49 / 131
第三章 適材適所が成功のカギ
リングの真相(2)
しおりを挟む薄暗いエントランスを抜けると、広々とした寛ぎスペースになっていた。ここにもヤクザ風の男達が数名いるが、女性の姿はない。
室内を見回すと、壁際に二階へと続く階段が見えた。
「さあ、客人が二階でお待ちだ」
予想通り上に案内されて階段を上がるも、時折ギシギシと軋む音が鳴る。
「ねえ?ここ、改装とかしないの?」思わず言ってしまった。
「古くて悪いな。改装はしない。もう時期取り壊す予定なんだ」
ふうん、と頷きながら階段を上り切る。
二階は奥が全面大きなバルコニーに面していて、一階よりも明るく開放感がある。そんな開放感の中で、椅子に縛られた外国人の女。タブレットの画像の女だ。その左右に二名ずつ監視役の男達が付いている。
「待たせたな。大人しくしていたようで何よりだ!」
神崎さんが言った日本語を、大垣がタブレットで翻訳して音声にする。
静かな室内に、機械的な女性の声でスペイン語が流れた。
「便利になったものだ!通訳入らずだよ」私に向かって軽くウインクを飛ばす神崎さん。
「ふふっ、それは良かったわ」
こんな会話の中、女は新堂さんを見て硬直している。
「新堂先生。最初に何か、おっしゃりたい事があればどうぞ」
「では。一言だけ」新堂さんが女を見据えた。
「どんな事情か知らないが、気安くウラの世界に手を出さない事だ。今回の事ですでに分かったと思うが?」言い終えると、大垣に目を向けて翻訳を依頼する。
再び室内に機械音が響く。
その音を遮るように、女が切羽詰まった声でしゃべり始めた。その音を聞き取ってタブレットが翻訳する。
『どうしても!……どうしても今あれが必要になったんです。そんな事を言えた義理でないのは百も承知。先生にお渡ししたあの時は、こんな事になるとは夢にも……!』
「なら、そう言って彼に交渉するって選択肢はなかった訳?」私は問いただす。
『そもそもまだ先生が持っているか定かではなかった。それに、とてもクセのある闇医者。簡単に返してもらえるとは思えない。それで……』
タブレットを通した会話は続く。
「失敬な言い様だな!大体君が金の代わりにと自分で申し出たんじゃないか。こちらは渋々承諾したんだ。金が用意できたならいつでも返したぞ!」思わずといった様子で彼が反論した。その声音には怒りが滲んでいる。
クセのある、は間違っていないけれど?と思いながらも、ようやく見られた女への怒りに内心ほっとする。
続いて神崎さんのドスの利いた声が響く。「お前の勝手な振る舞いのせいで、我々がどれだけ迷惑を被ったか分かるか?この落とし前はつけてくれるんだろうな?」
震え上がる女に同情したとは思いたくないが、彼は言った。
「神崎社長、もう結構ですよ。私の方は相応の金さえいただければ返却してくださって」
しかし女はか細い声で呟いたのだ。『お金は、ありません……』
新堂さんの視線が女に向く。その顔にはもう何の感情も表れていない。
「だそうだ。どうします?先生!」神崎さんが楽し気に叫ぶ。
「彼女の拘束を解いてください」新堂さんが静かに言った。
「逃げ惑う獲物を背後から仕留めるか。なかなかに残酷だな、先生は?」さらに楽し気な神崎さんに彼は即座に返した。「そんな事はしない!」
「縄を解いてやれ」
「ボス、本当にいいんですか?」女の左右を固める部下が確認してくる。
神崎さんは手振りだけで再度やるよう合図した。
一体どうする気だろう?この状況で、この素人の女に逃げ道はないだろうが。
成り行きを見守っていると、自由を取り戻した女は椅子から立ち上がって私の方を見ている。そして神崎さんに向かって訴えた。
『彼女に謝りたい、もう少し近くに行かせて』
「構わんが、手など出してみろ。もう二度と国には帰れなくなるぞ!」
神崎さんはこう言い放つと、女を取り押さえていた部下達を下がらせた。
女は一歩一歩足を進め、私の目の前で止まった。
何かされるのではと身構えたが、そんな気も吹き飛ぶくらい女は震えていた。
『あなたを襲わせた事は謝ります。こんな……あなたのような方とは思いませんでしたので……っ』そう言って頭を下げる。
「それって、チビで子供みたいでいかにも弱そうって?」ムッとして思わず言い返す。
『そんなんじゃ!私の事、好きにしてください。こっ、殺されても仕方なっ……』
後半、涙声になって訴えてくる様子に、ため息が漏れた。
「ユイ、好きにしていいって言ってるぞ!」
「神崎さん、やけに楽しんでない?」半ば呆れて兄を見る。どこからそのテンションが湧いて出るのか!
