この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第一章 幸せのシンボルが呼び寄せたもの

2.ゼロか億か

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「全く!新堂さんったら頭に来ちゃう!」

 長らく一つ屋根の下にいると、相思相愛の私達でも時々(時々ではないかも!)ケンカになる事がある。と言っても、そのほとんどは私が一方的に怒りを撒き散らしているだけなのだが……。

 思わぬ病が発覚し内服での治療が始まって、いつの間にか冬が終わって春が来た。
 あれから薬剤の効果もあり、見る見る数値は正常になり動悸を感じる事もなくなった。それなのにしつこく血液検査をしたり、心機能や脈拍を執拗に確認してくる。
 有無を言わさぬ威圧的態度にも問題がある。それは出会った頃から変わらないのだが、だからこそ私の怒りは常に収まらない訳だ。

「ユイ!何でもいいが、とにかく!薬だけは飲んでおけよ?」
「はいはい」
 治ったも同然なのに、まだ薬を飲めという。薬に頼るのは良くないというではないか。そんなに私を薬漬けにしたいのか?

「最近体重が凄く増えてるんだけど。逆にホルモンが減りすぎって事は考えられない?」
 体内の甲状腺ホルモンが増えると、新陳代謝が活発化し過ぎて、まるで命を削るようにエネルギーを燃やすのだとか。そのため心臓は異様に拍動を続け、体重は見る見る激減する。一見元気に見えても、実は恐ろしい事が起こっていた訳だ。

 大量に食べていても痩せて行ったのはそのせい。ならばその逆もあるのでは?
 純粋にそう思ったので聞いたのだが、それを皮切りに彼がこんな事を言い出す。
「ああなるほど!分かったぞ、おまえが薬を飲みたがらない理由が」
「え?」
「体重を減らすために、また再発させたいんだろ」

「バっ、バカね!そんなワケ……」鋭い。そうなったらいいなという思いが頭の片隅にあったのは認める。
 最近体を動かす機会といえば家事のみ。動かない上に欲に任せて食べ続ければ、太るのは当然だ。
「だからトレーニングを認めてくれれば丸く収まるの!」

 まだ出会って間もない頃、私が新堂さんのボディガードになる事を提案した。俗に言う闇医者の彼は、しょっちゅう命を狙われていたから。そして彼は同意した。もちろんあの頃は面白がっていただけだろう。どこまでも私を見下していたから!

 だが今は違う。あらゆる壁を乗り越えて、私達はここまで来たのだ。

 体力が落ちれば大切なものを守れない。弱さを何より恐れる私としては、射撃の練習やイメージトレーニングだけでは足りない。
 そして私の脊髄は完全には回復しない。体が動く限界を知っておく必要がある。
 ……だがこれに関しては、現実と向き合うのが怖くてできずにいる。

「なぜそんな話になる?俺は薬をきちんと飲めと言っただけだぞ」
「飲むけど!トレーニングは大事でしょ?」
「おまえは加減というものを知らないからな。許可すれば後悔する」
「は?そんなの決めつけないでよ」
「とにかく!必要があるかないかを判断するのは、この俺だ。覚えておけ」

 くっ……。言い返せない!冷血新堂今も健在。この呼び名はその昔私がつけたあだ名だ。その姿を見上げて目だけで抵抗を試みるも、さらに威圧されて終わった。

「それからユイ。外出するのは構わないが、どこに何をしに行くのかきちんと報告してからにしろ。それと絶対に無理はダメだぞ?しっかり監視してるからな」
「まあ怖い!一体どうやって監視してるっていうの?」
「今は遠隔医療というのがあるんだ。主には過疎地や孤島で利用されるものだが」
「それって、カルテとかのデータを遠方の病院同士が共有するとか、リモートでの診察とかそういうのでしょ?」
「ああ。他にも応用できる。例えば、外出中のおまえの心拍をリアルタイムで確認する、とかね」

「どっ、どうやって!」
「例えば、の話さ」
 含み笑いをする彼を横目に思う。この人ならやり兼ねないと!こちらとしては、そう四六時中監視されては堪ったものではない。

「ところで新堂さん」
 何だ、と私を見ずに答えた彼に、「寝室、いつまで別々なの?私もあっちの部屋で寝たいなぁ」と、わざとその視界に入り込んで言う。
「ああ、その事か。今はダメだ」私を見下ろしてあっさり返してくる。
「ええ~?どうしてっ!」
「おまえの体が完全に治ったら考える」

