この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第二章 人生は万事、塞翁がウマ!

  ランボルの代償(3)

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 私達の声を聞きつけて、イーグルが部屋に入って来た。

「(おやおや、お熱い事で!)」
 私と彼が抱き合っているところを目撃し、冷やかしの言葉を浴びせてくる。

 新堂さんは表情を引き締めると、掛けてくれていた上着を私に着せてから立ち上がる。その彼のポケットからコルトを抜き取り、私も立ち上がった。

「(どうやら完治したようだな。さすがだ、ドクター。ついでにこの、威勢のいい性格も直してもらいたいもんだね)」コルトを手にした私に、イーグルが嫌味を言ってくる。
「(さっきのお返しよ。先生に銃を向けたね)」

 私はコルトを構え照準を合わせると、イーグルのサングラスを弾き飛ばした。

「ああ、それと私の携帯もだわ!」
 もう一発撃つつもりで構え直した時、新堂さんがコルトを上から手で覆った。
「やめるんだ」
「(ドクターの方が状況を弁えているようだな!)」

 ここは仕方なく銃を下ろす。

「(で。どうだ、ダーク・フォックスについては思い出せたか?)」
「(さあね。思い出したとして、果たしてあなたに教えるかしら?その人の事、殺すんでしょ)」
「(はっはっは!やっぱりお前は状況が分かっていないらしい)」

 イーグルが笑みを消し、無表情で愛用銃を私に突きつけた。その距離わずか三十センチメートル。
 前にもこんなシチュエーションがあった。この押し潰されそうな威圧感は忘れもしない。死を覚悟した瞬間だ。そんな記憶を辿りながら、あの頃と何も変わらず成す術もない自分に嫌気が差す。
 左手に握り締めた相棒を構える精神的余裕は、やはりない。

「(やめてくれ!)」
「(俺は別にいいんだぜ?ここでお前らが消えても。情報入手ルートは他にもある)」
「(だったら初めから他を当たればいいじゃない!)」私の記憶喪失になど構わずに?
「(そうだな。じゃあ、俺の探してるモンを知っちまったお前らを、即刻始末せんとな)」
 顎を上げてニヤリと笑いながらこんな事を言う。

「っ……!」
 対処の方法が思いつかず追い詰められている私を横目に、新堂さんが申し出た。
「(待ってくれ。一日だけ、時間をくれないか)」
「(何のために?)」透かさずイーグルが問う。
 そして即座に彼は返した。「(あんたに、お望みのものを確実に渡すためさ)」
「新堂先生、何を言ってるの……」

 彼は私を制止して続けた。「(俺は名医だ。さっきの事で十分証明できたと思うが)」
「(ああ、認めるよ)」
「(彼女の記憶はまだ混乱している。またさっきのような、厄介な状態に陥る可能性だってある。今すぐに細かい情報を引き出すのは危険だ)」
「(一日あればできると?)」

「(約束はできない。だが、もしできなければ……望み通り現地へ行こう。もちろん俺も一緒にだ。それでどうだ)」
「(なぜ急にそんなに物分りが良くなった?何か企んでいるんだろう!)」

 不意に彼がお手上げポーズを取る。一体どうするつもりなのか。

「(何、単純な事さ。ただもう少し、長生きしたくてね)」彼が私を引き寄せて言った。
「(俺が信じると思うのか)」
「(ああ。あんたほどの腕があれば、今殺すも後で殺すも、大した手間じゃないだろう?明日お気に召さなければ、好きにするがいい」
 イーグルが無言で彼を見据える。

「(俺達は逃げも隠れもしない)」彼は堂々と言い放った。

 しばらく考えていたイーグルだったが、やがて銃を下ろすと言った。
「(一日だけだぞ。明日の夜ここへ来い。選択肢は三つ。その場で俺が納得の行く情報を渡すか、共に現地へ行くか、死か)」
「(分かった。俺達は市内の病院へ行く。彼女が本当に何もされていないか確認したいのでね)」

「(いいだろう。また立てなくなられると厄介だからな!任せるよ、ドクター)
 私はそそくさと床に散らばった服、壊された携帯を自分のバッグに押し込む。
「さあ、行こうユイ」

 どこか焦っている様子の先生に、半ば抱えられるような形で病院へと向かったのだった。

「……新堂さん。さっきはありがとう。あなたがあの提案をしてくれなかったらどうなってたか分からない」
「礼を言われるような事はしていない。とにかく、無事で良かったとはまだ言えない。おまえが例のおかしな老人に、乱暴でもされていないか……至急調べねば!」
「……そういう心配、してた訳ね」

 本当にありがとう、新堂先生。



 目が覚めた時は、もう朝になっていた。

「おはようユイ。安心しろ、乱暴された形跡はなかったよ。ただ血液に若干睡眠薬の一種が検出された。打撲含め擦り傷一つないが、他に何かされた覚えは?」
「いいえ。もう大丈夫、ありがとう」
 答えるなり、起き上がって身支度をしようとした私を、先生が止める。
「ユイ、頼むからもう少し休んでくれ」

「でも、時間がないのよ!」
 思い出せたのは、テロに遭った後の事。そこから芋づる式に新堂さんとの記憶はほぼ戻った。だが自分のイラクでの行動については、まだ靄がかかっている状態だ。
「ユイ!」
 強すぎる口調に、思わず動きを止める。
「……分かりました!でも、こうして寝てても何も思い出せそうもないわ」