「楽しむ?俺は怒ってるんだ。可愛い妹を何度も危険な目に遭わせた。当然だろう」
「好きにって言われてもねぇ」コルトで脅そうにも、車に置いて来たし?
手を出さない私を前に、突然女の平手打ちが飛んできて私の左頬にパチンと当たる。
「……いった。何するのよ!」
条件反射的に女に平手打ちを返す。思わず力が入ってしまい、女は横に倒れ込んだ。「あっ、やりすぎた、ゴメンなさい……」
『……いいの。こうでもしないと、あなたは手を出してくれそうになかったから』
女は打たれた頬を押さえながら、上体を起こし力なく笑った。
「全く!ホンット何なの?あなたは……。それだけ度胸あるなら、初めから正々堂々交渉に来なさいよね」掴みどころのない女だ。人の事は言えないが?
「甘いな、お前達は……。その程度で許すのか?」
この場で神崎さんだけが怒りに満ちた顔をしていた。
「もういい。俺がやる。お前達の代わりに!大垣」横に控える大垣の方に手を伸ばす。
「はっ」大垣は懐から黒い鉄の塊を取り出して差し出した。
兄が要求したものは、あろう事か拳銃だった。
「神崎さん!やめて、何も殺さなくても……」
私の制止は効果なしだった。
右手にはいつのまにか例のリングが掲げられている。
「これが欲しいなら、俺から奪ってみるがいい。安心しろ、俺の利き手は右だ」
拳銃を握る手が利き手でないと暗に示す。
この時不意にどこからか、聞き覚えのある声が私の中で響いた。
〝できるものならやってみるがいい!この俺から、奪えるかな?新堂先生よ!〟
それは師匠キハラの声なのだが、何を奪えと言っているのか分からない。
思案している間にも現実の世界は展開して行く。
『どうぞ殺してくださいっ!こうなる事は覚悟の上で、ここに来ました。その代わり、リングは必ず私の家に送り届けてください』
女が泣き叫ぶ声で我に返る。
「そうか。のこのこ付いて来たが、覚悟があったとはな!ところでお前を殺したら、金は手に入るのか?」神崎さんが銃口を女に向けて言った。
「やめろ!」すぐさま新堂さんが叫ぶ。
神崎さんの姿がキハラと重なる。余裕の表情で笑みさえ浮かべながら、左手で銃を向けるその姿。なぜか私の胸が悲鳴を上げる。
「っ……。胸が、痛い」この痛みは久しぶりだ。
これには間違いなくキハラが関係しているのだろう。
二人は何かを奪い合っている。それも拳銃を向けて、つまり命懸けで!
新堂さんは目の前で繰り広げられている殺人劇に気を取られ、私の異変には気づいていないようだ。
「まあどうでもいい。金は俺が立て替えてやる。お前の命と引き換えだ!」神崎さんはこう言い放つや、トリガーを引いた。
「ダメーーっ!」
私は無意識に神崎さんの正面に飛び出していた。
こんなのは自殺行為だ。そこまでこの女が大事なのか?違う。この時私は、とても取り乱していた。
「……キハラ、お願いよ……」私の口からこんな言葉が零れる。
自分はこの場にいない人物になぜ懇願しているのか。それとも、もうここは現実世界ではないのか。
そうか、私は今撃たれて死んだのかもしれない。
私が目にしているのは、初めて見る膝を折った痛々しい師匠の姿。
〝お前と共に、もう一度生きたかった……。あの世で、待ってるぜ……!ユ、イ〟
悲痛な最後の言葉が頭の中を駆け巡る。
その声の後ろで騒がしく何人かが叫んでいる。
『……、しっかりしろ!』
抱き起こされ、耳元で誰かが言う。
『外傷は……』
胸が、とても苦しい。撃たれたのは胸なのか?やっぱり私は……。
『女、お前が巻き起こした現実をよく見ておけ!……ユイの行為に免じて命は取らない。その代わり金は払ってもらう。一生かかってもな!支払いが滞った時は……分かっているな?』
これは兄の声だ。とても怒っている声。
『私は、私は……何て事をしたのでしょう……!お金は、きちんと払います』
女はまた泣いているようだ。これなら十分反省していると言える?ねえ新堂さん。
「しん、どう、さ……」苦しみの中で何とか訴えようと力を振り絞る。
「ユイ!分かるか?きちんと呼吸するんだ!おまえの心機能は正常なはずだ。聞こえてるか?おい、返事をしろ!」
私の体を抱き起こしていた彼の声が、さっきよりもはっきり聞こえた。
「私は、キ、ハラ……を」
違う。撃たれたのは私じゃない。私は撃ったのだ。そして……。
「殺、した……」
モヤモヤしていたものが一気に晴れた。その瞬間、私の意識はプツリと途切れた。
そのまま自分は、きっと夢を見ていたのだと思う。
登場するのは私を想ってくれる人達だ。敬愛する我がキハラ師匠、愛する新堂さん、大好きな兄、そして同志のような大垣。
ここは、どこかとても明るい雲の上のような空間。
そこでキハラ師匠が私に告げる。〝これからも、ちゃんとお前の事見てるからな。下らん事でしくじりやがったら、ただじゃおかんぞ?〟
