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第三章 適材適所が成功のカギ
28.エクアドルにて(1)
しおりを挟む新堂さんに海外から一件の依頼が入った。
「かなり遠方なんだ。すぐには帰れない。ユイの体調が優れないようなら断るよ」
「断らなくていいわ。体調は全く問題ないから。ちなみにどこなの?」
「エクアドル。南米だ」
「それはまた治安の良くない場所ね。行くなら先生のガードが必要だわ」
こう指摘してみれば、彼が難色を示している様子。
「まさか一人で行くつもり?私を置いて!私に何日も一人でこの大きな家で過ごせって言うの?」
困り顔の彼を見ていたら、冗談でもこんな子供染みた主張をした事に後悔した。
「……冗談だってば。でもボディガードは冗談抜きで必要よ、新堂先生」
「おまえの体調云々はさておき、この件はやっぱり断る」
「ダメよ!あなたにしかできないオペなんでしょ?」
「ああ、恐らくな」
「だったら!やってあげて。私の心配してるんだったら問題ないから。ね?」
彼はまだ思案していた。一体何が問題なのか?それは間違いなく、私に危険な事をしてほしくないからだろうが!
「考えてみてよ。あなた以外のドクターが引き受けた場合、私のような優秀なガードなしで行かざるを得ない。犠牲になる確率は格段に上がる。しかも患者を救える確率は格段に下がる。何一ついい事がない!」
新堂さんは黙って聞いている。
「でも私とあなたが行けば?患者も救えてあなたは無傷で帰れる!どっちがスマートな選択だと?」
「無傷なのは俺だけか?」こんな確認は無意味だ。私は即言い直す。「訂正するわ、私達は無傷で帰る!」
こう言い切ると、しばし口をへの字に曲げていた彼が力を抜いたのが分かった。
「降参だ。分かった、ガードよろしく頼むよ」
「そう来なくっちゃ!ご依頼、承りました」
久々のボディガードの依頼だ。腕が鳴る!
こうして私達は南米、エクアドルへと旅立った。
パート先には一週間の休暇を申告してある。仕事を始めて早々に休んだりもしたが、最近は皆勤賞ものの出勤だったので、今回は快く受け入れてもらえた。
「仕事が済んだら観光でもしよう」
「そうね、せっかくだし!」
長時間フライトは患っている耳に堪えたが、あの耳栓は大いに役立った。そして彼のこんな提案もあって気分は上々!
長い長い時間を経てようやく現地に到着する。
休む間もなく依頼先に行くというので、早々にレンタカーを借りて先生を病院まで送り届けた。下手にタクシーになど乗ってもらいたくない。
日本とは違い、それだけでタチの悪い犯罪に巻き込まれる事もあるからだ。
見送りのために外に出ようとドアに手を掛けると、間髪を入れず声がかかる。
「降りなくていい。わざわざ悪かったな。じゃ、行って来る」
気を遣ってくれたのか。頷いてから尋ねる。「で、どのくらいかかりそう?」
「そうだな、確認するだけだが……二時間は見ておいた方がいいだろうな」
「分かった。じゃ、そのくらいしたら戻るわ。いい?新堂さん、絶対にタクシーなんかに乗っちゃダメよ?私が来るまで待っててね」
「大袈裟だなぁ……」
呆れ顔で呟く彼は、警戒心の欠片もなさそうで不安になる。「新堂さんってば!」
「ああ、分かったよ。そっちこそ運転気をつけろよ?」
「スィー、エンティエンド!」
突然のスペイン語に彼が目を瞬いている。
「了解って言ったのよ!あ、新堂先生、スペイン語の通訳は本当に必要ないのね?」
「ああ、病院側で対応してくれる。ユイ、スペイン語できないって言ってなかったか?」
「ソロ、ウン、ポウコ?少しだけね、覚えたの」
それはそれは恐れ入ります!と彼がおどけて両手を上げた。
そんなこんなで一旦彼と別れた。
病院内にいる限り、彼の身の安全は確保されている。
「新堂さんったらイヤミ?お勉強が好きなのはあなたの方でしょ!」
医学書だらけの書斎の本棚を思い浮かべて、一人車内で小言を飛ばすのだった。
そのまま車で周辺を見て回った。街はとにかく色が溢れている。色とりどりの布が吊るされた店や、民家の屋根はとてもカラフルで見ているだけで楽しめた。
ここはエクアドル最大都市グアヤキル。国内で最も治安が悪いとされているが、かの有名なガラパゴス諸島への入り口とあって、観光客が結構いる。
「何だか皆、旅慣れてるって感じね~」
ヨーロッパなどで見かける買物目当ての着飾った外国人は見当たらない。
「ん?あれは、日本の人かな」
車を脇道に停車させて、サングラスを外した私の目に飛び込んできたのは、流しのタクシーを拾う若いカップル。見るからに旅慣れているふうだ。軽装で荷物も少ない。
「危ないなぁ。変な車に乗らない方がいいよ~!」
車の中で声を出しても聞こえるはずもないけれど、忠告せずにはいられない。
その時、サイドミラーにチラチラと人影が写った。現地の若者のようだ。
ナンパか?目立たないようにレンタカーの選定には気を使ったのだが……。
「オ、ハポネース?」(日本人かい?)
