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第三章 適材適所が成功のカギ
23.クワトロ最後のお仕事(1)
しおりを挟むパートの仕事を率なく終えての帰り道。駅前の商店街をいつものように歩いていると、背後からクラクションが鳴った。
特に車道にはみ出して歩いていた訳ではない。鳴らされた事にムッとしながら、チラリと振り返って後方を確認する。
すぐ後ろに迫っていたのは見慣れない黒の外車だ。私に面した右側の窓が開き、反対側にいるドライバーが声を発した。
「お帰り」
それはとても聞き慣れた声で、思わず車を二度見する。
「何だ、誰かと思った!そうか、今日納車の日だったね」
見慣れない車だったので、まさか新堂さんとは思わなかった。
「早く乗れ、一方通行で後ろが詰まってる」
「もう……こんな車で駅前の商店街に乗り込まないでよ」
黒光りする新品の高級セダンが、異様な存在感を周囲に漂わせている。マセラティ・クワトロポルテ。聞きしに勝る神の車!
「よく駅前なんかに来れたわね」タクシーも多く大抵混雑が激しいエリアだ。
「会社まで行こうと思ったんだが時間が合わなくてね。今日はそれほど混んでなくて良かったよ」
「家で待っててくれればいいのに」
「驚かせたくて。どうだ、これ」
「凄くステキよ!思った通り、あなたに良く似合ってる」
素早く乗り込むと、ハンドルを握る彼に見惚れながら伝えた。
「これから貴島の所に行くだろ?」
「そうね。クワトロ君を売り込みに行かなきゃ」
「ユイ、どっち運転する?」この言葉に一瞬耳を疑う。「……え、運転してもいいの?」
「二台で行かないと、帰りが困るだろ」当然のように言ってくる。
答えない私に、「体調が悪いなら話は別だが」と付け加えた。
「体調は万全です!やったっ、予想外の展開!もちろんコレ運転したいで~す!」
「言うと思ったよ」
「で、どうなの?スポーツタイプは」とにかくその感想が聞きたい。
「俺には違いが今一つ分からん」
「街乗りじゃそうかもね」
「だからって、スピード出し過ぎるなよ?」これには、分かってるって!と即答する。
こうして私達は急遽二台に分乗して貴島邸に向かう事となった。
着いてみると庭では二人が待ち構えるように出迎えてくれた。
「キャ~、新しい車カッコい~!ユイに新堂先生、悪いわねぇ、ありがとっ!」
「ねえ新堂さん、まなみったらお礼言っちゃってるけど、それ、あげるって言ったの?」
新車から降り立った私は、その隣りに停車して降りて来た彼に尋ねる。
「いや……そんなつもりはなかったんだが」首を傾げている。
「二人とも良く来たな。朝霧、体調戻ったみたいで良かったよ」
貴島さんがにこやかに話しかけてくる。
「心配してくれてありがとう。この間は何もできずにごめんなさい」
「いいって事よ!それで車もらえるとなると、こっちこそ申し訳ない!」それもこんな高そうな外車を、と上機嫌で続ける。
私は新堂さんと顔を見合わせた。
「ところでそれ、まだ壊れてないんだろ?買い換えるの早くないか?」若干呆れ顔だ。
待ってましたとばかりに、ピカピカの新車を振り返る。
「ハァ~イ!本日納車したての私達の新しい相棒よ?ステキでしょ」
「超ステキ!映画でラスボスが乗ってそうでっ」すぐさま答えたのはまなみだった。
ダークだ……。まあこの成りでは仕方ないか。でもこれ、神の車なんですけど?
