ゴロゴロと唸っている空。その音に呼応するように、室内のあらゆるものが震え始める。
 カタカタと揺れ続ける室内で、男ばかりかユイまでもが慌てる。

「んなっ!…今度は地震か?」男が手近なテーブルにしがみ付いて言う。
 ユイはラウルに支えられて立っているが、腰が抜けそうだ。
――リアル・ポルターガイスト!むっ、無理~…!――

 何事もなく後方に控えるダンは、慌てふためく者達を冷めた目で観察する。
――このお姿は本来、下々の者が目にして良いものではないのだ。有り難く思え!――

 そして男の前に置かれたコーヒーカップが、突如音を立てて割れた。
「ひっ…!」男はあからさまに飛び退いて驚く。
 そしてようやく気づく。これらを操っているのが目の前の男なのだと。
「ばっ、バケモノだ…!!何が人間だ?こんな事人間ができる訳がない。やっぱりこの家は悪魔の家だ…二度と関わるものか!」

 こう叫ぶと、男は転げるように部屋を出て行った。

 男が出て行くと、室内の揺れは収まった。そして庭から車が走り去る音が聞こえると、空も徐々に明るさを取り戻した。

「…フォルディス様、やり過ぎですっ」
――ってか、ここまでなんて聞いてな~い!――
 ユイが泣きながら訴える。
「済まない、つい力が入った。…大丈夫か?」
「まあ…何とか。あまり免疫がないもので!そちらのダンさんと違って?」
 平然としていられるダンに、今回ばかりは尊敬の念を抱くユイ。

 それを察したダンが勝ち誇ったように告げる。
「当然です。自分にも多少の力が備わっていますので」
「…はい?」ユイは目を瞬く。
「自分にもフォルディス家の血が入っているので、簡単な予知や敵の牽制などは可能です」

「そうなの?!顔、全っ然似てないけど!」
 ユイとしては能力の事よりも容姿の方が気になる。
「かっ、顔…とは。おのれ失敬な!」血が上ったダンの顔はさらに迫力を増す。
「ダン!それくらいにしろ」
「…申し訳ございません、ラウル様…」

――またやってる…――
 きっとこれがここの日常の光景なのだ。ユイはそう理解した。

 だがそうではない。ユイがいるからこそ、このコントのようなやり取りが生まれるのだ。そして、ユイがダンを弄る日もそう遠くはないだろう。

 客人が去り晴れ晴れとした表情のラウルが、改めてユイを見る。
「さて。それではユイ。こちらの契約交渉と行こうではないか」
「ラウル様、本当にそのような事を?もう一度お考え直しください!」諦めきれないダンは最後の抵抗を試みる。
「まだ何も始まっていない。お前はなぜそんなにユイを警戒する?」
 答えに詰まるダン。

 その沈黙の中、使用人がそそくさと割れたカップを片付けて、新たなカップを二つ並べて行った。

 ラウルは自分が腰掛けた正面の席にユイを誘導する。
 軽く一礼しそこへ座ったユイは、黙り込むダンに代わって口を開く。
「フォルディス様、ダンさんを責めないでください。誰だって警戒しますよ、普通は…」
「そうかもしれない。かく言う私も全てを信用している訳ではない。そこでこの提案だ」
「はい」
「これまでの生活をもうしばらく続けたい。もちろん、おまえが嫌でなければだが。無理強いするつもりはない」

 ユイはしばらく考える。なぜそれを望むのか?と。
 するとラウルは、そんなユイの心を読んだかのように続けた。
「ユイ・アサギリという女を、もっと知りたくなった。おまえはとても興味深い」
 笑顔もなく淡々とした口調ながら、そこまで冷たくはない。
「私の一体何を?」
「…おまえは違うのか」
「え?」

 ラウルがユイを見つめる。その眼差しには、先程はなかった熱が籠められている。
 端から見守るダンは気が気ではない。口を挟みたいが、ここはグッと我慢する。

「…違いませんよ。私もフォルディス様を知りたいです。でもそんな事が許されるはずが…!」ユイはチラリとダンを見て言葉を切った。

――なかなか察しがいいじゃないか、ユイ・アサギリ!そうだ、そうやってお前から去ればいいのだ!――
 ダンが心でこう勝ち誇った時、ラウルが言い放った。
「この私がそれを望むのだ。誰がどう思おうが知った事ではない。この家での決定権は私にある」