「スィー。ケー?」(そうだけど。何か?)
「バモー、サ、ホガー!」(遊ぼうよ)
「エネ、スタド、ムイ、オクパード!」(私、忙しいの!)
そう返しながらエンジンを掛けて笑顔を向けた。
「オートラ、ヴェース!」(また今度ね~)
果たしてきちんと通じただろうか。勉強したとはいっても、かなりいい加減だ。
「車も服も、目立たないようにしたつもりなんだけどな~。やっぱユイさんってば魅力的なのね!あ~困った困った!」
その後は上機嫌で街中を一通り堪能。天気も良かったので、公園に車を停めて外で休憩する事にした。
「あ~、気持ちいい~。ギリギリ乾期に来れて良かったわ!」
五月から十一月は雨の降らない乾期の時期で、乾燥した晴れが多いらしい。日本の猛暑とは違って過ごしやすい。
木陰でぼんやりしているうちに、約束の時間がやって来てしまった。
「ホテルに戻る暇もなかったな……。さてと、先生を迎えに行きますか」
急いで車に戻り、駐車場を出て路地から大通りに入る。
「この車、ちょっとぶつけても大丈夫そうだから、気がラク!」
すでにオンボロなSUV。かなり年代物だ。わざとこれを選んだのだ。間違っても高級車はNG。強盗達に目印を与えるようなものなので!高級な物は何一つ持ち込まない。
彼から貰ったサファイアリングも置いて来た。けれど、相棒コルトは別だ。
病院前に到着して駐車場の最前列に陣取る。まだ彼の姿は見えない。どうやら間に合ったようだ。
少しして彼が病院のエントランスから現われた。荷物が一つ増えている。
「ちょっと新堂さん、それに何が入ってるの?」
「これか?現金だが。それがどうした?前金だよ。一度に貰うと荷物になるからな」
「それがどうした、じゃないわよ!なぜ振込んでもらわないの?」
「面倒だし手数料が掛かるからと断られた」
「こっちが面倒に巻き込まれるじゃない……」
「問題ない。俺には優秀なボディ・ガードがついてるからな!だろ?」
この人は本当に、自分の置かれた立場を分かっているのだろうか?私の心配は過剰なくらいするくせに!開いた口が塞がらないとはこの事だ。
「……。とにかく、そんなモノいつまでも持ち歩けないから」
「まず先に銀行だな」
「ご理解いただけてるようで安心したわ。で、いくら入ってるワケ?」
「三十万」
「USドル?」
「ああ。昔は自国通貨があったようだが、今はUSドルを使ってるらしい。こっちとしては助かるよ」
こんな話をしながら銀行に向かい、その後無事に現金を預け終える。
「今日の仕事はこれで終了だ。さあ、どこか観に行こうじゃないか?」
「少し休んだら?明日は本番でしょ」
「全然疲れてないよ」
そう言った彼だが、その表情はややお疲れのように見える。
とはいえ気分転換も必要か。
「じゃあ、このまま少しドライブしましょ。ここの街並み、とってもキレイよ!」
そして車内で会話が続く。「ここって、もっと暑いと思ってたけど」
「赤道直下の割りに、案外過ごしやすいだろ?」
「暑さの苦手な私達には大助かりね」
「横を流れるペルー海流が寒流のためだ」
「ふう~ん。相変わらず物知りね、センセっ!」
「これでもその昔は世界中飛び回って来たからな」
「今もでしょ」
「南米は何度か来てる」そう言った後、新堂さんが大きな欠伸をした。
「やっぱりお疲れじゃない。今から寝ればディナーには間に合うわ」
「……。じゃ、お言葉に甘えて一眠りするかな」
「スィー、セニョール!」
「グラシアス」
そういう事で呆気なくドライブは終了、早々に滞在先のホテルへ戻って休む事にした。
その夜。
「ああ~、良く寝たよ」
「お目覚めね、新堂先生。お腹ペコペコよ、ホテルのレストランに行きましょ?」
「ん?……外じゃなくていいのか?」
テーブルに置かれた開いたままの雑誌を見て、彼が聞いてくる。レストランのページが開いたままになっていた。
「ああ、うん。明日にしよう。ちゃんとお仕事が終わってから乾杯したいから。だから今日はここで。ね?」
「ユイがそれでいいなら」彼は笑顔で了承してくれた。
ホテル最上階へ上がり、レストランで食事をしながら会話する。
「観光したい所は見つけたか?」
「うん!サンタアナの丘に行きたいわ。四百四十四段の階段だけど平気?」
「登り切った時の達成感は相当だろうな」
イエスかノーか分からない返事だが、反応は悪くなさそうだ。「見晴らし最高だって!」と、もう一押ししてみる。
「行ってもいいが、明日は遅くなるかもしれない」
「さすがの私も大手術の直後に付き合わせたりしないわ。明後日に行きましょ?決~まりっ!」もう勝手に決めてしまえ。
新堂さんはただずっと私を見つめている。
「新堂さん?……あんまり乗り気じゃない?」さすがに強行突破すぎたか。
「いいや、そうじゃないよ。楽しそうなユイを見てて、嬉しくてな」
「何それ!変なの」
翌朝。彼を病院へと送り届けた後、再び散策に出かけた。
今日は港の方へ足を運ぶ。大きな川があり、それに沿って遊歩道が整備されていて散策には最適だ。
歩き始めたものの、周囲の楽しそうな観光客や地元民等に気圧される。
「あ~あ。一人で来てもつまんないや……」
こんな呟きを零して車に戻ろうとした時、後ろからネイティブ英語で声をかけられた。
「(ハ~イ!そこの美しい髪のレディ、良かったら僕とお茶しない?)」
またもやナンパか?それもやけに気取った言い回しで!
