この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第二章 人生は万事、塞翁がウマ!

12.イタリア出張(1)

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 新堂先生と共にイタリアへ発ったその機内で、不思議な夢を見ていた。

「……イ、おいユイ」
「うう、ん……」
「大丈夫か?」

 彼の声で目が覚めた。数回瞬きを繰り返しながら、状況を整理する。
「新堂先生……?」
「良かった、目が覚めて。何度呼んでも起きないから心配した」
「私、眠ってた……」
「酷くうなされていたようだが、また悪い夢でも見てたか?」

 ここはビジネスクラスの機内。乾燥した密室とおかしな夢のせいで、私の喉はカラカラだった。

「メチャクチャな夢だったわ!」
「声が掠れてるぞ。水飲め」
「ありがとう、喉がカラカラっ」差し出してくれた水を一気に飲み干す。
「足りなそうだな、もう一杯もらおうか」

 彼がキャビンアテンダントに向けて軽く手を上げると、すぐさま感じの良い女性がやって来る。先生がスマートな英語で応対しているところをぼんやりと見つめる。

「で?どういうふうにメチャクチャなんだ?」

 運ばれてきた二杯目の水を半分だけ飲んだ後、話の筋を教えた。それは現在しているパートタイムの職場が出て来たり、怪しげな黒のバンに乗ってどこかへ向かったりと様々なのだが、どれもこれも最後に彼に叱られるのだ。

「ユイは、俺の事がそんなに怖いか……?」ポツリと呟く先生。
「え~?怖いってどうして!そんな訳ないじゃない」
 そう答えたものの、夢の中で自分は間違いなくこの人を恐れていた。
 なぜだろう?私の深層心理は新堂和矢を恐れている?これが真実なのか、作られた感情なのか分からない。

「まあ、おまえが言いつけを守らないのは今始まった事じゃない。俺的にはもうとっくに慣れてるがね」
「私って、そんなに先生に逆らってるの?」
「まあ……今のユイはどうか知らんが。寒くないか?」
「ちょっとだけ」

 話の最中に先ほどのキャビンアテンダントと目が合って、今度は自分から呼ぶ。この機内はほとんど客が乗っていないため、貸切のような状態だ。

「ところで、体調は問題ないんだな?」
「ナトゥラルメンテ!」気分はすでにイタリア。自然にイタリア語が口を突いて出る。
「……ホワット?」先生は英語で返して来た。
「オー、ソーリー!イッツ・ノー・プロブレム」
 肩を竦めた彼が、改めてこちらを向く。「なあユイ。話してなかったんだが実は……」

 彼が次の言葉を濁した時、ブランケットを手にキャビンアテンダントがやって来た。話はそのまま中断となり、私は目的の物を受け取る。
 彼女が過ぎ去っても、彼が口を開かない。無言でこちらを見つめるばかりだ。
「先生?何なの?」

「時にユイ。いつも持ってる例の物は……今も携行しているのか?」
「例のもの?」
 一瞬沈黙が訪れる。問い返すも説明する気はないらしい。何を言いたいのかはすぐに分かった。そして、この任務に多少の危険が伴う事も。
 これを持ってどのように空港のゲートをすり抜けたのかは、企業秘密で!

「先生のお嫌いな例のモノでしょ。もちろんよ。それと心配はご無用よ。私に通訳だけを依頼するなんてもったいない!ある程度は想定済みよ」
「迷ったんだ。危険な事に首を突っ込むなと言っておきながら、自分から誘うなんて」
「あら。あなたに依頼されなくても、ついて来たかもよ」
 この言葉は予想外だったようで、彼が驚いている。「何だって?」

「あのイタリア語のレター、違和感があったから」
「単なる病院からの招聘状だろう」
「一見はね」
 私は例の紙面を思い返した。確かにあれは病院発行の正式なレターだった。便箋に透かしのマークも入っていた。

「先生はどうしてこの依頼に危険が伴うと?」
「患者を調べたら、現地では有名どころのマフィア一家だった。失敗したら命はないとか、そういう類の事だろ」よくある事だと肩を竦めて続ける。
「ええ。病院側はあなたに断られたら困るから、危険性については表向きには触れていない」
「表向きには?それが違和感の理由か。何かメッセージが隠されていたとか?」

「鋭い!さすが新堂先生。文中に、ネイティブが使わないような言い回しの箇所が複数あったの。そこを抜き出して並べ替えると、F、ra、gi、le、フラージレ、訳すと取扱注意ってところかしら」
「この案件は取扱注意って?だがオペの内容としては、難易度はそれほど高くない」
「皆、殺されるっていうプレッシャーの前では、本領発揮できないんじゃない?」
「遠路遥々、この俺にお呼びがかかるとはね!」

 この人に白羽の矢が立った理由は何だろう。裏の世界でそんなに有名なのか?

