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第二章 人生は万事、塞翁がウマ!
13.バカンス
しおりを挟むイタリアでの先生の仕事が終わり、せっかくこの国にいるならばとシチリア島に住んでいる母に会いに行く事になった。
「先生、私が記憶喪失だって事、お母さんに言わないでね?」
「俺が言わなくてもバレるんじゃないのか」ミサコさんは案外鋭いからと彼が続ける。
確かに母は鋭いところがある。
「正直に言った方がいいと思うがね」
「どうやって?先生がくれたリングは実は恐ろしい代物で、敵が押し寄せてるんですって?あなたの印象最悪になるわよ?」
「リングの事は話したんだろ」
「手紙でね。やり取りは全部読んだから、内容はバッチリ把握してる」
先生と母の関係がどうにも気になる私にとって、今回の訪問は願ってもないチャンス。この機会を利用して、記憶を取り戻す手立てとしようじゃないか。
「とにかく誤魔化せる限り誤魔化して!それと、他のケガとか諸々も内緒よ?」
大きなため息の後、彼は投げやりに答えた。「分かったよ」
飛行機ではなく船で向かう。島へ着くと、母が港まで迎えに来てくれていた。
「ユイ!新堂先生!こっちよ」母が大きく手を上げて叫んでいるのが見える。
四年前の父義男の安楽死事件に会った時よりも、何倍も元気そうだ。少しだけ日に焼けた母の顔は輝いていた。
……。ああそうだ、四年前ではない。記憶のない五年をプラスするのを忘れていた!
「お母さん!」
「あなたは相変わらず白いわねぇ。私はもう美白は捨てたわよ」
「いいんじゃない?健康的に見えるし、何よりも若く見えるもん」
「そうね。そしてあなたは……」母が私を上から下までじっくりと見渡す。
不安になって隣りの先生を見上げた。
「ミサコさん、ユイは至って健康ですよ。そう見えませんか」彼がフォローしてくれる。
母が彼を見上げる。「あなた達……呼吸がぴったりね」
「当ったり前じゃない、何年一緒にいると思ってるの?お母さん!」ここは透かさず突っ込む。
「まあっ!言ってくれるじゃない?」
そう言うと、私と先生の背中を同時に叩いてさっさと進んだ。
「ほら、何ぼうっとしてるの?時差ボケじゃないわよね、今までこっちにいたんでしょ?」
「先生にオペの依頼が入って。それよりお母さん、さっきのあなたは、の後に何を言おうとしたのよ」急いで母を追い駆けてこっそり聞く。
「え?何か言おうとしたかしら」
「お母さんっ!」相変わらずの天然だ。
賑やかな道中、先生はほとんどしゃべらなかった。
そして母の家は小高い丘の上にドンと構えており、どこか私達の家の雰囲気に似ている気がした。
「スゴい豪邸!再婚相手はお金持ちかぁ」
「あらユイ。世の中はお金が全てじゃないわよ?」
「良く言うわよ……」
何せ朝霧家にもそれなりの資産がある。現在その全ては兄神崎さんのものだが。
「ねえ?何してる人なのかって聞いてたっけ」恐る恐る尋ねる。手紙にはその内容はなかったはず。
「言ってなかったかしら。もう引退して隠居生活よ」
「引退?定年退職じゃなくて?」職人か何かか。
母は微笑むばかりで答えてくれない。さては何かあると娘の勘が働く。
「それにしても!新堂先生ったら相変わらず素敵!私がもっと若かったら絶対お付き合いしてたわ」
「ちょっとお母さん?娘の相手掴まえてそれはないでしょ!」
「あらぁ~。ユイったら、冗談よ?」
いい加減にしてください!目で訴えるも通じるはずもない。
「ご心配なく。今の主人は負けないくらい素敵だから!」
「あ~、はいはい。ご馳走様です……」彼にもたれ掛かって、思わずため息をつく。
「かなり元気だな、ミサコさん!……おい、大丈夫か?」ぐったりの私を気にかけて、先生が覗き込んで来る。
「平気。昨夜眠れてなかったから、疲れたのかな」力なく笑って答えた。
家の中に通され、客間に落ち着く。
「ホントにお城みたい!良かったね、お母さん」
「それもこれも、みんな新堂先生のお陰よ。命あっての事だもの」
「命?」
「そうでしょ。あなたも何かと先生に助けていただいてるんでしょ?手紙にも書いてあったわね」
「え?え、ええ……」どれの事だ!それに命って?話について行けなくなる。
「お元気そうで何よりですよ。それに、私達は持ちつ持たれつ。私もユイにはたくさん助けていただいていますから」先生が代わって話を進めてくれた。
「まさにあの時が運命の出会いだったのね、あなた達。それって、私がキューピット役をやった事になるのかしら?」一人で盛り上がる母。
あの時が、運命の出会い……。さり気なく放たれたこの言葉は、今一番知りたい事に違いなかった。けれど何の事か全く分からない。
「あらユイ。指輪は?してないじゃない。もったいぶらないで見せなさいよ、先生から貰ったエンゲージリング!」私の左手を覗きながら母が言う。