全員の視線が車へと向けられる。
三台並んだ黒のセダン車。貴島さんは相当年代物の国産車だ。その年季の入りようを見るに、持ち主がいかに物を大事にしているかが分かる。
「そういうお前のはどうなんだ?」新堂さんが貴島さんに問いかけた。
「いやぁ。さすがにガタが来ててね……。先日もエンスト続きでやっと帰って来た。黒煙は吐くし!カッコ悪いって、最近まなみが乗りたがらない」
「それはマズイわね。だったら換え時だったじゃない?」
「でもまなみ、赤いのがいいんだけどな~」貴島さんの上着の裾を引っ張りながら訴えている。
「それ分かる!」と思わずまなみに賛同する私。新堂さんといると黒しか乗れないが。
「やっぱりぃ~?ユイはそう言うと思ったの!赤、いいよね~」
話はここから。売り込み開始だ!「あっ、いい事考えた!まなみ、これ赤く染めちゃうってのはどう?」
「ヒュ~!ユイ、ナイスアイディア!」
二人で盛り上がる中、貴島さんと彼が真顔で何か話し始めた。
「そうだ!ねえねえ、見てほしい物があるの!来て来てっ」まなみが私の手を引っ張る。
「分かったわ。新堂さん、ちょっと行って来るね。交渉はあなたに譲るわ」
「ああ、任せろ」彼は軽く手を上げると、微笑んで答えた。
何を話しているのか気になったけれど、私はまなみと部屋に向かう事にした。
まなみの見てほしい物というのは、宝石箱だった。貝殻で装飾が施されているなかなかセンスの良い品だ。
「うわぁ、いいじゃないこれ!中に何か入れたの?」
差し出された箱を開けようとすると、まなみが手で制した。
「ダ~メ。ユイにも見せないっ」
「え~?何でよ。私の弟子になるんじゃなかったっけ?」ここぞとばかりに言ってみる。
「あっ、そうか……お師匠さんには見せないとダメだよね」
俯くまなみがとても可愛くて、笑って頭を撫でた。
「いいよ。私も師匠に秘密にしてる事あるし?」
そう言いつつ考える。秘密にしている事……よくよく考えたらない。それよりも私は何か大事な事をまだ思い出していない気がする。
「ユイ?どうしたの?」
まなみの声に我に返る。「あっ、ごめん、ちょっと考え事」
「あれ、あの指輪は?してないんだ」まなみが私の左手を見下ろした。
「ああ。サイズがね、合わなくなってお直し中なの」そういう事にしておこう。
ふう~ん、とまなみは興味を失った模様。すぐさま別の話題になる。
「ねえねえ、ユイのお師匠さんてどんな人?コワいの?」
「うん。めっちゃ怖いよ、滅多に笑ってくれないし、すぐ怒るし!」
悪口紛いの言葉はどんどん出てくる。キハラが聞いていたら間違いなくお仕置きされそうなものばかり!
「へえ~。ピストル持ってる?ねえ!」まなみが指でその形を作って撃つ真似をする。
「もちろん。私のよりもカッコいいヤツをね……」
突然、キハラがこちらに銃口を向けるシーンが浮かぶ。その拍子に、心臓の辺りがギュッと掴まれるように痛み出す。
「……っつ!」まただ。これは一体何なの?
まなみは楽しそうに妄想を膨らませ、一人はしゃいでいる。心配させてはいけないと、密かに深呼吸を繰り返した。
「でねでね!まなみってばきっと、才能あると思うのよ!ねえ聞いてる?ユイ」
「うん、聞いてるよ。ね、そろそろ向こうに行かない?」
リビングを指して言ってみる。外にいた二人がいつの間にか消えているのに気づいたからだ。
こうして、まだまだしゃべり足りない様子のまなみを引き連れて部屋を出た。
「元気そうで良かったよ。朝霧はもういいんだろ」
「例の疾患の再発はない。別口の問題が発生したが……今のところは大丈夫だろう。だが実は一つだけ思い出せてない事がある。正直、思い出してほしくないとも言えるか」
廊下に出てみると、こんな二人の会話が聞こえてきた。
「思い出してほしくない?どういう意味だよ、それ……」
貴島さんがここまで言ったところで、私達はリビングに到達した。
「……ユイ」
新堂さんと目が合う。
「おお、二人とも秘密の会合は済んだのか?」貴島さんはおどけた様子で言った。
「あのねあのね!ソウ先生に貰った宝石箱、ユイに見せてたの!」
貴島さんの隣りに座って、さらにおしゃべりは続く。
「ユイ。おまえも座れ」
彼に呼ばれて隣りに腰を下ろす。「ねえ?思い出せてないっていうのは、キハラの事でしょ?どうして……」思い出してほしくないのか。
そう問いかけようとした時、貴島さんが遮る。「良かったな、朝霧!運転解禁おめでとう。しかも初っ端からあんな高級車なんてなぁ」
「高級じゃない。あんなの普通だ」サラリと言い放つ億万長者新堂。
貴島さんが私を見て、両手を広げお手上げポーズを取った。それがおかしくて、つい笑ってしまう。
胸の痛みも収まったし、今は事を荒立てるのはよそう。
「それで?クワトロの交渉はどうなったの」改めて彼に確認する。
「無償提供する事にした」
「は?」このケチ男がそんな事を言うとは!