 小さなため息の後、新堂さんが軽い調子で言った。「ダーク・フォックスとはまた、なかなか粋なネーミングじゃないか?」
「そのキツネさんも光栄でしょうね。どんな人物かは知らないけど」
「あの男が三年も前の事のために、わざわざおまえに接触して来た」
「他にも情報源があると言ってたけど、恐らく……」この言葉に彼が続ける。「出任せだろうな」

「ええ。だからこそ私を殺せなかった」
「でなければ、俺の提案をのむ訳がないしな」
 彼の言葉に頷いて結論を口にする。「つまり私の記憶が、最後の頼みの綱?」
「だとすれば、敵が一人増えるというのに俺をあの場に呼び出したのも頷ける」
「しかも強敵がね!ヤツは必死、ってワケね」

 私は仰向けになって両手を頭の下に挟んで天井を見た。見計らったように、先生が私の額に手を当てて熱を測り始める。
 されるがままとなり、考察の続きを披露した。
「これって、私がそのダーク・フォックスさんの命を握ってるって事になるのよね……」
 もしイーグルに話せば、その人物は確実に殺されるのだから。

「そもそもなぜ、その米国人は目を付けられた?」
「う~ん……イーグルは、善人気取りで目障りで?狡賢いとか言ってたけど」
 それにしても失礼な言い草だ。私が一時でも共に行動した相手ならば、心から平和を願う人物に違いない。
 そして私があの地で何をしていたのか。記憶がなくても分かる。罪のない住民が、下らない紛争に巻き込まれるのを防ぐためだ。

「他所の国の人間が、派手に動き回るのが気にくわなかったとか」
「そうよ!」だから私は、見せしめにテロの標的にされたとか?
「だが普通、それだけの事で殺したりするか?スパイ活動でもしていたなら別だが」
 こんな指摘に「それかも!」と声が大きくなる。
「黒い情報を握られた。政権維持のためには大きな障害になる。となれば当然握り潰しにかかるだろうな」

 私は体勢を変えて横を向いた。

「潰させたりしない!濡れ衣を着せられたキツネさんを助けたい!」
「なら、ヤツを阻止するしかないな」
「どうやって?」
「相手はイヌワシ。仕留めるなら……そうだな、麻酔銃だな!その後檻に放り込む」

「先生?私は真面目に話してるんだけど?」
「何せ俺はドクターなんだ、その辺の事は素人でね」急にとぼけた口調になる。
「よく言うわ!あのミスター・イーグルに平然と銃口を向けておいて?」
「おまえだって向けただろ?それも二回も」

 私はいつからか起き上がっていた。やっぱり寝てなんていられない!

「こうなったら、先生にきちんと射撃を教えないといけないなぁ」
「必要ない」と即決され、「なくない!」とすぐさま返した。
「あれは単なる威嚇、構えただけだ。ユイも良くやるだろ?」
「あなたの場合、射撃に自信がないからトリガーを引けないだけでしょ」

 彼は窓際に寄り掛かり空を見上げた。そのまましばらく沈黙が続く。

 これはまた、余計な事を言ってしまったか。
「……ごめんなさい、今の忘れて」
 慌てて言うも彼はそれには答えずに、こちらを振り向いた。

「実は前から気になっていたんだが、あの爆弾テロでもしユイが死んだら、誰か得する人間でもいたのかね」
「どういう意味?」
「故意に、おまえを狙った犯行だとしたら」
「Y・アサギリは死んだって、ある筋では有名な話みたいよ。話題作りには貢献したんじゃない?」イーグルもそんな事を言っていた。

 軽く舌を出しておどけた後、今度は真剣に答えた。
「もしあのテロがダーク・フォックスへの見せしめのパフォーマンスだったなら失敗ね。今になっても彼を消そうとしてるんだから?そんな脅しには屈しないって事!」
「もしや、おまえもその情報を共に握っている、なんて事はないよな?」

 考えもしなかった事を指摘されて戸惑う。「……え」そうなるとまた、とんでもなく厄介なのでは?

 解決の糸口も見つけられないまま、私達は病院を後にした。
 それにしても、新堂さんがここまで考えていたのには驚きだった。その上で時間の猶予を取り付けるなんて?
 つくづく、敵にしたくない男だ!


 そして翌日。私達は何の情報も持たないまま、例のアパートの一室に戻った。

「(来たな。逃げるなんてバカな気を起こさず利口だ、お二人さん!)」
「(とっとと行きましょう、イラクへ)」イーグルの言葉を無視し無表情のまま言い放つ。
「(そう来ると思ったぜ)」

 イーグルが何かを私に放り投げた。
 叩き落さなくて良かった。それは一台の簡素な携帯電話だった。
「(何よこれ)」
「(お前の携帯、壊しちまったからな。必要な連絡はそれにする。肌身離さずちゃんと持ってろよ?)」意味深な視線を送って言う。

 思わず舌打ちをした。私の携帯電話を壊した理由はこれか。この電話機にはGPS機能が搭載されているはず。私達の居場所を把握しようという訳だ。
「(まあいいわ。持っててあげる)」


 こうして私達は別ルートでイラク入りした。別行動を申し出たのは、イーグルが間違いなく正規の旅券を持っていない事を知っていたからだ。
 そんな人間とは絶対に行動を共にしたくはない。例え真正旅券を持っていても、暴かれたくない事だらけの私達なのだから?

「いいか、ユイ。危険な事にだけは手を出すなよ」
「もちろんよ。私だって、まだ死にたくはないもの」それに、あなたを危険な目に遭わせる訳には絶対に絶対に行かない。

 またしてもこの地に足を踏み入れる事になるとは、思ってもいなかった。


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