「ああキハラ……。私は!」
私の声が届く前に、キハラは声と共に消えていなくなった。
場面が変わり、どんよりした空が少しずつオレンジ色に染まり始めた屋外。そこで兄と新堂さんが話している。
『申し訳ないが、急用が入って社に戻らねばならない』
『問題ありません。行ってください、後は私が対処しますので』
『しかしユイの事が心配だ……後で様子を見に行くよ』
新堂さんが恭しく頭を下げていた。
彼は兄をどう思っているのだろう。もはや兄もキハラ同様に、彼の嫌うウラの世界の人間だ。
そんな事を思う間にも、次々とステージが切り替わって行く。今度は自宅だ。私はベッドに寝かされている。そのベッドサイドに集う三人。
『……。ユイをまた苦しめる事になる。そう思うと、思い出させたくなかった』
『俺の妹を見くびらないでくれ?一度乗り越えた事ならば、必ずまた乗り越える』
『恐れながら自分も同意見です。ユイさんは先生を一番に愛していらっしゃるのです』
この静かに低く響く声はさらに続ける。朝霧ユイは色々な意味で強い、自分が唯一強いと認めた女性だと。
「ああ、大垣さん……ありがとう!」
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
天使と狼
トウリン
恋愛
女癖の悪さに定評のある小児科医岩崎一美《いわさき かずよし》が勤める病棟に、ある日新人看護師、小宮山萌《こみやま もえ》がやってきた。肉食系医師と小動物系新米看護師。年齢も、生き方も、経験も、何もかもが違う。
そんな、交わるどころか永久に近寄ることすらないと思われた二人の距離は、次第に変化していき……。
傲慢な男は牙を抜かれ、孤独な娘は温かな住処を見つける。
そんな、物語。
三部作になっています。
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
結婚する事に決めたから
KONAN
恋愛
私は既婚者です。
新たな職場で出会った彼女と結婚する為に、私がその時どう考え、どう行動したのかを書き記していきます。
まずは、離婚してから行動を起こします。
主な登場人物
東條なお
似ている芸能人
○原隼人さん
32歳既婚。
中学、高校はテニス部
電気工事の資格と実務経験あり。
車、バイク、船の免許を持っている。
現在、新聞販売店所長代理。
趣味はイカ釣り。
竹田みさき
似ている芸能人
○野芽衣さん
32歳未婚、シングルマザー
医療事務
息子1人
親分(大島)
似ている芸能人
○田新太さん
70代
施設の送迎運転手
板金屋(大倉)
似ている芸能人
○藤大樹さん
23歳
介護助手
理学療法士になる為、勉強中
よっしー課長
似ている芸能人
○倉涼子さん
施設医療事務課長
登山が趣味
o谷事務長
○重豊さん
施設医療事務事務長
腰痛持ち
池さん
似ている芸能人
○田あき子さん
居宅部門管理者
看護師
下山さん(ともさん)
似ている芸能人
○地真央さん
医療事務
息子と娘はテニス選手
t助
似ている芸能人
○ツオくん(アニメ)
施設医療事務事務長
o谷事務長異動後の事務長
ゆういちろう
似ている芸能人
○鹿央士さん
弟の同級生
中学テニス部
高校陸上部
大学帰宅部
髪の赤い看護師
似ている芸能人
○田來未さん
准看護師
ヤンキー
怖い
一億円の花嫁
藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。
父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。
もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。
「きっと、素晴らしい旅になる」
ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが……
幸か不幸か!?
思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。
※エブリスタさまにも掲載
愛想笑いの課長は甘い俺様
吉生伊織
恋愛
社畜と罵られる
坂井 菜緒
×
愛想笑いが得意の俺様課長
堤 将暉
**********
「社畜の坂井さんはこんな仕事もできないのかなぁ~?」
「へぇ、社畜でも反抗心あるんだ」
あることがきっかけで社畜と罵られる日々。
私以外には愛想笑いをするのに、私には厳しい。
そんな課長を避けたいのに甘やかしてくるのはどうして?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる