この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第二章 人生は万事、塞翁がウマ!

14.ランボルの代償(1)

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 名残惜しくも母達と別れて、私と先生は次なる旅に出た。というのも、こんなやり取りがあったのだ。

「せっかくだから、もう一か所旅行しないか?」
 この提案は、何と空港で行く先の電光掲示板を見上げている時にされたもの。
「え?日本に帰らないって事?」寝耳に水とはまさにこの事。
 彼が、それが何か?という顔で私を見下ろしている。
「一応私にもお仕事があるんですが?パートですけど!」お忘れだと思うので言っておきます!
「ああ……なら、ダメか」本当に忘れていたのか、一瞬の間が空いた。

 けれどこう呟くその表情が何とも切なくて、見ていられないのだから困りものだ。
「あっ、でも!代わりに誰か出てもらえると思う。行こう!どこ行く?もう決めてるの?」立て続けにこう言い募った。
 すると先生がニコリと笑って私の肩を抱く。
「ここは地中海なんだぞ?観光すべき所は五万とある。半年くらいいてもいいな!」
「それは……勘弁してほしいかなぁ」さすがにパートはクビになるだろう。


 そんなこんなで行き着いた先がアテネ空港。
 ギリシャはたくさん島があって、彼の言うようにどこも魅力的だ。世界中のセレブがバカンスに訪れる地でもある。
 知らずに私もそんなセレブの一員か……これは悪くない!

 滞在先のホテルに荷物を預けて一息つく。

「新堂先生、これからどうする?私ちょっと、街でお買い物したいわ」
「俺も買いたい物があったんだ。一緒に行くよ」

 こうして二人でホテルを出た。

「……ねえ、やっぱりこの車、派手すぎない?」
 彼がレンタルしてきたのは、ド派手なオレンジ色の超高級スポーツカー。
「そうか?ユイ、前に言ってたろ。今度はポルシェとかに乗りたいって」
「そんな事言った?それに、これポルシェじゃないし!」
「ランボルギーニだよ」

「先生ったら派手好きだったのね」
 この人は黒の厳つい車しか興味がないと思っていた。どういう趣味だったのか覚えていないが、何だか違和感がある。

 周囲の視線を感じつつも、少し行くと私のお目当ての店の前に通りかかった。

「車、おまえが使うか?俺の目的地もすぐ近くなんだ。少し時間がかかりそうだから」
「……この車に、私一人で?!無理っ!」
「そうか?似合ってると思うけど」
「気づいてる?物凄~く注目浴びてますよ、センセっ!」
「昔のユイだったら、喜んで乗り回していたと思うがね」

 彼の呟きを無視してさっさと車を降りた。周囲の注目にこれ以上耐えられない!

「ユイ!帰り、気をつけろよ?道は分かるか?」
「先生ったら。子供じゃないんだから大丈夫!あなたこそ盗難に気をつけてよね!」
 無意識にお金持ちアピールしている彼に忠告しておこう。

 彼と別れて商店街を見て回る。
 店を出て通りを歩いていた時、ふと視線を感じた。振り返るも特に気になる人物はいない。
「先生のせいで私まで強盗に目を付けられた?な~んてね、気のせいか。ヤダヤダ!自意識過剰じゃない?ユイ!」
 さっき注目を浴びすぎたせいで、まだ視線が送られている気になっているのか。

 そんな事を考えたが、自意識過剰ではなかったらしい。

 人気のない道に入った直後、突然後ろから手首を取られて動きを封じられた。それは素早い動きで抵抗もできなかった。
 どうやら視線の主が行動に出たようだ。単なる強盗にしては手際が良すぎる。
「誰なの!?……くっ、離して!」

 敵の顔も拝めないまま、あっさりと薬品を嗅がされてしまい、残念ながら記憶はここまでとなった。



「う……っ。ちょっと、何よこれ!」

 目が覚めると、そこは寂れたアパートの一室だった。両手首を結束バンドで束ねられ、床に転がされている。
 そして目の前には椅子に腰かけたブロンドの男。逆光のせいで顔を認識できず。

【以下カッコ内英語】

「(よう、久しぶりだな。ユイ・アサギリ)」
「(誰なの!)」眩しさに目を細めながらも、男の顔を確認するのに必死だ。
「(忘れちまったのか?それは寂しい!)」
 男は私の数センチ手前まで近づいた。

 接近した男を睨みながらも思い出そうと試みる。この男、これまでのような単なる雑魚には見えない。

「(……おいおい!本当に覚えてないのか?参ったな)」
「(誰か知らないけど、一体私に何の用?)」思い出せないのだから仕方がない。私は開き直る事にした。
 すると男が、おもむろに大型の銃を持ち出した。
「(これでも俺を知らないと言い張るか?)」

 手にした拳銃はデザートイーグルだ。これを愛用する人物は私の知る限りただ一人。
「まさか……ミスター・イーグル!?」
 我が師匠キハラが唯一恐れている相手。つまりそれだけ強敵という事だ。まさか今目の前にいるのが?
 今回の旅は何と驚愕の出会いが多いのだろう。これで三度目だ!

「(やっと思い出してくれたか。良かったよ)」
「(思い出すも何も初対面ですけど!っていうか、ホントに本物?)」想像していたよりも案外愛嬌のある顔立ちに違和感を持つ。しかも、なかなかの美形だ。
「(ああ?何を言ってる。俺が一度仕置きに行ったのを忘れたのか?ところで、お前の相棒は手元に戻ったみたいだな)」

 何の事なのか全く分からず首を傾げるも、話題がコルトの事になって意識がその一点に向く。「……そうよ、私の相棒は!?」
 下を向いてその位置に目をやるが、両手の自由が利かないため確認できない。
「(安心しな。奪っちゃいない。ここで取り上げたら、何のために送り返してやったか分からなくなるじゃないか!なあ?)」

 先生の言っていた事は正しかった。やはりこいつが私のコルトを持っていたのか。
 でもなぜ?仕置き、のために奪われたのか。

「(暴れられても面倒だからな。拘束させてもらった。お前ごとき、本当は必要ないんだがね!)」
「くっ……言ってくれるじゃない」日本語で呟く。
「(それにしても驚いたぜ。お前が生きてこんな場所にいる事にね!)」
「(生きてて悪かったわね。どこに旅行しようと勝手でしょ。あなたこそ、私をつけ狙ってたの?)」

「(俺は女を追い回すほど暇じゃない。あんなに目立つスーパーカーを選んだセンスを恨むんだな!)」
 ああ!やはり目立ったせいじゃない?先生のバカっ!
「(まあ。こっちとしちゃお陰でいい拾い物したがね。それで?お前、あのイラクの爆弾テロからどうやって生きて還った?)」

 私は何も言えなかった。

「(こっちの業界じゃ、あのY・アサギリが死んだと大騒ぎだったぜ!)」
「(私の知った事じゃないわ)」
「(あのテロが偶然なのか故意なのか……。お前を消したがってる奴らは大勢いたが、いなくなってみると寂しい。これが俗に言う〝ロス〟ってヤツか?)」
「(単に面白がってるだけでしょ!こうやってからかうために捕まえたの?)」

 イーグルは愛用銃をテーブルに置くと、煙草を吹かしながら私を見下ろした。

「(すぐに殺さないところからすると、私に何か用があるのかしら?)」
「(ようやく頭が働き始めたようだ)」
「(どうやって生きて還ったかを知りたい訳?)」
「(いや……。そんな事はどうでもいい。どうせあの医者が助けたんだろう?お前の用心棒が!)」
「(誰が用心棒ですって?)」

 意味深な笑みを浮かべるだけで、イーグルは何も言わない。

 やがて煙草を揉み消して口を開いた。「(さて。お互いそんなに時間もない事だ、本題に入ろうじゃないか)」
 そうだ、今は何時だ?先生はもうホテルに戻っただろうか。
「(で?何が望み?)」
「(そのイラクでの事を少々ね)」
「(何を聞くつもりか知らないけど、残念ながら無理だわ)」

「(どういう意味だ?)」心底面倒そうに口にするイーグル。
「(私、記憶喪失なの)」
「(おいおい!もっとマシな嘘はなかったのか?)」
 イーグルが立ち上がり愛用銃を手に取った。そして再び私に接近する。
「(この俺を相手にその態度……。もう一度仕置きが必要か)」

「(違う!ウソじゃない!本当に分からないのよ……。先生の事も!あなたに会った事も!五年分の記憶がないの)」イーグルを見上げて心からこう訴える。
「(それはテロの後遺症ってヤツか?)」
「(いいえ。もっと単純なケガでよ。人間て脆いわ!でも、それと同時に強くもある)」
「(何にせよ、お前は知っているはずだ。あの紛争地帯で善人気取って動き回る目障りな米国人を!)」

 当然何の事か分からない。けれど、知らないが通用しないのは百も承知。

「(そんなの大勢いるんじゃない?米軍とかもそうでしょ!)」平和な国にするために。
「(軍の人間じゃない。さらに狡賢いキツネ野郎がいるんだよ!ダーク・フォックスとでも呼んでやろう。お前は一時そいつと組んでたんだろう?)」
 そんな本人さえ知らない人間関係を、一体どこで調べたのか?
「(覚えてないって言ってるでしょ!なぜ私なの?)」

「(ああ?)」
「(私は死んだ事になってたのよね)」
「(そうさ!ショックだったよ、あんたは唯一俺が見逃してやった女だったからな)」
「何よそれ……」以前会った時にどんなやり取りがあったのか、益々気になる。

「(私を当てにしたのは失敗だったわね。そう簡単じゃないのよ、記憶を戻すのは)」
 どれだけ苦労していると思っているのか。できるならとっくにやっている。
「(こうなったら、使い物にならない私の事なんて、さっさと殺したら?)」開き直ってこう訴えてみる。あっさり受け入れられても困るのだが!