そう思って振り返って、思わず息をのむ。
「(これは驚いた……ユイ、かい?)」
「エリック・ハント!!」
透き通るような金髪の甘いマスクの男が、私に負けず劣らずの驚いた表情で立ち尽くしていたのだ。
世界的に有名な怪盗エリック・ハントとは、二十一歳になってすぐの頃に出会った。エリックに狙われた美術館の宝石をガードする依頼を受けた時だ。そこからちょっとした冒険が始まり、そして別れた。
私を気に入ってしまったらしく、その後エリック本人から依頼が入りこの時は新堂さんも巻き込んでひと騒動!
いつだってこの人は陽気で前向きで女たらし。
あれから随分経つ。
「(ああユイ!生きてるじゃないか!あの噂はやっぱりデマだったんだな。良かった!こんな所で会えるとは)」そう言って躊躇いもせずに抱きしめてくる。
「(ち、ちょっとっ、いきなり強引……離れてよ!)」
こんなところを新堂さんに見られたら、機嫌が悪くなるどころの話ではない!
「(ゴメンゴメン、感極まってしまって。君にはドクター新堂が付いてるのに、爆弾にやられるなんておかしいと思ったんだ)」
エリックは私をひたすら観察しながら、一人で納得している。
「(……心配、してくれてたの?)」私なんかの事を。
「(もちろんだよ!本当は真実を確かめに行こうとも思った。でもやめた。それを知ったところで何になる?ユイを手に入れられるっていうなら考えるけどね)」
エリックが話をしながら一番近くのベンチに誘導してくれた。
一旦隣り合って座るも、エリックは体ごと私の方に向けて座り直す。
「(どうだい?ユイ。僕と一緒に行かないか?)」
「(どこへ?)」言いたい事は分かっていたが、わざととぼけて聞き返す。
「(やだなぁ、決まってるだろ。君がパートナー候補なのは今も変わってないよ?)」
「(私はもう……あなたのお宝にもパートナーにもなり得ないわ)」そんな価値はない。昔の自分だったら、もう少し自信があっただろうが。
「(な~んてね。分かってたよ、断られるって。今も新堂とよろしくやってるんだろ?)」あいつがそう易々と君を手放す訳がない、と笑う。
「(で、そのドクター新堂は?)」辺りを見回しながら聞いてくる。
「(ここにはいないわ、仕事中。彼のお供で来ただけなの)」
「(何だっていいよ、こうしてユイに会えたんだから。これは間違いなく天のお導きだね!)」私の手を握って、蕩けてしまいそうな笑みを投げかけてくる。
この男は昔と何も変わらない。「(……だから、くっつかないでってばっ!)」
「(いいじゃないか。ここにいないんだったら?)」
「(見てるかもよ~?病院の窓から!双眼鏡でも使って……)」
何を想像したのか、不意にエリックが肩を震わせた。
「(……あいつ、案外そういうとこあるんだよな)」と小声で呟く。
「(え?今何て?)」
聞き返したが、エリックは笑って何でもないと手を振ってから言う。「(嫉妬深いヤツっていうのは、把握してるって事)」
これを聞いて思わず笑ってしまった。「(間違ってはない!)」
「(名残惜しいが、そろそろ行かないと。これから発つんだ。あんまり長居はできない。ユイはまだ滞在するのかい?)」エリックが立ち上がる。
「(ええ。もう少し。会えて嬉しかったわ、エリック)」私も腰を上げた。
「(僕もだ。まさかユイをナンパするとはね!僕もなかなかやるな)」
ホント!と合いの手を入れる。
「(それじゃ、新堂によろしく。……あ、内緒の方がいいかな?)」肩を竦めて訂正する。
「(内緒にはしないわ。あなたは私の大事な、元仕事仲間だもの?)」
「(そこはボーイフレンドって言ってほしかったなぁ~)」
笑い合いながら向かい合う。
「(ユイ、運命が再び引き合わせてくれるまで、アディオス!……元気で)」
「(エリックもね。また会いましょう)」
軽くハグを交わして別れた。
ふと時計を見ると、二時間も経っていた。そんなに話し込んでいたとは!散策はやめて、一度ホテルに戻る事にする。
やっぱり観光は新堂さんと二人でしたい。それに、またナンパされても困るので?
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