この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第二章 人生は万事、塞翁がウマ!

21.トレツに秘められた想い

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 ようやく体調が落ち着き、パートタイムも晴れて再開となった。
 年配女性が多い職場では、体調面の話題も盛り上がる。格好のターゲットにされた私は、仕事よりも彼女達との会話に疲労困憊の日々が続いたのだった。

 そして今日は久しぶりの休日。例の人質事件関連でアルジェリアに派遣されていた政府専用機が、羽田に到着する日だ。

「ユイ、急患が入った。済まないが出かけて来る。夕方には帰るよ。くれぐれも、気をつけろよ?」
「出かけるのはあなたよ?それはこっちのセリフ!気をつけてね。行ってらっしゃい」

 彼が何に気をつけろと言ったのかは明白、リングを狙う侵入者を警戒しているのだ。
 生憎今日は私も外出の予定だ。外出許可が下りないであろう事は分かっているから、当然内密に出かける。
 会社以外の外出は久しぶりだ。行き先はもちろん羽田空港。

「アルジェリアは断念したんだから、せめて羽田くらいは行かせてよね?……ああそうだ、車ないんだった。仕方ない、電車で行くかぁ」

 新堂さんが乗って行ったアウディ・クワトロを恨めしく思いつつ、最寄り駅までバスで向かう。十分徒歩圏内なのだが、体力温存という事で。
 それにしても喉が渇く。例の眩暈の薬は副作用が酷い。

「一時間はかかるなぁ。あ~あ、車だったらラクチンなのに!」
 もどかしい思いで目的地へ急ぐ。まあ、時間はたっぷりあるのだが。

 今日、あの地で殺された同胞人達が帰国する。
 せめて出迎えてあげたい。もしかしたら救える手立てがあったかもしれない、死なずに済んだかもしれないのに、何もしてあげられなかった無力な自分のせめてもの償い。
 無意味だと言われようが、せめて彼等を出迎えに行きたかった。


 空港はそれなりにセキュリティが厳しく、単身で乗り込んだ私にガードマンが鋭く問いかけてきた。
「ご遺族の方ですか?」
 その温度のない声に若干気後れする。「あっ、いえ……友人ですが。入れていただけますか?」友人などと名乗るのもおこがましいのだが。
「お入りください」
「ありがとうございます!」
 身分証の類を確認される事もなく通された。

 どうにか警備ゾーンを通過して空港内に足を踏み入れる。中は疎らに人がいるだけで、驚くほどに静かだ。もっと賑やかな光景を想像していただけに拍子抜けだ。
 辺りを見回すと、航空自衛隊の制服職員二人が、対面で何か言い合っているのが目に入った。

「なぜです!」
「とにかく、制服はNG、降り立っての堵列とれつはなしだ」
「そんな……!話が違います!撮影しなければいいだけの話でしょう?」
「マスコミ各社と上層部の決定だ」

 上官と思しき人物が去った後、隊員は一人呆然と立ち尽くしている。
 好奇心に駆られて近づく。

「あの、何かあったんですか?」
 声を受けて振り返った隊員が、不思議そうに私を見る。「あなたは?」
「今日帰国する彼等の友人です。立派に戦った彼等を出迎えたくて」
「……そうですか、ご苦労様です。僕らの任務って、何なんでしょうね」

 唐突に語り出した彼は、悔し気に拳を握りながらも力なく待合の椅子に腰かけた。
 私もその横に座る。自分の無力さを悔やむ気持ちは同じだ。だが彼は、また別の憤りを抱えているようだ。

「僕らの気持ちは、どうでもいいんでしょうか。我々の堵列の意味を、上官が知らない訳がない!思いは一緒のはずなのに。どうして説得してくれない?」
「あの、トレツ……って?」

 私の問いかけに彼は丁寧に教えてくれた。
 堵列は端的に言えば、主には軍人が敬意を表して出迎える儀式。制服姿で隊列を組み送迎する。それがテレビ局からNGが出たとの事。
 どうやら〝軍人〟という言葉がキーワードのようだ。

「確かに我々の任務は、現地から母国に彼らを運ぶ事。だが憎きテロの犠牲になったこの勇敢な同胞の企業戦士達に対して、最大限の敬意を表したいと思うのはいけない事か?」
 物のように運搬して終わる訳には行かないのは当然。ましてや事情が事情なのだ。
「済みません、民間人のあなたにこんな話をしてしまって……。業務に戻ります」

「待って!そんな事ない。私がこうしてここへ来たのは、私なりに彼等に敬意を表したかったから。そうする権利は誰にでもあるし、それが当たり前の感情。覚えておいて!少なくとも私は、あなたと同じ気持ちだって事を!」
 彼の思いが私にはよく理解できた。

 隊員は振り返ると、私に深く頭を下げてから再び背を向けた。
 その背中に向かって呟く。「負けないで……!思う気持ちは、誰にも止められないんだから!」

 それから二時間後、空港に無事日本版エア・フォース・ワンが到着した。
 九体の遺体が降ろされ、空自隊員が数人後に続く。遺体に向かって、それぞれが一礼して行く。例の堵列は組まれていない。

「これじゃまるで、自衛隊員は悪者じゃない!」その様子を間近で見守りながら呟く。
 制服を、強いては姿を曝すな、などというのは隊員を冒涜しているようなものだ。あんなに立派な志を持っているのに?
 居たたまれない気持ちのまま、政府専用機の日の丸を強く睨んで立ち尽くす。

 近くにいた報道カメラマンと目が合った。掴まえて話を聞き出す。

「あっ、ちょっと聞いてもいい?なぜ自衛隊の制服を報道するのがいけないのか、理由は聞いてる?」
「あんたは?」
「えっと……空自の広報担当よ!」
 いつものように、適当に身分を偽る。