「だからっ、エンゲージじゃないってば!あれはサイズが合わなくなって……」
「え?貰ったばかりでサイズが合わなくなる?どういう事よ」
母の突っ込みが激しい。助けて、先生!と彼を見やる。
「ミサコさん、あれは昔私が報酬代わりに貰ったものでして、婚約指輪ではありません。もともとサイズが合っていなかったんです。正式なものは改めて渡すつもりなので」
正式なものを渡すつもりがあるのか。これが聞けて母に感謝だ。
母は呆気なく、あらそう?とすっかり興味をなくしていたが。
「そろそろ主人が病院から帰って来ると思うんだけど」あっさりと話題は変わる。
ほっとしてすぐにこの話題に乗る。「病院に行ってたの?」
「ええ。ちょっと目が悪くてね。だから家でも薄いサングラスを掛けているけど、気にしないでちょうだいね」
「分かった」彼と揃って頷いた。
そんな事を話していた直後、テラスから庭に人影が見えた。目敏く見つけ、母が身を乗り出して覗き見る。
「ほら、帰って来たみたいよ」
母は私達に待つように言うと、一人立ち上がって玄関に出迎えに行った。
ドアが開いて母と共に現れた人物を一目見て、私は大いに驚いた。そしてそれは、相手も同じだった。
「((君は、さっきのお嬢さん……?))」
「大ボス!!」
「何だ、大ボスって?」先生が不思議そうに聞いてくる。
「あら。あなた達初対面じゃないの?どういう事?」母も目を瞬いている。
あまりの驚きで言葉が出てこない。
「こちらがあなたの新しい父親、コルレオーネよ。もう知ってるみたいだけど」
「知らないわよ!名前だって聞いてないし。こんな偶然ってアリ?!」
動揺のせいで日本語さえ怪しい私。
するとコルレオーネがあの美声で盛大に笑った。
「((いやはや!似ている訳だ。母娘だったんだからな!すると君がユイか))」
「((はい。ユイです、改めまして……))」
「((ダーリン、こちらはユイのお相手で私達の主治医でもある、ドクター新堂よ))」母が彼を紹介する。
「ボンジョルノ、コルレオーネ」
二人が握手を交わす姿を、呆然と見つめる。
「((まあまあ、二人とも座りなさい。こっちで色々あって忙しかったろ?))」チラリと私に目を向けてこんな事を言う。
この人には、私が暴れたところもコルトを撃ったところも間違いなく見られている。
出会って早々これは弱みを握られたかと、暗い気持ちになった。
「そろそろ夕飯の時間ね」母が立ち上がる。
「こんなに大きな家に住んでるのに、お手伝いさんとかいない訳?」
「いるわよ。でもお料理は好きだから、私がやらせてもらっているの」
納得だ。何せそれを学ぶためにこの国に来た人なのだから。
「私、手伝うよ」続いて立ち上がって申し出た。
すると先生の視線が突き刺さる。その目は、コルレオーネと二人きりにしてくれるなと訴えている。言葉の問題はもとより、相手は本場物のマフィアなのだから!
「ユイは新堂先生のお側にいなさい。通訳なしじゃお話できないでしょ」
さすがは母、見抜いていた。私は頷いて座り直した。
向かい側に座るコルレオーネが窓に目を向けて言う。「((今日は夕焼けが美しいな。外に出てみるかい?))」
「((そうね。ちょっとお話したい事もあるので……))」
こうして母はキッチンへ、私達は三人で庭に出た。
「先生、ここ、やっぱり私達の家に似てるよね。こんなふうに空が広く見えて!」
「ああ……そうだな」彼も空を見上げている。
見渡せる街並みは全く違うが、空は全て繋がっている。同じ空を母も見ていた。そう思うだけで嬉しくなる。
「で、あの人と話したい事って?」先生がこっそりと聞いてくる。
「……うん、ちょっとね」
何かを察したらしく、先生は私達と距離を置いてくれた。
コルレオーネに近寄り、早速話しかける。「((あのっ!パパ、で、いいのよね?))」
「((もちろんだとも!こんなに可愛い娘ができて嬉しいよ、ユイ))」
すぐさま熱い抱擁が待っていた。頬をくっつけ合って親愛の証を刻む。
「((さっきはありがとう。パパが来てくれなかったら、あの問題は解決できなかったわ))」
「((いやいや。こちらこそ迷惑かけたね。ユイにケガがなくて何よりだ。強いんだね、君は!))」
「((その事なんだけど!))」
力が入ってしまい声が大きくなっていたのか、先生がこちらを振り向いた。
彼に向かって急いで首を振り、何でもないとジェスチャーで訴えてから本題に入る。
「((お母さんには……言わないでもらえる?その、ケンカとか拳銃とか……))」
何も言わずにコルレオーネが私の左手を取った。「((ユイはサウスポーか))」
「((そうだけど……?))」
掌を太い指がなぞる。それは長年消える事のない銃ダコだ。これでもう言い逃れはできない。まあ、するつもりもないが?