 この言葉に、私は心底怒りを感じた。

「じゃあ、一生治らなければずっとこのままな訳だ。ベッド一個ムダになるね!」
 私の怒りなど何のその。「そのうち治るさ」と軽い一言が返ってくる。
「今の状態で治ってないって言われちゃうと、治る確信なんて持てないわ!」
 こんなに元気いっぱいなのに?
「俺に任せておけばいい」

 我慢の限界に達して、私は椅子から立ち上がってテーブルを叩いた。

「ねえ!どうしていつもそうなの?そうやって上から目線で言うの、いい加減やめてくれない?」
 あまりの剣幕に、ようやく彼が驚いた様子で私を見上げた。「何だよ、突然……」
「あなたが!私が怒るような言い方をするからよ」
「俺がどんな言い方をしたって?」
「私の事は全てお見通しってね」

 彼がおもむろに立ち上がる。そして私に目いっぱい接近すると、顔を近づけた。

「なっ、何よ……」その圧に怯える。
「ああ、そうだよ。おまえの事は全てお見通しだ。身も心もね……」
 そして新堂さんは、そのまま私の唇を塞いだ。
 こんな手を使われては、抵抗などできるはずもない!やはり彼は一枚上手だった。

 私達はテラスに出た。頭を冷やせという彼の暗黙の指示だったのだろう。けれど外はポカポカ陽気で、頭を冷やすには気持ちが良すぎた。

「最近、イライラし過ぎじゃないのか?もう病気のせいにはできないぞ」
「そうよ。それってもう治ったって事でしょ?あなただって認めてるじゃない!」
 期待して横の彼に視線を向けたが、すぐに逸らされる。
「一時的に落ち着いてるだけだ。油断はできない」

「だって……ちょっとした事が腹立つんだもん!」例えばあなたの言い方とか?
「生理前だしな」
「新堂さん!普通そういう事言う?信じらんないっ!」
「ほら。また怒った」
 膨れっ面をすると、彼は私の頭を撫でて言った。「今のは俺が悪かった。ごめんな」
「フンだ!」

「なあユイ。俺だって、おまえと同じ部屋で寝たいよ。その方が安心だし」
「安心?それってやっぱり、私を患者としか見てないじゃない。もうイヤ……っ!」
「おい……いい加減にしてくれ」
「何よ、間違ってないでしょ?」

 新堂さんが黙り込んだ。
 彼は怒ると沈黙する方だ。これは怒らせたか……。恐る恐る彼の方を覗き見ると、無表情の顔と目が合った。

「ユイ。俺はもう二度とおまえを手放したくない。そのためなら何だってする。四六時中監視するのも薬漬けにするのも、全部ユイを……自分の大事なものを徹底的に守るためだ。そうしないと、俺が安心できないんだよ」

 ……分かっていた。そんな事は初めから。なぜ自分はこんなに我がままなのだろう?いくつになっても子供だ。

「つまり、俺がきちんと病を治せば問題は解決するって事だ。分かってもらえたか?」
「凄く良く分かった。ありがとう、新堂さん。……それから、ごめんなさい」
「まさか俺が、患者とは寝室を共にできない!なんて考えてるとでも思ったか?」
 さっきとは一転して、悪戯っぽい笑みを浮かべて私を見る。
「まさか?あ~あ!私ったら、すっかりあなたに雁字搦めだなぁ」

「なら、もっと縛り付けてやろう。ユイ、左手出してくれ」
「注射はイヤよ?」
「このシチュエーションでやると思うか?」
 いいえ、と肩を竦めて答え、言われるままに左手を前に出す。

 すると新堂さんが私の指に何かを嵌めた。手で隠れていて良く見えないが、リングだ。……リング?!「これ……って?」
 全く予想もしていないシロモノにどう反応していいか分からず息をのむ。

 それは、綺麗な宝石が中央に付いたアンティーク調の古い品だった。真ん中の石は不思議な色をしていて、角度によって色が変わる見た事もないものだ。

「ずっと渡しそびれていた」
「私に?何だか年季が入ってそうだけど。どうしたの、これ」
「いつだったかの依頼で、報酬としていただいたんだ。現金以外で請け負ったのはそれが最初で最後だ」
「これに、報酬に見合った価値があるって事?」リングを見下ろしながら尋ねる。
 確かに宝石は数カラットはありそうな大きさだ。