「これで今回の報酬額に納得が行ったよ」それは相当な額だった。
「隠し文字なんてただの偶然かとも思ったけど。患者さんがマフィアと聞いて納得だわ。先生に危険が迫るなら放っておけない」だから当然ついて行く!
「だけどユイ、自分を盾に俺を守るとかいうのだけは、頼むからやめてくれよ?」
「もちろんよ。そんな事したら、この先あなたを守る人間がいなくなるじゃない」自信たっぷりに言い放つ。だから殺人を犯しても文句を言うなと目で訴えて。

「まあ、要は俺が完璧に仕事をすればいいだけの事。おまえの出番はないよ」
「そう願うわ」
 こう答えながらも、心では見えざる敵との一戦が待ち遠しい。出番がないなんてつまらなすぎる!

「私は先生の秘書として同行するわね。ボディガードを名乗っても問題ないだろうけど。どうせ信用されないし?まあでも、イメージ的にね」
「任せるよ。では改めて、よろしく頼むよ、第一秘書のミス・アサギリ?」
「こちらこそ、ドクター・シンドウ!」


 その晩、イタリアのとある空港に到着し、近郊のホテルに滞在した。
 予約したホテルにチェックインする。ボーイが部屋まで案内してくれた。

「ミ・スヴェリ・アッレ・セイ・デル・マッティーノ、ペル・ファヴォーレ」
「オ・カピート、セニョリーナ」
「グラッツェ」
 明朝六時にモーニングコールを依頼する。

 ボーイが部屋を出て行くと、彼がカーテンを開けて外を見渡した。
「中心街から離れているとはいえ、何とも寂しい風景だな。部屋もイマイチだし!」
「贅沢は言えないわよ、先生」

 宿があるだけでも有り難い。稼ぎが少なかった当時は車中泊が当たり前だった私だが、何億も稼ぐこの人は違うのだろう。
 窓から見える街の明かりは点々とあるだけで、夜景と呼べるものではなかった。
 彼がカーテンを引いて振り返る。私はざっと室内を点検した。特に異常はない。

「ユイ、先に休んでくれ。少し明日の準備をしたいんでね」
「ありがとう。でも、さっき機内で散々寝ちゃったから、眠くないのよねぇ」

 本当はこの周辺を偵察しに行きたいところだが、余計な心配をかけたくなかったのでやめる事にした。
 先生から珍しく緊迫感のようなものを感じる。難しい手術ではないと言っていたけれど、やはり彼も脅しのプレッシャーを感じているのか。

 邪魔をしないように、早々に別室に入った。
 バッグからコルトを取り出す。弾を装填して入念にメンテナンスをする。私の頼もしい相棒と気持ちを一つにすべく、精神統一のひと時を過ごす。
 全てを終えて、カレを枕の下に忍ばせ硬いスプリングのベッドに横になる。なぜか最近腰痛が酷いので、硬めのベッドはとても助かる。

「五年の歳月が自分をこんなに老化させる?……。バカじゃない?朝霧ユイ、あなたはまだ三十代よ!」



 翌朝。先生がモーニングコールを取っていた。眠りが浅かったようで、なかなか頭がはっきりせず……。

「ユイ、時間だ」耳元で彼の声が響く。
「う~ん……、もう朝?」目を開けるとすぐそこに先生がいた。
 私を覗き込んで「良く眠れた?」と聞いてくる。
「微妙。先生は?」ようやく起き上がって答え、いつもと変わりなく見える彼にも問いかけた。
「まあまあかな」

「今日は頑張ってね。先生はそれだけに専念して。私が他の事を全てサポートするから」
「ありがとう。頼りになる秘書だな」

 私は髪を纏め上げてアップにする。ポニーテールは暴れるのに案外邪魔なのだ。さらにクリアの伊達メガネを掛ける。スーツはダークグレーの織柄入り。黒のアニエス・ベーのビジネスバッグに、黒のシステム手帳を入れる。

「どう?少しは秘書らしく見えるかしら」
「馬子にも衣裳、か……。完璧だ」彼が私を眺めて、感心した様子で何度も頷いた。

 そして先生は、ダークネイビーの上質なスーツに淡いパープルのシャツ。ノーネクタイで胸元のポケットにはワインレッドのスカーフがチラリと覗く。
 ずっと思っていた事だが、この人はとてもお洒落だ。飾り気のない私とは釣り合わない気がする……。

「ユイ、俺がカッコいいからって見惚れすぎだぞ!」
 こんなジョークを言いながら、愛用の黒のドクターズバッグを手にする。
「あら。新堂先生がステキ過ぎるのが悪いのよ?」こんな事を言って一歩近づく。
「距離を保て。今日はビジネスパートナーなんだぞ」
 そう言いつつも、彼も私との距離を置こうとしない。

 顔を見合わせて吹き出す。

「ま、いいか」彼が距離を取る事を断念した。
「そうそう。秘書と関係を持ってしまうのはよくある話よ。さあドクター、そろそろ参りましょう」
「ああ」

 こうして私達は目的の病院へとタクシーを走らせた。


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