「((ミサコの元夫はジャパニーズ・マフィアだったと聞いている。娘が真っ当でない道を歩んだとしても無理はない))」
それは誰の意見?私はコルレオーネの次の言葉を待つ。
「((ミサコは何も言わないが、知っていると思うよ。心配するな、私からは何も言わない。こんな手の自分が、何を言えると?))」コルレオーネが右手の平を見せて来た。
そこにはしっかり刻まれている。私のよりも何倍も年季の入ったタコが!
「うふふっ!大好き、パパ!」
私はこのダンディな義理の父を急速に好きになった。
「((日本語は分からないけど、今のは分かったよ。愛の言葉だろう?))」コルレオーネが投げキッスを放って言う。
「エサッタメンテ!」その通り、とウインクを付けて答えた。
その時、丘を登って来る一台の車が見えた。
「((おおそうだった、あれはレナートだな!ウチの若いのが訪ねて来る事になっていたんだ。ちょっと失礼するよ。ユイは先生ともう少し散策するといい))」
「((そうする。ありがとう))」
コルレオーネが家に戻って行くところを見送って振り返ると、先ほどの車はさらに近づいていた。ドライバーの顔がチラリと見えて、本日二度目の驚きの瞬間となる。
「ヘルムート?!」
コルレオーネがレナートと呼んだ男が、あまりにヘルムート・フォルカーに似ていたからだ。
ヘルムート・フォルカーはドイツ系米国人で、元CIA特殊捜査官。
この人との出会いは驚愕だ。お互い身分を偽り偽装結婚をしていたのだから!短い間だが夫婦だった事になる。
私にこんな依頼をしてきたのは、何を隠そうイギリス諜報部。人材不足のため外部の人間を雇う事はそう珍しくないようで。自分の能力が買われた事が嬉しくて、すぐに引き受けた訳だ。
だがこの件でヘルムートは組織を追われた。それは確実に私が関わったせいだ。
私の叫び声を聞いて先生が近くにやって来た。
「父上はもう戻ったのか。……ユイ?どうかしたか」
彼も私が凝視している車の方へ目を向ける。「何だ、あいつも知り合いか?」
見間違えるはずがない。その人とはベッドで毎晩のように愛し合った仲だ。偽装、ではあるが……。
記憶のない今の自分にとっては、ヘルムートとの偽装結婚はつい最近の出来事。
だが現実には、あれから五年が経過している事になる。
「何でこんな所に……。イケメンが好きすぎて、お母さんが呼び寄せたとか?」
こうでも考えないと正気でいられない。
「そうなのか?……待てよ、あいつどこかで見たような……」
もう一度目を凝らしてドライバーを確認しながら、先生がこんな事を言う。
「ええっ?!先生、会った事あるの?!」どういう事だ!一体どういう?
だが謎はこれだけではない。こんな非の打ち所のないパートナーがいながら、自分はなぜ偽装結婚の依頼など受けたのか。
そしてこの人は許したのか。
様々な憶測が飛び交う中、車は裏手の方に行ってしまった。
「ユイ。こんなところで頭痛を起こされても困る。もう考えるのはよせ」
「……うん」
例えあの男がヘルムートだとしても、私達は再会してはならない。無関係の人生を歩まなければいけないのだ。それが、お互いの今の生活を守るために重要な事。
私は両手で彼の腕に絡みついて、顔を埋めた。
先生の反対側の手が私の頭に乗り、静かに撫でてくれる。
彼は怒りの片鱗も見せていない。偽装とはいえ夫役だった男かもしれない人物を前にしてもなお。私の心がヘルムートに一瞬だけ向いてしまった事を知ったとしても、今のように接してくれるのだろうか?
今はただ、先生の心をほんの少しであっても遠ざけたくない。
やはり私は新堂和矢を愛しているらしい。
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