 しかしイーグルは引き下がらなかった。
「(ふざけるな!お前は絶対に知っている!何が何でも思い出させる)」

 なぜこうも躍起になるのか。あのスーパードクター新堂和矢ができない事を、畑違いの殺し屋にできるとでも?


 いつの間に眠らされたのか、気がつくとそこは床の上ではなかった。
 下着姿でベッドに寝かされ、両手足はその柵に固定されて身動きができない。さらには頭に奇妙な機械が取り付けられている。

【以下二重カッコ内イタリア語】

「((お目覚めですか、ミス・アサギリ))」今度はイタリア語だ。
「((今度は誰?!これは、何の真似かしら))」
「((大人しくした方が身のためですよ))」
 白衣を着た老人は、何かのスイッチを入れると私の体を眺めた。

「((イーグルはどうしたのよ、あなたも雇われた口でしょ))」
「((あなたが本当にアムネジアかどうか、確認するのが私の役目です))」
「いっ!痛いじゃない!何するのよ、このエロじじい!」反射的に日本語になっていた。

 その後老人が私に何をしたのか、何も覚えていない。終始イーグルの姿はなかった。
 早くホテルに帰らなければ……新堂先生が心配しているはず。


 再び目が覚める。あの老人もイーグルの姿もない。
「この朝霧ユイを一人にしておくなんて、いい度胸ね。逃げてもいいって事よね!」

 ベッドから立ち上がると、猛烈な眩暈に襲われてそのまま倒れた。
 開かれたままの扉の脇に、いつの間にか人影があった。

「(ユイ・アサギリ。お前の言っていた事は、どうやら事実だったようだ)」
「(イーグル……。あのジジイは私に何をしたの!)」
「(さあ、調べる方法まで俺は関与しちゃいない。女の裸もそれほど興味がなくてね)」
 下着姿の私を見下ろしながら続ける。「(お前にちょっかい出すと、地獄にいるアイツに恨まれるからな……)」

「(地獄にいる、あいつ?)」
 私の問いに、イーグルは微笑しただけだった。
「(ミス・アサギリ、記憶を取り戻したくはないか?)」
「(あなたが欲しいのはイラクの情報だけでしょ)」

 イーグルは愛用銃を手にしている。起き上がれずに床に座り込んだまま、私はその姿を見上げる。

「(私の相棒、奪わないんじゃなかった?)」
「(奪った訳じゃない。そこにある。検査に貴金属はNG、それくらい知ってるだろ?)」
 顎で示した先の机の上には、確かにコルトの姿が確認できた。
 この男は一体何を考えているのだろう?危険な人物には違いないのだろうが、どこか気遣いのようなものを感じる。

 この男が本当にキハラの最も恐れていた人物なのか?

「(お前の体には、大きな傷跡一つなかったそうだ。あり得ない話だよな?あんな爆弾テロに遭ったにしては!)」
「(何が言いたいのよ)」
「(お前の用心棒は大した腕を持っているようだ。スーパードクターというのは強ち嘘ではないらしい)」どこから聞いたのか、そんな事を言い始める。

「(彼には手出しさせない!)」
 私の強い口調さえかき消すように、自信たっぷりに返される。「(お前を殺る時は、まず先にあの男からだな!)」
「(聞こえなかった?彼は殺させない。誰にもね!)」
 そう言い切って再び立ち上がろうとしたが、どうにも下半身に力が入らない。

「(どうした、威勢がいいのは口だけだな!)」
「(くっ!あのジジイが何か細工をしたのよ。あなたの差し金なんじゃないの?)」
「(なぜそんな必要が?そもそもこっちに主導権がある上、お前なんぞ怖くもないのに!)」

 イーグルは相変わらず私を見下ろしている。
 大男だ。キハラよりも上背はあるだろう。確かにこのリーチの差では確実に負ける。この男の特技が射撃だけでないのなら。
 そして、今の自分にどれだけの事ができるのか……。

 〝以前ほどの機敏な動きは不可能だ″
 新堂先生の衝撃的な発言が脳裏を過ぎった。

「(俺が頼んだのは、お前さんの記憶喪失の真偽。それと必要な記憶を戻す事だ。体に細工しろなんて指示は出してない)」
「(そんな事言われたって、何も思い出してなんか……)」
 そう言いかけた直後、力の入らない足に恐怖のようなものを感じた。この感覚を前にも味わった事がある。

 そして次の瞬間、今度ははっきりと恐怖の対象を思い出した。あの時の、地獄のような痛みと共に!
 痛みで目の前が揺らいだ。どの部分が痛いのかも説明できない。体中のあらゆる箇所が悲鳴を上げる。

「(早速何か、思い出したようだな)」
 目の前にいるはずのイーグルの声が遠くの方で聞こえる。もはや声を発する事もできずにいた。

 そうだ、私はあの事故で、半身不随になったのだ!


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