 ダンはもう、心の中でさえ反論できなくなった。

「ユイ・アサギリ。この家に留まり、私と行動を共にしろ。それが依頼内容だ」
「契約期間は?」
「私がいいと言うまで」
「そうすると、明日もういいって事になる可能性もありますよね?」
「そうだな。あるいは十年、二十年後かもしれん。それはまだ私にも分からない」

 こんな曖昧な内容でも、ユイの心はもう決まっている。ラウルに殺されてもいいと思った時から。
 それでも容易に首を縦には振らない。簡単に手に入る女でいたくない。さすがは負けず嫌いだ。

「この私にマフィアの片棒を担げと?」ユイはやや挑戦的に尋ねる。
「私は仕事上のパートナーを探している訳ではない。それはおまえの自由だ。好きにするといい」
「じゃあ、二重契約はアリですか?」
 これでもユイ・アサギリには方々から依頼が入るのだ。なぜか今のところはないが。
「私との依頼の最中に他の依頼を受けると?」
 改めて聞かれて勢いが萎む。「例えば、ですけど…」

「私が何のために、あの男との契約を早々に終わらせたか、考えての質問か?」
「…そうでした。二重契約はお嫌いなんですね!」
「分かればいい。それと依頼料だが…」

 あの男との依頼はおかしな展開で終了したため、依頼料は踏み倒されるだろう。
 今回の収入はゼロだ。それを思い出したユイは肩を落とす。
「私は踏み倒したりはしない。安心しろ」
 こう返されてユイは驚く。やはりラウルは心が読めるのか?と。

「ただし。支払うのは契約終了後だ」
「何かそれって…」
――上手い事言いくるめられてる気がする!結局払われないパターンじゃ?――
「当然、おまえが生活する上で、支障を来たすような事態にはさせない。私は金持ち、なのでね」
「はぁ、…」――根に持ってる!――

「それと、これまで通りの生活と言ったが、おまえには何の制限も与えない。どこへでも自由に出入りしていい。私の仕事の邪魔さえしなければ。まあ賢いおまえの事だ、そんな事は言われずとも弁えていると思うが」
「もちろんです。でも、そうすると私はここで何をすれば?」
 ただ生活させてもらう訳には行かない。案外義理堅い性格のユイは考え込む。
「あっ、ダンさんのお手伝いでもしましょうか!ほら、いつもお忙しそうですし」

「ユリ…いえ、ユイ様のお世話さえなくなれば、自分はそれほど忙しくはありません」
「ダンの世話はしなくていい」
――ラウル様…あんまりです!ダンの世話、などと?!――
 ポーカーフェイスの下でダンが嘆く。

「あっそ!まあいいや。分かりました、お受けします。初めから断る気なかったし。だって、人質を取られてますから?」
 ラウルがチラリとコルトを見せて笑った。悪戯っぽい笑みだ。初めて見るこんな顔に、ユイはちょっぴり興奮する。
「では交渉成立だな。ダン、これまでの内容を書面にして二部用意しておけ」
「はっ。今すぐにご用意いたします」
 ダンは答えるや、早々に居間を出て行った。

「几帳面なんですね、フォルディス様って」
「ん?」
「あんまり契約内容を書面でいただいた事がないもので」
 そんなものは形にして残せない。何しろ内容はブラックなものがほとんどなのだから!
「契約不履行の場合に訴えるためだ」
「ぶっ!!」思わず吹き出すユイ。

「冗談だ。几帳面、は、間違ってはいないと思うが」またもラウルが笑った。
 今日はとても機嫌がいい。先程までとは別人のようなオーラが出ている。
「では、これからもよろしく頼む。ユイ・アサギリ」
「こちらこそ…」

 こうしてユイのおかしな依頼第二弾が幕を開けたのだった。

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