「さあ、分からん。実をいうと価値は不明だ」
「どういう意味?」と聞けば、「ゼロか、億か……」と返ってきて驚く。
「億?!だとしたら、ルパン三世とかに狙われちゃうじゃない」面白くなってこんな事を言ってみる。ルパン三世は架空の人物。彼はすぐに否定するはず……。
「その時は済まん。先に謝っておくよ」
 しなかった。「何てこと!」

 思わず新堂さんに抱きついた。彼が話に乗ってくれた事が、思いのほか嬉しかった。

「刺激のない毎日に飽き飽きしてたところよ。さすが新堂先生、私の心理を良くご存知で!」たまには暴れたいじゃない?狙われるのは大歓迎だ。
「この朝霧ユイが、ルパン三世を恐れるとでも?」
 今もなお、私の恐れる唯一の相手は、ミスター・イーグルただ一人。

 この人にリングを貰う日がくるとは思わなかった。入手経路や経緯はさておき。
 けれど、これは一体どういう意味なのだろう?期待してしまうじゃない……。

「だけど新堂さん、どうして今?今日って何かの記念日だったっけ」
「何の日でもない。記念日を祝う習慣なんて、俺達にはないだろ」
「あら。昔はよく私のお誕生日に花束をくれてたじゃない」
 その昔、自分も忘れかけていた時に花を贈られて驚いたものだ。
「ああ。そうだったな……」
「最近めっきりくれなくなったけど~」ちょっと嫌味を込めて言う。

「今思い出したから今日渡しただけだ」相変わらずの素っ気なさだ。「気に入ってくれればと思ったが、不要ならば返せ」
 そう言って私の指からリングを抜き取ろうとするので、急いで手を引っ込めた。
「せっかくだから貰っとく。綺麗な石だし!」


 私は自室にこもり、便箋につらつらとイタリア語で手紙を書いていた。
「これでよし、と!」
 ようやく書き上げて背伸びをする。

「ユイ。そろそろ夕飯にしよう」廊下から新堂さんの声がした。
「は~い」
 答えながら手紙を封筒に収め、封をする。外はいつの間にか暗くなっていた。
 部屋のカーテンを引いてキッチンに向かう。

「何してたんだ?」
 調理台の上を片付けながら、新堂さんが聞いてくる。今日は彼が夕飯を作ってくれたのだ。
「手紙書いてたの」
「誰に?」作業していた彼の手が止まる。
「気になる?ラブレターだったらどうする?」面白くなって尋ねるも、「別に」と手はまた元の動作を始めた。

「またまた~!超気になってるクセにっ」
「いいから早く座れ。食べるぞ」
 さっきまでの甘いムードは消えていた。……そうしたのは自分か。左手の薬指に嵌められたままのリングを見つめてぼんやりする。

「食べないのか?」ダイニングテーブルの定位置に腰を下ろした彼が言う。
「食べるわ!」即答して慌てて箸を掴んだ。
「それ、早速着けてるのか。おまえには少々デカイな」彼が私の手元を見ている。
「私の手が華奢だって事ね!」
 反応なし。

「ウソウソ。どうせ私の手は小さい割りにゴツイですよ~だ!」敬愛する師匠キハラのように。新堂さんの白魚のような手と違って?実際彼は本当に綺麗な指をしている。
「俺は何も言っていないが?」
 無意識に新堂さんとキハラを比べていた自分に気づき、慌てて食事に集中した。

 食べながら、さっきまで書いていた手紙の内容を思い返す。
 この手紙は母に宛てたものだ。連絡を取るのは以前イタリアで震災が起きた後に、電話で話して以来となる。
 今回筆を執ったのは、何よりこの素敵な出来事を報告したいと思ったから。

 母との手紙は全てイタリア語にしている。語学勉強のためと言って母に付き合ってもらっているが、理由はここだけの話、新堂さんに読まれたくないからだ。

「どうした?」
「……あっ、ううん。何でも!」
 彼の事を無意識に見つめていたらしく、不審に思われてしまった。

「この幸せな気持ち、独り占めは良くないものね!」
 何の事やらといった様子の彼を尻目に、再びリングを眺めては満面の笑みを浮かべる。
「それ、そんなに気に入ったのか?……参ったな」急に困った顔で呟く彼。
 そんな様子に首を傾げる。「え?何で?」
「いや。何でもない、独り言だ」

 私は理由もそっち退けで、困り顔で頭を掻く新堂さんに釘付けになる。
 こんな新堂和矢は新鮮なんだもの?


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