「視聴者をムダに混乱させないためだとか!例の震災の時と一緒さ」さして興味もなさそうに話す男性。
「なせ制服で混乱するのよ?」
「国民は、日常とはかけ離れた光景を目にすると混乱するのさ!」
「はあ?」
「いつも制服に囲まれてる、あんた達自衛官には分からんだろうがね」

「彼らが……じゃなくて私達が命を張って自分達を救ってくれてると知っても?」
「所詮この国の人間なんてその程度だ。そんな事、オレだって分からんよ!」
 そのカメラマンの男性も腑に落ちない様子だった。
 確かに、実際制服や迷彩服を来た大勢の人間が隊列を組んでいる光景は、多くの国民からすれば非日常の異様な光景なのかもしれない。

「もういいかい?オレも忙しいんでね」
「ああ……ありがとう。引き留めてごめんなさい」

 カメラマンは去り際に、チラリと私を見て言った。「あんた達の頑張りは、ちゃんと見てるよ。見てるヤツはちゃんと見てる。負けんじゃねえぞ!」
 この言葉に涙が出そうになった。私、空自とは何の関係もないのだけれど。
「……ありがと。私が彼に言った事、間違ってなかったって事よね?」

 涙ぐんだその時、携帯電話がバイブし慌てて取り出した。表示を見ると新堂さんからだ。「マズい、もう帰ったの!?」
 慌てて電話に出る。「もしもし、新堂さん?」

『ユイ!今どこにいるんだ?大人しくしてろって言ったよな?』
「だから、大人しくしてるわ。……羽田で」最後の言葉は囁き声だ。
『何?羽田だって?一体そんな所で何を……。まさか』
 彼は私が空港からどこかへ飛び立とうとしていると考えたようだ。

「待って待って!どこへも行かないわよ?これから帰るところだし」
『迎えに行くから、そこで待ってろ』
「いいよ、一人で帰れる」私のこんな言葉は無視される。『いいな、待ってろよ?』
 有無を言わさずそう告げると、電話は切られた。

「あ~あ……。また叱られちゃう!」

 時計はいつの間にか五時を指していた。辺りは次第に暗くなり始めている。
 さらに人が疎らになった待合スペースで、一人ぽつんと座って彼を待つ。報道のカメラも自衛隊関係者達も、すっかり姿を消してしまった。

 二本目のペットボトルを開ける。「飲んでも飲んでも、喉が渇く!」
 薬が効いているのか、幸いな事に眩暈は起きていない。

 今日の事を色々考えているうちに、新堂さんがやって来た。無表情だ。怒っている時は大抵そうだ。

「あ!新堂さんっ、わざわざ来てくれてありがとう!」あえて明るく迎える。
 近づいた彼は無言で私の顔を覗き込んでいる。数秒の沈黙がやけに長く感じる。
 彼が椅子に置かれたペットボトルを見下ろした。

「さあ、帰るぞ」
「は~い!」返事だけは元気良く!

「薬はきちんと飲んでいるようだな」この判断は先ほどの沈黙の診察から導き出したのか。「もちろんよ。そのせいか、喉が渇いて仕方がなくて」
「たくさん水分を取るんだ。それは何本目だ?」
 私が手にしたペットボトルをチラリと見ながら聞いてくる。
「二本目。もうほとんど入ってないわ」

 返答を聞いて満足したのか、それについてのコメントはなく、「全く、こんな所まで来てるとはな!」と嫌味だけが返ってくる。
「無理はしてないよ?来る時もバス使ったし」
 再び言い返すと、立ち止まって私を見下ろしてくる。私は負けずに見返した。何を言われても、今日ここへ来た事だけは後悔しない。

「……そうか」
「あれ、叱らないの?」いつもと違う新堂さんに面食らう。
 もしかしたら、私の気持ちを少しは分かってくれたのだろうか?


 帰りの車内にて、最初に沈黙を破ったのは新堂さんだ。

「で、気は済んだのか?」
 こんな曖昧な言い方だが、私にはちゃんと通じている。「余計に複雑になった」
「それはどういう意味だ?」
「不条理な現実を目の当たりにしてね」私も曖昧な言い方で答えた。

「……生きてると、そういう事はよくある」
「あなたも?」
「ああ」
「そっか」
「だがそんな時、決して自暴自棄になってはいけない。そもそも、世の中がどうあれ俺には関係ない事だ」

 出た、クールすぎる発言!私は口を挟まず静かに続きを待った。

「組織も法律も、今の俺には関係ない。だからこそ思うままに動ける。そうでなければ不可能な事でさえも。ユイもそうだろ?」
「ええ、その通りよ」
「だがそこは孤独な世界だ。全責任は自分が負わねばならない。それでも、分かってくれる人間がたった一人いれば、俺はやれる。それをおまえに気づかされた」
「新堂さん……」
「不条理が何だ?ユイが側にいてくれれば、俺は構わず突き進める」

 時にクールに俺には関係ないと言い放つ彼だが、それは冷酷な訳ではなく、物事の本質を見極めた上で、自分にとって不要なものを排除しているだけ。
 全てを理解したその上で、私の存在をこんなふうに言ってくれる事が心から嬉しかった。孤独な世界で戦う者同士。私達はとても似ている。

「私も、新堂さんがいてくれれば、突き進める!」
「おまえの場合、突き進もうとするのを、俺に阻まれてるんじゃないのか?」
「ん?まあ……そういう時もある」

 しばしの沈黙の後、私達は声を上げて笑った。
 何はともあれ、私達は持ちつ持たれつ!二人で一つ、一心同体。ずっと、一緒。

「あ~喉が渇く!新堂さん、コンビニ寄って!」
「はいはい」

 道中しこたまミネラルウォーターを飲みまくる私なのだった。


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