「何かと世話になってるし。ここの診療所の資金繰り考えたら、請求できないよ」
「へえ~。冷血新堂でもそんな事言うんだねぇ」しみじみと思う。
「おい、今聞き捨てならない言葉が聞こえたが。何だよ、そのネーミングは?」
彼の拳が私の頭上に掲げられたが、抜かりなく受け止める。
「偉い偉い!ホントは褒めたかったのよ」逆に彼の頭を撫でて言った。
「やめろ」彼はそんな私の手をすぐさま振り払った。
「相変わらず仲がいいなぁ!お二人さん!」
「ソウ先生も私とイチャつきたいだろうけど、これから夕飯の支度しなきゃいけないからゴメンあそばせっ!」
「ああ?誰と誰が……っ」
慌てる貴島さんを横目に、まなみはピョンと立ち上がってキッチンへ行ってしまった。
その後ろ姿に恐ろし気な声を上げる。「っておい、まさか一人で作る気か?」
「少しは料理の腕、上達したのか」新堂さんが聞いた。
「全っ然!」貴島さんが叫んだのと私が立ち上がったのは同時だった。
三人で顔を見合わせ頷き合う。
「おいまなみ!朝霧と作れ、朝霧とっ!」
そんな様子を新堂さんがおかしそうに眺めている。
「心配しないで。私がちゃんと食べられる物、作りますわ!先生方」二人に向かってウインクを飛ばした。
「頼んだぞ?」
そして宣言通り食べられる代物を提供し、無事夕食が済んだ。
片づけを終えて一休みしていると、貴島さんがチラチラと私を見ているのに気づく。
「どうかした?」
「ちょっと気になる事があってな。やっぱり外出して来る。それで朝霧、お前に付き合ってほしいんだが……」
どこか含みのある言い方が気になった。「私に?」
「ユイが行くなら俺も行くぞ」当然のように新堂さんが続く。
「皆が行くなら、まなみも!」
大ごとになってしまい、貴島さんが理由を打ち明けた。
「いやな、左ハンドル初めてだからさ。こっそり練習したいだけだよ」
「なら、なおさら俺が付き合うよ」新堂さんが申し出る。
「あ、いや……大丈夫だ」
やはり何か隠しているようだ。透かさず彼が「何が大丈夫なんだ?」と突っ込む。
「新堂はまなみを見ててくれ。朝霧を少し借りるぞ」
さすがは年上の貫禄、新堂さんの威圧的コメントを受けても意志は曲げない!
「おい、何なんだ?さては、こいつに何かさせる気だろ」
そしてさすがは察しのいい新堂さん。私は告白されるのかと思ったけれど?というのは冗談だが。
「安心しろ、人殺しに行く訳じゃないから!」
「当たり前だ、お前は医者なんだからな!」
「そうだ、医者だ。だから、これから人助けに行くんだ」多分、と続ける。
そう来るとは思わなかった。そしてこの朝霧ユイが必要とは。
「人助け?そういう事なら大歓迎よ、早く行きましょ!何でもするわ」
「ユイ!そんな安請け合いして。頼むから危険な事は……」
「危険な事なんかさせるもんか。とにかくお前は留守番頼む!じゃ、行くぞ」
私は頷いて貴島さんの後に続いた。
「ああは言ったが、少々急ぎなんだ、慣れてない左ハンは不安だ。俺の車で行くぞ」
廊下を急ぎ足で進みながら発せられたこの言葉に答えたのは、私ではない。
「貴島!間違っても故障車には、ユイを乗せるなよ?」
さすが地獄耳新堂!けれどこの指摘は逆に有り難い。
「そうよ、すぐに慣れるわ。私も横で見てるし。クワトロ君運転してみてよ!途中でエンストされる方が困るでしょ?」
二人がかりで責められては、貴島さんも観念するしかないだろう。
「分かったよ!ぶつけても責任取らんぞ?」
「取る必要はない。お前の車だ、好きに扱え」
「そういう事かぁ」
嘆きの声がこだました。
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